−第十四章 絆(2)・後編−



 カイザ達が地下神殿で戦っていた頃、城内でも激しい戦いが行われていた。

 地下の階段は謁見の間へと続いており、アレウス達が部屋に到着すると既に何人もの有翼族が進入して兵士達と武器を交えていた。ガラスの窓が破られており、そこから侵入したのであろう。

 隊長らしき男が声を張り上げて兵士達を鼓舞していた。武器がぶつかり合う金属音、兵士の掛け声と悲鳴。喧噪に包まれていた謁見の間はまさに戦場であった。

 そして窓の外には、無数の有翼族が飛び回っていた。城内には多くの騎士団が立て籠もっているので、弓を使うことはできない。魔導師達が魔法を使って応戦しているが、兵士達は空から襲ってくる有翼族に苦戦を強いられているようだ。

「出遅れたか」

 有翼族の姿を眼にしたフォルスは、早くも剣を抜いて有翼族に向かっていった。その先では、一人の兵士が二人の有翼族相手に苦戦している。

「おらおらー!」

 フォルスは剣を振りかぶり、獣のように吠えながら有翼族に向かっていった。注意をこちらに向けさせるためだ。

 その声を耳にした有翼族が後ろを振り向いた。そして次の瞬間には、一人の有翼族の背中をフォルスの剣が貫いていた。胸から突き出たフォルスの剣の先から、噴水のように鮮血が吹き出る。

「きっ、貴様はフォルっ」

 もう一人の有翼族が彼の名を叫び終わらないうちに、フォルスは返す刀でその有翼族を一刀両断する。二つの死体が同時に床の上に崩れ落ちた。   

「おお”蒼き彗星の勇者”フォルス。そして陛下もご無事でしたか」

 返り血と傷で鎧を赤く染めた隊長が、息を切らせながらレナードのもとにやってきた。

「レナード陛下だっ!」

「陛下が生きておられたぞっ!」

 劣勢に立たされていた兵士達も、レナード王の姿を確認すると、一気に士気が上げる。

「レナード王は兵士を指揮して頂きたい。有翼族は我々が倒す」

 アレウスはレナードに声をかけ、玉座の方に鋭い視線を向けた。レナードは分かったと答え、兵士達の援護に向かう。

「さぁ決着をつけようか、ジェミニとやら」

 そこには戦いを見物するように、ジェミニが霧のごとくふわふわと浮かんでいた。

「アレウスっ!」 

 爬虫類を思わせるような声を上げながら、ジェミニは顔をしかめた。

「魔界の時もそうだったが、そうやってお前は他人を操るだけであとは高みの見物か・・・・」

 鋭い視線を一時(いっとき)もジェミニから離すことなく、アレウスは玉座に近づいていく。

「貴様ら、生きていたのか」

「卑劣なお前に新しい憎しみができたからな、それを返すまでは死ねないさ」

 アレウスは剣先をまっすぐ玉座に向ける。その視線は、射抜くようにジェミニに向けられていた。

「ちっ」

 ジェミニは舌打ちした。

 予定では、メイラの起こす地震と共にこの城は崩れ、兵士達と共にアレウス達は生き埋めになるはずであった。しかしアレウス達は無事に逃出し、地震は途中で収まってしまった。恐らくここにいない連中がメイラと闘っているのだろう。

 こうなってしまっては、騎士団の精鋭を城に帰還させたのは失敗であった。強さでは勝っても、数では圧倒的に負けている。いかに人間と言えど、複数を相手にしてはこちらが不利である。

(奴らが現れたのはやっかいだな。だが・・・・)

「はーはっはっはっ」

 ジェミニは突然口を大きく開けて笑い声をあげた。

「戦いに卑怯もクソも関係あるかっ! 勝ちゃあいいんだよ、勝ちゃあ。使えるモノがあったら使うのが戦いってもんだ。そうだろ、魔界の王様よぉ?ひゃっはっはっは」

 アレウスをおちょくるように、ジェミニは高笑いを続ける。

「”モノ”だと・・・・?」

 アレウスは玉座に向かう足を止め、切れの長い眉をひそめた。

「そうさ、駒だ。戦いという名のゲームのな。さしずめ俺達は”キング”だな。まわりの駒を使って自分を守り、相手の”キング”を倒す」

「戦いは、戦いはゲームなどではないっ! お前と一緒にするなっ!」

 アレウスの握る長剣が、カチカチと小刻みに震え始めた。

「仲間を殺す気持ちはどうだ?この城の兵士と、なにより自分自身を守るためだ、いらなくなった駒を捨てるなんてわけないだろう。はっはっはっ!」

「貴様ぁ!」

 アレウスは顔を紅潮させて叫ぶ。ジェミニに向けていた剣を両手に持ち、今にも襲いかからんばかりに体勢を低くした。

「アレウス、待って。相手の挑発に乗ってはいけない。罠よ」

 腕を掴んで、レーテはアレウスを引き留めようとした。

「うるさいっ!」

「きゃあっ」

 ものすごい剣幕でレーテを突き飛ばすと、放たれた獅子のようにアレウスはジェミニに向かっていった。






「大丈夫かレーテ?」 

 倒れたレーテのもとにフォルス達が駆け寄る。

「ええ、大丈夫です。それよりアレウスを止めないと」

 ジェミニは精神を支配する邪悪な精霊である。そしてなにより精神を支配しやすいのが、相手が一つの感情に捕らわれている時だ。もしジェミニがアレウスの精神を支配しようとしているのなら、わざとアレウスを徴発するようなことをしたのも分かる。

「珍しいな、あいつが頭に血を上らせるのは」

 まるで狂戦士(バーサーカー)のように奇声を発しながらジェミニに突っ込んでいくアレウスを見ながら、ガルアは呟く。

「かなり気にしていたのでしょう、メイラのことを」

 ガルアの言葉にゼノンが答えた。なるほどなと、ガルアも頷く。

「レーテ」

「は、はい・・・・」

 突然フォルスに声をかけられ、レーテは言葉を詰まらせながら答えた。

「ジェミニとかいうやつを倒す方法はあるのか?」

「ジェミニは人の精神を操る精霊体のようなものです。ですから、実体を傷つけることはできません。しかし精霊であるなら、私の力で精霊界に逆召喚を行うことができるかも知れません。ジェミニはおそらくゼノア様に造られた異質の精霊体。精霊界に逆召喚すれば、おそらくその存在は消えてしまうはずです」

 逆召喚、つまり精霊界から精霊を召喚するとは逆に、精霊界に精霊を送り返すことだ。

「しかし、逆召喚にはかなりの精霊力が必要らしいが」

 ダークエルフのラファールの言うとおり、逆召喚を行うには普通の召喚とは比べものにならないほど強力な精霊力を必要とする。

「分かっています。しかし、それしかジェミニを倒す方法はありません」

「そうだな。俺も精霊使いだ、微力ながら俺も力を貸そう」

 ラファールの言葉に、レーテは「ありがとうございます」と言って答えた。 

「アレウスは俺が何とかする」

 そう言ってフォルスは駆け出す。

「それと俺もな。あいつを止められるのは俺だけだ」

 フォルスのあとにガルアも続いた。

「それでは呪文の詠唱を始めます。しかし精神を集中させなければならないので、その間私は無防備になってしまいます。お二人には私のことを守って欲しいのですが」

「分かりました、我々にお任せ下さい」

 レーテを安心させるように、ゼノンは軽く笑みを浮かべて答えた。ラファールも無言で頷く。

 レーテは視線をジェミニにむけて、両手を胸の前で組んだ。レーテの口からは、低くて力強い呪文が紡ぎ出されていく。

「森羅万象に秘められし精霊力よ、われに力を与えたまえ・・・・」

 呪文にあわせて、レーテの身体が淡い水色の光を放ち始めた。彼女の白いローブが、波を打ったようゆらゆらとにはためき始める。






「があっ!」

 さながら猛獣のごとき咆哮をあげながら、アレウスは空を切り裂く。

 アレウスの剣はジェミニを捕らえた・・・・かに見えた。しかし、まるで本物の霧に向かって斬りかかったかのように、何の手応えもないままジェミニは消えてしまった。

「くっ、どこへ行った!?」

 アレウスは慌ただしく視線を動かす。

(ふふふ・・・・)

 突然アレウスの頭の中に、何者かの声が響いた。

「ジェミニっ!」

 神経を逆なでするようなその笑い声は、紛れもなくジェミニのものだった。

(油断したな、アレウス。さあ、相手の”キング”を手に入れたらどうなるかな?)

「ぐぅっ!」

 締め付けられそうな痛みに、アレウスはのけぞって頭を抱えた。手にしていた長剣が、「カランカラン」と乾いた音を立てて床に落ちた。

(怒れ・・・・怒れ・・・・怒れ・・・・)

 精神を支配せんと、ジェミニの声が襲いかかってくる。アレウスはその声に抗おうと、必死に自分の精神を奮い立たせた。

(まわりはすべて敵だ。怒れ、壊せ、)

 ジェミニの声が津波のように押し寄せてくる。そして最後のひとかけらまで残っていたアレウスの精神は、飲み込まれた。

「・・・・・・」

 アレウスの動きが止まる。

「アレウス、しっかりしろっ!」

 フォルスはアレウスに近寄って、大きく声をかけた。アレウスはフォルスの声に気付き、まるで壊れた木の人形のようにゆっくりとフォルスの方を振り返る。

「ううっ」

 フォルスはアレウスの目を見て後ずさった。以上に血走っていたからだ。

「ふふっ、ふふふふふ・・・・」

 血走った狂気の目は、一転して残忍な笑みへを変わった。普段のアレウスとは別人のような低く押し殺した声は、背筋を凍り付かせる。

「おいアレウス、俺だっ! 分からないのかっ!」

「はははははっ!」

 フォルスの声は全く届いていそうになかった。アレウスの笑い声は、ジェミニのものだったからだ。アレウスは落とした剣を拾うと、だらりと下にさげながらフォルスの方に近寄っていく。

「アレウスっ!」

「死ねぇ!」  

 アレウス(ジェミニ)の剣がフォルスに襲いかかる。





フォルスは身をかがめてアレウス(ジェミニ)の攻撃をかわした。頭の上を「ひゅん」という音と共にアレウス(ジェミニ)の剣が過ぎていき、蒼い髪の毛が2、3本ひらひらを落ちてきた。

(手加減なしかよ)

 フォルスはアレウス(ジェミニ)の次の攻撃を予期して後ろにジャンプした。フォルスがたった今いた場所に、アレウス(ジェミニ)の剣が振り下ろされる。

 アレウス(ジェミニ)の剣はそのまま床を吹き飛ばした。石の破片がフォルスの頬にも当たる。フォルスは冷や汗が流れるのを覚えた。

「アレウス、正気を戻せっ!」

 遅れてやって来たガルアが叫ぶ。アレウス(ジェミニ)はビクッと肩を振るわせて、ガルアの方にゆっくりと顔を向けた。

「ううっ、ガルアか・・・・?」

 アレウス(ジェミニ)は苦しそうに額を押さえる。ジェミニの声は消え、完全にアレウスの声に戻っていた。

「そうだ、俺だっ!」

 アレウスの心に届けとばかりに、ガルアは声を振り絞って叫ぶ。

「ガルア・・・・私から離れろ」

 苦痛に顔をゆがめながら、アレウスは必死に目で下がれと伝える。

「ガルア・・・・。そうか、ガルアか・・・・ふふふ」

 アレウスの声は、再び特徴あるジェミニの声に戻った。

「アレウスっ!?」

 アレウス(ジェミニ)の目を見て、ガルアはある光景を思い出した。魔界で同じように精神を支配されたゴブリンの目と、そっくりだったのである。狂気に冒された、ゾッとするようなあの笑み。

「感じるぞ。お前に対する友情、そして信頼。お前をかけがえのないの”友”と思っているアレウスの心がな」

 アレウス(ジェミニ)は「ククッ」と喉の奥を鳴らす。

「だがっ! いまアレウスの精神を支配しているのは俺だ。たっぷりと食らわせてやるぞ、”友”の刃をな」

 アレウス(ジェミニ)は長剣を頭上に高々と振り上げた。強力な魔力を帯びたその剣は、獲物を求めるようにキラリと鋭い光を放った。

 アレウス(ジェミニ)は床を蹴って大きく跳躍した。長剣を下向きに構えて、鷹のように頭上からガルアめがけて舞い降りる。

 ガルアは十分に四肢のバネを貯めてジャンプし、アレウス(ジェミニ)の攻撃をかわした。獲物を失ったアレウス(ジェミニ)の長剣は、「ガツッ」と音を立てて半分以上も床に突き刺さってしまった。

「ふふふ、次は本気で行くぞ」

 深く突き刺さった長剣を片手で抜くと、アレウス(ジェミニ)は再び剣を構える。そこへ、一点の彗星が煌(きら)めいた。

「俺を忘れるな」

「ほう、そういつはすまなかったな」

 フォルスとアレウス(ジェミニ)が剣をぶつかり合う。

「楽しみだな。”魔族の王”アレウスと”蒼き彗星の勇者”フォルスとの、世紀の対決だ」

 アレウス(ジェミニ)は長剣を横になぎ払う。フォルスは後ろにステップしてかわし、上段に鋭い突きを放った。

 アレウス(ジェミニ)の持つ魔法の長剣が放つ銀色の閃光と、フォルスの持つ聖剣が放つ蒼い閃光とが、激しい攻防の中で幾筋も交差する。

 嵐のような激闘は突然止まり、再び剣を合わせた格好のまま向き合った。

「やるなぁ、フォルス」

「精神を操られているとはいえ、さすがは魔界の王。手を合わせてみてあらためて思い知らされたよ、アレウスの腕前を」

 あれだけ激しく動き回ったというのに、二人はまったく息を乱していない。むしろ、フォルスは戦いを楽しんでいる風でもあった。

「だからこそ俺達にはアレウスが必要なんだ。剣の腕だけじゃない、アレウスの存在そのものが俺達には必要なんだ。俺達と手を結んで有翼族を戦ってくれた魔族の存在がなかったら、俺達は今頃・・・・」

 フォルスは剣を上に突き上げ、フォルスの剣を跳ね上げた。

「アレウスは絶対に救うっ!」

 フォルスの剣がうなりを上げて払われる。フォルスはアレウス(ジェミニ)の動きを封じようと、膝のあたりを狙った。

 アレウス(ジェミニ)は再び驚異的な跳躍力を見せて、フォルスの遙か頭上にジャンプした。

「空中ではかわせまい」

 落ちてくるアレウス(ジェミニ)めがけて、フォルスは剣を突きだしたままジャンプした。だがアレウス(ジェミニ)は、それを望んでいたかのように会心の笑みを浮かべる。

「忘れたか、こいつは魔族だぞ」

 アレウス(ジェミニ)は大きく息を吸い込むと、ドラゴンもかくやというほどの炎を吐き出した。光り輝くような炎がフォルスに襲いかかる。

「うわっ」

 炎に包まれたフォルスは、真っ逆さまに床に激突した。あちこちにひどい火傷を負い、鎧からは白い煙が立ち上がっている。

「終わりだ、フォルスっ!」

 フォルスの心臓めがけて、アレウス(ジェミニ)は剣を突き出したまま落下する。

 フォルスは寸前で意識を取り戻し、床を転がってそれをかわした。

 しかしアレウス(ジェミニ)はそれを逃さない。アレウス(ジェミニ)の蹴りがフォルスの顔面を捕らえた。

「がはっ!」

 フォルスの身体が放物線を描いて吹き飛ぶ。床の上を3、4回転してフォルスの身体は仰向きに倒れた。

「顔を蹴ることはないだろ・・・・」

 顔全体がジンジンする。鼻のところを触ると、手には赤い血が付いていた。鼻血を出しているいるのであろう。呼吸が少し苦しくなる。そして天井を見上げるフォルスの視線の隅に、残忍な笑みを浮かべたアレウス(ジェミニ)の顔が現れた。

「予言の勇者もここまでだ。そして人間は滅びる」

 アレウス(ジェミニ)は長剣を振りかぶった。その剣の放つ光沢が、やけにはっきりと目に映る。

「魔族の王の剣で死ねるんだ、少しはマシだろう」

 アレウス(ジェミニ)は剣を振り下ろそうとする。しかしその腕に鋭い痛みが走り、万力のような力で押さえつけられた。

 剣を持っている腕にガルアが噛みついたのだ。

「ちっ、離せっ!」

 アレウス(ジェミニ)はガルアの眉間に拳をたたき込む。鈍い音と共に、ガルアの身体が揺れた。

「絶対に離すものかっ!」

 それに怯むことなく、ガルアは目をむきだして顎の力をさらに強める。口の中には、アレウス(ジェミニ)の血の味が広がった。

「邪魔だっ!」

 たて続けにアレウス(ジェミニ)は拳を振るった。それでもガルアは離さない。やがてガルアの額には、銀色の毛皮に赤い染みが広がり始めていた。

「こしゃくな魔族めっ!」

 吐き捨てるように言うと、アレウス(ジェミニ)はガルアの噛みついている腕に力をみなぎらせた。アレウス(ジェミニ)の二の腕には隆々と筋肉が盛り上がっていく。

「だあっ!」

 腹の底から声を振り絞りながら、なんとアレウス(ジェミニ)はガルアの大きな体を片手で頭上まで持ち上げてしまった。アレウス(ジェミニ)はそのままガルアを投げ飛ばす。ガルアは矢のような早さで吹き飛んだ。

「ぐあっ!」

 受け身を取ることもできず、ガルアは肩から壁に激突した。「ドサリ」と言う大きな音を立てて、ガルアは床の上に落ちる。壁には蜘蛛の巣のようなひび割れが走り、その衝撃を物語っていた。

 なおもガルアはアレウス(ジェミニ)を見つめながら立ち上がろうとするが、身体が言うことを聞かないのか、フラフラと足をもつらせて倒れてしまった。

「ふっ、とんだ邪魔が入ったが・・・・」

 アレウス(ジェミニ)は再びフォルスを見下ろし、その胸の上を踏みつけた。フォルスは顔をゆがめて「ううっ」と唸る。

「今度こそ最後だ」

 アレウス(ジェミニ)は長剣をフォルスの喉元に突き付けた。        
 



「いかんっ!」

 それまで有翼族をレーテに近づけさせまいと戦っていたゼノンとラファールは、フォルスの窮地を見て同時に呪文を唱える。

 ゼノンは魔導師の杖に魔力を集中させ、電撃の呪文を唱えた。光り輝く電撃の矢が一直線に放たれ、アレウス(ジェミニ)に突き刺さる。アレウス(ジェミニ)の身体は黄金色の電撃が包み込まれた。

 一方ダークエルフのラファールは、短い印を紡ぎ風の精霊シルフを召喚する。上半身は人間の乙女に近いが、腰から下は煙のようなものがゆらゆらとしていた。シルフは華麗にアレウス(ジェミニ)のまわりを舞うと、アレウス(ジェミニ)の動きを封じる。

「ちっ、またか」

 いまいましげな表情を浮かべながら、アレウス(ジェミニ)は二人を睨み付ける。と同時に、彼等の後ろで何やら呪文を唱えているレーテも姿もその視界に入った。

(あれは・・・・?)

 レーテの身体からは、強烈な精霊力が感じられる。あれほど精霊力の必要とする呪文を、ジェミニはたった一つしか知らない。

(そうはさせるかっ!)

 アレウス(ジェミニ)は風の拘束に抗おうと、鬼のような形相を浮かべた。つむじ風に包まれながらも、アレウス(ジェミニ)は一歩一歩ゼノン達の方に近寄ってくる。

「なんて力だ」

 ラファールはさらに精神力を高めて、シルフの力を増幅させていった。つむじ風は鋭い刃となってアレウス(ジェミニ)の身体を切り裂き、プラチナのような光沢を放つ長髪を刻む。

「こんな涼風で、俺が止められるかぁ!」

 アレウス(ジェミニ)の振り下ろした剣が、風を切り裂いた。シルフの巻き起こした風は引き裂かれ、たちどころに消え失せてしまった。

「はっはっはっ! 最高だな、魔王の身体ってのはよぉ!」

 アレウス(ジェミニ)は胸一杯に空気を吸い込むと、再び炎を吐き出した。ゼノンとラファールを飲みこまんと、炎の舌が迫る。

「ラファール、くい止めるぞ」

 ゼノンが短く叫ぶ。

「承知」

 ラファールは水の精霊ウインディーネを召喚した。ラファールの目の前に澄みきった水が集まり、乙女の姿を形作った。ウインディーネは二人の盾になるように、アレウス(ジェミニ)の炎を真正面から受けとめる。

 さらにゼノンは〈ブリザード〉の呪文を唱えた。紅蓮の炎を、白い吹雪が包み込む。

 炎と冷気の二つの力は、ジュウジュウと音を立てて激しくぶつかり合った。あたりにはもうもうと白い湯気が巻き起こる。

「やったか・・・・?」

 ゼノンが朝霧のように立ちこめる白い湯気を見つめた。

「むっ、気をつけろっ!」

 ラファールはとっさに腰に差していたレイピアを抜った。そこへ湯気を切り裂いてアレウス(ジェミニ)が襲いかかってきた。二人の剣が高い金属音を上げてぶつかる。

 非力なラファールはアレウス(ジェミニ)の攻撃を受けとめることもできず、後ろによろけて倒れた。

 さらにアレウス(ジェミニ)は剣を横になぎ払った。剣の切っ先から放たれた矢のような衝撃波が、ゼノンの右肩を突き抜ける。

「ぐうっ!」

 ゼノンは魔導師の杖を落として、床に膝をついた。肩の傷を左手で押さえるが、みるみるうちに赤黒い染みがローブに広がっていく。

 アレウス(ジェミニ)はゼノンが動けなくなるのを見ると、今度はレーテの方を向いた。レーテは深い瞑想状態に入っており、それには全く気付いていない。

「残念だったな。お前さえいなくなれば俺の勝ちだっ!」

 アレウス(ジェミニ)の気配に、レーテはハッと目を開く。レーテの黒い瞳には、白銀の閃光を放つアレウス(ジェミニ)の長剣が映し出されて
いた。自分の方に向けて振り下ろされてくる長剣を驚愕の眼差しで見つめながら、レーテは金縛りにあったように立ち尽くす。




 その時、一陣の風がレーテの黒い髪をなびかせた。そして銀色の獣が、まるで盾となるようにレーテの前に立ちふさがる。

 ガルアだ。アレウス(ジェミニ)の剣は、ガルアの額に触れるか触れないかというところでピタッと止まっていた。

「なっ、なにぃ!?」

 アレウス(ジェミニ)は大きく目を見開いて、ガルアと己の腕を交互に見つめた。なぜ動けなかったはずのガルアが現れたのか、そしてなぜ自分は剣を止めてしまったのかと、疑問が交互に襲ってくる。

「ガルア・・・・」

 茫然としながら、レーテは目の前に現れたガルアを見つめた。

「言っただろ、アレウスを止められるのは俺だけだと。呪文を続けてくれ」

 真っ直ぐアレウス(ジェミニ)を見つめながら、ガルアは声だけ返す。

「は、はい・・・・」

 慌てたように頷きながら、一度大きく息をついて気持ちを落ち着けてレーテは呪文の詠唱を続けた。

「なぜだ・・・・?なぜ腕が言うことを聞かない?」

 問いかけるように、アレウス(ジェミニ)は自分の腕を見つめた。硬直してしまった腕を何とか動かそうと、アレウス(ジェミニ)は歯を食いしばりながら唸る。

「無駄だ。アレウスに俺は斬れない」

 目の前に突き付けらえている剣など気にすることもなく、ガルアは諭すようにアレウスに言った。

「お前は言ったな、アレウスは俺のことをかけがえのない”友”と思っていると。確かにその通りだろうし、俺もアレウスのことをかけがえのない”友”とおもっている。しかし、俺達の間の絆はそれだけではない」

「ううっ、ううう・・・・」

 アレウス(ジェミニ)の頭の中で、ズキリと痛みが走った。「どくん、どくん」と、その痛みはまるでガルアの声に共鳴しているかのように膨れ上がっていく。

(アレウスか? ばかな、アレウスの精神など残っているはずない)

 アレウスの心の中は完全に闇に包んでいる、そうジェミニは思っていた。しかし、邪悪な精霊力に縛り付けらえたアレウスの心の中に、まるでパンドラの箱のように一筋の光りが残っていた。

 ガルアは、ジェミニだけではなくアレウスにも話しかけるように、言葉をゆっくりと紡ぎ出していく。

「王とは孤独なものだ。同じ立場の者はいないし、ましてや自分より位の高い者もいない。そんな”王”という存在に、アレウスは幼いときからずっと就いていた。
 この世界には完全な存在などありはしない。それは、お前を創造したという神でさえも。アレウスに優れた素質があるのは、誰もが認めることだ。
 だが王とはいえ、いや、王であるからこそ、多くの悩みや、苦しみや、悲しみや、辛い思いを抱える。まわりの魔族がどれほどその苦しみを和らげてやろうと思っても、それを完全になくしてやることはできない。まだ幼かったアレウスはそのような苦しみを内に抱えて、まわりの魔族に自分の弱い部分を見せまいとしていた。ひとりの子供であるということよりも、自分が王であることを示そうとしたんだろう。
 ではその苦しみは、いったい誰が癒してやれる。まわりの魔族には、弱い面を見せたくない。父も、母も、兄弟もいない。同じ立場の魔族でさえもいない。だったら、俺がアレウスの”友”になってやればいい。楽しみも、苦しみも、悲しみも分かち合えるような、本当の”友”に。それが、俺の母親が願った道だった。
 ゼノンやゼルフも、アレウスが王であるから仕えているわけではない。それぞれに理由があって、あいつを支えてやりたいから、何よりもあいつのことが好きだから、側にいるのだと思う。それは俺も同じだ。そしてアレウス自身、そのことを一番よく知っている。
 俺達の絆は、”友情”という一言では言い切れない。それこそ、星の数ほどの言葉が必要だ。そんなアレウスに、どうして俺が斬れる」

「ううっ・・・・、やめろっ」

 ガルアの言葉一つ一つが、アレウスの心に染み入っていく。ジェミニはアレウスの精神を押さえつけようとするが、それよりも遙かに強い力で膨れ上がっていった。

「アレウスに取り憑いた時点でお前は負けていたんだよ。アレウスが、絶対に俺達を殺させなかっただろう。俺はアレウスを信じている」

「うわあああああっ!」

 ドラゴンのような咆哮をあげながら、アレウス(ジェミニ)はガクッと床に膝をついた。何かを振り払うかのように、激しく上体をくねらせる。

「レーテっ!」

「はいっ!」

 印を結んでいた両手を解き、それを目の前で激しく動かす。やがてその軌跡は光り輝く魔法陣となってレーテの前に現れた。

「邪悪なる精霊より、いま解放せん・・・・」

 レーテは自らの身体に宿る精霊力を一気に解放していった。見えない力がレーテの体から吹き出し、彼女の身体を包んでいた光りはさらにその強さを増す。レーテの長い黒髪が激しくなびき始めた。

「ぐううううう・・・・」

 アレウスの身体から、黒い影が引っ張られるように現れてくる。引きずり出そうとする力とそれに抵抗しようとするジェミニの力が拮抗して、ジェミニの影は出たり入ったりしていた。

 レーテは紡ぎ出す呪文の言葉をさらに強める。額には汗の滴が光り、濡れた髪がへばりついていた。

 やがてジェミニがその姿を現した。呪文の束縛から逃れようとスライムのごとく影のような体を激しく動かすが、ジェミニは徐々に魔法陣に吸い寄せられていく。

 ジェミニの支配から解放されたアレウスは、フッと糸の切れた人形のように床に倒れ込んだ。

「お、俺はゼノア様より創造されし精霊ジェミニ。貴様らなどに負けるかぁ!」

 呪うような目つきをガルアに突きつけながら、ジェミニは叫んだ。ガルアはそのジェミニに鋭い視線を向けながらこう言った。

「失せろっ!」

 ジェミニの叫び声が響く中、魔法陣がまばゆい光を放つ。ジェミニは完全にその光りに包まれた。

「”イリュミナート”っ!」

 レーテの精霊語と共に、かき消されるように魔法陣ははじけた。ジェミニと共に。

 いつしかあたりには、レーテの荒い息づかいだけ漂っていた。謁見の間には、もう有翼族の姿はない。そして窓の外にも、いつの間にか有翼族の姿は消えていた。






 それからどれほど経っただろうか。止まった時計を破るように、アレウスの肩がピクリとわずかに動いた。

 眠りから覚めるようにアレウスのまぶたが静かに開き、黒い瞳が左右に動く。そして、その瞳があるものを捉えた。ぼやけてはっきりとは見えなかったが、銀色のその身体が自分の”友”であることを示していた。

「よぉ、アレウス・・・・」

 穏やかな目をしながら、ガルアはアレウスに声をかける。

「ガルア・・・・」

 少し照れ笑いを浮かべながら、アレウスは答えた。二人はしばらくの間、無言のまま視線を交わしあう。

「気分はどうだ?」

「気分は・・・・まあまあだな。それより、誰かさんに噛まれた腕が痛い」

「俺も誰かさんに殴られた頭が痛いさ。ひどいやつだ、”加減”ってものを知らないらしい」

「なら、あいこだな。ははは・・・・」

「そういうことだ。ふふふ・・・・」

 アレウスは目を細めて笑う。それにつられてガルアも笑みをこぼした。

「どうだ、立てるか?」

「どうかな」

 アレウスは先ず上体を起こす。それから剣を杖代わりに立ち上がった。

 しかし立ち上がった瞬間にめまいに襲われ、アレウスは身体をよろけた。それを見たガルアは、慌ててアレウスの側による。アレウスはガルアの身体に倒れ込むようにしてもたれかかった。

「しっかりしろよ」

「すまないな・・・・」

「忘れちまったのか? 俺にはそんな言葉はいらない。なぜなら・・・・」

「そうだったな・・・・」

 アレウスとガルアは心の中で一つの言葉を思い浮かべた。言葉にして確認し合うほど、二人の絆は浅くはない。 




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