2001年6月15日
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駿府公園は静岡駅の北側・静岡県庁の隣りにある公園で、江戸時代初頭徳川家康が築いた駿府城址を公園にした。 駿府城址と表現するように城の本丸は無く、復元された巽櫓(たつみやぐら)や東御門などが存在するほか、徳川家康の銅像や家康が植えたみかんの木、生態保存されたD51型蒸気機関車が存在している。 東御門に入ったときは小雨がぱらついていたが巽櫓を眺めているうちに雨も止んだ。(その後雨が降る事は無かった。) |
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駿府公園を出発したのが10時03分のことで年季を感じさせる建造物静岡県庁や静岡市役所、東海道札の辻跡などの旧東海道府中宿を眺めながら西に向かって歩いていく。 この時点では気温も低めで昨日着用していたレインスーツの上着だけをはおった。 このレインスーツの上着が態の良い“アウター”で春先や秋口、そしてこういう梅雨寒の時にはウインドブレーカーの代わりになり保温性もよく心地よい。 レインスーツの役割や昨日のどしゃ降りの雨にしても今後のアウトドアライフにとっては非常に参考になっているのが、まさに今回のウォーキングのような気がする。 |
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府中宿の西端・安倍川近くの弥勒付近を過ぎる頃には気温が徐々に温くなっていく事を感じた。 元祖安倍川もちの石部屋で名物を食しつつ休憩を取ったあと、安倍川をこえる。 安倍川に架かる安倍川橋の西端は東海道五十三次を版画で描いた安藤広重の「府中、安倍川」を思い描いた地点と思われる。 江戸時代当時は政策により大きな川には橋を架けることを禁じたため、ここ安倍川も旅人が越えるときには“川越え人夫”を必要とした。 時が流れ現在の安倍川はアーチ型の鉄橋が架かり、たくさんの車が行き交っている。 |
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川を越えて左手にある高林寺に立ち寄ったのち、歩道橋を渡り国道1号に合流するが約200m歩いた先のもうひとつの歩道橋を越えると斜め左に入る道、おそらくここからが丸子宿(まりこしゅく)だ。 丸子は江戸時代“鞠子”と書いた。 このあたりから完全に汗ばむようになりアウターにしていたレインスーツの上着を脱いだ。 丸子宿の東側はほとんど住宅地で近代の風景であるが、静鉄バス丸子営業所を過ぎるあたりから徐々に江戸時代の史跡が点在するようになる。 |
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史跡をゆっくりと眺めかつ、休憩を取りつつ丸子宿の西側寄りに差し掛かった。 その西側寄りの右手を眺めるとかやぶき屋根の建物。その入口には「とろろ汁」と書かれたのれんがぶら下がっている。 ここが東海道名物“麦とろ”で有名な丁子屋だ。 建物の右手にはこの名物とろろ汁のことを詠った石碑もあり、創業400年の中でいかに旅人を歓喜させてきたとろろ汁のことを伺う事が出来る。 丁子屋で麦とろを食したのち今回ウォーキングで初の大きな決断...バスを使うことになる。(その理由はこのページのあとがきで説明する) 幸いにしてバスは1時間に5本はあるので丁子屋の近くにある丸子橋入口からバスに飛び乗った。 |
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約10分ほどで宇津ノ谷入口バス停に到着する。 バスを降りて周りを見回すと背後には道の駅宇津ノ谷峠、前方の視線には国道1号線新道の宇津ノ谷トンネルの大きな出入口が2つぽっかりと開いていて走行する車は時速80km〜100kmくらいでトンネルを出たり入ったりの光景が展開され、トンネルの中からはエコーがかかったエンジン音がひきりなしに聞こえてくるのと同時に、辺りには排気ガスの香りがうっすらと漂っていた。 歩道橋を渡り旧国道1号、もしくは旧東海道に入り宇津ノ谷集落を目指し“再び歩き出す”。 つづら折のカーブを歩いていくと“宇津ノ谷集落入口”看板が見え、看板を過ぎると江戸時代から続く街並宇津ノ谷集落に入るが、旧街道がきれいに整備“されすぎ”ているのも...仕方が無い事かな?(^^;) その緩やかな坂道に展開される宇津ノ谷の家並は峠の麓の家並そのもので、江戸時代の東海道を偲ばせる家並だ。 |
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集落にある御羽織屋で豊臣秀吉から贈られた羽織を眺めたのち宇津ノ谷集落の坂道を登ると今コースの難所であり最終段階である宇津ノ谷峠の入口に辿り着く。 宇津ノ谷峠は竹林が茂る広めの道であるが、しばらくすると道が狭まり場所によっては木の根が走っていて歩きにくい。 しかし天下の検である箱根峠よりは遥かに楽な感じがしたのも事実で、御羽織屋を出発してから19分で宇津ノ谷峠の最高地点170mを通過していた。 それを越えると坂が下りに変わり、静岡市から岡部町になり、道も一部区間が作業用道路で舗装されている部分もあるので比較的歩きやすくなる。 |
ひげ題目の碑を越えると暗めの道の前方から光が差してくる。 やがて完全に明るくなって坂道が終わるとその場所に「東海道参勤交代の道」の石碑があり、近くに蔦の細道公園がある。 蔦の細道公園に立ち寄り最終休憩(と言うか帰り支度&荷物整理)した後、車の音が聞こえてくる国道1号に向かい、ゴールの静鉄バス坂下バス停に到着したのが15時20分のことだった。 そこからバスに乗り新静岡まで行き、静岡駅から16時34分発ひかり368号に乗り帰路に着いた。 ちなみに新静岡までのコースを逆走したバスの所要時間は30〜40分くらいだったような? ...あっけなく着いてしまうものだ。 |
本日の歩数−トータル27165歩。 立ち寄った場所(主要部分) 石部屋(安倍川もち) |
関連情報リンク
JR東海・東海道ウオーキングトップページ http://www.jr-central.co.jp/service.nsf/frame/toukaiwalking 静岡市ホームページ BACK2001年6月14日「旧東海道・蒲原−由比−興津」へ戻る あとがき それにしても今回の旅は雨にたたられた...まあ梅雨の時期の計画であったので“ある程度の覚悟”は出来ていたのだが、実際には“予想以上の事態”が展開されていたのが事実である。 まず雨の強さ→「雨がしとしと降っている」が「雨がザ−ザ−降っている」し。 ずいぶん前の私のコラムでも記載したが天候によって周囲の様子がこれほど激変する物ということを改めて実感したのが今回ウォーキングであった。 ただ救いだったのは前回の教訓と“ある程度の覚悟”が出来ていたおかげで、山岳用レインスーツのほか折り畳み傘、数多めのタオル、衝撃吸収用ラバーソール、トレッキング用靴下、トレッキング用ステッキ、ひざ用サポーター、そんでもって“バンテリン!”と装備していたおかげでこっぱみじんの筋肉激痛や関節痛は起きなかったし、それより...死なずに済んだ(^^;)ことが何より...大げさかな? 先程本ページの本文述べていたバスを使った理由と言うのは、上記で記した事柄に関連することで、6月15日府中−丸子コースで丁子屋で昼食をとり終え外に出た時点で、時間にして14時近くになっており、このまま歩き続けた場合宇津ノ谷集落到着は16時近くになってしまうことや、夕刻から日の入りにかけての宇津ノ谷峠越えのリスクはきつい物があり、既に私の体は昨日の豪雨の中のウォーキングでかなりの体力を消耗しており、この体力状態では更に時間がかかる可能性は非常に大きいし、マップを見てみると丁子屋から御羽織屋までの重要ポイントは無い。 悔いは多少残るが山岳時で言う「引き返す勇気」の例えを引用し、ましてここでトラブルを起こしたら周りの方々、家族、友人、知り合い、ましてや東海道ウォーキング関係者に多大な迷惑をかけてしまうことになる。 前回のあとがきでも述べた事だが... でも、苦しかった事ばかりではない。 「なぜそんなに旅するの?」と聞かれたら、こう答えるだろう。 「そこに轍があるから...(^^)」...くさっ!...(^^;) この理由はウォーキングだけでなくどんな旅でも通用する。 そんでもってまた懲りずに次のコースへと“リベンジ”する私である。 てなわけでいつもの決めゼリフに参りましょう... いや〜いい旅だったあ〜!(^0^) 2001年6月30日 from macha! Special Thanks(どんなに軽い事でも) 旅の途中携帯電話に「どこにいるの?」メールを送ってくれたり、電話をいただいた 仕事の事だったけど偶然メールを送ってくれて笑わせてもらい、結果良い気分転換にしてくれた。 雨だからとマップを余計にくれた興津駅の駅員さん 御幸亭で手厚いおもてなしをしていただいたおかみさん 明かりの博物館で手厚いおもてなしをしていただいた女性館長さん 桜えびづくしを堪能させていただいた倉沢屋のみなさん 薩埵峠を降りたあと海岸寺のかなり手前で道を間違いそうになったのを手招きして誘導してくれた地元の作業員かもしれない黄色いヘルメットをかぶっていたおじさん 静岡ワシントンホテルのフロントのみなさん おいしい安倍川もちを出していただいた石部屋の皆さん 歴史ある味“麦とろ”で満足させていただいた丁子屋のみなさん 宇津ノ谷集落・御羽織屋のおばあちゃん そして... |