第八話:大きな忘れ物


 小学生の頃、毎日のように忘れ物をしては、しかられていた。教科書や教材を忘れては家まで取りに戻ったり、宿題を忘れては立たされたりした。一ヵ月もたってから親に見せなければいけないプリントがランドセルの奥からくしゃくしゃになって出て来るなど、日常茶飯時であった。

 それでも時々、

「あ〜、何か大事な、やるべきことがあったな。何だっけ?ああ思い出せない。」

と思う事があり、そういう時はまず

「そのことを自分が実行しなかった場合、一体どうなるのかな?」

と考えた。そしていつも結論は

「きっと大した事はない。何故なら、もし僕が最初からこの世の中にいなければ その  やるべき事はないはずだし、まあ、たまたま存在しているわけだけど、最初から自分が  ”いなかった” と思えば、それはなかったはずのものなんだ。だから、しなくても大丈夫、大丈夫。」

であった。

 これはまだましなほうだった。何故って、普段はここまで思い及ばず、「けろっ」と忘れているんだから。

あれは小学校六年のとき。

 長い夏休みが終わって、学校に行くと同級生がみんな寄ってきて、口々に

「ねえ、ともひろ君、8月20日は何をしていたの?」と言うではないか。

「8月20日?う〜ん何だろう?思い出せないなあ」

「でも何か大事な用事があったんじゃないの?」

「いや、何にもなかったと思うけどなあ」

「風邪をひいていたとか」

「風邪はひかなかった様な気がするなあ」

「じゃ何で来なかったの?みんな心配したんだよ」

「何か約束したっけ?」

「遠足だよ遠足」

「え!遠足!?遠足があったの?」さすがの私も目が点になった。

「それで、ともひろ君が来ないから、みんなで30分も待って、うちのクラスだけ出発が遅れたんだよ」

「・・・・・(僕がこの世に存在していたから、みんな待ったんだ)(これはまずい)(その日だけ僕が存在しなかったと思うことにするか)(でもそれは有り得ないな)(しかし、その”時”は、もう過ぎているのだから、その”存在”は僕も含めてみんな消えているんだから、別に構わないのかもしれない)(うん、きっと構わない)(大丈夫)」

そんなことをぼーっと考えて、ふと気がつくと、もうまわりには誰もいなかった。

それから半年後。

卒業アルバムをもらった私は、一枚の集合写真に目が釘づけになった。

「えぼし岩で一休み 〜思い出の五頭登山〜」と題された写真。

見たこともない風景。

何だこれは? みんな笑っている。 俺はどこにいるんだ? いくら探してもいない。

「ねえ◯◯君、この写真いつ撮ったのかな?」

「これは夏休み中の遠足だよ。ああ、そういえば君、このとき ”いなかった”ね」


おまけ:頭をうちのめされた私は、ただ遠くを見るだけでした。

    今でもこの写真を見ると、遠くを見る目になってしまいます。


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