−第二章 レーテ−



 ここは何処だろうか・・・。手も足の感覚もなく、広い海の真ん中に浮かんでいるような感覚であった。辺りは何も見えない。

「ウインディア・・・」

 何処からともなく、声が聞こえてきた。自分の知らない、けど、ひどく懐かしい声であった。

「ウインディア・・・」

 また聞こえてきた。

「あなた誰?」

「ウインディア・・・、目覚めるのです」

「あなた誰なの?私はウインディアじゃない。私は・・・」

 そして、突然目の前が光に包まれたと思ったら、彼女はゆっくりと目を覚ました。






 王座に座りながら、アレウスは窓越しに見える風景を眺めていた。

 ここから見える風景は、ずっと変わることがない。空は薄暗い雲に覆われ、その下には荒れた大地が続いていた。

 魔界には、緑はそれほど多くない。いくつか大きな森が点在しているものの、その他は荒れた大地がむき出しになっていることが多い。

 リテイア山から戻ってきてからというもの、アレウスは物思いに耽(ふけ)ることが多くなった。

(いずれお前達は滅びるだろう)

 ゴブリンロードを支配していた霧のような男は、そう言っていた。ゼノンとガルア以外には、このことは伏せてある。他の者に知らせれば、混乱を引き起こすだけだからだ。

(一体何が起ころうとしているんだ・・・)

 魔界を治める者として、ここ数日に起こった事件は頭を悩ませるだけだった。

(せめて、あの女が目を覚ましてくれれば・・・)

 グレア山で見つけた女は、未だに目を覚まさない。ゼノンは連日書庫にこもっているが、未だに手がかりは見つかっていないようだ。



カーン、カーン



 その時、王の間に来客を知らせる鐘が鳴り響いた。

「アレウス様、ゼノン様がお見えになりました」 

 豪華な扉がゆっくりと開き、呼び出しが来客の名を告げる。

 呼び出されるのももどかしく、ゼノンは早足で王の間に入ってきた。

「アレウス様、例の女が目を覚ましました」

「なに!」

 アレウスは腰を浮かせて答えた。

「分かった、すぐ案内しろ」

 アレウスは、急いでゼノンのもとへ歩く。

「こちらです」

 二人は、彼女が寝かされている部屋へ向かった。もはや希望は彼女だけだ。一体どんな答えが返ってくるのか、アレウスは、希望と共に不安にも思っていた。




 彼女はベットの上で上体をおこし、不安げな表情で部屋に入ってきたアレウスを見つめた。

「ようやく目覚めたか」

 アレウスは、ベットの横のいすに腰掛けて声をかけた。

「あなた方は一体どなたですか?」

 彼女は小さな声で答えた。アレウスにではなく、看護に当たっていたダークエルフやフェアリー達に、怯えるような表情を浮かべている。

「私はアレウスだ」

 安心させるために、アレウスは優しく声をかけた。彼女はしばらく黙ったまま、じっとアレウスを見つめた。

「私は・・・・、レーテと申します」

 相変わらず、彼女の声には力がない。アレウスは、そんな彼女の様子を疑問に思った。周りの者に怯えるばかりか、魔界の王たる自分の名前を聞いても、安心した様子はない。

「一つお聞きしていいですか?」

 相変わらず不安げな表情のまま、レーテという女性はアレウスに訊ねた。

「何だ?」

「あなた方、本当に人間なのですか?」

 まっすぐに、レーテは問いかけた。

「人間だと?」

 アレウスは、いきなり何を言い出すのかと驚いた。

「伝説で聞いたことがあります」

 ゼノンが口を開いた。

「この世界の創世神話です」

 ゼノンは目を閉じると、詩を朗読するように語り始めた。



 はじめ、宇宙には”混沌”(カオス)のみが存在した。

 ”混沌”(カオス)から、天(ブレイア)と地(ガイア)が生まれた。

 その後、天(ブレイア)と地(ガイア)が交わり、ゼノアとプロメウスが生まれた。

 ゼノアは、ブレイアを倒すと宇宙の支配者をなった。

 しかし、死んだブレイアの骸から、テュポスという巨人が生まれた。

 テュポスは、百の竜の頭と、天のも覆うほどの翼を持っていた。

 熾烈(しれつ)な戦いの末、ゼノアはテュポスを地の底(タンタロス)に封印した。

 その戦いの後、プロテウスは地上の表と裏に様々な動物を作った。

 最後に、ゼノアが大地から自分の姿に似せた動物を作り、支配者とした。



「彼女の姿がアレウス様に似ているのは、おそらく裏の世界の支配者である人間に他ならないからでしょう」

 結論づけるように、ゼノンは一度大きく頷く。

 アレウスも、魔界とは異なる世界が存在するという伝説は聞いたことがある。その世界は魔界と違い、光りに包まれた世界であるという。

「何故、裏の世界の住人がこの世界に紛れ込んだんだ?」

 アレウスはレーテに尋ねる。

「私は、セントリバーの山で”有翼族”(ゆうよくぞく)に襲われました。必死に逃げたのですが、結局追いつかれてしまいました。もうだめだと思ったとき、目の前が急に明るくなって・・・。それから後は覚えていません」

 レーテはうつむきながら答えた。

「有翼族?」

 やや身を乗り出してアレウスが尋ねた。

「私たち人間を襲う、翼をはやした人たちです」

「そいつなら、お前が倒れていたところの側にいたぞ。いきなり襲いかかってきたが、俺とガルアが倒した」

「あの有翼族に勝ったのですか」

 レーテは目をいっぱいに開いて驚いた。

「私たち人間には、彼らに太刀打ちできません。やがて人間は、彼らに滅ぼされてしまうでしょう」

「滅ぼされるだと・・・・」

 レーテの言葉に、アレウスははっとした。

「おい、霧のような形をした奴を知っているか?」

 アレウスは興奮気味に尋ねた。

「霧のような形をした人ですか・・・?私は知りません。それが何か?」

「いや、知らないのならいいんだ」

 アレウスはがっくりと肩を落とす。

「目が覚めたところにいろいろと聞いて悪かったな。とにかく、俺達はお前に危害を加えるつもりはない。後はゆっくり休んでいろ」

 そう言うと、アレウスは椅子から立ち上がった。

「助けていただき有り難うございました」

 レーテはアレウスに頭を下げる。

 アレウスは軽く手を上げると、部屋を後にした。






「有翼族とかいう奴らが攻めてくるということか」

 王の間へ戻りながら、アレウスはゼノンに向かってつぶやいた。

「確かなことは分かりませんが、可能性はあると思います」

 確かに、グレア山で闘ったときの有翼族の強さはアレウスも覚えている。手強い相手であることには違いない。

「ゼノン、警戒を強めるようにすべてのモンスターに知らせろ」

「分かりました」

(来るならかかってこい。魔族の強さを見せてやろう)

 アレウスは、心の中で決意を固めた。




 レーテが目覚めてから数日後、一人の使者がアデル城を訪れた。

「リュールの村の領主テラ様から手紙を預かってございます」

 リュールの村から来た使者はそう答えると、一通の手紙を取り出した。一人の従者が手紙を受け取り、アレウスに手紙を渡す。

 リュールは、デーモン属のモンスターが住む集落だ。デーモン達は、山羊の頭にオーガーを思わせる強靱な肉体をもっている。彼らは、モンスターの中でもかなりの戦闘力を持っているのだ。

(テラ老から手紙とは、一体なんだろうか)

 テラは、幼いときのアレウスに剣の稽古をつけたモンスターである。若いときは魔界一の剣士として、先王であるアレウスの父に仕えていた。現在は、リュールの村の領主を勤めている。先日も城を訪れ、久しぶりに狩りに同行した。もっとも、その狩りの途中でレーテを発見したのであるが。

 アレウスは封を切ると、手紙に目を走らせる。

「また謎の光が現れただと」

「はい。アレウス様から伝令があった翌日、村から二日ほど離れた山で巨大な光を見たという報告がありました。調査しましたところ、麓の村が破壊され皆殺しにされていました」

「うーむ」

 アレウスは低くうなる。ついに来たかとアレウスは思った。しかし、アデルの城では未だ一匹も確認されていない。徐々にモンスターを追いつめていこうという作戦であろうか。

「現在、周辺を巡回しつつ警備を強化していますが、有翼族は未だに見つかっておりません」

 有翼族のことに関しては、シルバーウルフの心話を使って魔界中に知らせてある。それぞれのモンスターには警戒を強めるように伝えてあるが、昨日の今日では準備を整えることができなかったであろう。

「手紙は確かに拝見した。念のため、こちらからも調査隊を派遣しよう。使い、ご苦労であった」

 使いはアレウスに一礼すると、謁見の間からさがった。

「ゼノン、ガルア達を派遣しろ。シルバーウルフなら、一日でつくだろう」

「かしこまりました」

 ゼノンはアレウスに一礼し、ガルアのもとに向かう。

 それからしばらくして、十匹のシルバーウルフがリュールの村を目指して出発した。ガルアが先頭に立ち、風のような早さでリュールの村へ向かっていく。




 ガルア達は、ダークエルフの森を抜けていた。ダークエルフの森は、アデルの城とリュールの村の中間にある広大な森である。ダークエルフ族の集落がいくつもあり、森と共に暮らしている。この森の中心には、二本の巨大な木が生えており、”双子の古代樹”と呼ばれている。

 ガルア達は朝から走りづめであるが、いっこうに足を止めない。シルバーウルフ独特の身体的な特徴があり、疲労を押さえているのだ。とはいえ、やはり疲労はかなりきていた。この森を抜ければ、リュールの村までそう遠くない。森を出たところでいったん休憩し、翌日には村に着く予定である。

 しかし、翌日に村を訪れたガルア達が見たものは、信じられない光景であった。

「何だこれは」

 建物は崩れ落ち、地面にはいくつものモンスターの死体が転がっていた。まるで地獄絵図である。

「生き残っているモンスターがいないか調べるんだ」

 ガルアはそう指示して、村を調べ始めた。

 しかし、生き残っているモンスターは一匹もいなかった。子供まで、無惨に殺されている。誰がやったかは、明らかであった。有翼族の死体が、辺りに転がっていたからである。室内は荒らされた形跡がなく、ただ殺戮だけが目的であったようだ。

 死体の様子から、ごく最近のものであることが分かった。血のにおいが鼻をつく。

 ガルアは、領主のテラの館へ向かった。テラの館もほとんどが崩れ落ちていた。その光景に、ガルアは希望を失いつつあった。

 入り口の扉はすでになく、床に倒れていた。ガルアは、注意深く中へ入る。館の中にも、いくつもの死体が転がっていた。しかし、その中にはテラはいない。ガルアは執務室へ向かった。

 執務室のドアも破られていた。入り口には、モンスターの死体が転がっている。ガルアは、死体を越えて中に入った。

 テラは、床にうつぶせに倒れていた。床には血がべっとりと付いている。ガルアはテラのからだを起こした。とその時、テラが一瞬うなった。

「テラ様!」

 ガルアは、慌てて声をかける。

「うう・・・・。だ、だれだ?」

「私です。ガルアです」

「ガ、ガルアか・・・。」

 テラはうっすらと目を開けた。

「そうです。一体何があったのですか?」

「グレア山で襲ってきた奴の仲間が、いきなりこの村に襲いかかってきた」

「奴らは何処に行ったのです」

「あいつらはあの女を捜している。気をつけろ、恐ろしいほどの剣の使い手がいる。それと、儂らの心を読むおかしな術を使う奴もいる。は、早くアレウス様に知らせなければ」

 テラはそう言うと、ぐったりとして床に倒れ込んだ。

「テラ様!」

 ガルアは何度も呼びかけた。しかし、すでにテラは息を引き取っていた。

「ちっ!」

 ガルアは、急いで心話を使ってアレウスに知らせる。

 その頃、アデルの城では激しい戦闘が行われていた。突如、有翼族の大群が現れてのである。すでに半日近く闘っている。アレウスも、側近達と共に気の遠くなるような数の敵を相手にしていた。

 そこへ、ガルアの心話が届いた。

(アレウス、聞こえるか?大変なことが起こった。リュールの村が有翼族の襲われた)

(その有翼族なら、今ここにいるぞ)

 有翼族の大軍は、あらゆる所から攻め込んでくる。城に詰めていたモンスターも必死に反撃するが、その数は一向に減らなかった。

(テラ様もやられた)

(何だと!)

 それにはアレウスも驚いた。テラの強さは、アレウスが一番よく知っている。そのテラがやられたのだから、相当な強さの敵がいるようだ。

(奴らの目的はレーテだ。あの女を捜しているらしい)

(レーテだと。なぜあの女を狙う?)

 アレウスは初めから疑問に思っていた。なぜ、有翼族は人間達だけを襲うのか。ただ単に、自分たちの存在を知らなかったのだろうか。だとしたら、何故いま急に姿を現したのだろうか。

(それは俺にも分からん。とにかく俺達も急いで戻る)

(分かった。私はレーテの所に行く)

 アレウスは心話を切り、ゼノンに声をかける。

「ゼノン、こいつらの目的はレーテのようだ。すぐにレーテのところへ行くぞ」

「分かりました」

 アレウス達は、レーテの部屋へ向かった。廊下には、そこかしこに死体が横たわっている。モンスターと有翼族との死体の数は、ほぼ同じぐらいだ。






 レーテの部屋に着くと、すでに部屋の扉は開いていた。近くにはモンスターが倒れている。肩から胸にかけて、刀傷のようなものが残っている。恐らく一撃でやられたのだろう。部屋の中にいる有翼族は、恐らく相当の使い手に近いない。もしかしたら、テラを倒した奴かもしてない、アレウスは表情を引き締めた。アレウスは、全力でレーテの部屋に走り込む。

 部屋の中では、レーテの前に巨大な陰が立っていた。

「レーテから離れろ!」

 アレウスは剣を抜き、警告する。

 陰はゆっくりと振り向いた。毛皮の鎧に身を包んでいたが、その顔は白い虎であった。モンスターの中にはこんな男はいない。

「何だお前は」

 見下ろすように、男は答えた。

「魔界の王アレウスだ」

「ほう、王族の者か」

 男は楽しそうに答えた。

「そいつは都合がいい」

 男はアレウスの方に少し近づいた。

「何故レーテをねらう」

 アレウスは思わず半歩下がってしまった。それほど、この男から異常なほどの重圧を受ける。

「邪魔だからさ。あいつも、お前もな」

「何故だ」

「お前達が知る必要はない」

 そう言うと、男はゆっくりと右手に剣を構えた。アレウスも剣を構える。

 すると、男が左手に力をため突き出してきた。次の瞬間、アレウスとゼノンは見えない力で吹き飛ばされた。

「うわあああ」

 ゼノンは頭を打ち、そのまま気を失った。アレウスも、しばらく動けなかった。

「どうした、もうお終いか」

 アレウスは剣を使って立ち上がった。

「いい根性だ。冥土の土産に俺の名を教えてやろう。俺の名は白虎のテイオだ」

「今度はこっちの番だ」

 アレウスは、テイオめがけて突っ込んでいく。そこへ、テイオが剣を振り下ろす。アレウスが剣で受け止めると、テイオは嵐のような剣さばきで襲ってきた。アレウスは防戦一方になり、すぐに裁ききれなくなってきた。

 そこへ、渾身の力を込めてテイオが剣を振り下ろしてきた。アレウスは、剣を巧みに使ってテイオの剣を横に払っう。テイオはバランスを崩し、がら空きになった腹に向かってアレウスは剣を放とうとした。

 しかし次の瞬間、丸太のような太い足がアレウスを襲った。

「ぐふっ!」 

 テイオの蹴りをうけて、アレウスは一瞬息を詰まらせた。そして、床に倒れ込む。

「なかなかやるな。だがそこまでだったな」

 そう言って、テイオはレーテに近づいていった。レーテはおびえるように体を震えている。

(くそー!)

 もはや、アレウスの体はいうことをきかなかった。薄れいく意識の中で、急にレーテの体が光るのが見える。しかし次の瞬間、アレウスは闇の中におちていった。 



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