−旅立ちへのプレリュード−
小高い丘の上に、カイザ達の姿があった。眼下には地平線のかなたまで荒野が続き、沈みかけている夕日によって紅に染められていた。そしてそれをキャンパスにするように、カイザ達の細長いシルエットが伸びている。
「いい眺めだな」
夕日に黄昏ながら、カイザは誰にともいうのではなく呟いた。夕日を正面から目一杯浴びて、カイザの瞳はキラキラと輝いてる。
「そうだね」
おだやかな表情を浮かべながら、ラルクはふわりと答えを返した。
ラルクとソロンは、カイザの後ろに控えるようにして立っていた。まるで国王に仕える近衛騎士と宮廷魔導師のようだ。ある意味、そんな例えは間違ってはいない。カイザは魔族を率いて、テュポスと戦う決心をしたのだから。
ラルクは、視線の先にあるカイザの後ろ姿に奇妙な違和感を覚えていた。どことなく今までの雰囲気とは違うのだ。一体どこが変わったのか、それはラルクにも分からなかった。
もしかすると、すべてが少しずつ変わったからかも知れない。ただなんとなく、”成長した”ような感じがするのだった。頼もしい限りであるが、カイザが存在が遠のいてしまったようで少し寂しかった。
「テュポスを倒すなんて大見得切って、何か策はあるのかい?」
ラルクが訊ねた。
テュポスと戦うという決心をカイザの口から聞いたとき、ラルクは珍しく兄のことを尊敬した。アレウスについていくのかと思っていたが、自分の道をはっきりと決めたカイザのことを、素直にすごいと思った。だからこそ彼についてきたのだ。もちろん一番大きな理由は別にあるのだが。
「策なんてないさ。正面から戦いを挑んで倒す、それ以外に何がある」
「ふっ、ふふ・・・・。ははははは」
あまりにもまじめな顔をしてカイザが答えたので、思わずラルクは吹き出してしまった。彼の横では、つられるようにしてソロンが笑っている。
「なっ、なんだよ。何がおかしい?」
不機嫌そうにカイザは答えた。
「ははははは、ごめん。悪かったよ」
頭を下げながらも、ラルクはなおもクスクスと笑っていた。
そんなラルクを見て、カイザはすねた子供のように口を尖らせてそっぽを向く。しかし、カイザの肩も小刻みに揺れていた。照れ笑いでも隠しているのだろうか。
(中身は変わってないんだな)
ラルクは思った。それが妙にラルクには嬉しかった。
「そろそろ行きましょうか」
笑い声が収まったあと、ソロンがゆったりとした口調で言った。
「おっしっ! 待ってろよテュポス。そしてソーラ」
カイザは夕日に向かって叫んだ。地平線のかなたで揺らめく夕日は、ただ彼等を柔らかく照らし続けていた。
フォルスとレーテは、ナイル港の大通りを歩いていた。
以前は寂れていたナイル港も、少しずつその活気を取り戻しつつある。有翼族の襲撃がパッタリと止んでしまったからだ。その理由を知る者は、おそらくこの港にはいないだろう。
「ふだんの生活を取り戻しつつあるようですね」
レーテはおだやかな表情を浮かべた。その脇を、オモチャを持った子供達がわいわい騒ぎながら通り過ぎていった。
大通りには、ポツリポツリと出店の姿も見える。新鮮な野菜を軒先に並べた若い男が、陽気な声を上げて客を呼び込んでいた。どこの街でも見られるような光景が、そこには広がっていた。
「表面的にはな」
一方のフォルスの表情は、決して明るくはなかった。
確かにそこに人間はいる。声も響いている。だが、その風景はどことなくよそよそしかった。有翼族に襲われていた日々を悪夢として押し込めようと、無理矢理日常を取り戻そうとしているようにフォルスには映っていた。
「それでいいんですよ」
レーテがポツリと答える。
「人々の心に明るさと安らぎが、そして顔には喜びと希望が戻ってきたことは、とてもいいことだと思います。絶望からは何も生まれませんよ」
「そうだな」
人々はもとの生活を取り戻したいと願っている。その意志がある限り、有翼族に負けることはないだろう。
やがて二人は、口を噤んだまま歩いていた。
(いざ二人になると、何を話したらいいのか分からないな)
その間、フォルスは心の中でため息をついていた。
あの”泉の聖女”とこうして歩いている姿など、ほんの一月前までは想像もできなかった。お互い有翼族と戦っている者同士でありながら、それまで一度も会ったことはなかったのだ。
それがギルドア山でアシュラと戦ったときに初めて出会い、エルデニアの城でも一緒に戦い、今はこうして二人だけで肩を並べて歩いている。不思議なものだ。
「退屈ですか?」
そんなフォルスの心を見透かすように、レーテが呟いた。
「決して長くはなかったですが、いつもアレウス達がいて、一緒に戦って・・・・。駆け足で通り過ぎてしまって、本当に一瞬のようでしたけど。二人だけになってしまうと、なんだか急に寂しくなってしまったような感じですね」
遠くを見つめながら、懐かしむようにレーテは言った。
「寂しくないと言ったら、たぶん嘘になる。やっぱりアレウス達のことは気になるしな。でも退屈ってことはないさ。”泉の聖女”と一緒に旅をできるなんて、こんな嬉しいことはないよ」
「その呼び方、できればやめてくれませんか」
レーテは少し照れながらも、困ったような表情をした。
「ははっ。ごめんよ、レーテ。これでいいんだろ」
二人きりになってしまうと、どうも彼女を呼び捨てにするのは気が引けてしまう。”泉の聖女”といえば、それこそ若い男達からは憧れの的だった。そしてフォルスもその一人であった。
「必ず見つけよう、俺の本当の母さんを。」
「ええ」
レーテは力強く頷いた。その日はきっと近いだろうと信じている。そして凛々しいフォルスの表情は、それを確信へと導いてくれるような気がした。
(テティス様、もう少しでまたお会いできます。立派な勇者となった、あなたの子供と共に)
やがて二人の歩く先に、一軒の酒場が見えてきた。情報屋のサザンという男がいる酒場だ。
「俺達の旅の始まりだ」
「そうね」
あらゆる情報に精通しているという情報屋に接触することが、二人の旅の第一歩だった。二人は酒場の押し扉に手をかけ、同時に開いた。
夕日に染められたトルネア城の謁見の間は、痛々しく崩れていた。その謁見の間に一人の少女の姿があった。黒い喪服を着たその少女は、目の前に並べられた二つの棺を見つめている。
射し込んでくる夕日を横から浴びているその顔は、まるで仮面のような表情だった。すべての感情を押し殺したような、冷たい表情だ。
二つの棺には国旗がかけられていた。それぞれの棺に収められているのは、国王のアレンV世と、王妃レイテュアだ。先日行われた有翼族との戦いで、二人は帰らぬ人となった。
「モニカ様、こちらにおいででしたか」
開きっぱなしになっていた大扉から、鎧を着た中年の男が入ってきた。肩の所には、近衛騎士の紋章をつけている。カールという近衛騎士だ。
少女の名はモニカといった。アレンV世とレイテュアとの間に生まれた姫だ。だが、もう彼女は姫ではない。王女として、この国を導いていく立場にあった。
モニカとわずかな兵士達は、いち早く城から脱出して難を逃れていた。その時モニカは自分も城に留まりたいと頑として言うことを聞かなかったが、最後には半ば強引に気絶させて城から連れ出した。
そして城に残った兵士達は、国王以下全滅だった。アレンV世は謁見の間で血の海の中に倒れ、レイテュアは寝室で胸に短剣を受けて死んでいた。
もし地獄というものが存在するならきっとこんな風景であろうと、城に引き返してきてその惨劇を目撃したカールは思った。
それからは、気の重い作業が続いた。国王や兵士達の死体を弔い、城を修復し、そして両親の死をモニカに伝えた。
その知らせを聞いたときのモニカの姿を、カールは忘れることはないだろう。まるで雨露に打たれる捨て猫のように、その姿は弱々しかった。抱いて、元気付けさせてやりたかった。しかし、触れただけで粉々に砕けてしまいそうだったので、それもできなかった。
それから何度か、モニカは自殺しようとしてる。手首に残るその傷が痛々しい。しかし、いまは自らの命を絶とうとはしない。自分なりに何かを心に決めたのであろう。
「モニカ様、お客様が見えられております」
カールの低い声が謁見の間に響いた。だがモニカは、口を真一文字に噤んだまま振り返ろうともしなかった。そんな様子を見て、カールはため息を一つつく。心に負った傷は完全には治ることはないが、時間が経てば小さくなるだろう。しかし、それを待っているほどの余裕はなかった。
(このお方を会うことで、モニカ様の心が変わればよいが・・・・)
カールは、突然この城を訪れた”その男”を謁見の間に招き入れた。部屋の中に、新たな足音が響く。
”その男”は、モニカまで十歩ほどの位置で立ち止まった。そしてカールに一言声をかける。
「モニカ殿と二人で話がしたい。すまないが席を外してくれないかな」
そよ風のように穏やかなその声に、モニカは表情が初めて崩れた。記憶の糸をたぐり寄せ、”その男”と初めてあったときのことを思い出す。
(まさか・・・・)
後ろを振り向かないまま、モニカは信じられないといった顔つきで目をパチクリとさせていた。
カールは一瞬躊躇したが、”その男”に一礼して謁見の間から出ていく。”その男”はカールが完全に消えるのを待ってから、あらためてモニカの方に近寄っていった。
コツ・・・・コツ・・・・
落ち着いた足音が響く。
コツ・・・・コツ・・・・
足音が近づいてくるたびに、モニカの胸は高鳴った。
コツ・・・・コツ・・・・
足音がさらに近づく。
コツ・・・・コツ・・・・
足音はすぐ後ろまで近づいてきた。”その男”の吐息が、まるで耳に届いてくるようだ。
コツ・・・・コツ・・・・
”その男”が隣にやってきて、そしてそっと肩に手を置いた。
「アレウス様」
弾けるようにモニカは顔を横に振って、アレウスの名を叫んだ。
「久しいな」
モニカの視線の先には、優しい眼差しを向けるアレウスの顔があった。モニカはなんと声をかけていいのか分からず、口をパクパクとさせて震えている。
そのモニカを、アレウスは突然その胸に抱き寄せた。
「ここには私たちしかいない。悲しみはいつまでも抱えるものではないさ。思いっきり泣いてもいいぞ」
アレウスの言葉が、アレウスの胸の暖かさが、胸の中に秘めていた感情の堰を切り崩した。心の底に押し込めていたものが、瞳を通して一気に流れ出す。
アレウスの胸に顔を埋めたモニカからすすり声が聞こえはじめ、やがて彼女は赤子のように大声を上げながら泣き始めた。モニカのまぶたから落ちる涙は、夕焼けの中でダイヤのようにキラキラと輝く。
アレウスはモニカが泣きやむまで、やさしく彼女の赤い髪を撫でていた。
やがてモニカの泣き声は小さくなっていき、そして完全に消えた。モニカはまぶたを拭いながら、そっとアレウスから離れる。アレウスはモニカの肩に両手を載せて、諭すように声をかけた。
「両親を失い、王という立場に就いて辛いこともあるかも知れない」
モニカの辛さは、何よりアレウスがよく知っていた。子供の頃のアレウスは、まさにモニカと同じ辛さを抱えていたからだ。
「もし抱えきれない悩みをもったら、私の所に来てくれないか。同じ王という立場でもない、一人の友人として力になるさ。君は一人じゃない」
モニカのことを支えてくれる人間はたくさんいるだろう。しかし、逆にそういう人間には見せたくない部分もある。自分が孤独を感じたとき、そこにガルアがいてくれた。やはり必要なのだ、腹を割って語り合える”友”ような存在が。
モニカが王という難しい立場に慣れるまでは、アレウスなりに彼女のことを支えてやるつもりだった。彼女の力は絶対に必要だからだ。
「ありがとうございます。本当に・・・・」
涙を潤ませるモニカの表情に、わずかに笑みが戻ってきた。
いまは悲しんでいるときではない。モニカはそう心に刻んだ。いまの自分にはなすべきことは他にある。父の死の知らせを聞いたときから、王女としての覚悟は決めていた。
「この国を導いていけるのは君しかいないんだ。そしていま私たちは、この国の力を必要としている。有翼族と最後の決着をつけるつもりだ。そのための力を貸して欲しい」
「有翼族と、最後の決着・・・・」
「そうだ。有翼族はいま力を一つに結集させている。魔族と人間の力を合わせて、有翼族に最期の戦いを挑むんだ」
アレウスの言葉は、モニカの心を揺さぶった。トルネアの民を導いて有翼族と戦うことこそ、王である自分がすべきことではないか。アレウスもそれに力を貸してくれる。
「はい・・・・。共に戦いましょう、有翼族を倒すために」
夕焼けに照らし出されながら向き合う二人の姿は、まるで神話の一場面を描いた壁画のように神秘的であった。
若い二人の王の戦いが、ここに始まることになる。
戦いは続く。”新たなる時代”のかなたへと・・・・
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