黄昏ゆく街……。鮮やかだった街の風景は、まるで紅葉を迎えたように暖かで、それでいてどこか哀愁の漂う橙(だいだい)色に包まれる。
 こうやって高いところから街の夕暮れを眺めていると、実に美しい。あんたもそう思わないか?
 どこを歩いても建物に囲まれる今のご時世だが、高いところに登ると街並みが一望できる。そんなパノラマと、見上げれば無限に広がる天を感じていると、視界に広がる世界のすべてに自分の存在が拡散していくような感覚を覚える。
 猫だって、たまには感傷に浸るのもいいだろ?
 今回はこうやって夕日でも浴びながら、しばし俺の話しにつき合って頂こう。




 


第三話


 

 猫はよく高いところに登る。あんたも、人の家の屋根の登って毛繕いをしている猫の姿を何度も見たことがあるだろう。
 俺達猫が高いところに登るのは、別に高い所が好きだからというわけではない。ある意味生活をする上で当然なのだ。
 重じいさんに話しによると、俺達猫の祖先は木の上で暮らしていたという。だが人間にはお馴染みの犬も、遙かに遡(さかのぼ)れば祖先は俺達と同じなのだ。
 「ミアキス」という動物がそれで、こいつは森の中で暮らしていた。そこからそのまま森に留まったのが俺達猫の祖先で、森を捨てて平野で暮らし始めたのが犬の祖先なのである。
 こうして全く違う環境で暮らすようになった俺達と犬との生活の違いは、今でもはっきりと見ることができる。
 森に残った俺達猫の祖先の狩りは、獲物に忍び寄ってから最初のダッシュで相手を仕留める。この狩りの方法だと群れを作る必要はないから、俺達ネコ科の動物は基本的に単独行動をする。まあライオンという例外はいるがな。
 それから肉球だが、これも足音を忍ばせるために発達したものである。間違っても人間に触られるために発達したわけではない。
 一方犬の祖先が生活の場に選んだのは、広い平野。これだと仲間と協力しあって狩りを行わなくてはならない。そのためには群れを作らなくてはならないし、その群れをまとめるリーダーも必要になってくる。
 イヌ科の動物の社会に、上下関係とかいう息苦しいものが存在しているのもそのためだ。
 犬は人間にも従順で、ネコは勝手気ままと言われるが、それは育ってきた生活環境が違うからなのだ。
 話は少し飛んでしまったが、要は俺達の祖先は森の中に住んでいたわけで、当然木の上でも生活していた。だから高いところに登るのも、生活していて当たり前と言えば当たり前なのだ。
 だが俺達が高いところに登るのには、もう一つわけがある。それは、より高いところにいることで、相手よりも優位に立てるんだ。
 構図的にも分かりやすいと思うが、相手を見下ろしている方と見上げている方がいたとすれば、誰だって優位に立っているのは見下ろしている方と分かる。高いところに登ることで、ある意味自分のステータスを示すことができるわけだ。
 そして木の上で暮らしていたから、平衡感覚も発達した。幅の狭い塀の上を走っても落ちないし、第一屋根の上から落ちてきた猫なんて見たことないだろ? 
 さらに俺達は、身のこなしが軽いことでも知られている。試して欲しいとは言わないが、猫を逆さの状態で落としても、俺達は空中で身を翻して着地することができるのだ。昔はそれで「猫には七つの魂がある」などと言われたが、それなら八回目には死んでしまうではないか。俺達は何度落ちても見事に着地できる。
 毎度のことだが、人間の感性はどうも理解に苦しむ。






 そんなことを考えていると、空にはおぼろげに月が顔を出していた。もうすぐ夜の帳が降りることだろう。朝からこの高い松の木に登っている俺だが、一日中物思いに耽るのもたまには良いと思う。
 俺はチラリと下を見てみた。地面が遙か下のように感じられる。
 降りられなくなっちまったんだよ、畜生ぅ……。



おしまい……




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