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Messerschmitt

 

 ここは、原作「わが青春のアルカディア」をもう少し深く理解してみようというコーナーです。

当時(第二次世界大戦時代)を知らない私はよくわからないことが多かったので(戦闘機、その他のこと)いろいろと調べてみたのでせっかくだからこのページにまとめてみました。

 

◆メッサーシュミット in ドイツ博物館はこちら

 

messserline

 

 ◆ メッサーシュミット

   この物語でハーロックII大尉が愛機「わが青春のアルカディア号」として乗っている戦闘機である。 ドイツの飛行機は大抵、製作者か製造会社の名前がつけられるそうなのだが、このメッサーシュミットもヴィリ・メッサーシュミット博士によって設計されたことによってそういう名前で呼ばれている。
 このメッサーシュミットは、当時のドイツを支えた、主力戦闘機である。
また、世界で最も生産数の多いポピュラーな戦闘機として知られる一方、非常にシンプルで美しいデザインも現在もマニアの間で評価が高い名高い戦闘機なのだ。

 そして、専門家の間でも言われるこの戦闘機のすごいところは、他の国々が空力学的にも改良する場合は、翼の形からエンジンまでフルモデルチェンジするのに対し、基本構造をほとんど変えずに改良されていったことである。その為メッサーシュミットのデザインは基本的には変わらず、様々なタイプのメッサーシュミットが製造されることとなった。
 だからメッサーシュミットと一口にいっても、例えばMe109のGタイプ一つ取ってもその中でも16タイプも造られている。また、Gがあるということは、勿論その前のアルファベット分のタイプがあるということである。(最終はKタイプまで造られた。)

 ちなみに作品中でハーロックが乗っているのは資料をいろいろと比較して見たところ、Me109G−6タイプのように思われる。(詳しい方で、違うと思った方はご指摘ください。)メッサーシュミットの中でも最もポピュラーな型である。
 パイロットにとっては、自分の乗る戦闘機が基本的には変わらないので、新型の操縦に慣れる時間も省けるし、メッサーシュミットに愛着がとてもあったことだろう。

 専門家によると、飛行機の完成度や性能は他の戦闘機(フォッケウルフ等)が上、ということらしい。
しかし、ルフトバッフェ(ドイツ空軍)の名高い撃墜王達の多くは、最後までメッサーシュミットを選択することが多かったという。プロにいわせると、この戦闘機はポテンシャルが非常に高く、本当のプロが使い込めば、カタログデータ以上の性能を引き出すことができるのではないか、ということだ。実際、メッサーシュミットより優れた他国の新鋭戦闘機を相手に回して、互角、あるいはそれ以上の戦闘が行われたことがそれを証明していることになるかもしれない。

 物語上の話で言えば、ハーロックのようなエースパイロットにしてみれば、これまた当然性能的には上と言われたスピットファイアを震え上がらせた位の戦いぶりを披露していたから、やはりメッサーシュミットの能力を引き出し、使いこなした技術も相当な凄腕のプロということになるだろう。

 さて、そのメッサーシュミットの性能は、というと、エンジンはダイムラーベンツ社の605Aエンジンという、高性能エンジンを使用。重量はかさむが、スリムな機体、薄く小さめの翼という設計になっている。
 当時のドイツ空軍がとった戦法は、簡単に言うと一撃必殺、つまり大出力エンジンと小面積の翼での速力、上昇力、降下速度を大きくし、威力の大きい20ミリの機関銃装備で一撃で相手を撃墜する(いわゆる重戦)というやり方であった。

 これと対照的なのがイギリスの戦法である。作品にも登場するスピットファイアを例にとってあげると、ドイツとは逆に翼面積を大きく機銃も7.7ミリと機体を軽くすることで旋回や小回りをきかせる特殊飛行で粘り強く戦うという方法をとった。この対照的な両者の戦いは、ハーロックも参戦したという有名な「バトル・オブ・ブリテン」にて実現された。

 さて、そのメッサーシュミットの弱点は、何と言ってもその航続距離の短さにある。
作品中でも台場がハーロックにズバリ指摘した通り、先ほどの「バトル・オブ・ブリテン」において、優勢だったドイツが徐々に敗退していったのも、この戦いでイギリスを制圧できなかったことが遠からず一つの要因にもなっているのだが、このドイツにとっての失敗の原因の一つに主力戦闘機の航続距離の問題があったとされる。
 メッサーシュミットの航続距離はおよそ700キロ。しかも空中戦で燃料を消費することを考えれば、200キロがせいぜいだ。「バトル・オブ・ブリテン」でメッサーシュミットは主に護衛機として使われたが、イギリス上空で燃料不足で帰還せねばならなくなった。空戦に入ってものの数分もすれば燃料切れ警告の赤いランプが点灯する有様だったとか。
 そして、護衛のない防御の弱い爆撃機などは敵の格好のえじきとなってドイツ空軍は手痛い被害をこうむったのであった。

 一方、日本の零戦は、時を同じくして中国大陸での戦いでメッサーシュミットの行動半径の約5倍に相当する900キロ以上を進攻して空戦を交え、そのつど勝利をおさめている。ドイツ空軍にもし日本の零戦があったら、歴史は変わっていただろう、という人もいる。台場が皮肉っぽく言ったことには、こういう事実の背景があったのだ。
 更に皮肉なことに、作品中で最後の戦いでハーロックはその航続距離で泣かされることとなった。欠点を補う為の燃料タンクに穴をあけられてしまい、スイスまでたどり着く手前で燃料切れになってしまったのだった。
 しかしただでさえ重いエンジンと重い機銃をつんでいる上に、人間一人分の重量が加わった上での戦闘で生き残っているのだからハーロックの腕も相当なものである、と思わずにはいられない。
 腕だけでなく「最後の戦いに絶対負けない!」という不屈の闘志があったからだろうか?

 

◆ 照準器ReviC/12D

 ハーロックII愛着の品、「俺の目だ〜!」と言っていたReviC/12D。これは、メッサーシュミットのほとんどの標準照準器だった。

 機体に積んでいる機銃の威力が大きいかわりに、弾丸の数が他国に比べて著しく少なかった為、ルフトバッフェにとって敵機に正確に命中させることはとても重要なことなのだ。その命中率に決定的な影響を及ぼすのがこの照準器である。
 使い方は、透明なガラス板にレンズを通して下から光をあて、フィルターに浮かび上がる照準環に敵機を捉えるというものである。
 原理はいたって簡単なものだった為、敵機との射距離は目測に頼らねばならず、パイロットは空中戦で互いに旋回しながら自機と敵機の未来位置を勘で把握して射撃していた。

 メッサーシュミット109G型の後期あたりから、Revi16Bという新型の照準器が装備されるようになった。

<Gunsight REVI C/12D>

REVI C12D

(1999.2〜3 Illustrated by Maja)

◆ コクピット

 私は当然乗ったことなどないのだが、メッサーシュミットのコクピットの写真を見ると、「なんて狭いんだぁ!」とまず思った。ドイツ人は体が大きい人が多いから、余計に窮屈だったのではないかと思ってしまった。最も、見慣れているパイロットにしてみればそれが当たり前だよ、というかもしれない。

 照準器、ReviC/12Dはコクピットの正面にあるかと思っていたのだが、意外にもパイロットから見て右側に配置されていた。(何故だろう?)

◆ 大空のエースパイロット達

 現代はコンピュータ制御されたマッハスピードのジェット機が飛び、遠方からミサイルを発射するのは当たり前の時代となっている。
 パイロット個人の運動神経を駆使し、勘を働かせ、頭脳をフルに使ってのドッグファイティングを行っていた世界大戦当時は、そういう現代からすれば殺し合いをしていたとはいえまだロマンに満ちていた時代といえるのかもしれない。

 この作品でハーロックは名の知れたエースパイロットとして登場するが、第一次世界大戦、第二次世界大戦とプロペラ戦闘機で格闘空戦を行っていた当時、そのような「空の勇者」が数多く存在していた。 
 第一次大戦でいうなら、何と言っても超一流パイロットとして名高いのは、ドイツのリヒトホーヘンであろう。当時は複葉機で戦闘を行っていたわけだが、彼は自分の機体、アルバトロスをいつも赤く塗って空戦に臨んだ為、イギリスからは「赤い騎士」(レッドバロン)として恐れられた。
 (赤い彗星シャアのモデルか?)
撃墜王としても有名だったが、24歳という若さで戦死したためか彼のスコアを上回るパイロットが出現しても撃墜王として伝説化しているくらい知名度の高いパイロットである。
 第二次世界大戦は、撃墜王としての超エースは、ドイツのエーリヒ・ハルトマン。彼のスコアは何と352機。世界最高記録だそうだ。彼の愛機はやはりメッサーシュミットだった。

 空戦経験者によると、どんなに冷静なつもりでも初めて敵機と遭遇すると頭にカーッと血が昇ってしまい、度を失ってしまうという。そこで敵の術中にはまってしまうと撃墜されてしまうが、経験や慣れによって落ち着きを取り戻すことが出きれば、初撃墜を経験できるそうである。
 初撃墜から大体5機くらいまで達すれば空戦のコツやカンを覚え一応プロの空中戦士とみなされる。
この位までのパイロットには、第一次世界大戦当時フランスで”アス”(英語では”エース”=切り札)という尊称で呼ぶようになったのである。
 このエース達の中で更に、技量優秀で、ドイツや日本のようにずっと替えがきかず実戦で戦わなくてはならなかった国の空軍では、自然と精神的、体力的に鍛えられた者の中から、先ほどの300機以上などという超エースが次々と生まれていったのである。(もちろん他国でも優秀なエースは存在しているが。)

 また、エースとしての評価は、撃墜した数が多ければいいというものではない。
やはり技と共にそのパイロットの人格や統率力もなければ後世に名を残すことはできないようだ。
何故なら、優れた戦闘機パイロットはその所属する戦隊がチームで優れていなければ注目を浴びる活躍もできないし、自分の実力を発揮することが出来ないからだ。
 エースとなり隊長ともなると、慕い寄ってくる部下の援護を受けられる立場にもなり、安全性も高くなる。エースの陰にはそれを支える何人かの優秀なパイロットがいるということなのだ。
(そういえばスパンダウ中尉さん、ハーロックが不時着した時心配してましたね。やはりハーロックは戦闘の時は血も涙もないといっても部下に慕われるエースだったってことでしょう。)

 

◆ 「わが青春のアルカディア号」

 物語の最初にハーロックが乗っている機体のデザインと台場を乗せた最後に乗ったメッサーシュミットのデザインは当然ながら違うが、下の図は台場がペイントした方の機体の「わが青春のアルカディア号」である。(大体で描いているので、詳しい方はつっこみをいれないように。)
 ドイツでは、機体の真中に描かれた「く」の字形は、「飛行隊司令官乗機」の意味である。この位置に数字が入っていると、隊の何号機、とわかるようになっている。

 尾翼にはもともとナチス・ドイツのあのマンジマークがあった。その位置に台場が「サムライの刀のつば」のマークのデザインをしたが、「わが青春のアルカディア号」がドクロの紋章とハーケンクロイツの消えたサムライの刀のツバのマークで飛ぶあたりは、松本零士氏の思い入れなのかもしれない、と密かに私は思っている。

 

わが青春のアルカディア号

(1999.2.Illustrated by Maja)

 

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