− 第十一章 静寂の中で−
1
魔族の城アデルの王の間に、一匹のドラゴンの姿があった。全身にいくつもの傷跡を持つこの黒竜の名は、ジェラルドという。
この部屋の主が旅立ってから、もうずいぶんと久しい。後を任された魔導師のゼノンも旅だった王の後を追ってこの城を去り、その留守をジェラルドが務めている。
「やれやれ、派手なご活躍をなさってますな・・・・」
ジェラルドは主のいぬ玉座に向かって呟いた。
旅の途中のアレウスとは、ゼノンの魔法を通じて頻繁に連絡を取り合っている。先日も、人間達と協力して有翼族をうち倒したそうだ。
「まぁ、その方がお似合いですが」
玉座に浮かんだアレウスの姿は、すぐに消えてしまった。
玉座に座っている姿より、戦場や各地を旅している姿の方がジェラルドには魅力的に思えた。珍しい王であるが、先王であるアレウスの父レアノスもそうであったと聞く。血は争えないようだ。
そんなことを思いながら、ジェラルドは窓越しに外の風景を眺めた。そこは、静かな世界であった。草木がそよ風に揺れ、その間を蝶が飛び回っている。
「ふぅ・・・・」
ジェラルドはため息をついた。
いたって平和な世界。有翼族との戦いなど忘れてしまいそうだ。
「ジェラルド様、アルベルト様がお見えです」
衛兵の声がして、扉が軋み音を上げながらゆっくりと開いていく。その奥から、体格のよい一匹の魔族が姿を現した。
「おお、アルベルトか」
ジェラルドは、やって来た魔族に声をかける。
「よう、ジェラルド」
ミノタウロスのアルベルトは、この城の警備隊長を務めている。”電撃隊長”とも呼ばれており、稲妻のごとく戦場を駆けめぐることからこの名が付いたようだが、すぐに雷を落とすことから付けられたのだと陰口を言う魔族もいる。
「静かなもんだな、最近」
アルベルトはジェラルドの隣までやって来て、同じように外を見つめた。
「ああ、そうだな」
城内にも以前ほどの緊張感はない。その一番の原因は、有翼族が襲ってこなくなったからだ。
「他はどうなんだ?」
アルベルトが訊ねる。
「ここと同じさ。最近ぱったりと有翼族の襲撃がなくなったそうだ」
各地に建てられた魔族の砦の間では、絶えず情報交換を行いアレウスにも伝えている。その情報交換によって、各地でも有翼族の襲撃が激減っていることが明らかになった。有翼族の数が減ったのではないかという者もいるが、そんなに急に数が減るのものかとジェラルドは疑っている。
「平和なのは結構なことなんだがな・・・・」
その言葉ほど、アルベルトの表情は明るくなかった。逆にいつも以上に気が立っているようである。
「お前だけか、いつもそうやって青筋を立ててるのは」
ジェラルドはふと笑みを浮かべる。
「ああ、他のやつは弛(たる)んでやがる」
アルベルトが苛ついている原因はそのことのようだ。
「こういう状況が一番危ないんだ。もしいま有翼族が攻めてきたらどうするつもりなんだ、あいつらは」
アルベルトは手にしていた槍を、激しく床にたたきつけた。
連日のように有翼族の襲撃があった日々から一転、今ではその姿すら見ることはない。緊張感が緩むのも、仕方のないことではあった。
「考えすぎかもしれんが・・・・」
遠くの太陽を見つめながら、ジェラルドは呟いた。
「今まで有翼族は、世界中に散らばって人間たちをおそっていた。人間たちを甘く見ていたのかも知れないが、数を分散させるのはどう考えても理にかなっているとは言えない。としたら・・・・」
そこで言葉を止める。
「まさか、一点集中・・・・」
アルベルトは大きく目を見開きながら、ジェラルドを見つめる。
「あり得ないことではない。数が減っているのは我々も同じだ。そして、今各地に散らばっているのは我々の方。そこを襲われたら・・・・」
おそらく全滅するだろう。ジェラルドの脳裏に、この城が炎に包まれる忌まわしい映像が浮かび上がった。
「警備を怠らないように伝えておこう」
アルベルトは床を踏み鳴らしながら、大慌てで謁見の間を後にしようとした。
(そうしてくれ)
彼の背中を見つめながら、ジェラルドは心の中で呟いた。そして、自分の胸騒ぎが現実にならないように祈りながら。
アルベルトの姿が完全に消えると、ジェラルドはまた視線を外に向けた。しかしその表情は、一瞬にして凍り付く。
輝く太陽を背に、数え切れないほどの数の影が空に浮かんでいたのである。
2
そこは一面の銀世界だった。人はこの地を、”氷の大地”と呼ぶ。
世界の最も北に位置するこの大陸は、絶えず氷に包まれていた。もちろん人など住める環境ではなく、寒さに強い動物たちだけがこの世界の住人だった。
その”氷の大地”に、”死神”のゼファーはやって来た。ある人物に会うために・・・・。
あたりは不気味なほど静まり返っている。風も、動物の鳴き声もしない。
「あれか・・・・」
真っ黒いローブの奥から、文字通り死神のような声が聞こえてくる。それを聞いた人間の心を、凍り付かせてしまいそうな不気味な声。
ゼファーの見つめる先には、水晶のように透き通った巨大な氷山があった。万年氷壁と呼ばれる、氷の壁である。
ゼファーは足音も立てず、その氷壁に近づいていく。
「やはりここにいたか」
ローブの奥で光る双眸が、スッと細くなった。
なんと氷壁の中に、人間が閉じこめられていたのである。顔つきから察するに、30代であろうか。豊かな顎髭を蓄えている。
身につけているローブや装飾品から、その男が神官であることが分かる。
「ふっ、数千年の時を経ても肉体は朽ち果てないか」
ゼファーはローブの奥から木の枝のように節くれ立った腕を出し、氷壁をさする。この氷壁が、死者の肉体を腐敗させることから防いだのだ。
「我がゼノア様に背く邪教の教皇ネーハイスよ。われらの願いのため、その存在を利用させてもらうぞ」
ゼファーの触れた氷壁が音を立てて溶ける始める。やがてゼファーの手は、氷壁の中の男に触れた。
ドク・・・・ドク・・・・
氷に閉ざされていた命に、再び脈動が戻る。
ドク・・・・ドク・・・・
閉じていたまぶたがゆっくりと開く。その眼は、人間とは思えないほど赤く染まっていた。
「さあ、ゆくぞ。もう一つの封印を解くために」
ゼファーの声と共に、男の身体が赤く輝き始める。
「ぐあああああああ!」
激しい揺れと共に赤い閃光が炸裂する。万年氷壁は一瞬にして蒸発してしまった。
「ふふっ」
白い煙の中で、ゼファーの双眸がさらに細くなった。
3
レインボーパレス。天神ゼノアの居城。
その一室に、石造りのテーブルを挟んで”白虎”のテイオと”心眼”のソーラの姿があった。
レインボーパレスという名の通り、この城は七色に輝く石で出来ている。しかもその模様は、オーロラのように絶えず変化していた。
テーブルの中央には長方形の穴が開いており、そこには立体的な映像が浮かんでいた。人間界の地図である。まるで天から見下ろしているように、雲が動き、海には波が立っている。
「さっきゼファーから報告があったわ。あの男をみつけたそうよ」
ソーラの声が部屋の中に響く。まるで春のそよ風のように、耳に心地よい声だ。
「そうか、ひとまずこれで駒は揃ったな」
腕組みをしながら、テイオは答える。
「そうね」
ソーラはコクッと頷いた。
「それではあらためて確認しよう。今回の攻撃目標はこの三つだ」
そう言って、テイオは地図上の三つの城を指さす。北の大陸にある二つの城、そして中央の大陸にある城の一つが光を放た。
「予定通りに進めばこの城は壊滅、騎士団と共にアレウス達も始末できる」
テイオの言葉と共に、一つの城が崩れ落ちてしまった。その後には、瓦礫の山だけが残る。
「その混乱に乗じて、あたしはあの巨神テュポスの封印を解けばいいわけね」
ソーラが妖艶な笑みを浮かべた。
テュポス。ゼノアによって封印された創世神話の巨神である。百の竜の頭をもち、空を覆うほどの翼を持つこの巨神は、世界を炎で包んだという。
「そうだ。ネーハイスのことについてはゼファーに任せてある。この国もすぐに滅びるだろう。後はこちらの思い通りに動いてもらう。それはお前の仕事だ」
「任しておいてよ」
ソーラが優雅に手をかざすと、地図上の城がまた一つ消えた。
「それより、あなたの方も抜かり無くね。一度失敗してるんだから」
ソーラの笑みがさらに妖しさを増す。
「同じ愚は二度と繰り替えさないさ。今度こそ、魔族の城を落とす」
テイオの鋭い視線の先には、魔族の城アデルと隣国トルネアの城が光っていた。テイオは地図めがけて思いっきり拳を振り下ろす。テーブルに浮かんだ地図は、水面に石を投げ入れた時のようにグニャグニャに砕けて消えてしまった。
「ふふっ、結構なこと」
ソーラは口に手をあてながら満足げな表情を浮かべる。
「例えアレウスを仕留め損なっても、自分の城が我々に落とされたとあればじっとしてはおれまい。アレウスとフォルス、二人の勇者を分断できればこちらのものだ」
話し合いは終わりとばかりに、テイオは立ち上がった。それに続いてソーラもスラリと立ち上がる。
「それじゃあ、吉報を待ってるわ」
テイオに手を振って別れを告げると、ソーラは光りのカーテンに包まれた扉に消えていった。
「いよいよだな・・・・」
一人取り残されたテイオはふと言葉をもらした。語りかける相手は他でもない、自分自身である。
間もなく戦いが始まる。魔族の城を落とし、人間界でも屈指の騎士団を誇る国を壊滅させる。負けられない戦だ。
そして巨神テュポスを復活させ、残った人間や魔族と戦わせるのだ。いずれが残るにしろ、無事ではすまないだろう。残った一方をゼノアが滅ぼすのである。そして、世界は始まりに返る。”新時代”はそして幕を開けるのだ。
いよいよ大詰めだな。そう、テイオは心の中で思った。神が残るのか。それとも人間や魔族が残るのか。それは、誰にも分からない。
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