−第十五章 誓い〜それぞれの道へ〜−


「どうなってるんだ、これは・・・・」

 信じがたい光景に、カイザはそれ以上言葉を続けることはできなかった。隣りにいるソロンも、我が目を疑うようにあたりを見渡している。

「アデルの城だよな、ここは・・・・?」

「そのはずです」

 カイザの問いに答えるソロンの声に力はなかった。その後ろでは、ラルクが茫然としながら目の前に広がるその光景を見つめている。

 王の間は、まるで廃墟のようになっていたのだ。

 透き通った窓ガラスは、粉々に砕けて窓際に散らばっていた。

 王座に続く真紅の絨毯はそこかしこが引き裂かれ、その役目を果たしていなかった。

 天井を支える円柱の柱は、根元から折れてその太い身体を横たえていた。

 白い大理石の壁にはいくつもの亀裂が走り、ところどころにはまるで花びらが咲いたように赤いものは付着していた。

 いったいここで何があったのか。それは、床に転がる無数の死体が物語っていた。窓がなくなって直接は入り込んでくる日差しが生々しくその光景を浮かび上がらせ、風は血の匂いを運んできた。

 カイザの足下に倒れているミノタウロスの身体には、針の山のように矢が突き刺さっていた。死してもなおそのミノタウロスは、斧を手にしたままカッと両目を見開いていた。カイザたちのよく知る、”電撃隊長”のアルベルトだった。

 折れた柱の下では、三匹のコボルトが口から血を吐いて死んでいた。

 天井には、胸に槍を受けたハーピーが突き刺さっていた。ハーピーの血は矢を伝って、ポタリ・・・・ポタリ・・・・と滴り落ちている。

 もちろん有翼族の死体も混じっていた。ある者は心臓を貫かれ、ある者は頭が砕け、ある者は真っ黒に焼けこげ、ある者は真っ赤な肉塊へとなっていた。

 カイザ達三人は、<テレポート>の呪文でアデルの城に帰ってきた・・・・はずだった。しかし目の前に惨劇が、それを受け入れさせなかった。

(何かの間違いだ)

 頭の中で、そうカイザは呟いた。

(そうだ。きっとソロンのやつが場所を間違えたんだ。こんな・・・・、こんなことなんて・・・・)

 悪い夢であって欲しかった。しかし、王座の奥に掲げられたアデルの城の紋章が、そんなカイザの希望をうち砕いた。

「少し調べてみましょう。戦闘があってからおそらくそれほど時間は経っていないはず。生きている者もいるかも知れません」

「そうだね」

 そう答えるラルクだったが、その表情は険しかった。自身いくつもの戦いの場を経験している。全滅させられた仲間達を見たこともある。その時見た光景は、わずかな希望さえ失わせてしまうのに十分であった。その時の記憶が、目の前の光景と重なる。

 カイザ達は床に倒れている魔族を跨(また)ぎながら、手分けして調べていった。”心眼”のソーラとの戦いで負った傷はラルクにある程度癒してもらったが、普通に歩くのもままならい。

 王の間には、彼等の足音のみが響いた。静まり返った部屋の中に、以外と大きく響く。

 だが、すぐにカイザ達の表情は暗くなっていく。やはりと言おうか、一目見ただけで死んでいると分かる者がほとんどだった。ただ一匹を除いては。

「みんな、来てくれっ!」

 王座の近くを調べていたラルクが叫ぶ。彼の側には見覚えのある大きな黒竜が倒れていた。この城の留守を任されていたジェラルドだ。

「どうしたっ!」

 カイザは有翼族だけの上を踏み越えて、ラルクのもとへ急ぐ。ソロンも足場を捜しながら床に倒れている魔族を飛び越えていく。全身の筋肉が一斉にズキズキと悲鳴を上げるが、そんなことは構っていられなかった。

「ジェラルドが・・・・」

 ラルクが、床の上にあるジェラルドの顔をのぞき込んでいる。ジェラルドの目は、うっすらであるが確実に開いていた。

「おいジェラルド、しっかいしろっ!」

 カイザはジェラルドの身体を揺さぶろうとする。その手を、カイザは慌てて制した。

「ラルク?」

 驚いたようにカイザはラルクを見つめた。もうだめなんだとカイザに訴えかけるように、ラルクは沈んだ表情をしながらただ首を横に振って答えた。

「カイザか・・・・」

 振り絞るように、ジェラルドはカイザの名前を口にする。

「一体どうなってるんだ、ジェラルド?」

「見ての・・・・通りだ。いきなり有翼族が・・・・現れた」

「この城にだって大勢の魔族がいたはずだろう」

「どれほどの魔族がいても・・・・無駄だったさ。”天空の杖”のことを・・・・覚えているか? 奴らはあの杖で嵐を起こし・・・・一瞬にしてこの城を破壊してしまった」

「”天空の杖”?」

 その杖のことはカイザも覚えていた。”天空の杖”は、隣国のトルネアで有翼族と戦ったときに彼等が持っていた杖だ。伝説のアトランテアの秘宝とも呼ばれており、天候を自在に操ることができる。

 戦いのあとは、トルネアの城に保管されているはずだった。

「どうして有翼族が”天空の杖”を・・・・」

 そう疑問に思ったカイザであったが、あることを思いついてハッとした。

「ソロン、まさかっ!」

「そのまさかでしょうね。おそらくトルネアは、滅ぼされた・・・・」

 一陣の風が迷い込んできて、ソロンの髪をなびかせる。

 ”天空の杖”を有翼族が持っているということは、保管されていたトルネアから奪ったとしか考えられない。

「なんてことだ・・・・」

 ラルクは顔を青ざめていた。

 頭の中には、この城と同じように廃墟と化したトルネアの城の姿があった。

(確かあの城にはモニカという姫がいたはずだな。無事だといいが・・・・)

 可憐な少女の姿が思い浮かんでくる。そんな少女が有翼族の刃に倒れる姿を、ラルクは想像したくはなかった。

「奴らはすべての有翼族を一転に集結させて・・・・攻め込むつもりだ。ゲホッ、ゲホッ」 ジェラルドはせき込みながら血を吐いた。ジェラルドの瞳からは、光りが消えようとしている。

「最後にお前達に会えて・・・・よかった。アレウス様に・・・・伝えてくれ。何とか玉座だけは・・・・誰に触らせなかった・・・・とな」

 自分の役目を全うした事への喜びからか、最後にジェラルドは笑みを浮かべていた。ジェラルドのまぶたが、ゆっくりと、本当にゆっくりと閉じてゆく。やがて完全に閉じた目は、二度と開くことはなかった。

「ちくしょうっ! みんな・・・・、みんな死んでいくっ!」

 カイザはガツッと拳を床に何発もたたき込んだ。手の皮が破れて拳を赤く染めながらも、カイザはやめることはなかった。

 そんなカイザの肩に手をおいて、ラルクは呟いた。

「行こう、カイザ・・・・。生きている僕らには、まだやれることがある」

(やれること・・・・か)

 いまは仲間の死を悲しんでいるときではない。そう思ったカイザの胸に、ある考えが浮かんだ。

「ラルク、ソロン。ちょっと聞いてくれないか」

 カイザは一つの決意を明かす。 




ゴゴゴゴゴゴ・・・・



 それは突然始まった。有翼族が消え、人間とアレウス達魔族だけになった部屋に地鳴りにような低い音がこだまする。

「なんだ? また地震か?」

 ガルアに寄りかかっているアレウスは、下から突き上げられるような揺れを感じて顔を上げた。城の兵士達は突然始まった揺れに慌てふためいている。

「まさかメイラ?」

「いや・・・・」

 アレウスの言葉をガルアが遮った。耳をまっすぐ天に向けて、ピクピクと忙しく動かしている。

「何か聞こえるのか?」

 シルバーウルフの聴覚は、普通の魔族よりも遙かに優れている。ガルアの耳には、大地が揺れる音とは全く別の音がかすかに聞こえていた。

「まるで何かが吠えているような・・・・。ドラゴンではない、聞いたこともないような、全く別の何者かが吠えているような声が聞こえる」

 ガルアはカッと目を見開き、さらに集中力を高めていく。

「声だと?」



ゴゴゴゴゴゴ・・・・



 アレウスの耳には、押し寄せるようにして聞こえてくる地響きの音しか聞こえない。しかしその地響きは、なぜか心に不安感を起こさせた。なぜかは分からないが、胸がソワソワして落ち着かない。

(何が始まろうと言うんだ・・・・)

 そう思いながら正面を見ると、レーテの姿が目に入った。どういう訳か耳を手で覆い、青ざめた表情をしながらガクガクと身体を震わせている。まるで響いてくる地鳴りに怯えているようだ。

「どうしたんだ、レーテ?」

 訝しげにアレウスが訊ねた。

「感じる・・・・。とても、とても大きな力・・・・・。これは・・・・神」

「神だと? 」

 アレウスは我が耳を疑った。

「神がこの地震を起こしているというのか?」

「違う・・・・。神が、神が地底から現れようとしている。なんてことなの、まさかここに封印されていたなんて」

 それからレーテはまるで霊媒師のように神憑り的な状態となり、言葉にならない声を何やら呟き始めた。

「どうなっているのかサッパリ分からん」   

 自分でも焦っているのがアレウスにも分かっていた。そして確実に大きくなっていく地鳴りと揺れが、アレウスの動揺をさらに高めた。

「来るっ!」



ゴアアアアアアア!!



 レーテの言葉と同時に大地が裂け、心臓をひねり潰されような咆哮と共に巨大な影が地底から現れた。塔の一つが、飲み込まれるように裂け目に中へ崩れ落ちていく。

「今の声に間違いない、地震を起こしていたのは”あれ”だ」

 ”あれ”という言葉以外、ガルアには適当な言葉は見つからなかった。怪物や化け物という言葉では、到底その姿は形容できなかった。

「なんだ”あれ”は・・・・」

 驚愕の表情を、アレウスは”それ”に向ける。

 深い青色をしたその体躯はほとんど人間と同じであるが、まるで巨大な岩の塊のように筋肉が隆々としていた。腰のところには、申し訳程度に茶色い腰巻きをしている。

 頭部には、まるでヒュドラのようにいくつもの竜の頭が蠢(うごめ)いていた。ある頭は真っ赤な舌をチロチロと動かし、ある頭は炎を吐き出し、またある頭は大きな口を開けてダラダラと唾液を垂らしていた。

 そして背中から生えている蝙蝠を思わせるような黒い皮翼は、太陽の光をさえぎって城のまわりを薄暗くしていた。



ゴアアアアアアア!! 


 
 再び咆哮をあげると、”それ”は鉄球を思わせるような拳を振り下ろした。その先にあった塔はたった一撃で粉々に砕け、瓦礫の山と化す。

「テュポス・・・・」

 そう呟いたレーテの顔には、死人に近いほど血の気は失せていた。どんな窮地にあっても凛とした表情を浮かべてた聖女の姿は、もはやそこにはない。村娘のように恐怖に顔を引きつらせ、今にも泣き出してしまいそうな表情をしていた。

「創世時代にゼノア様によって地底”タンタロス”に封印させた巨神・・・・。まさか地底”タンタロス”への門がエルデニア城の地下にあったなんて・・・・」

 大地の裂け目から這い出したテュポスは、「ズシン・・・・ズシン・・・・」と地面に足をめり込ませながら城の建物をもろともせず進んでいった。

 テュポスは、地上の兵士を蟻のように踏みつぶし、城壁の上にいる兵士には灼熱の炎を浴びせていく。

 恐慌状態から立ち直ったエルデニアの兵士達は、一斉にテュポスに向けて矢を射った。

「おい、あいつをどうにかしないと」

 居ても立ってもいられず、フォルスは剣を構えて部屋から飛び出して行こうとした。

「無駄です。いま我々が行ったとて、どうにかできるような相手ではありません」

 レーテは激しくかぶりを左右に振る。

「テュポスは神とも対等に戦った巨神。おそらく完全にその力を取り戻していないでしょうが、私たちだけで勝てるような相手では・・」

「じゃあどうしろって言うんだっ! このまま指をくわえて見ているのかっ!」

 レーテの言葉を遮るように、フォルスは叫んだ。

 その時・・・・

「ふふふ・・・・。無駄だって言ってるでしょ、”蒼き彗星の勇者”さん・・・・」

どこからともなく、鈴の音のような女の声が聞こえてくる。

「んんっ? だっ、誰だっ!」

 聞いたこともない女の声に一瞬驚き、フォルスはあたりを見渡す。そしてその視線が、玉座のところで止まった。

 玉座には、いつの間にか裾の短い赤い服を着た女が優雅に腰を下ろしていた。妖艶な笑みを浮かべ、その額には第三の目が光っている。

「お久しぶりねぇウインディア。いや、いまはレーテかしら?」

 まるで旧友にでも再会したかのように、女はレーテに向かって小さく手を振る。

「それからあなた達二人は初めてね。”魔王”アレウス。そして、”蒼き彗星の勇者”フォルス・・・・」

「”心眼”のソーラ。なぜあなたがここに!?」

 信じられないというようにレーテはかぶりを振る。ソーラは「ふふっ」と白い歯をこぼし、ゆっくりと口を開いた。




「見ての通りよ。地底”タンタロス”に封印されし巨神を復活させに来たの」

 ソーラは視線をテュポスに向けた。復活した巨神は城壁をなぎ倒し、太陽を背にしながら西へ向けて消えてゆく。

「テュポスを復活させて、いったい何をしようというのですかっ!」

 レーテの声はほとんど絶叫に近かった。

 敵対していたはずのテュポスを復活させてゼノアはいったい何をしようとしているのか、レーテには全く分からなかった。自分たちですら手におえるような存在ではないことは、百も承知なはずだろう。

(私たちを滅ぼすため・・・・? いや、違う)

 ふと頭をよぎった考えを、レーテはすぐに否定した。仮に何らかの方法でテュポスを支配して人間や魔族を滅ぼしても、テュポスに次に狙われるのは他ならぬ自分たちなのだ。あまりにもリスクが大きすぎる。

「地下であったボウヤ達と同じ事を聞くのねぇ」

 またかと言いたげに、ソーラは肩をすくめるような仕草をする。

「まさか、カイザ達にあったのか?」

 アレウスはハッとして一歩踏み出す。

「ふふっ、名前までは知らないけどね。地下で礼儀知らずの魔族に会ったわのは確かよ。部下に挨拶の一つでも教えておいてほしいものだわ、”魔王”さん」

 ソーラは唇の端をわずかに吊り上げた。

「カイザ達はいまどうしているっ!」 

「さあね。もうこの世にはいないかも・・・・」

 ソーラは口に手を当てて高笑いをあげた。その度に、後ろで結んだ三つ編みの髪がゆらゆらと揺れる。

「まさかお前っ!」

「殺しちゃいないわよ。あたしは無駄な殺しはしないの。血を浴びたくないでしょ」

 右手を突き出して、ソーラは剣を構えようとするアレウスを制した。

「あたしはあなた達に伝えることがあって来たのよ。別に争いに来たわけじゃないわ」

 ソーラは腰を上げて玉座に座り直した。その姿は本物の女王のごとくであったが、いつもの妖艶な笑みを絶やすことはない。さながら魔女のようだ。 

「伝えることだと?」

 鋭い視線のまま、アレウスはなおも油断ならぬといったような表情をソーラに向けている。

「そう。だけどその前に来客がやってくるようね・・・・」

 ソーラは切れの長いまぶたをわずかに伏せて、部屋の隅に視線を移した。それからソーラが瞬(まばた)き一つしないうちに、青白い閃光が二度三度「バシバシッ」と音を立てて煌めいた。

「カイザ達ではないかっ!」

 光りの中から現れたのはカイザ達であった。心配していたカイザ達が姿を現し、アレウスは慌ててカイザ達のもとに駆け寄る。

「大丈夫だったんだな?」

「はい・・・・。それより、大変なことが・・・・」

 蒼白の顔をしたカイザが答える。沈んだその声には、いつもの明るい力強さは全くなかった。

「これで全員揃ったようね」

 謁見の間に揃ったアレウス達を眺めて、ソーラは満足そうに笑みを浮かべた。そして演説でも始めるかのように、顔をキリッと上げて胸を張る。

「伝えることというのは他でもないわ、我々は魔族の城アデルとトルネアの城を一斉攻撃した。今頃、二つの城は廃墟になっているでしょうね」

「何を戯けたことを。そんなはずあるわけないであろう」

 あまりの突拍子もない話しに、いったい何を言い出すのかとアレウスはソーラの言葉を一笑に付した。有翼族の襲撃を受けているという知らせを受けたことはないし、アデルの城には大勢の魔族が待機している。またトルネアにも、魔族を派遣している。短期間で二つの城が落ちるなどあり得るはずがない。

「アレウス様、本当なんです。アデルの城は有翼族に滅ぼされました。おそらくトルネアの城も同じでしょう。最後まで戦ったジェラルドも玉座だけは守って。全滅です・・・・」

 最後の言葉に、カイザは言葉を詰まらせた。廃墟となった城やそこに転がる無数の魔族の死体、そしてジェラルドの最期が頭の中に蘇ったからだ。

「有翼族はすべての勢力を結集させています。残る世界中の国々も、一挙に攻め落として行くつもりでしょう」

「ばかなっ!」

 アレウスがカイザの方を振り返るが、カイザはうつむいたまま何も答えなかった。

 その姿を見て、アレウスも茫然となった。信じられないといったような顔つきで、ガクガクと全身を震わせている。

(どうすればいい。城が滅ぼされたというのに、私は・・・・)

 すぐにでも城に戻りたいという気持ちで一杯だった。しかし、この戦いを一刻も早く終わらせるためには、テティスという女神を早く見つけなければならない。その間(はざま)の中で、アレウスの心は揺れていた。 

「アレウス・・・・」

 そのアレウスを気遣うように、ガルアが声をかけた。アレウスは顔を上げ、ガルアの顔を見つめる。ガルアは何も言わずにコクリと一度頷いた。まるで、自分の胸によく訊いてみろとでも言っているように。

(いま私がすべきこと、それは・・・・)

 決心はついた。迷いは消え、何か吹っ切れたような表情を見せる。アレウスはもう大丈夫だと、力強くガルアに向かって頷く。ガルアも頷いて答えた。






「こちらも聞きたいことはあります」

 しばしの沈黙の後、レーテが静かに口を開いた。平静さを取り戻し、レーテの表情には落ち着きが戻っていた。

「テュポスを復活させてどうしようとしているか、でしょ?」

 ソーラの答えに、レーテはコクリと頷いた。

「追いつめられていた人間達は、レーテやフォルスの活躍、そして魔族の出現によって息を吹き返してきた。そしていま、我々とあなた達との戦いの形勢はほぼ五分五分。しかも勢いのあるのは人間や魔族達。いつ我々が追いつめれる立場になるか分からない。テュポスを復活させたのは、人間や魔族を滅ぼそうとしたのに間違いはないわ。

 しかしテュポスを復活させても、我々ではやつを支配することはできない。そこで見つけてきたのよ、あの巨神を操ることのできる”唯一の人物”をね。」

「唯一の人物?」

 意味ありげなソーラの言葉に、レーテは眉をひそめる。しかしそれが何者なのか、レーテには全く分からなかった。

「人間であるレーテやフォルスは知っているでしょうけど、アトランテアという文明の発達した大陸がこの世界にはあったわ。その大陸は、遙か古代に水没してしまったけどね」

「知っていますとも。そのアトランテア大陸を沈めたのは、他ならぬゼノア様でしたね。大陸を沈めた理由は、アトランテアの民がテュポスを信仰していたから」

 レーテは、無限の生命を持つウインディアという精霊の記憶も併せ持っている。その記憶の糸をたぐり寄せて、レーテは答えた。

「ご名答・・・・。アトランテアの民はテュポスを信仰し、神として崇めていたわ。そして大陸の中央には、教団の聖地とも言うべき大神殿があった。テュポス教最高司祭、ネーハイスのいる・・・・」

 異端であったため、テュポス教団の実体を知る者はほとんどいない。わずかに伝わる伝説では、テュポス教の開祖をネーハイスと言うらしい。そして最高司祭の地位は、彼の名前と共に子孫達が世襲していくのだ。

「まさか、唯一の人物とはネーハイスのことですか? しかし彼はアトランテアが沈没したときに死んだはずです」

 レーテの知る伝説では、ゼノアによるアトランテアの沈没の祭に、アトランテアの民はすべて死んでしまったという。唯一の生き残りが、”天空の杖”や”死者の杖”といった秘宝やアトランテアの伝説を各地に広めていった。

「でも生きていたのよ。いや、正確には氷漬けになっていたのだけれどね。世界の果て、”氷の大地”の万年氷壁の中で彼は数千年の時を過ごしていた。いつかテュポス教団を復活させようとしていたのね、まさに執念を感じるわ。

 テュポス教団の信者達は、テュポスを復活させて他の人間達を滅ぼそうとしていた。自らの手で最後の審判を起こし、自分たちの手で”新たなる時代”を創るためにね」

「つまりテュポスを復活させて、テュポスと教団の信者に人間達を滅ぼさせるのですか?」

 レーテはゴクリと唾を飲み込んだ。

「そういうこと。あなた達は知らないでしょうが、いまだに隠れてテュポスを信仰している人間はたくさんいるの」

 過去の人間は、テュポス教団の信者に異常とも言える迫害をくわえていた。やがてそれは、”異端狩り”という血生臭い狂気にもつながっていく。それがために、教団の信者達は地下に潜って信仰を続けていたのだ。たとえ人を殺すことはできても、信仰心まで消し去ることはできない。

「分かってもらえたかしら?」

「いえ、まだ分からないことがあります。仮に私たちを滅ぼすことに成功しても、それからテュポスをどうするつもりですか? 仮にテュポスが我々を滅ぼすことができたとしたら、次に戦いを挑むのはあなた達ですよ?」

 レーテは最大の疑問をぶつけた。一歩間違えば、自分たちすら滅ぼされかねないのだ。そうならない自信でもあるのだろうか。

「もちろん、全力で我々はテュポスを潰すつもりよ。でも、万が一我々が滅ぼされても、それもまた運命・・・・」

「なんですって?」

 ますますレーテには、ゼノアの真意が分からなかった。テュポスに滅ぼされてもよいというのは、どういうことなのだろうか。

「あなた達は少し勘違いしているようね。ゼノア様が望んでいるのは、あくまでも”世界の浄化”。確かにゼノア様は、人間や魔族を滅ぼし”新たなる時代”を創り直そうとしてるいるわ。
 ではなぜ、自分の子供に滅ぼされるという運命を知りながら、テティス様と結ばれフォルスを産んだと思うの? 人間や魔族は、神に導かれるのではなく自分たちの手で運命を切り開こうとした。それは人間や魔族が愚かなのか、それとも神という存在がもう必要ないのか。それは神さえ分からない。神とはすべてを相対的に考えなければならないの。
 だからこそ、ゼノア様は自らの運命と闘う決意をなさったのよ。フォルスによって神の存在がなくなろうとも、ゼノア様によって人間や魔族が滅びようとも、”新たなる時代”は訪れる。テュポスが人間や魔族を滅ぼし、神さえも滅ぼそうとも、テュポス教団による”新たなる時代”は創られる。それで”世界の浄化”は完成されるわ」

「それがゼノア様の真意だったのね・・・・」

 あまりの話の大きさに、レーテをはじめアレウス達全員はただその場に立ち尽くすだけだった。頭では理解しようとしても、それこそ神話のような途方もない話しに思考がついていかない。

「さて、あたしはこれで失礼するわ」

 話は終わりとばかりに、ソーラは玉座から立ち上がった。それから真紅の絨毯の上を通って、謁見の間の扉にむかって平然と歩いていく。その先には、アレウス達がいるのにも関わらずだ。

 だが、誰一人としてソーラの優雅な歩みを止める者はいなかった。戦いを挑むような精神状況ではないことを、誰もが知っていたからだ。

 アレウス達の間を擦り抜けるように進んでいたソーラが、ふと足を止めた。その正面には、カイザが立っていた。

「ずいぶんあたしのことを憎んでいるようだけど・・・・」  

 別にカイザの心を読んだわけではない。睨み付けるカイザの表情が、ソーラに向かってそう叫んでいたのだ。

 ソーラはカイザの横に並ぶと、耳元でこう囁いた。

「しばらくはこの大陸にいるわ。テュポス教団の動きも探らないといけないし。あたしを倒したいのならもっと強くなってからまた会いましょう。いつでも相手になるわ」

 喉の奥を「ククッ」と鳴らして、再び歩き始める。カイザとソーラの背中はどんどんと開いていき、重い沈黙を謁見の間に残したままやがてソーラは扉の奥に消えていった。 




 長い長い沈黙が続いた。全員うなだれるように肩を落とし、ただ茫然と立ち尽くしている。

「あ、あのさぁ・・・・」

 止まった時をうち破るように、フォルスの声が流れた。

「いつまでも驚いている場合じゃない。いくら頭の中で考えたって、事実なんだ。それを受け入れよう。それより、これからのことを考えないと」

「フォルスの言う通りだ」

 フォルスの言葉に賛成するように、アレウスが答える。

「たとえ何が起きようとも、我々の目標はあくまでも有翼族を倒し、そして神を倒すこと。ただそれだけだ」

 確認するように、アレウスは全員を見渡した。

「神を倒すにはテティスという女神の力が必要。そうだったな、レーテ?」

「はい。ゼノア様のいる天界へは、テティス様の力がなくてはいけません」

 レーテには、天界へ通ずる門を開くことはできない。十八年前にテティスと一緒に天界から人間界に逃れたときのように、テティスの力が必要なのだ。

「”ジャスティス”の隠れ家で話し合ったとおり、一刻も早くテティスという女神を見つけなければならない」

「けど、いいのか? 魔族の城が滅ぼされたって言ってたじゃないか」

 フォルスはそれが一番気になっていた。魔族が大変なことになっているというのに、このまま旅を続けるのはあまりにも酷だ。しかもアレウスは、その魔族の王である。

「わかってる。そこで・・・・」

 アレウスはまぶたを伏せ、もう一度自分の考えを心の中で問いただした。もはや迷いはない。やるべきことは、すでに胸の中に刻み込まれていた。

「私は城へ帰ろうと思う。ガルア、ゼノン、ゼルフ、ラファールと共に。有翼族が集結している今がチャンス。生き残っている魔族を率いて、有翼族に最期の戦いを挑むつもりだ」

 魔族の城が滅ぼされたのだ。自分が残りの魔族を率いて有翼族と戦わなくてどうする。それこそ王としての役目ではないかと、アレウスは考えた。

「テティスを探すのは、フォルスやレーテに任せる。トルネア港にいるサザンという情報屋が力になってくれるはずだ」

 アレウスの答えに、フォルスは分かったと力強く答えた。きっと今までのどんな戦いよりも辛く激しいものになるだろう。でもアレウスなら有翼族を倒し、きっと戻ってきてくれるとフォルスは信じていた。

「カイザ達はどうするんだ? アレウス達と一緒に戻るのか?」

 フォルスはカイザ達に問いかけた。

「いや、俺達はアレウス様達とは戻らない。どうしても俺達の手で倒したいんだ、あの女を。それに・・・・」

 一呼吸おいて、カイザは胸に決めた事を打ち明ける。

「あのテュポスとか言う巨神とだって戦わなくてはいけない。そのために、この大陸に住む魔族は俺が指揮する。俺だって王族だ、それにラルクやソロンも補佐してくれる。もちろん俺達だけじゃテュポスには勝てないだろう。だから人間達にも協力してもらうつもりさ。テュポスは俺達の手で倒す」

 それがカイザの決めたことだった。アレウスが有翼族と戦うように、自分はテュポスとあのソーラという女と戦う。ラルクやソロンも、これを認めてくれた。

「アレウス様、いかがでしょうか?」

 カイザはアレウスに訊ねた。その顔には、一点の迷いもない。

 アレウスはカイザを力づけるように、分かったと大きく頷いた。

 性格的にやや問題はあるが、ラルクやソロンが補佐してるのなら立派に魔族をまとめることができるであろう。そうアレウスは思っていた。小さな事にはこだわらず、一直線に突き進んでいくようなカイザの気質も、魔族を束ねるものには必要だった。

「”ジャスティス”の連中も、頼めば必ず力をかしてくれるだろう。ウィーリュックの所を訊ねてみてくれ」

 フォルスが言った。

「我々も協力しますぞ。テュポスを倒すために、今こそ我々の力を結集するとき」

 レナード王も力強い言葉でカイザに協力を約束した。

 そのためには、まずこの大陸にある三カ国が一つにまとまらなくてはならない。そして、世界中の国の協力が必要だ。レナードは明日からでも、世界中を飛び回るつもりだった。

「しばらくのお別れですね」

 レーテが三人を見渡した。

「そうなるな」

 アレウスは頷いた。寂しさはない。しばらくの間、それぞれの道を歩むだけだ。

 アレウスは長剣を抜き、頭上に掲げた。そしてフォルスとカイザに目で合図を送る。二人はアレウスの真意を悟り、同じように剣を頭上にかがえて三つの剣を交差させた。

「私たちは有翼族と戦い、カイザ達はテュポスと戦い、フォルス達はテティスを探す。それぞれの道を歩もうと、我々の心は一つ。またそれぞれの道が一つになるその日こそ・・・・」

 アレウスは大きく息を吸い込んだ。三人はお互いに目を合わせ、一つの言葉を頭の中に思い浮かべる。

「ゼノアを倒すっ!」

「ゼノアを倒すっ!」

「ゼノアを倒すっ!」

 射し込む陽の光を浴びて、三人の剣は鋭い光を放った。彼等の声は、そして剣の光りは、”新たなる時代”の扉へと続いていく。

 その扉を開くのは、人間や魔族か、ゼノアか、それともテュポスか。運命という名の道標(みちしるべ)は、決して語ることはない。




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