−第7章 絆(1)−
1
太陽の光を浴びて、まるで銀色の輝く水面(みなも)。波一つなく、まるでダイヤを散りばめたようにキラキラと輝いている。
その時、海から「ひゅう」と風が流れてきて、アレウスの髪をなびかせた。アレウスはわずかに目を細める。未だに潮風に慣れないからだ。
数日前、アレウス達はここエルバートの国王ライオスと会ってきた。ライオスとの会談は、まず成功と言っていいだろう。彼もアレウス達の噂は知っており、すんなりモンスター達の駐屯を承認してくれた。今後は、人間達と協力して有翼族と戦うことになる。
アルサード港を目指して進んでいたアレウス達は、ついに海とぶつかった。このまま進めば、目指す港まで行くことができるだろう。
ドストの村を発ったのは、もう10日以上も前のことである。
北の山から帰ってきた後、”光ゴケ”をカイザに飲ませた。すると、カイザをむしばんでいた熱は収まり、おだやかな表情が戻った。それからしばらく安静にし、ゼルフの看病のおかげで元気に歩けるようになった。
アルサード港は、エルバート王国の東にある大きな港町である。ここから、南にあるサラス大陸へ向かう。その目的は、勇者と呼ばれているフォルスに会うためである。その男は、”ジャスティス”と言う組織を作って、有翼族にレジスタンス活動をしているらしい。アレウスにとっても、興味深い男である。
街道は、人の往来が思ったよりも多かった。キャラバンの一行が多かったが、中には冒険者風の集団も目に付いた。有翼族の砦を攻略したことをきっかけに、人間の間にも有翼族に立ち向かう者が増えてきている。アレウスにとっては頼もしいことだが、人間の犠牲者が増えることは確かだ。そのためには、有翼族を一日でも早く倒す必要がある。
(有翼族・・・・。奴らは一体何者なんだ?)
なぜ有翼族は人間やモンスターを滅ぼそうとするのか。彼らは何処から来るのか。今まで、疑問にも思わなかった。しかし、改めて考えてみると不思議である。
アレウスは、ふとカイザの方を見た。今ではすっかりよくなり、持ち前の明るさを取り戻している。何かにつけては弟のラルクに話しかけている。普段は物静かなラルクは迷惑そうにしているが、何となく嬉しそうである。そんな二人のやりとりを見ていて、アレウスは頭に浮かんだ疑問をしまい込んだ。
もう間もなくアルサード港である。自然のアレウスの足取りも軽くなった。
とその時、先頭のラファールが振り向いた。
「アレウス様、人間が有翼族に追われています」
「なに!」
前方を見ると、一人の人間が三人の有翼族に追われている。どうやら、追われている人間は女のようだ。
しかし、ここからでは距離が離れすぎている。とてもではないが追いつけない。
「ラファール、有翼族を足止めしろ!」
「はい」
ラファールは、呪文の詠唱に入った。その脇を、ガルアが走り抜ける。
呪文は完成し、有翼族の周りにつむじ風が起こる。風の精霊シルフの力を借りたのだ。女と有翼族との距離が少し広がった。
そこへガルアが助けに入る。ガルアは女を口にくわえ、アレウス達のところへ戻った。人間をかばいながら、三人を相手にするのは不利と判断したからだ。
「きゃああああ!」
しかし、女は襲われたと思い必死に藻掻(もが)き始めた。
「何よ、私なんか食べても美味しくないわよ!離しなさいって!」
女は目に涙を浮かべながら、ガルアのひげを引っ張る。
「黙ってじっとしていろ!本当に食いちぎるぞ!」
たまらずガルアも、女をくわえたまま怒った。
「喋った・・・・」
突然狼が喋ったことに驚き、女はぽかんと口を開けたまま藻掻くのをやめた。
「私を助けてくれるの?」
「そうして欲しかったらじっとしていろ」
早さでは、ガルアの方が圧倒的に上だった。有翼族との距離はどんどん開いていく。その向こうからは、剣を抜いたアレウスとカイザがこちらに向かってきた。
「あいつら、モンスターか」
有翼族はガルアを追いかけようとしたが、劣勢を悟った有翼族達は飛び去っていった。
「おい、勝負しろよ!」
カイザの叫びもむなしく、有翼族達は海の彼方に消えていく。
「大丈夫か?」
アレウスは、女に声をかけた。
「はい、助けてくれてありがとうございました」
女はまだ若い少女であった。顔にはそばかすが残り、肌は薄く焼けている。眉が太く、気の強そうな感じである。
「一人で出歩くと危ないぞ」
一見したところ傷は負っていない。こんな時に、武器も持たない女がたった一人で出歩くとは無茶にも程がある。
「本当にありがとうございました。何かお礼をしなくちゃ・・・」
少女はそう言って、何か考え始めた。
「礼などいいさ。当然のことをしただけだから」
「それじゃあ私の気が収まらない」
少女は目をいっぱいに広げて、首を横に振った。
「その気持ちだけで充分だ。ありがとう」
「命を助けてもらったのに、何もしないなんて一生後悔するわ」
少女は頑として聞かなかった。
「困ったな・・・」
アレウスは頭をかいた。
「それなら、ベリーという男を知っているか?私たちはその男に会いに来たんだ」
そうアレウスが言うと、少女は満面の笑みを浮かべた。
「ベリーは私の父よ。ちょうどいい、家まで送るわ」
「それはどうも」
アレウスは、笑顔を浮かべて答えた。
2
少女の名前はレイナといった。レイナの父ベリーは、この港で一番の船乗りらしい。
アルサード港は、港町にも関わらずあまり活気がなかった。アレウスがそのことを口にすると、レイナは有翼族の襲撃があったことを話した。確かに、所々で崩れた家が見受けられる。
「三日前のことよ、有翼族がいきなりこの街を襲ったの。何とか追い返したんだけどね、おかげで港はめちゃめちゃだわ」
彼女は、怒りの表情を浮かべて言った。
レイナの家は港に近い場所にあった。想像していたよりも遙かに大きく、屋敷のような感じである。周りの家と比べると、その大きさは際だっている。
レイナはアレウスを客間へ通し、父を呼んでくると言って部屋を出ていった。さすがに船乗りの家らしく、部屋には美しい貝や巨大な魚の剥製が飾られている。
さっそく、珍しい物が好きなソロンが眺め始めた。すると、一枚の古い地図らしきものを見つけた。
「アレウス様、これを見てください」
ソロンがアレウスを呼んだ。
「何だ?」
「この地図、よく見てください」
ソロンが地図を指さす。
「ずいぶん古そうだが、世界地図のようだな」
トルネアの城で貰った世界地図とほとんど同じように大陸が描かれている。相当古そうだが、よくこれほど正確に描けたものである。
「アレウス様、この大きな島を見てください」
そう言って、ソロンは右上の方にある大きな島を指さした。
「この島は・・・・」
アレウスは慌ててトルネアで貰った地図を広げた。古い地図と同じ場所には、現在そのような島はない。その代わり、”アトランテア海域”と書かれていた。
「すると、この島は海に沈んだというアトランテア島か?」
アトランテアの伝説は、トルネアで聞いたことがある。その昔、高度な文明を持った島が突然海に沈んだという伝説が残っている。本当かどうかは分かっていないが、信じている人間も少なくないそうだ。
「おそらくそうでしょう。伝説ではなく、実在したのかも知れませんね」
その時、レイナと一人の男が部屋に入ってきた。男はいかにも海の男らしく、頑固そうな顔と焼けた肌をしている。眉毛が太いところは、レイナそっくりだ。
「俺はレイナの父のベリーだ、レイナを助けてくれたそうで感謝する」
そう言ってベリーは頭を下げ、アレウス達にソファを勧める。
ベリーの言葉に従い、アレウス達はソファに腰を下ろした。
「あんた達、あの地図に興味があるのか?」
「いや、ちょっと気になっただけだ」
「アトランテアのことか?」
そう言って、ベリーは地図を眺める。
「いまの地図には描かれていないからな。海に沈んでしまったと聞くが・・・・」
「そう言う伝説もあるな。まぁ、珍しいから飾ってあるだけだ。俺にも本当のところはわからねえよ」
いままで何人もの人間がアトランテア海域の海に潜ったが、結局何も発見することはできなかった。
「ところで、この俺に会いたかったそうだが?」
「ああ、トルネアの王から手紙を預かっている」
アレウスは、アレンV世の手紙を渡した。ベリーは封を開け中を見る。しかし、読み進めていくうちに表情が険しくなった。
「確かに手紙は受け取った。船を出してくれとのことだが・・・」
相変わらず表情は険しい。
「ああ、サラス大陸へ行きフォルスという男に会いたいんだ」
サラス大陸に行くには、この港から船で行くしかない。
「残念だがそれは出来ねえ」
「どうしてかな?」
アレウスは尋ねた。
「三日前、この町は有翼族に襲われた。なんとか追い返したもののかなりの被害が出た。奴らはその時、港に火をつけたんだ。おかげで船はみんな焼けちまった。いくら俺でも、船がなくてはお前さん達を大陸へ連れていくことは出来ねえよ」
「そうだったのか」
アレウスは、ソファーに深くもたれかかった。
「今は、有翼族の襲撃を恐れてだれも船を出さねえ。海の上じゃ逃げられないからな。残念ながら大陸に行くことは不可能だ」
ベリーは申し訳なさそうな顔をした。
「うーん・・・・」
アレウスは深く考え込む。
「ソロン、どうする」
アレウスは、隣に座っているソロンに尋ねた。
「船が出せなくてはやはり無理でしょう。ドラゴン達は、有翼族との戦いでほとんど生き残っていません」
アデル城と有翼族の砦での戦いで、モンスターの数はかなり減ってしまった。特にドラゴンは、空から来る有翼族を向かい打つために常に最前線で闘っている。元々アデルの城にはあまりいなかったため、その数はわずか数匹に減った。
「せっかく来てくれたのにすまねえな」
ベリーは頭を下げる。
「仕方がないさ。私たちはこれで失礼しよう」
そう言って、アレウスは席を立った。レイナが玄関まで案内する。
「本当にすまないわね」
レイナは申し訳なさそうな顔をする。
「いいさ。他に何か方法があるかも知れない」
アレウスは、わざと明るい顔をして答えた。
「あれ、あなたがしているペンダント・・・」
レイナは、アレウスの首に掛かっていたペンダントを見つめた。
「これか、これはトルネアのモニカ姫にもらった物だ」
そう言って、レイナに見せた。レイナはじっと見つめる。
「私も同じものを持っているわ」
そう言って、レイナもペンダントを取り出す。確かにそっくりだ。
「モニカ姫から貰ったって言ったわね?」
「ああ」
レイナは、神妙な面もちでペンダントを見つめている。
「モニカ姫はお守りだと言っていたがな」
「そう、ありがとう」
レイナは、再びアレウスにペンダントを戻した。
「それではな」
そう言って、アレウス達はレイナの家を後にした。
3
レイナの家を後にした後、アレウス達は港にやって来た。ベリーの話したとおり、港の建物はほとんど焼け落ちている。船も一隻も停泊しておらず、寂しい限りだ。
そんな光景を見たあと、アレウスはぼんやりと海を眺めていた。海には、焼け落ちた船の船体の一部が浮かんでいる。
「どういたしましょうか」
ソロンがアレウスに尋ねてきた。
「それはこっちが聞きたいさ」
ため息をつきながらアレウスは答えた。船もない、ドラゴンもいない。一体どうやったら海を渡ることができるのだろうか。
「私もずっと考えていたのですが・・・・」
結局、ソロンには良い考えが浮かばなかった。
「申し訳ございません、お役に立てなくて」
本来なら、こういう時こそ魔導師である自分が知恵を絞らないといけないのだ。
「魔導師だからって、何でもできるわけではないだろう。いくら考えたって、できないものは仕方ないさ」
魔導師とて万能ではない。アレウスも王として、時には自分で考えなくてはならないのだ。
「こんな時、有翼族が羨ましいですね」
ふとカイザが呟いた。両手を後ろについて、空を飛ぶカモメ達を眺めている
「ははっ、確かにそうだな」
アレウスはつい笑みをこぼした。確かに、自分に翼があればさぞ便利であろう。
「神に祈れば翼を生やしてもらえるかもしれませんぞ」
司祭のゼルフが珍しく冗談を言った。確かに、神に祈りたい気分である。
その時、誰かが近づいてきた。
「ここにいたのね」
声の主はレイナであった。
「何か用か?」
アレウスが答える。
「海を渡る手段があるの。それを伝えに来たのよ」
「何だって!」
アレウスは、思わず立ち上がった。
「お父さんには許しを得たわ、さあ行きましょう」
そう言って、レイナはさっさと歩き始めてしまった。
「待ってくれ、何処に行くんだ」
アレウスは慌てて追いかける。
「ついてくれば分かるわ」
レイナは振り返って答えた。
レイナが連れてきたところは、町外れにある岸壁の洞窟であった。入り口は狭く、立って歩くのがやっとである。辺りにはこけが生え、非常に歩きにくい。
「こんなところに何があるんだ?」
アレウスがレイナに尋ねる。
「もうすぐよ」
レイナはまっすぐ奥へ進んでいく。
しばらく歩くと、崖の反対側に出た。薄暗い洞窟になれていた眼は、久しぶりに陽の光を浴びて一瞬くらむ。
「ここよ」
レイナが言った。しかし、アレウス達には何のことか分からない。
「こんなところへ連れてきて、一体どうするんだ?」
目の前には大海原が広がっているだけだ。
「今見せてあげるわ」
そう言うと、レイナは笛を取り出した。そして、静かに吹き始める。
すると、池がにわかに波打ち始めた。そして、激しい水しぶきをあげる。
「何だ?」
まるで間欠泉(かんけつせん)のように水が吹き上がり、辺りが霧に包まれる。
「こいつは・・・・」
霧の奥から現れたのは、水竜(ウォータードラゴン)であった。青い鱗をもち、こちらを睨んでいる。
「何だこいつは」
アレウスは驚いた。
「この子はクゥー。私の友達よ」
レイナは平然と答える。
「一体どうして水竜を?」
「私が子供の時、ここで見つけたのよ」
そう言って、レイナは水竜との出会いを語り始めた。
4
ちょうど10年前。
レイナの父ベリーは病に冒されベットに寝ていた。
「お父さん、大丈夫?」
レイナが側にやってきて、心配そうにベリーの顔をのぞき込む。
「ん、レイナか?ちょっと熱があるだけだ、心配はいらない」
そう言って、ベリーはレイナの髪の毛をなでる。
頑丈であることが取り柄だった父が病気にかかったのは、レイナの記憶では確か始めてであった。
「早く病気を治して、また一緒に船に乗ろうよ」
船の上にいる父の姿が、レイナは一番好きだった。
「ああ、分かった。病気が治ったら、お前を一番に乗せてやるよ」
「本当!」
レイナは目を輝かせて喜ぶ。
「約束よ。絶対破っちゃダメだからね!」
「約束するよ」
ベリーは手を出して、レイナを指切りをする。
「レイナ、お父さんは大丈夫だから外に行ってなさい」
ベリーの看病をしていた母が声をかける。
「私も一緒にいる」
レイナはベットの側に座ったまま動かない。
「レイナ、病気が移ったら船に乗せられないぞ。俺は大丈夫だから、母さんの言うことを聞きなさい」
「はーい」
やや不満げながらも、レイナは素直に部屋を出ていった。
「早く良くならないかなー」
廊下を歩きながら、自然と足取りが軽くなる。
「そうだ、いいこと思いついた!」
その時、レイナの頭に名案が浮かんだ。
「待っててね、お父さん」
レイナは急に駆けだし、勢いよく玄関の扉を開けた。
レイナがやってきたのは、町はずれにある洞窟。ゴツゴツとした岩場に、自然にできたと思われる洞窟がぽっかりと開いていた。
「いつ来ても不気味な所ね」
洞窟の奥は陽の光が入ってこないのでかなり薄暗い。一歩一歩確かめるように、レイナは歩いていった。
しばらくすると、洞窟の先に光が見えてきた。レイナは思わず駆けだし、暗い洞窟の中を抜ける
洞窟を抜けたところは、狭い岩場になっていた。すぐ目の前には海が広がっている。
「さーてと」
レイナは袖をまくり、崖を登り始めた。所々に岩が出っ張っているので、決して登りにくくはない。
レイナが崖を登るにつれて、鳥の泣き声が聞こえてきた。それも、一羽や二羽の鳴き声ではないではない。数十羽はいそうなほどの大合唱だ。
「いたいた」
レイナはお目当てのものを見つけて、満足そうに頷く。
洞窟の上は、海鳥たちの産卵場所になっていたのだ。白い羽根に包まれたたくさんの海鳥たちが、毎年この場所で卵を育てる。
「海鳥の卵って栄養があるんだよね。これを食べれば、お父さんもきっとすぐに良くなるわ」
レイナは親鳥のいなくなった巣から卵をいくつか取って、もってきたカゴに入れた。
「あっ!」
最後の一個を入れようとしたとき、手が滑って卵を海に落としてしまった。
「あーあ、もったいない。ま、もう充分取れたし早く家に帰ろ」
レイナはカゴを背中にしょって、崖を降り始めた。
岩場に降りたレイナは、服に付いたほこりを払い腰を下ろした。そして、青い海を眺める。
レイナはここから眺める海の風景が好きだった。特に、夕日が沈む時は得も言われぬ美しさだ。
その時、突然海が波打ち始めた。
「なに?」
レイナは慌てて下を見た。海の中から、何かが近づいてくる。
大きな水柱を上げて、それは現れた。青い鱗をした、首の長い怪物。水竜(ウォータードラゴン)と呼ばれるモンスターだ。もっとも、レイナはそんなことを知る由もない。
「ああ・・・・」
水竜は、じっとレイナを見つめている。レイナは腰を抜かしてただ震えていた。
「クゥー」
おそらく水竜のものと思われる声。その鳴き声は、およそその身体には似つかわしくないほどかわいいものだった。その声を聞いて、レイナは呪縛から解放された。
「君、何なの・・・・?」
恐る恐る、レイナは水竜に近づく。
「クゥー、クゥー」
水竜は、レイナが取った卵に鼻を近づけた。
「お腹が減ってるの?ちょっと待ってて」
レイナは卵を割り、黄身を手ですくって水竜の口に近づけた。水竜はクンクンと臭いを嗅ぎ、長い舌を出して黄身を飲み込んだ。
「クゥー、クゥー」
水竜は、さらにねだるように口を開ける。
「もっと欲しいの?」
レイナはもう一つ卵を割り、怪物の口に入れる。
「クゥー、クゥー」
水竜は嬉しそうに鳴き、レイナの頬を舐める。
「あはは、くすぐったいよ」
愛情を目一杯に示すように、水竜は何度も何度もレイナの頬を舐めた。
「ねえ、お父さんやお母さんはどこに行ったの?」
「クゥー、クゥー」
「仲間はどこにいるの?」
「クゥー、クゥー」
「名前は何て言うの?」
「クゥー、クゥー」
「もう!クゥークゥーだけじゃ分かんないよ」
レイナは頬を膨らせて怒る。
「クゥー・・・・」
水竜は寂しそうな顔をした。
「よし、私が決めてあげましょう」
そう言って、レイナは水竜を指さした。
「まず名前はねぇ・・・・。やっぱりクゥーね」
「クゥー!」
「それから・・・・。お父さんとお母さんがいないみたいだから、私がクゥーのお姉さんになってあげるわ」
「クゥー!」
「今日から私たちは友達よ。仲良くしましょ」
レイナは笑みを浮かべて、握手するようにクゥーの手を伸ばした。
「クゥー、クゥー!」
クゥーは嬉しそうに喜び、レイナの顔を舐める。
5
「・・・・っま、そんなことがあってね」
懐かしむように語りながら、レイナは水竜の頭をなでる。水竜は喉をクルクルと鳴らし、気持ちよさそうにした。
「怖くはなかったのか?」
アレウスが訊ねる。
「別に、だって友達だもん」
水竜は、レイナに顔を押しつけている。レイナはくすぐったいと答えた。
「この子に乗っていけば、大陸に渡れるわ」
「こいつに乗るのか?」
アレウスは水竜を見つめた。もちろん、水竜に乗るなど初めてである。
「大丈夫、この子は大人しいから」
「しかし・・・」
アレウスはまだ躊躇(ちゅうちょ)していた。
「おもしろそうじゃないですか」
アレウスとは対照的に、カイザは嬉しそうであった。笑顔を浮かべて水竜に近づき、弟のラルクを誘う。
「どのみちこれしかないんだ、行こう」
ガルアが声をかける。
「分かっているさ」
アレウスも、水竜に近づいていった。
アレウス達が近づくと、水竜は頭を下げた。そして、首を通って背中に乗る。
「さあ、行くわよ」
レイナが水竜に声をかける。その声に答え、水竜が咆吼をあげる。水竜はゆっくりと進み始めた。
「クゥー、スピードを上げて」
レイナの声に答え、水竜がスピードを上げる。アレウスは慌てて背中にしがみついた。「目指すはナイル港よ。たくさんの人がいるから、きっとフォルスに関する情報も聞けるはずよ」
レイナが、風に髪をなびかせ言った。アレウスも、笑顔で答える。実に気持ちいい旅である。
「しかし、もし有翼族に襲われたらまずいな」
こんな海の真ん中で有翼族に襲われたら、とてもではないがまともに戦うことはできない。それに、水竜がやられたらアレウス達は海に落ちてしまう。
「大丈夫、いいものを見せて上げるわ」
「いいもの?」
「クゥー、全速力よ!」
レイナは笛を吹いて声をかけた。水竜は短くうなる。
途端に、水竜のスピードが急激に上がった。大量の水しぶきを上げ、矢のような早さで水面を切り裂く。
「これなら、たとえ有翼族が襲ってきても逃げられるな」
アレウスに必死に水竜に捕まっている。一瞬でも気を緩めたら、青い海に放り出されそうだ。
「もう分かった、もう少しゆっくり泳ぐように言ってくれ」
たまらずアレウスはレイナに言った。このままでは、海を渡る前に疲れ果ててしまうだろう。
「ふふっ、分かったわ」
レイナは水竜にスピードを落とすように声をかける。すると、水竜の早さが元の快適な早さに戻った。水しぶきが退いた後には、小さい虹が現れる。
(いい景色だ・・・・)
勇者と言われているフォルス。一体どんな人物なのであろうか。アレウスは、虹の彼方にまだ見ぬ勇者への思いを巡らせた。
6
目の前に、ナイル港の町並みが近づいている。水夫達は、突然訪れた珍妙な訪問者に驚きの視線を向けていた。
ナイル港には数多くに帆船が停泊していた。しかし、アルサード港と同様活気は感じられなかった。アルサード港が有翼族に襲われたことをきっかけに、船による貿易ができなくなったからである。ナイルのような商業都市では、かなりの被害が出ている。
「どうもありがとう」
アレウスは、レイナに礼を言った。
「私の命を助けてくれたんですもの、当然よ」
レイナは笑顔で答える。そして、アルサード港を目指して帰っていった。
「さて、どうしようか」
アレウスはソロンに尋ねる。
「情報を集めるには、酒場が一番でしょう。もっとも、港がこのような有様ではあまり期待はできませんが」
港がこんなに寂(さび)れているなら、酒場とて同じだろう。
「そうだな」
アレウスは酒場へ行ってみることにした。
しばらく歩くと、開店中の酒場を見つけた。かなり大きな店だが、中に入ってみるとソロンの言うとおり客はほとんどいない。奥にはステージや年代物のピアノがおいてあったりするが、客がいない今となってはよけい寂しさを強調している。アレウス達は、カウンターへと歩いていった。
カウンターでは、中年のウエイターが暇そうにグラスを磨いていた。
「いらっしゃい、何になさいます?」
「ワインを頼む」
そう言って、数枚の金貨をカウンターに出した。トルネアのアレンV世からもらった、この世界の貨幣だ。
「お客さん達、もしかしてモンスターってやつですか?」
ウエイターは、小声で話しかけてきた。
「ああ、そうだ。別に隠しているわけではないからふつうに喋ってくれ」
もうこの大陸にまで自分たちのことが知れ渡っていたのかと、アレウスは少し驚いた。噂が広がるのは、思ったよりもずっと早いようだ。およらく、アルサード港が有翼族に襲われる前にもたらされた噂だろう。
「私たちは、フォルスという男に会いたいんだが」
アレウスはウエイターに尋ねた。
「フォルス様にですか・・・」
ウエイターは表情を曇らせる。
「フォルス様率いる”ジャスティス”は、秘密の隠れ家に住んでいます。有翼族の目を逃れるためです。ですから、私には分かりません」
”ジャスティス”は、ゲリラ戦のような戦い方をしている。有翼族に襲われている村に突然現れたり、有翼族の砦を奇襲するのが彼らの戦法だ。
「そうか・・・」
アレウスは、ため息をついた。
「実は、この町には情報屋というものがいます。彼らにあたってみてはどうですか」
「情報屋?」
ウエイターの言葉に、アレウスは興味を持った。
「はい。その名の通り、情報を売るのが商売の連中です。彼らの情報の中には、巨万の富を生み出す秘密の情報もあるとか」
商業関係の情報は、時として巨額の金を左右することになる。元はそうした情報を集めるのが彼らの仕事であった。しかし、情報が欲しいのは商人達ばかりではない。彼らの中には様々な情報を収集し、その知識を売っている者もいる。
「どうすれば会えるんだ」
「普通の人が情報屋に会うのは難しいですからね」
時として個人のプライバシーまで覗こうとする情報屋を、市民達は快(こころよ)くは思っていない。そして、彼らから情報を買おうとする人間もまた嫌われる。だから、情報屋達は闇で仕事を請け負っているのだ。
「ですが、私はサザンという男を知っています。彼に会うには、そこのピアノ引きに0番の曲を頼んで下さい。情報がゼロ、全くなくて困っているという合図です」
「分かった」
そう言って、アレウスはピアノに近づいていった。ピアノ引きは、口髭を生やした不愛想そうな男であった。
「何番の曲が言いかね」
そう言って、アレウスの方も見ずに曲目の書いた紙を差し出してきた。
「0番の曲を頼む」
そう言って、アレウスはピアノ引きの様子をうかがった。ピアノ引きは何も言わず、引き始める。曲は、軽い調子の楽しい音楽であった。もっとも、今のこの店には似合いそうにはない。
アレウスは、カウンターの方に戻っていった。すると、さっきまでいたウエイターがいなくなり、他のウエイターがやってきた。その男はかなり太っており、目つきも何となく不気味である。恐らく、この男がサザンというのだろう。
「フォルスの居場所を知りたい」
アレウスは単刀直入に言った。
「その前に、もらうものをもらわないと・・・」
サザンは手を差しだし、にやついたような表情をしている。アレウスは察しがつき、金貨をカウンターの上に放り投げた。
「近く、”ジャスティス”がギルドア山にいる有翼族を攻めるらしいです。その山にはかなりの大物がいるらしいく、長い間”ジャスティス”の攻撃を退けてきました」
「大物だと、それはどんな奴だ?」
「その前に・・・・」
サザンは何か言いたげな目つきをする。その目つきに、アレウスは何となくゾッとしてしまった。情報屋がなぜ嫌われるのか、アレウスには何となく分かった。
アレウスはさらに数枚の金貨を渡す。
「八つ手のアシュラという男です。いまでは懸賞金がかけられているほどの男ですよ。その名の通り、アシュラは八本の腕をもっています。彼に殺されたこの国の兵士は、数百人を越えるとか・・・・」
「なるほど・・・・」
サザンの言うことが確かならば、かなりの強敵のようだ。
「ギルドア山は何処にある?」
アレウスがそう言うと、サザンは再び手を差し出した。
「また取るのか」
「情報は金ですから」
「くっ!」
アレウスは渋々金貨を差し出した。
「ここから南西に行ったところです」
「そうか、ありがとう」
サザンとは目も合わさず、アレウスは席を立った。
「困ったときはいつでもどうぞ」
帰り際に、サザンが声をかけてきた。アレウスは「ああ」とだけ答え店を後にした。正直なところ、あんな男には二度と会いたくない。
しかし、大きな手がかりを得たことは確かである。フォルスに会える日も、後わずか。
前のページへ | 目次へ | 次のページへ |