1999年11月7日
碓氷峠・横川3部作完結編
1999・11・7(日)旅行行程
いよいよ旅も最終日、8時00分にAOBAホテルを出発し長野駅の南側にあるマクドナルドで朝食をとって8時24分に出て国道18号線に突入し、8時52分戸倉GSで30リットル給油し8時58分出発。
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最初の目的地、軽井沢駅に到着したのが10時15分のこと。
信越本線の軽井沢駅だった時にはレトロ調で趣のある駅舎だったが、今は完全に“新幹線“の駅舎ですっかり近代化されてしまい、とても残念な気がした。 |
軽井沢駅の取材を終えて車に乗りこみ、いよいよ碓氷峠にアタックをかける。
左手は2速or1速のシフト操作の連続、右手はハンドルの切りまわしの連続、右足はアクセル&ブレーキのプッシングorヒール&トゥー状態、左足のクラッチ操作も小刻み状態、更には道を横切るサルに気をつけ、対向車に気をつけ、首や視線はキョロキョロ状態だ
碓氷峠を降りる時はまさに全身運動なのだが、私曰くこんな感じだから碓氷峠は面白いと思うし、ここを通るたびに「ミッション車乗ってて良かったなあ(^^)」と、つくづく思うわけです。
そうしつつも熊の平に到着したのが10時58分のことで、車を降りて1年ぶりに、旧信越本線をのぞいて見る。
様子を見る限り、熊の平付近に関してはレールも架線も撤去されていないが、レールの錆びが改めて“廃線”されたという実感が込み上げてくる。
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その後熊の平バス停を
眺め、車を走らせ以外にも訪れたことが無かっためがね橋に行く。
横の土手から登りめがね橋に辿り着き、碓氷の山並みの中にそびえたつ2本のアーチ橋が眼に映った。
これは廃止された信越本線の新線なのだが、旧線から眺める新線という表現もどこか複雑な心境になる...それは旧線も新線も廃止されていると言う事実であって、本当の新線は新幹線としてトンネルの中に走っているのだから。 |
たくさんの人々の労力と犠牲によって列車が通ったこの路線、そしてアプト式運転や電車・機関車協調運転という素晴らしい風景を見せてくれた碓氷峠を決して無駄に出来ないと思う私である。
本当何とかならないものだろうか?
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そんなことを思いながらめがね橋を後にし、12時13分横川駅、碓氷峠鉄道文化むらに着いた。
横川駅の周りはすっかり様変わりした。
私自身、横川には信越本線廃止直前、廃止1年後、そして今回と3回訪れ様子を見てきたが、横川駅は機関車連結&峠の釜めしの購入駅から、観光地の駅として生まれ変わっていた。 |
横川駅に活気があることで私は安心したし、これでまた軽井沢まで列車が通ってくれたらと思う私であったが、今後の横川&碓氷峠の運命は“神のみぞ知る”でしかない。
以上のことから今回で碓氷峠鉄道文化むら&横川駅のホームページ取材は完結することにした。
今後の碓氷峠の動向に注目したい。...敷いて言うなら鉄道カムバックしたら、“復活編”として取材を致しましょう!
その後、おぎのやで土産を買って定番通り“峠の釜めし”を食し、14時37分に横川を後にした。
松井田妙義ICから上信越道に進入し、群馬県藤岡市上り7.2kmポスト付近で今回の旅行行程1000kmを達成したのち藤岡JCTで関越道に合流。途中高坂SAで休憩&洗車のためたちより再び走行し、大泉JCTから東京外環道に進入し川口西ICで降りてから、親戚の叔母といとこと会って土産を渡して食事をした後、新井宿ICから首都高速川口線に進入、中央環状線、湾岸線、東関東道を乗り継いで、四街道ICを降り、20時04分38秒自宅に到着し、今回の旅を終了した。
本日の走行距離−310.8km
立ち寄った場所
長野駅南側のマクドナルド、戸倉GS、軽井沢駅、熊の平、
横川駅、碓氷峠鉄道文化むら、おぎのや横川ドライブイン、
関越道高坂SA
関連情報リンク
あとがき
実は今回の旅で訪れた、上高地、野尻湖、戸隠、横川に関して今から20年前家族旅行で訪れた場所でした。
特にその時雄大な上高地、戸隠の自然を見て「いつか一人で来よう!」と子どもながら思ったのです。
まさにこれらの場所が私にとっての“ひとり旅発起の地”だったのです。
当時のルートは、東海道新幹線で愛知県稲沢市にいた叔父の家を尋ね、その日の夜に名古屋から夜行列車急行きそ号に乗って松本で降りました。
松本で松本電鉄に乗り換え、新島々からバスに乗り早朝上高地に着き1日過ごしたあと、長野市の飯綱高原に泊まり翌日、戸隠中社で徳善院そば・極意でそばを食べて、又飯綱高原に泊まったあと、3日目は野尻湖で遊覧船“第3のじりこ丸”で湖上をめぐったあと、黒姫駅からL特急あさまに乗車し碓氷峠を降りて、自宅に帰りました。
時は流れ私の旅も車を使うようになったと同時に、かつて尋ねた場所も変化があった所、変わらなかった所と様々でした。
上高地、野尻湖のようにまったく変わっていない喜びもありましたが、碓氷峠の様にかつて列車で通った線路の上に、今は立っている私自身がいると言うような少々寂しい気分になった場面もありましたが、「いずれにしてもそれが時代であり“時の軌跡”なのだ」と思っております。
旅の途中にメールや電話でお話していただいた方、本当にありがとうございました。
その中のメールで道子さんから頂いた一節ですがこんなお言葉を頂きました。
「そしてできればこのままずっと旅を続けたい・・・と思われたのでは・・・行けるだけ、しかも一人で思う存分自然の中で自分自身と会話できるだけでも幸せなんだぞ!」
とってもありがたいお言葉で、とってもうれしかったです。
その他にもメールを頂いた錦次さん、健司さん、電話で話してもらった宏世さん、喜平さん、久枝さん、順子さん楽しい旅になりましたよ、ありがとうございました(^^)/
この旅の目的は過去の想い出は懐かしむためでなく、未来をより良い物にするため...今回の旅は、まさにその目的が達成できでした。
今後も必ず旅は続けていきます。
それは“ひとり”でもあるし“複数”でもあるし、これからどういった旅が出来るのかはわかりませんが、これからも今までしてきた旅の経験を用いて“楽しい旅”にして行こうと思います。
そのときにはまた機会があったら、My Webに掲載して行こうと思うのでよろしくお願いしますね。
いや〜いい旅だったあ〜!(^0^)
1999年11月29日 from macha!
今回の旅主要データ
旅行通算走行距離....1177.7km
旅行通算時間........112時間04分38秒(旅行時間新記録)
通算燃料消費量....92.78(L)、¥10508−
通算高速料金......¥16200−(¥15000−分はハイカ使用)
Special Thanks
道の駅・奥飛騨温泉郷上宝でアンケートを求めてくれた中薮さん
宝山荘のみなさん、民宿・源作のみなさん、AOBAホテルのみなさん
大正池でシャッターを押してくれたおじさん、白川郷荻町展望台でシャッターを押してくれたおにいさん
第3のじりこ丸船上でシャッターを押してくれたカップル、戸隠奥社参道・隋神門でシャッターを押してくれたおじさん
戸隠神社でシャッターを押してもらい、状況説明をして頂いたご夫婦。
M,I Y,O
K,O H,S
H,T J,T K,T
K,Y&H,Y
そして、もちろん愛車レガシィ!
THE END!
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