『一瞬の微睡み』


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 ..........長い時間が流れる。
 年老いた赤い狐族とヒトトカゲ族の獣人が昔語りをしてくれる日々。
 優しいけれど魔法を教えてくれる時は厳しい母親。たまに顔を出しては母親
にモーニングスターで追い払われる、風変わりな黒衣の僧侶。
 老人たちはやがて死に、僧侶がたまにやってくるだけの、母親と二人の、静
かだけれどこまごまと忙しい毎日。
「こんにちわ」
 まるで、母親の留守を見計らったように、僧侶が顔を出した。
「いらっしゃい、ゼロスさん」
 店番を兼ねての、石盤の落書きをやめて、ヴァルは顔をあげる。
「何を書いてるんですか? ......夢?」
 石盤の文字を眺める。「夢がどうしたんです?」
「このごろね、いっぱい夢をみるんです」10歳ほどの人の姿に育った、金の
瞳の竜は真面目に答える。
「母さんでない人を母さんって呼んだり、逢ったことのないおじさんを父さん
って呼んだり、赤い髪の人と一緒に旅をしたり、亡くなったジラスお爺さんや
グラボスお爺さんが若くて、僕のこと、ヴァルガーヴ様、なんて呼んだりして
るんです」
「ははぁ」
 手近な椅子を引き寄せ、話を聞く態勢にはいる。「もしかして、フィリアさ
んが若かったり、栗色の髪の胸の小さな黒衣の女魔道士と魔法合戦とか、して
ません?」
「うーん」首をかしげる。「そういうのはないんですけど.....」
「けど?」膝をすすめる。
「あのね、白い髪の長い人が先生で、母さんみたいな金髪と碧い瞳の男の子と
一緒に勉強したりとか、その男の子と魚釣りしたりとか、黒髪のとってもきれ
いな女の人が焚火の向こう側でこっちを見てるとか.....」
 ふと、ゼロスの顔を見た。「ゼロスさん、顔色、悪いですけど......?」
「いやぁ、はははははは......」冷汗を、ハンカチで拭う。「フィリアさんは、
そのことをご存じなんですか?」
「....知ってますよ....」
 地獄の底から聞こえそうな声に、ゼロスは恐る恐る振り返る。
「ゼェロォスゥゥゥゥ」尻尾を逆立て、モーニングスターを構えたフィリアが
そこにいた。
「私の留守中に、ヴァルに何を吹き込んでいるんですっっ!」
 ぶんっと振り回す武器を、かろうじて除ける。
「やだなぁ、フィリアさんってば、話を聞いていただけですよ、あはははは」
 連続攻撃をなんなく躱し、ひょいっと部屋の反対側に飛び移る。
「なにもしませんよ」人差し指を立てて片目をつぶる。「我が主の命令ですし、
ヴァル坊やの後見があの方たちではねぇ」
「なんのことですかっ」
 ずかずかと近寄るフィリアから、一瞬逃げる素振りをしたが、立ち止る。
「あの件が終わったとき、報告にあがりましたら、我が主が言われたのですよ。
ヴァル坊やには宿命がある。万物の母たる御方の側近がたが、坊やを慈しまれ
ていると。魔族や神族といえど、手を出すことは許されないってね」
 素早く、手の届く範囲から逃れる。「まぁ、昔、小耳に挟んだエンシェント
ドラゴンとスーフィードとの契約話が、本当だったってことですけど」
「さっさと消えなさいっっ、このお喋りな、ろくでなしプリーストっ!」
 笑い声とともに、獣神官は消えた。
 
 肩で息をしている母親の側に寄る。「母さん、本当にゼロスさんのこと、嫌
いなんだね」
「むむむ、虫酸が走るわっ」モーニングスターを握り締める。「あいつってば、
腹黒いし、二枚舌だし、魔族だし......『さん』付けで呼ぶなんて、言語道断です!」
「でも、いろんなこと、知ってるよ。......『あの件』って、なんなの?」
 フィリアの細い手から、モーニングスターがどすんと落ちた。
「......母さんには、とても辛かったことよ。亡くなったジラスさんやグラボ
スさんにとってもね」ぎゅっと息子を抱きしめる。「でも、ヴァルがいたから、
みんなの心は慰められたの」
「お父さんのことだね。....ごめんね、母さん」
 溜息をつくと、フィリアは立ち上がった。「さあ、裏庭で遊んでらっしゃい。
....ゼロスなんかを相手にしちゃ駄目よ」
 ぱたぱたと駆け去る息子を見やり、もう一度溜息をついた。転生したのに、
過去を、前世を思い出すのはなぜだろう? 信じたくはないけれど、ゼロスの
いうように、宿命なのか。人の姿になって眠っていたときからしっかりと拳の
なかに握り締めていた、あの赤い角の欠片の呪縛なのか。

 裏庭を見下ろす樹の大枝に腰掛け、ゼロスは石蹴りをして遊ぶヴァルを眺め
ていた。胸元に赤い角の欠片のペンダントが揺れているのが見える。
「宿命、ですか......」首を傾げる。「重いですよねぇ。冥王さまがまだいら
したら、なんとおっしゃるか」
 くすくす笑う。「ヴァル坊やのお父さんはヴァルガーヴ、ヴァルガーヴのお
父さんはヴァルガーヴ、と」
 ふと、村に入る街道の向こうを見て、笑いを収める。「おやおや......運命
の出会いですかね。宿命が動きだしますよ、フィリアさん」
 そのまま虚空に消える。「長生きだと便利ですねぇ、退屈せずにすみますか
ら」という呟きと共に。

 街道を旅人がやってくる。鞍に身を預け、のんびりと馬を歩かせている。ヴァ
ルを見つけると、馬を止めて降りた。声をかけられ、振り向くヴァルの金色の
瞳が見開かれ........笑顔になる。

  .......それは、宿命が動きだすとき。新たな旅が始まるとき.....。


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