−第六章 愛のかたち−



 灰色の雲が、無限の彼方まで続いている。激しく降り注ぐ雨は、絶え間なく森の木々に降り注いでいた。

その森に、人影が一つ。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・」

 荒い呼吸をする度に、口元から白い息が漏れる。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・」

 ぬかるんだ地面は、踏みしめるごとに泥水を跳ね上げた。しかしそんな地面の上でも、影は驚くべき早さで駆け抜ける。地面に、何本のも爪跡を残しながら。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・」

 木の陰になって、その姿はほとんど分からない。だが、その双眸(そうぼう)だけは異常に光っていた。まるで、獣のように。 

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・。早く、あいつらから逃げないと・・・・」

 その時、側の木に稲妻が落ちた。辺りは轟音と共に、激しい光りに包まれる。

「うっ!」

 あまりの眩しさに目がくらむ。その一瞬、影がその姿を現した。何と、影の正体は狼の姿をした男であった。それも束の間、再び森は薄暗い闇に包まれた。

「はぁ・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・」

 大木の下で、男は泥水を跳ね上げながら倒れた。  

「すまねえ・・・・俺はもうだめだ」

 何と、胸には人間の赤子を抱えている。男と同様、その赤子も荒い息をついていた。

「お前一人でも・・・・強く生きるんだぞ」

 その言葉を最後に、男はぐったりと身を横たえた。すると男の影は、徐々に変形していく。  






 それからしばらくして・・・・。

「おいっ、誰か倒れているぞ!」

 大木の下に、三人の人影が現れた。それぞれ、猟師のような格好をしている。

「人間だ・・・・。生きているでしょうか?」

 三人は、大木の根元に集まってなにやら話し合っている。

「いや、もう死んでおる」

「あいつにやられたのでしょうか?」

「分からない。爪跡が残っていないから、もしかしたら違うかも知れないな」

「じゃあ、あいつはこっちにやって来なかったのでしょうか?」

「いや、こっちに来たのは確かだ。足跡が残っている」

「そうだとすると、まだこの近くにいるということですね?」

「ああ、この辺りで足跡が消えている。もしかしたら、森の中に入っていったのかもしれんな」

「ねえ見て!この人赤ん坊を抱えているわ」

「本当だ!」

「この人の子供でしょうか?」

「何か苦しそうにしているわね」

「おい、お前の雨具を着せてやれ」

「はい、分かりました」

「ちょっと待って!この子、すごい熱よ」

「本当だ!すごい熱ですよ」

「この症状、もしや・・・・・」

「間違えないわ。”トルネア熱”よ」

「でも、こんな赤ん坊があの病気にかかるのでしょうか?」

「分からん。しかし、間違えなく”トルネア熱”だ」

「とにかく、一刻も早くこの子を村まで運ばないと死んでしまうわ。あいつの追跡はあとにして、村に帰りましょう」

「でも、あと一歩まで追いつめたんですよ」

「この子を見殺しにするつもり!今ならまだこの子を助けることはできるわ」

「でもあいつ放っておいたら、また犠牲者が出るかも知れませんよ」

「この雨の中、これ以上追跡を続けることは不可能だ。この赤子を助けるために村に戻る。いいな」

「・・・・・・。はい、分かりました。」

「急ぎましょう」

 三人は降りしきる雨の中を村へと急いだ。




 地平線の彼方まで広がる無限の平原。街道の脇に広がる草むらには、黄色い小さな花びらをつけた花が顔を出していた。もう少し暖かくなれば、一面に咲き乱れることになるだろう。その時には、虫たちの楽園になるはずだ。

 アレウス達は、ドストの村に向かって平野を進んでいた。遙か左手には、山頂に雪を頂いた高い山並みがうっすらと見える。

 トルネアの中央部と南部は広い平野になっており、北部と東部は山地になっている。西部には森が広がっていて、そこを抜けると海になっている。もっとも、現在では魔界から移動してしまった大陸と一部がつながってしまっている。

 トルネアの平野は一大穀倉地帯として有名だ。自国はもちろん、隣国のエルバートや、アルサード港を通じて世界各国に麦を輸出している。

 一方北部に山地には森が多いので、多くの狩人が暮らしている。一年の大半を雪に覆われていて、ウサギや狐などが多い。

  東部の山地は牧畜が主な生業となっている。季節に応じて移動を繰り返し、山羊の乳からチーズなどの乳製品を作っている。この山地を越えると、そこはもう隣国のエルバートだ。

 辺りには特に何もなく、人通りも少ない。たまにすれ違うキャラバン(隊商)の一行も、物々しい出で立ちである。有翼族を恐れているからだろう。幸いにも、今のところ有翼族には出会っていない。彼らの侵略を忘れさせるほど、のどかな風景が広がっている。

「大丈夫か?」

 不意に、ラルクがカイザをのぞき込んだ。

「ん?ああ、何でもない」

 カイザは、慌てて顔を上げて答えた。このところ、カイザの様子がおかしかった。いつもは一人で喋くっているのに、最近ずっとうつむいて口を閉じている。兄のそんな姿を、ラルクはあまり見たことがない。

「顔が少し赤くないか?」

 ラルクはなおもカイザの顔をのぞき込む。

「どうかされかたな?」

 二人の会話を聞いて、ゼルフがカイザに声をかけた。

「いや、何でもないんだ。ちょっと気分が悪いだけ。すぐに治るよ」

 元気であることを示すかのように、カイザは作り笑いを浮かべる。

「小さな病が死を招くこともあります。強がる者こそ、思わぬ死を迎えるのです。無理はいけませんぞ」

「本当に何でもないんだ。心配してくれてありがとう」

 そして、カイザは元気に歩き始めた。

「アレウス様、村が見えてきました」

 先頭を歩いていたラファールが振り返った。遠くに、家が建ち並んでいるのが見えてくる。アレウス達は先を急いだ。

 ドストの村は、それほど大きくはなかった。千人ほどが住む、小さな村である。しかし村人の往来は激しく、兵士の姿もほとんど見られない。この村は、有翼族の襲撃を受けていないのであろうか。

 村の入り口の近くにある畑で、一人の農夫がせっせと働いていた。ガイという男のことを訊ねるため、アレウスはその農夫に近づいていく。

「すまないが、聞きたいことがあるのだが」

 アレウスは、その農夫に声をかけた。農夫はゆっくりと振り返る。

「なっ、何だあんた達は?」

 アレウスの顔を見た瞬間、農夫は飛び上がらんばかりに驚く。

「私の名はアレウス。実は人を捜しているのだ」

「アレウスって言うと、あのアレウスか?」

 農夫はアレウスの顔を指さしながら、ただただ驚いている。

「アレウス様に向かって失礼だろう」

 それを見たソロンは、目くじらを立てて怒る。

「構わん」

 アレウスは左腕でソロンを制した。

「いかにも、私が魔界の王アレウスだ」

「おお、あなたがアレウス様ですか。有翼族を倒し、モニカ姫を救ったという」

 農夫は目を光らせて喜んだ。この村にも、アレウス達の噂は届いているようだった。

「いかにもそうだ。この村に住んでいる、ガイという男を捜しているのだが」

「ガイさんですか。あの人なら、あそこの家に住んでいます」

 そう言って、農夫は一軒の家を指さした。丸太でできた、かなり大きな家である。

「ガイを言う男は何者なんだ?」

「恩人ですよ、この村を救ってくれた」

 農夫は誇らしげに語る。

(この村を救った恩人?有翼族を倒したとでもいうのか?)

「そうか、どうもありがとう」

 礼を言って、アレウス達はガイの家へ向かった。




コンコン・・・・

 アレウスはドアを軽くノックした。乾いた音が響く。「はい」と言う返事が聞こえ、中から一人の女性が姿を現した。

「どちら様ですか」

 現れた女性は、栗毛の若い女性であった。エプロンを掛け、髪を後ろで結んでいる。家事をしている姿が、一番似合っていそうな女性だ。眼が細く、一見して大人しそうな印象を受ける。

「私はアレウスと言います。こちらにガイという人はいますかな?」

「主人ですか・・・・。ちょっとお待ち下さい」

 アレウスの姿に驚きながら、女性は家の中に戻った。

「怪しい連中だと疑われなければいいがな」

 そんな彼女の姿を見て、アレウスは呟いた。

「結婚しているとは思いませんでしたね。一体どんな男でしょうか?」

 ソロンが答える。

「これを見る限り、猟師かもな」

 そう言って、アレウスは扉の横に飾られた熊の剥製を見つめた。まるで、今にも襲いかかってきそうな程よくできている。

「かなり大きな熊ですな。これを一人で倒したのなら、大したものです」

 興味を持ったのか、ソロンは剥製に近寄ってじろじろと観察し始めた。

「でも、ただの猟師に何で会う必要があるのでしょうか?」

 後ろにいたラルクが訊ねた。

「分からんよ。会えばきっと分かるさ」

 しばらくすると、一人の男が現れた。大柄で、かなりがっしりとした体格の持ち主だ。獣の毛皮を身につけ、茶色の髪を無造作に伸ばしている。彫りの深い整った顔立ちで、顎の無精ひげがなければかなりの男前だ。

「俺がガイだが、あんた達は一体何者だ?」

 獣のような目つきで、アレウス達を見つめている。

「私は魔界の王アレウス。トルネア国王アレンV世の紹介で会いに来た」

「ふーん・・・・」

 しばらく無言のまま、ガイはアレウスを見つめる。

「まあ立ち話もなんだ、上がってくれ」

 そう言って、ガイはアレウス達を中に招いた。アレウス達は中に入り、大きなテーブルの周りに座る。

「魔界の者と言えば、この間有翼族の砦を攻め落としたと聞いている。その魔界の王が俺に何の用かな?」

「別に用があるわけではないのだ。ただアレン殿から会ってみろと言われただけなのだからな」

 実際に会って見ても、ガイは普通の人間にしか見えない。

「そうか」

 ガイはしばしうつむいて、何か考えていた。

「実は・・・・、俺にもモンスターの血が流れているんだ」

 ガイは顔を上げ、そう言った。

「本当なのか?」

 アレウスは驚いた。どう見ても人間にしか見えない。

「口で説明するより見た方が早い。ちょっと見せてやろう」

 そう言うと、ガイは立ち上がった。

「ぅぅぅぅ・・・・」

 そして、ガイは低い声でうなる。まるで獣のうなり声ような感じである。

 すると、ガイの体に異変が起きた。肌からふさふさした茶色い体毛が生え始め、顔が狼に変化していく。

「ワーウルフか!」

 ソロンが驚きの声を上げる。

 ワーウルフは、魔界ではすでに絶滅したとされる種族である。ガイのように、その姿を変えることができる。そのワーウルフが、目の前に現れたのだ。予想外の出来事に、全員が驚く。

「そう、俺の体にはワーウルフの血が流れている」

 そう言って、ガイは変身を解いた。

「なぜ、我々以外のモンスターがここに?」

「俺にも分からない。俺は赤ん坊の頃にこの辺りの山で拾われたらしいんだ。人間の姿をした俺の父親は、その側で死んでいたと聞いている」

 それ以来、ガイはこの村で暮らすようになった。自分がワーウルフであることも知らぬまま。

(ということは、私たちと一緒に来たわけではないのだな。では一体どうやって・・・・)

 アレウスの頭の中に疑問が浮かぶ。

「自分が変身できることに気がついたのは、つい最近のことなんだ。この村が有翼族に襲われたとき、俺は村の仲間と共に闘った。しかし敵の数は多く、仲間達は殺されそうになった。仲間を助けなくてはと思った時、俺の体が急にモンスターに変わったんだ。はじめは驚いた。でも、信じられないほど強くなって、有翼族を倒すことができた」

 ガイはうつむいたまま喋った。

「はじめはみんな俺のことを避けていた。当然さ、普通の人間じゃないんだからな。その昔、狼の姿をした人間が、この村人を襲う事件があったらしいんだ。みんなまだそのことを覚えていて、結局俺は村を出ることにした。そんなある日、有翼族がこの村に財宝を狙ってきたことがあった。奴らが何でそんな物を狙うかは分からないが、多くの村人が殺された。追い出されたとはいえ俺の育った村の仲間だ、俺は再び変身して村人を守るために奴らと闘った。何とか奴らを追い払ったが、俺も大きな傷を負ってしまった。それを助けてくれたのがこいつだ」 

 そう言って、ガイは女性の方を向いた。

「マーサが俺の手当をしてくれたんだ。そして村人達も、俺に礼を言ってくれた。その時から、村人達はふつうに俺に接してくれるようになった」

 ガイは、少し微笑んで言った。

「嬉しかったよ。みんなが俺のことを認めてくれて」

 それ以来、ガイは有翼族が襲撃してくるたびに戦っている。幸いにも数が少ないため、村人達と協力して追い返すことができている。

「ところで、あんた達は何故この世界に来たんだ」

 ガイはアレウス達に尋ねた。アレウスは、今までのことを簡単にガイに話す。

「そうなのか。俺もいつの日か、人間とモンスターが共に暮らせる世界が来ることを願っている。陰ながら、あんた達のことを応援しているよ」

 そう言って、ガイは手をさしのべる。二人はがっちりと握手を結んだ。

「これからどうするつもりだ?」

「アルサードという港から、南の大陸へ向かうつもりだ。フォルスという男に会えと、アレン殿から言われているのでな」

「フォルスに会いに行くつもりなのか。あなた達が彼らに協力すれば、有翼族など敵ではないだろう」

 そう言って、ガイは豪快に笑った。

「フォルスという男について、何か知らないか?」

 アレウスがフォルスのことを訊ねる。

「フォルスと言えば、人々を救った救世主さ。”蒼き彗星の勇者”フォルスと”泉の聖女”レーテと言えば、知らぬ者はいないさ」

「それほど有名なのか」

 話を聞くごとに、フォルスという男に興味がわいてくる。

「”ジャスティス”を率い次々と有翼族を倒す。この村にも、フォルスに憧れて会いに行った若者までいるよ。南のサラス大陸だけでなく、世界中にフォルスに影響されて有翼族と戦うために立ち上がった若者達がいるそうだ」

 ガイは派手な身振りで語った。

「レーテは?」

「レーテも同じさ。最初に有翼族と立ち向かうように呼びかけたのが、そのレーテという娘なのさ。初めは、
全く相手にされていなかったらしい。しかし彼女の地道な活動の末、今では彼女がいなければ人間は滅んでいたと言われている」

「なるほど・・・・」

 アデルの城で未だに眠っているレーテが目を覚ませば、もしかしたら力になってくれるかも知れない。

「いろいろとありがとう。まさか我々以外にもモンスターがこの世界に住んでいるとは思わなかった。人間とモンスターが共に暮らせる世界、この夢が実現できるように私も努力するつもりだ。お前に会えて嬉しかったよ」 

「俺もあんたに会えてよかった。またいつか来きてください」

「ああ、約束しよう」

 アレウスは、ガイ達に別れを告げ家を出ようとした。しかし、その時。

 バタンをいう音がしたかと思うと、床にカイザが倒れていた。

「どうしたカイザ」

 ラルクがすぐに駆け寄る。

「すごい熱だ」

 カイザは苦悶の表情を浮かべ、荒い息づかいをしている。

「ちょっと見せてくれ」

 ゼルフが急いでカイザのそばにやってきた。そして、素早く治癒魔法をかける。しかし、カイザは一向によくならない。  

「どういうことだ」

 ゼルフは、厳しい表情のままカイザを見つめた。

「そいつは、”トルネア熱”かもしれないぜ」

 ガイがそばに寄ってきて、じっとカイザの様子を見つめる。

「トルネア熱?」

 アレウスがガイに尋ねる。

「10年ほど前まで流行っていた病気だ。何日も高熱にうなされ、死ぬこともある」

「どうすればいいんですか!」

 ラルクが激しい口調で問いつめた。

「この病気は魔法では治すことができない。”光りゴケ”と言う薬草でしか治せないんだ」

「それは何処にあるんですか!」

「昔はこの村にもたくさん保管していたんだが、脅威が無くなった今はもう無い。”光りゴケ”が生えているのは、この村から北に行った山の中だ。その山に住むナバルと言う男が知っている。俺が送って行ってやろう。変身すれば、三日ほどで着くはずだ」

「分かった。ガルア、俺を乗せてすぐに出発だ。ソロンも一緒についてくるだ。他の者はここに残っていろ。ガイ、すまないがソロンを乗せてやってくれ」

「ああ、構わないぜ」 

 ガイが大きく頷く。

「それではすぐに出発だ」

 アレウスはそう言って、出口に向かった。

「待ってください、俺も連れていって下さい」

 そう言ったのはラルクであった。

「いくら何でも二人は無理だぞ」

 ガルアは首を振った。いくらガルアといえども、二人を乗せることは無理だった。

「しかし、このままじっとしていられません」

 それでもラルクは退かなかった。

「何なら俺が乗せてやってもいいぜ。乗り心地はあまりよくないかも知れないが」

「ありがとう」

 話を最後まで言わないうちに、ラルクはガイに礼を言った。 

「ゼルフとラファールはカイザを看ていてくれ。できるだけ早く戻ってくる」

「分かりました」

 二人はカイザを抱えてベットに運ぶ。

「マーサ、川から水を汲んできてやれ。一緒に看病を頼む」

「はい」

 マーサは木の桶をもって、川に水を汲みに行く。

「急ごう」

 アレウスは、四人に向かって言った。アレウス達は、風のような早さで北の山を目指す。




 しんしんと降り続ける雪の中、二匹の狼がつむじ風のように駆け抜ける。

 一頭は銀色の毛皮に身を包んでいる。そしてその背中には、一人の男を乗せていた。それでもなお、ガルアのスピードは落ちることはない。背中にアレウスがまだ小さい頃から、ガルアはずっとその背中にアレウスを乗せて走り回ってきたのだ。

 もう一頭の茶色い狼も、雪の上に等間隔に足跡を残しながら走っている。その足跡の間隔は、走っていると言うより飛んでいると言った方がいいかも知れない。

「ガイ、カイザの身体はどれぐらいもつんだ?」

 顔面にまともに吹き付ける雪に顔をしかめながら、フォルスはガイに訊ねた。

 アレウスとて、生まれてから指で数えるほどしか雪を見たことはない。ましてやこれほど雪の積もった山など初めてだ。イエティなどのモンスターは、このような雪山で一生暮らしていると言う。一体どのような身体の構造をしているのだろうか。

「一日や二日では死にはしない。が、日が経てば経つほどヤバイことは確かだ」

 即効性はないものの、”トルネア熱”は決して薬や魔法で治ることはない。絶えず高熱にうなされ、衰弱して死んでしまう。

「モンスターでこの病気にかかった者はいないのであろう?」

 例え”光りゴケ”が人間に効果があっても、モンスターに効き目があるとは限らない。

「実は俺も、拾われたときに”トルネア熱”にかかっていたらしいんだ。その俺が生きているんだ、心配はいらない。」

「そいつは何よりだ」

 ソロンも一緒についてきているので、帰りは一瞬で戻ることができる。たとえ”光りゴケ”を持ち帰っても、モンスターに効かなければ意味がない。

「ナバルという男の小屋まであとどれぐらいかかるんだ?」

 すでにドストの村を出発してから三日が経っている。次第にアレウスにも焦りの色が出てきた。

「俺の記憶じゃあもう少しかかるはずだ。おいガルアとやら、もう少しスピードを上げてもいいか?」

「俺は一向に構わんぞ」

 涼しい顔でガルアが答えた。

「そうか。慣れない雪道で走りにくいと思ったが」

「気にしないでくれ。俺の背中に乗っている男は、例え炎の上でも平気で走れと言うぞ」

 ガルアが、ちらりとアレウスの方を見た。

「いつ私がそんなことを言った?」

 頭の上からアレウスが口をはさむ。

「お前なら言いかねん」

「そんなにお望みなら、いつか本当に走らせてやろうか?」

 小さい頃は、お互いこうやって言い合っていたものだ。王という立場上、城にいる時はいつも気を張っていなければならない。だがガルアと二人だけの時は、ついつい昔のように喋ってしまう。  

「カイザの様態が気になる。俺のことは気にせず走ってくれ」  

「分かった」

 二人はさらにスピードを上げ、雪の舞う森を駆け抜けた。






 どんよりとした雲が空を覆っているため、太陽はその姿を灰色のヴェールの下に隠している。これではどれぐらい時間が経ったのか分からないが、その時までアレウスにはかなりの時間が経ったように感じられた。ナバルの小屋が見えてきたのである。

 ナバルは、この山に住んで狩りなどをして暮らしているとのことだ。

「ナバル。ガイだ、いるか」

 ガイは大声を上げて、入り口の扉をドンドンと叩いた。程なくして、一人の男が出てきた。若い金髪の青年である。全体的に細身で、およそ狩人に向いているようには思えない。

「ガイさんじゃないか、一体どうしたんです?」

 突然の訪問に、ナバルは驚いているようだ。そして、ガイの後ろに立つアレウスを不思議そうに見つめた。

「実は、また”トルネア熱”が発生したんだ。患者は一人なんだが、危ない状態だ」

 ガイは、険しい表情で言った。

「そうですか、まあ中に入って下さい」

 ナバルはアレウス達を中に入れる。中では暖炉が焚かれており、寒さに凍えていたアレウス達にとってはありがたかった。

「この人は、患者の仲間だ」

 そう言って、ガイはアレウス達を紹介した。

「私はアレウスという。私の仲間が危険な状態にいるのだ。助けてくれないか」

「あ、あなたは・・・・」

 ナバルは困惑の表情を浮かべている。当たり前だ、明らかに人間とは違うのだから。

「すまないがゆっくり説明している暇はないんだ。とにかく、彼らはトルネアを有翼族から救ってくれたんだ。その仲間が”トルネア熱”にかかっている。”光りゴケ”の生えているところまで案内してくれ」

 ガイが早口でまくし立てる。

「わ、分かりました。早速”光りゴケ”を取りに行きましょう」

 ガイの勢いに圧倒されながら、ナバルは返事をした。

「”光りゴケ”は半日ほど山を登った洞窟に生えています。大型の狼なんかも出ますから気をつけてください。それから、防寒具もあげましょう。山の上はここよりももっと寒いですよ」

 そう言って、ナバルは熊の毛皮でできたコートを取り出した。

「そいつは有り難いですね」

 山の寒さが身にしみたソロンは、すぐに身につけた。少々不格好だが、背に腹は代えられない。

 アレウスは、ソロンの姿を見ながら何となく自分の姿を気にしていた。ゼノンに見られたら何と笑われるだろうか。いや、その前に・・・・。

 アレウスはガルアの方にチラッと視線を向けた。同じようにガイもアレウスの方を見ていたので、二人の視線がぶつかる。アレウスは慌てて視線を逸らしたが、ガルアの眼は何かを言いたくてうずうずしているような感じであった。

「ところでナバル、その傷はどうしたんだ?」

 不意に、ガイがナバルに尋ねた。確かに、ナバルの体にはいくつもの傷が付いている。

「ああ、これですか。実は有翼族に襲われましてね。その時のものです。危うく殺されかけたんですが、見知らぬ一人の女性に助けられましてね。私は気を失ってしまったのですが、気付いたらこの小屋で寝ていたんです」

「こんな山にも有翼族が出るのか?」

 こんな人気の少ない雪山にまで来るとは、ガイには不思議でならなかった。それ以上に驚いたのが、たった一人の女が有翼族を倒したと言うことである。

「それで、その有翼族を本当に女が倒したのか?」

「ええ、本当ですよ。気を失う間際に、その人の顔が少しだけ見えたんです。すごい綺麗な人でしたよ」

 そう言うと、ナバルは少し顔を赤くした。

「さあ急ぎましょう。早くしないと陽が落ちてしまいますからね。そうしたら熊まで出ますよ」

 そう言って、ナバルは弓を背負った。華奢なナバルには似つかわしくないほど大きな弓である。

「熊や狼よりも、有翼族が出ないことを祈るよ」

 ガルアはそう呟いた。何となくナバルの姿は心細い。

「不吉なこと言わないでくださいよ」

 苦笑いを浮かべながら、ナバルは入り口の扉をあげた。その途端、白い雪が小屋の中に乱れ飛んでくる。知らないうちに、雪が激しくなっていたようだ。

 ナバルを先頭に、アレウス達は”光りゴケ”を求めて出発した。




 さんざん降り続いた雪は、すっかり止んでしまった。さっきまで空を覆っていた雲は嘘のように消え去り、陽が顔を出している。降り積もった雪はてらてらと輝き、幻想的な風景を描き出していた。

 陽の光が射す中で慣れない雪道を歩きづめなので、鎧の下からは汗が噴き出している。しかし、むさ苦しい毛皮のコートを脱いだら、汗が冷えて風邪をひいてしまうだろう。山の天気の気まぐれさに、さしものアレウスも振り回されっぱなしである。

 ”光りゴケ”は、山頂近くの洞窟にあるらしい。ナバルを先頭に、アレウス達は雪道を進んだ。

 さすがにナバルは慣れているらしく、周囲を警戒しながらアレウス達が歩きやすいように道を作っている。一見頼りなさそうな男に見えるが、このような場面では非情に心強く感じられる。

「あの洞窟の中です」

 ナバルは前方を指さした。雪に埋もれた岩山に、ぽっかりと洞窟が口を開いている。

(誰かついてきているぞ)

 その時、急にガルアが”心話”を送ってきた。

(有翼族か?)

 シルバーウルフの嗅覚は恐ろしく鋭い。眼で見なくても、臭いで何者かが接近してきたことが分かる。アレウスは向きを変えず答えた。”心話”で送ってきたということは、相手に気付かれたくないからだろう。

(わからんが、奴らならすぐに襲ってくるだろう)

(それもそうだな。距離は?)

(こちらの姿が見えるか見えないかぐらいだな)

(頼む)

(分かった)

 そう答えると、ガルアは急に前に走り始めた。他の者は何のことか気付かず、驚いた表情を浮かべる。しかし、ただ一人ガイだけは違った。

「あんた、”心話”を使えるのか?」

「何だって!」

 ガイの言葉に、アレウスは声を上げて驚いた。

「俺もウルフ属のモンスター。”心話”が使えるのさ」

「そうだったのか」

 シルバーウルフの他にも、三頭の狂犬ケルベロスなどのウルフ属のモンスターが”心話”を使うことができる。同じウルフ属のワーウルフが使えたとしても不思議はない。

「しかしあんたが使える方が驚きだよ」

 ガイの驚きはもっともである。

「私達は特別なんだ。理由はよくわかない」

 アレウス自身も、なぜ”心話”が使えるようになったのかは分からない。子供の時、突然ガルアとだけ使えるようになったのだ。

「それより、誰かが私たちの後を付けているらしい。今ガルアが向かっていったから、その間に奴の注意を引きつけてくれ」

 アレウスは小声で他の仲間に知らせる。アレウスはこちらに注意を向けようと、ナバルに向かっていろいろとしゃべり始めた。





 その頃、ガルアは大きく迂回し相手の背後にいた。ガルアはゆっくりと近づく。どうやら人間の女のようだ。青い髪をまっすぐ腰まで伸ばし、白い着物を着てる。まだ気付かれていない。そして弓から放たれた矢のごとく、ガルアは一気に距離を縮めた。

 女は気配に気付いて、慌てて振り返る。顔も雪のように白い。

「きゃあああ」 

 悲鳴を上げる女の上に、ガルアは覆い被さった。前足で肩を押さえ、動けないようにする。

(つかまえたぞ)

 ガルアが心話を送る。 

「ガルアがつかまえたようだ」

 アレウス達は、ガルアのもとに急いで駆け寄った。

 女は必死にもがいているが、ガルアの大きな前足に押さえつけられ逃げることはできない。

「君はあの時に僕を助けてくれた!」 

 ナバルは彼女の姿を見て驚きの声を上げた。

「知っているのか?」

 ガイが尋ねる。

「はい。有翼族から、僕を助けてくれた人です。間違いありません」

 ガルアは彼女から離れる。アレウスは、彼女をじっと見つめた。そして・・・・。

「お前まさかフラウか?」

 今度はアレウスが驚きの声を上げる。彼女は、ビクッとしてアレウスを見つめた。

「あなたはまさか・・・・」

「フラウって何ですか?」

 動揺しているナバルがアレウスに訊ねる。

「伝説のモンスターさ、雪山に住んでいると言うな。雪女とも言われている。」 

「何だって!」

 ナバルは驚きの声を上げて、彼女をのぞき込んだ。確かに、人間にしては神秘的すぎるほどの美しさである。

(何故フラウがこの世界に・・・・)

 ガイの時と全く同じ疑問が、アレウスの心の中に浮かんだ。

(私たちと一緒にこの世界に来たのか?いや、この世界に移動した大陸に雪山はない。ガイといい、このフラウといい、一体どうやってこの世界に来たんだ?)

「有翼族だ!」

 その時、ラルクが声を上げた。

「ちっ!」

 アレウスは、舌打ちをして後ろを振り返る。




 有翼族の数は二十人。アレウス達六人では、少々数が多い。有翼族達はアレウス達に襲いかかってきた。

「くそ!」

 ガイはワーウルフに変身した。アレウス達も剣を構える。

 その時、突然吹雪が起きた。

「ソロンか?」

 アレウスはソロンの方を向いた。

「いえ、私ではありません」

 ソロンはまだ呪文を唱える途中であった。

「まさか・・・・」

 アレウスの予感通り、吹雪を起こしたのはフラウだった。

 吹雪は次々と有翼族達を包み込んでいった。雪の結晶がかまいたちのごとく有翼族の身体を切り刻み、白銀の風を真っ赤に染める。

(間違いない、やはりあいつはフラウだ)

 翼をズタズタにされた半数ほどの有翼族が、次々と地面に落下していく。

「よし、これなら何とかなる」

 ガイはそう言うと、有翼族達に向かっていった。ガルアとラルクも彼のあとに続く。

「ソロン、空中に残ったやつを何とかしろ」

「はい」

 ソロンは再び呪文の詠唱を始めた。

 その間に、アレウスとナバルは弓を持って空中の敵を狙う。しかし、アレウスの弓の腕前はそれほどよくない。ほとんどかわす必要もなく、矢は有翼族をそれて雪の地面に突き刺さった。

 一方ナバルは、さすがに狩人だけあって狙いをはずさなかった。しかし、こちらも簡単に有翼族にはじき返されてしまう。

 その時、ようやくソロンの呪文が完成した。

「万物の根源たるマナよ、ほとばしる稲妻となりて空を引き裂け!」

 ソロンの〈プラズマ・スパーク〉の呪文が完成し、空中の有翼族を激しい稲妻が襲う。空気が張り裂けそうな衝撃音と共に、有翼族は黒こげとなる。

 そのころガイ達も、残った有翼族を倒していた。小さな傷は負っているものの、三人とも無事である。

 そして、皆は雪女に視線を集めた。

「私の名はララ。あなたの言うとおりフラウです」

 うつむきながら、ララは小さい声で話し始めた。

「何で俺達をつけていたんだ?」

 アレウスが尋ねた。

「それは・・・」

 そう言って、彼女はナバルの方をちらっと見た。

「ララ、僕はまた君に会いたかった。会ってお礼がしたかった」

 それまで妙に大人しかったナバルが、ララの前に立つ。

「僕は・・・・」

 ナバルは先を続けようとするが、なかなか言い出せない。ナバルは一度息を吐き、決心を固める。

「僕は、君を見たあの日から日から、君のことが忘れられなかった。気を失う前に見た君の横顔が、いつまでも心に残っていたんだ」

 精一杯の勇気を振りしぼったナバルの言葉が、ララの心に響く。

「ナバル・・・・」

 ナバルの言葉に、ララも戸惑いを隠せない。

「この森であなたを見かけてから、私はあなたのことをずっと見続けていました」

 ララは顔を上げ、ナバルを見つめた。

「いつの日からか、あなたことを思うだけで胸が締め付けられるようになりました。だけど、私はフラウ。こんな私では、あなたを愛することはできない」

 ララは、うっすらと涙を浮かべた。自分がモンスターであるが故に、人間達からも、そして何よりもナバル
から遠ざかっていた。

「ララ・・・。そんなことは関係ない!」

 ナバルはララの手を取り、何度も首を横に振る。

「温かいのね、あなたの手・・・・」

 ララがわずかに笑みを浮かべる。

「でも、私の手は氷のように冷たい。あなたの気持ちは嬉しいけど・・・・」

 そう言って、ララはそっと手を離した。

「あんたの気持ちも分からないでもないがな」

 その時、ガイがララの肩にそっと手を置いた。

「俺にもモンスターの血が流れている。最初にそのことに気が付いたとき、俺は村を追い出された。そしてずっと悩んでいたんだ。俺はみんなとは違うってな。だけどよ、今はみんなと普通に暮らしている。確かに俺は違う生き物かも知れない。だけどよ、分かり合えばちゃんと一緒に暮らせるんだ」

「・・・・・・」

 ガイの言葉をかみしめるように、ララは目を閉じて自分の気持ちを確かめた。

「ララ、僕は君のことが・・・」

 ナバルがそう言いかけたとき、不意に矢が飛んできた。

「また有翼族か!」

 ガイが空を見上げる。

 空には、さっきよりもさらに多い有翼族が飛んでいる。そして、次々と矢を射ってきた。「くそ!」

 矢は雨のように降ってきた。アレウスとラルクは剣を使って払い、ガルアとガイは素早い動きでかわした。

「ナバル!」

 その時、ララが悲鳴を上げた。アレウスが振り返ると、ナバルの胸に矢が突き刺さっていた。




「ナバル!」

 ララは叫んだ。矢はナバルの胸に刺さっており、傷口からはどんどんと血が流れ出ている。

「うわあああ」

 ララは怒りの声を上げ、吹雪を起こした。空を舞う有翼族達は、次々に地面に落ちていく。力つきたララは、荒い息をついて倒れ込んだ。

「ラルク、ナバルを見てくれ」

 治癒魔法を使えるラルクなら、ナバルを助けることができるかも知れない。

「はい」

 ラルクはナバルに刺さっている矢を抜き、治癒魔法をかける。しかし、傷は塞がることはなかった。

「だめだ、傷が深すぎる!」

 あまりにも深い傷を負った場合は、呪文でも治すとこはできない。つまり、ナバルの傷は致命傷だったのだ。

「ララ・・・」

 ナバルは、弱々しくララに手を伸ばした。

「ナバル!」

 ララはしっかりとその手を握る。

「僕は・・・・君のことが・・・・好きだっ・・・・た」

 その言葉を最後に、ナバルの手からゆっくりと力が抜けていった。そして目を閉じる。

「・・・・・・」

 ララは言葉を失った。眼からは涙が溢れ、ナバルの頬を濡らす。

「洞窟の中に隠れているんだ」

 彼女たちの前に立ちながら、ラルクは声をかけた。有翼族の矢は尽きることを知らない。

このままではララまで死んでしまう。

 ララはナバルを抱きかかえて、洞窟の中へ向かった。

「来るぞ!」

 アレウスが声を上げる。ララの吹雪で数が減ったとはいえ、まだ二十人以上も残っている。

 その時、アレウス達の後方から激しい光が放たれた。まともに見てしまった有翼族達は、眼を押さえて苦しむ。

「アレウス様、今のうちです。我々も洞窟まで退きましょう」

 ラルクが洞窟を指さす。

 さっきの光りは、ラルクの〈フラッシュ〉と言う呪文だ。相手の数が多いし、今度は飛び道具も持っている。囲まれたら、数の少ないこちら側は不利だ。

「分かった」

 アレウス達は急いで洞窟の入り口に向かった。

「くそ!奴らを殺せ!」

 ようやく視力が回復した有翼族が、怒りの炎を燃やす。

 対するアレウス達は、洞窟の入り口で迎え撃った。アレウス、ラルク、ガルア、ガイの四人が横一列に並ぶ。洞窟の入り口はそれほど大きくないので、これなら後ろに回り込まれることはない。その後ろに、彼らを援護すべくソロンが魔導師の杖を構える。

 洞窟の中に入ったために、一度に二人の有翼族を相手すればよくなった。

 アレウスは盾を使いながら、慎重に相手の攻撃を防いでいく。相手は二人とも槍使いだ。

 アレウスは繰り出された槍を大きく弾き、胸元を狙って剣を一閃させた。しかし相手も素早く槍を引き、今度はアレウスの剣が弾かれてしまう。

「ちっ」

 二人の槍が空を切って放たれる。アレウスは身をよじるようにかわすが、一人の槍が肩をかすめた。

 その時、ソロンが〈ヘイスト〉の呪文を唱えた。素早く動けるようになったアレウスは、一気に有翼族との間合いを詰める。

 さすがに懐に入られては、どうすることもできない。アレウスの魔法の長剣が、二筋の光りの奇跡を描く。一瞬ののちに、二人の首は胴を離れた。

 しかし、すぐに新手が現れる。今度は二人とも剣を持っている。

「来な、俺達を襲ったことを後悔させてやるぜ」

 有翼族の血を振り払い、再びアレウスは剣を構えた。  

 その隣では、ワーウルフに変身したガイが戦っていた。両腕から繰り出されるツメは、有翼族の身体に鋭いナイフのような傷を付ける。

 ガイの次なる相手は、剣を持った有翼族だ。

 相手の有翼族から繰り出される斬撃(ざんげき)を、その大きな体からは考えられないような素早さでかわす。

 ガイは大きく身をかがめると、ものすごい勢いで飛び上がった。有翼族の頭上で一回転し、相手の背後を取る。ワーウルフならではの跳躍力だ。

 間髪を置かず、ガイは相手の首筋に噛みつく。有翼族の首から、勢いよく鮮血が吹き出した。

 苦戦しつつも、アレウス達は有翼族を倒すことができた。さすがに全員かなりの傷を負っている。ラルクがアレウスに駆け寄った。

「傷の回復は後でいい。それより、洞窟の奥へ急ごう」

 そう言って、アレウスは洞窟の奥へ向かった。
 
 




 洞窟の中は、外よりも一段と寒かった。天井には何本もつららがあり、いつ落ちてくるか分からない。

「いわゆる氷穴(ひょうけつ)ってやつだな」

 ガイは辺りを見渡した。何百年、何千年の時をかけて出来上がった氷柱は、どれ一つとして同じ形をしていない。まさに、大自然が作り上げた彫刻だ。

 アレウス達は、さらに奥へ進んだ。そして、淡い光りに包まれた広い空間に出る。

「すごい光景だな」

 アレウスは息をのんだ。他の者も、あまりの美しさに声が出ない。

 その部屋は、まさに氷に包まれた部屋だ。クリスタルのように淡く色づいた氷の壁が、ドーム状に部屋を覆っている。ところどころ光り輝いており、その光が反射して部屋全体を神秘的な明るさにいている。

「これが”光りゴケ”なのか?」

 アレウスは光の粒を手に取った。

「そうだ。それを煎じて飲ませてやれば、あんたの仲間は助かる」

「そうか」

 アレウスは皮の袋に”光りゴケ”を入れた。

「それにしてもすごい光景ですね。一生に一度、見られるか見られないかぐらいじゃないですか」

 ソロンはまだ部屋の美しさに感動していた。

「大金を払っても損はないだろうな」

 アレウスも改めて部屋を見渡す。カイザ達にも教えてやりたいぐらいだが、アレウスにはどう表現していいのか分からなかった。

「こいつは万年氷壁だな」

 ガイが氷に顔を近づける。すると、氷にいくつものガイの歪んだ顔が映った。

「万年氷壁?」

 アレウスが訊ねる。

「決して溶けることない氷の壁さ」

 ガイの言うとおり、ここの氷は太古の昔から存在しているような気がする。  

「ところで、あのフラウは何処に行ったんでしょう?」

 ラルクは辺りを見渡した。確かにララ達の姿が見えない。

「そう言えば見あたらないな・・・・」

 ナバルを抱えて洞窟に入っていったララの姿は、どこかに消えてしまった。

「アレウス、こっちに来てくれ!」

 その時、奥からガルアが叫んだ。

 アレウス達は、急いで声のした方に向かう。

「どうした、ガルア?」

「これを見てみろ・・・・」

 ガルアは、氷の壁の一点を見つめている。

「これは!」

 アレウスは思わず目を見開いた。あまりにも意外な光景がそこにあったからだ。 

「間違いなくあの二人だな・・・・」

 ナバルとララであった。二人は抱き合い、唇を合わせたまま万年氷壁に包まれている。その顔は、何とも穏やかであった。

「恐らくララが自分でやったのだろう」

 ガイが静かに口を開いた。

「これで、二人は永久に一緒ですね」

 ラルクが呟く。

 アレウスはふと思った。ガイは、人間とモンスターが共に暮らせるような世界を願っていると言った。それは、アレウスの願いでもある。ララやガイの種族を越えた愛は、アレウスにとって大きな希望であった。

(お互いが分かり合えば、きっと共に暮らせるか・・・・)

 きっかけとして、有翼族と共に戦うことを選んだ。しかし、例えば有翼族との戦いが終わったあと、その関係をどう維持していけばいいのか。ガイの言うとおり、お互いが分かり合う必要があるかも知れない。

(時間はかかるかも知れない。でもいつか・・・・)

 抱き合う二人の姿は、アレウスの目指す世界の象徴であった。

(いつまでも幸せでいてくれ)

 アレウスは、ララとナバルに心の中でそう言った。



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