3月
3月1日(水)  ゲスト

黒田京子トリオでの演奏が二日続けてあり、一昨日は後半のステージ全部にに喜多直毅(vl)さんが、昨日は前半のステージに1曲だけ海沼正利(per)さんが、いっしょに演奏してくださった。とても楽しかった。

こうして予想していなかった事態に対応できるのが、ジャズや即興音楽の優れたところでもあると思う。それ相応に約束事のようなものや学ぶことなどはたくさんあるし、様々な質を持っているけれど。

「ジャズは認識の至上の方法」と言ったのは武満徹(『音、沈黙と測りあえるほどに』)だが、私がこうなったのはどう考えてもジャズという音楽に出会ってしまったからで、私の即興演奏に対する考え方もそこから敷衍されているものが多々あると思う。こういう日は単純にジャズと出会っていてよかったと思ったりする。


3月5日(日)  廻る時間

去年暮から今年にかけて、どうも”時”が循環した感じがしてならない。

えっちらおっちら、ああでもないこうでもないと、音楽生活を営んできて、新宿ピット・インの朝の部でやり始めてから、かれこれちょうど20年。なんとなく一巡したような気がしている。きわめて感覚的なものなのだけれど。

そんな風に思っていると、思いがけず偶然に、その頃親しくしていた人たちに会ってしまうから、不思議なものだ。亡くなってしまった方もいるのだけれど、その人が再びつなげてくれた関係、生きててよかったと思えるような絆を恵んでくれたような再会もあったような気がする。

亡くなってしまった川崎克巳さんは音響をやっていた方で、私の最初のソロCDの録音をしてくださった方だ。同じく最初のCDがソロだった斎藤徹(b)兄貴と、久々に楽しく話しをする機会を得た。ちなみに、私はこの徹さんのソロのCDを聞いて、ぶっとんだのだった。その後、主として'90年代にずいぶんいっしょに演奏させていただいた。

やはり亡くなってしまった篠田昌巳(sax)さん。葬儀の際、棺の前から離れず、その姿が痛々しい程だった、現在は様々なコンサートなどの制作をやっている人とも、たまたま某喫茶店で会って、笑顔で話した。

今晩はレディー・ジェーンで演奏したのだが、下北沢という町。ここは私が駆け出しの頃、毎週金曜日、長期間に渡って、いわゆるハコで入っていた店があった所だ。頃はバブリン絶頂期。毎週ものすごいお客様が来て、階段にはずっと人が並んで席が空くのを待っていたような時代のことだ。ここで私はスタンダード・ジャズをたくさん覚えた。

そこはいろんな役者さんがよく飲みに来ていて、その時親しくなった役者さんとも、やはり当時よく行っていたコーヒー屋さんでばったり会ってしまった。クロチャン、と憶えていてくれたことがうれしい。店主も元気でなにより。「濃いいのでしょ?」とは、私の好みのコーヒーのタイプを憶えていてくださっての言葉。店は改装されていたものの、BGMは変わらずクラシック音楽で、チェンバロによるゴルトベルクが静かに流れていた。

終演後、ふらりと一人でやってきたお客様も、そのハコでやっていた店で知り合った方だった。すっかり白髪頭になられていたが、お元気そうでよかった。

みな、それぞれ大病されたり、たいへんな時を過ごしてきたようだったけれど、とにかく、生きていて、こうして久しぶりに再び会えたことが妙にうれしい。


3月5日(日)  町のチカラ

ということで、この日、昼間は吉祥寺・サムタイムで、夜は下北沢・レディー・ジェーンで演奏したのだが、吉祥寺も下北沢も好きな町だ。どうも昔から例えば六本木や銀座というような所は肌に合わない。こんな私が浮いてしまうのは、火を見るよりも明らかだけれど。

春の陽気に浮かれてか、いずれの町も大勢の人たちが歩いていて、ちょっと眩暈がしそうなくらいだったけれど、なんだか活気がある。町が生きている感じがした。いずれの町にもちょっと特徴的なのが、駅至近に細い路地が続く、昔からの店が軒を並べているところだろう。それは終戦後の名残のようだが、、かつて中上健次がさかんに書いていたような”路地”の文化、人が行き交う場が息づいている。のが、すてきだと思う。

(現在、下北沢では幹線道路の建設計画が進められていて、その反対運動の先頭にレディー・ジェーンのオーナーが立たれている。太い道路やおそろしく背の高いビルを建設することだけが町の発展につながるとは決して言えないだろう。何が、誰が、町を作っているのか、これは下北沢のみならず、同程度の市区町村のどこもが抱えている問題だろうと思う。)

サムタイムでは日曜日の午後2時開演という昼の部の演奏だったが、店内はほぼ満席なのに少々驚く。それによく聞いてくださっている。演奏中は静かなのだ。それに、小さな子供連れのご夫婦も何組かいて、子供が階段に一人で座って手を叩いているのがなんとも微笑ましい。いい日曜日の午後、という感じを強く受けた。こういう雰囲気になるのは吉祥寺ならではだろうと思う。

かたや、レディー・ジェーンは駅からはちょっと離れているけれど、その距離感がまた良い。この店には夜が実に良く似合う。ちょっとアンニュイな雰囲気で、ほの暗い灯りに照らされた、バーカウンタの人の背中。一言話しかけたら、あのね、と延々と話が続くような。

いずれの店も長年がんばっている店だけれど、店のチカラ、というものもあることを、訪れるたびに感じる所だ。そして、その店は町のチカラ、そこに住む、あるいは足を運ぶ人たちによって支えられている。こうした文化は、残念ながら私が住む町にはない。


3月10日(金)  爪がはじく音

爪が弦をはじいて音を出す楽器。
小型のものを聞いていると、だんだんリュートを聞いているような気分になってくる。震える空気の響きが、そんな風に私を取り巻き、満たす。

つい最近知り合ったチェンバロ奏者のスタジオへ、これまたつい最近知り合った女性2人と足を運ぶ。

普通の大きさのものと小型のものと二台あって、それぞれ鍵盤の数や音色などが異なる。バッハ以前の曲、例えばフレスコバルディを始めとして、イタリア、フランス、スペイン、イギリス、ドイツのむか〜しの曲をたくさん聞かせていただいた。その後、バッハの曲を聞くと、いかにその作曲の構造や音の組織が立派で、構築されたものであるかが、ものすごくよくわかって、その新鮮さに少々驚く。

チェンバロとピアノはまったく違う楽器だとは思っていたが、ほんとうにまったく違う。音の出る構造が違うのだから当たり前ではあるのだけれど、まずタッチ、弾いた時の感触がまったく異なる。(この日は夜仕事があったのだが、感覚を取り戻すのに少し時間がかかった。)

それに当時はそもそも運指(指遣い)が違っていたそうで、人差し指と薬指がもっとも強いとされていたらしい。ピアノを習う時、例えばドレミファソラシドという音階を弾く際には、通常ドは親指から始めて、ファで再び親指が中指の下をくぐって、1オクターブを弾くように覚えさせられる。ところが、当時は人差し指から始まって、あまり親指は使われなかったらしい。そっかあ、それで、フレーズにああいう特有のイントネーションが付くのだと合点する。

また、フレスコバルディなどの楽譜も見せていただいた。現在使われている五線譜に記譜されているものだが、彼女はこの譜面通りには弾いていない。フレーズごとに伸び縮みしていて、かなり揺れており、自由な感じ。それに装飾音も勝手に付けている。譜面の解釈が弾き手によってずいぶん自由になるそうだ。うーん、まるでアームストロングじゃないか、などと思ってしまう。

友人から頂いたチェンバロという楽器についての分厚い本を読めていない私だが、こうやって実際に触れてみると、これまで知らなかった世界に出会った気分で、なんだか胸がわくわくした。

『星の王子様』の朗読とチェンバロ演奏も聞き、おいしい和菓子も頂いて、おしゃべりして。別室にあるピアノで私も何か弾いてくれと言われ、あれこれ弾いて、朗読をする人とも即興でやったり。

それぞれこれから仕事を抱えている女性たちで、夕方に散会。なんとも贅沢な時間を過ごした心持ち。すてきな人たちと知り合えてうれしい。


3月11日(土)  下町人情

昨日行ったチェンバロ奏者のスタジオは、東京は隅田川の西にある柳橋辺り。

女性4人でランチにお寿司。普通の民家を改築した店で、まんず一見さんは入ることはできないような所だが、これが美味なり〜。お寿司を握ってくれる大将と話しをしながら、いい時間を過ごした。一歩入り込めば旧知の仲、というような所は、どこかちょっと京都に似ている。というか、そういう人付き合いがまだ残っている所なのだと感じた。

また、彼女が時々演奏しているというパイプオルガンがある教会にも立ち寄った。そこにはマルク・ガルニエ氏(フランス)が作ったという清楚なパイプオルガンがあり、おまけにチェンバロもあり、グランドピアノもあった。天井も高く、一目でここでトリオのコンサートをやりたいと思ったが、まんず無理だろうなあ。だいたい私たち、神様とは縁遠く、逆に叱られるような人たちの集まり、ってかあ。

夕方、仕事までに時間があったので、中華屋さんに入る。これがまたなんとも下町っぽく、おばちゃんが「おばあちゃんによろしくね〜」などと店員さんに声をかけている。のが、なんだかほのぼのとしてきて、いい。

そして、今晩演奏した所は隅田川の東。ご近所さんもだいぶ顔なじみになってきている様子で、なんでもいろんな人を巻き込んで「両国びっくりばんど」なる、ジャズのビッグバンドまでできてしまっているらしい。さらに7月には立派なホールでコンサートもするそうだ。やんや、やんや。

店の外にはパラソル付きの白いテーブルや椅子が並べられ、ストーブで暖を取る。ちょっとヨーロッパ風な雰囲気を醸し出しているのがいい。みんなでわいわい。

店は狭いが、人の心で温かい。この店は演劇に関わっている人たちがやっているのだが、その昔、アングラ劇場でよく見かけた光景、すなわち「はい、みなさん、あと10cm、左へ詰めてください。サン、ハイ」という感じで、よくまあ、あれだけの人が入れたものだ。今晩も演奏途中で貧血で倒れられた方がおられたが。そんな酸欠状態の中、太田惠資(vl)さんが演奏するお立ち台がさっさと作られている。この辺も演劇人ならではだ。ともあれ、みなさんに演奏を楽しんでいただけたようでよかった。

下町にはまだ人の顔が見える付き合いがちゃんと残っていると感じた二日間なり。


3月13日(月)  忙しい足

アルファー波が私を襲う。不覚にも最後のドビュッシーの曲「フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ」の第二楽章で、ちょっとだけ霧の眠りに包まれてしまった。
その先祖をたどれば石器時代に至るというハープという楽器。
見た目も、その音色も、なんとも優雅だ。

森の中の美しい池のほとりで、長い髪の女性が弦をつまびいている光景を浮かべたりするのは私だけだろうか。それはどこか日本人の西洋への憧れの図の一つかもしれないが、この楽器は世界で様々な形になって生き残っている。

が、しかし。
をを、なんと足の忙しいことよ。
美しいロングドレスに隠された足は、実にせわしなく動いている。右足が宙に浮いた状態になっていることもかなりある様子だったから、あれはさぞかし腰に悪いに違いない。

今晩は宮原真弓さんのハープの演奏会に行く。『ハーフェン・アーベントV』と題されたコンサートで、1993年から始めたという彼女のリサイタルの三回目になる。

彼女が演奏しているハープは、現在もっとも完成された形のグランドハープと呼ばれているもので、その楽器の進化から言えば、現在のグランドピアノと同じような位置にある楽器だ。その楽器の下の方にはペダルがいくつも付いていて、それを踏むことで半音変えることができるようになっているらしい。だから例えば調が頻繁に変わるような曲だと、やたら足がばたばたと動くことになる。

彼女は1989年に東京フィルハーモニー交響楽団に入団して以来、ずっとオーケストラの仕事をしている。パンフレットには「年間を通して百数十回にわたるオーケストラのコンサートは、演奏する私共が選曲することはほとんどありません。今晩はそういう意味でも”遊”の副題のとおりに楽しく演奏できれば、と思います。」

うん、楽しい、いい一夜だった。ハープの音色に満たされ、その音楽を充分に堪能した時間を過ごした。私には二台のハープで演奏されたサルツェード作曲「タンゴ・ルンバ・夜の歌」が一番印象に深く残ったかもしれない。ハープという楽器の特徴的な奏法や音色が、曲の中に鮮やかに散りばめられていたように感じられたからだと思う。

それにしても、そっか、演奏する曲を自分で選べない音楽生活というのは、常に曲を選び、否、曲をすら選ばないで演奏することも多々ある私とは、ずいぶん違うのだなあと、あらためてしみじみ。最初からそういう世界にいれば慣れるのだろうけれど、これまたジャズに出会ってしまった私、さらにそれからだいぶはずれてしまっている私には、到底考えられない世界のように思える。


3月14日(火)  命の軌跡

「感じる」ということには差別がない。これを描いてはいけないとか、ここに青い色を塗ってはいけないとか、他人からとやかく言われることなく、絵は自分の思う通りに描ける・・・。

・・・私は絵で自己主張をしようという意志もなく、名を揚げようという気もなく、心に響く美しいものを記録しながらここまできた。・・・自分を表現するのが芸術家なのだろうが、私には隠匿癖があって自己顕示欲が乏しい。

一般に画家は、一つのテーマを一生涯かけて掘り下げ、その人固有の画風を持っていることが多いのだが、私と絵の関係はそうではない。意識しているわけではないが、その時その時をどう生きているか、その痕跡を絵に表すので、一貫した画風が私にはないのだ。結果として画風が様々に変わって見えても、それらはすべて私自身なのである。

これらの文章は、堀文子さんの画文集『命の軌跡』(ウィンズ出版)の最初の文章「画家への道」からの抜粋したものだ。

初めて堀文子さんの絵に出会った時の衝撃は、今でも忘れることができない。母に誘われたデパート系のバス・ツアーの一泊旅行でのできごとだったが、この作家の作品にものすごくひっかかった。みんなは絵の前を適当に通り過ぎて行ったが、私は歩みを進めることができず、さらにその展示室を何度も行ったり来たりした。

時を経て、今、その時の直感のようなものは間違っていなかったと思う。というより、私のような者の中に何故あれ程までに深く響いたのか、根本的な何かが問われたような気持ちになったのか、が少しずつわかってきた気がする。

それは、多分その在り様がどこか自分に似ていて、私の身体が作品に共鳴したからだと思う。って、今年米寿を迎える大画家の方に、甚だ僭越なのだが。


3月19日(日)  ナイス・ガイズ

先週は若いミュージシャンたちの演奏を二つほど聞きに行った。

16日(水)は、鬼怒無月(g)さん率いるユニット・SALLE GAVEAUの演奏を、調布・GINZへ聞きに行く。ポスト・タンゴ、否、ご本人曰く”プログレ・タンゴ”ということだったが、ミニマム的タンゴあり、7拍子タンゴあり、アンサンブルが良かった。風が強く、雨も降っていたので、出掛けに迷ったが、充分に応えてくれた演奏だった。

鬼怒さん、喜多直毅(vl)さん、佐藤芳明(accordion)、鳥越啓介(b)さん、林正樹(p)さん、若き先鋭たちという感じで好感度抜群。お店もギャルがたくさん。みんなほんとにナイス・ガイ。と、言うのは「黒田さんだけっすよ〜」と笑いながら鬼怒さんは言うけれど。あんら、やっぱりナイス・ガイよん。

18日(土)は中村真(p)さんのソロ・ピアノを聞きに、渋谷・公園通りクラシックスへ。CD発売記念ライヴということのようで、曲はスタンダート・ジャズのナンバーの他に、オリジナル曲も交えての演奏だった。

つくづく、ソロは裸になることだなあと思ったり。ピアノの音色や響きに神経を使っていることはよくわかった。が、細かいところがいろいろ気になった。今度会ったらあれこれ話ができるとうれしいなと思う。

今春は自転車で地方を回りながらソロ演奏でツアーするとのこと。その音楽に対する果敢な姿勢も、これまたナイス・ガイ。


3月21日(火)  己に立腹、己に迷い

19日(日)、仙台にあるケリーという小さなお店で、佐藤弘基(b)さんと演奏。このお店、1979年以来続いているとのことだったが、全然知らなかった。このデュオは仙台にある居酒屋のマスターが仕掛けたものだが、その方もこうした企画を既に25年間やっておられるそうで、そんなこともちっとも知らなかった。

佐藤さんとは初対面。3人のお子さんがおられるとはとても思えない、少女漫画に出てくるような好男子。彼とは前もってCDの交換やメールでのやりとりをしてはいたが、実際にいっしょに演奏するにはちょっと準備が足りなかったかなと思う。

前半・後半で入れ替え制のライヴだったが、特に前半に来て頂いた方たちには申し訳ない演奏内容になってしまった、と反省しきり。佐藤さんは相当テンパッている様子だっだが、とにかく彼がどうしたいのかという気持ちが感じられず、久々に少々いらいらした音を出してしまった自分を猛烈に反省。まるで人間ができていない。これはひとえに私の人間の小ささによるもので、彼の良いところを引き出せなかった自分の人間の狭さを痛感。後半は彼の緊張もだいぶほぐれ、二人の会話が少しでき、音楽をいっしょに創れたかなと思うけれど。

20日(月)、トリオのライヴの前に、今秋のジョイント・コンサートの日にちと場所を決める。

  10月5日(木) 大泉学園ゆめりあホールにて。
  みなさん、ぜひ応援に来てくださいませ〜。
  詳細はこちらへ
  http://www.ortopera.com/ortmusic/2006.html

友人は言う。「誰を対象にコンサートをするのか?」非常に考える。私が居る場所はきわめて小市民的、プチ・ブル的か?(って、死語?)

そしてトリオで演奏しながら思う。このユニットの演奏はなかなかオーソドックスなんだなあと。(悪い意味ではない。)新曲がある場合、概ね初めて演奏する時は何故か良い演奏になるから、実に不思議で稀なユニットだ。それだけ曲に対して、即興で応じる力が高いということなのだろうと思うが。で、どこを、何を目指すのか?2枚目のCDを出すなら、今ひとつ方向性が必要か?

21日(火)、とても久しぶりに伊藤英司(vo)さんと演奏。ベーシストはこよなく歌うベースマン・松島憲明(b)さん。伊藤さんはマーサ三宅ヴォーカル・ハウスの先生をやっている方で、譜面をきっちり書いておられ、演奏もその通りにやらなければならない。ご自分で弾き語りもされるとのことだったので、おそらく普段やっておられないような感じで出したイントロの曲では、少々とまどっておられたご様子だった。が、とにかく、3人で人に聞いて頂くことができる音楽を成立させることが大事。

ここで、イチローが登場する。どんな状況にあっても、自分が置かれている立場がどうであっても、あっぱれ、その”プロ”としての仕事ぶりに、おおいに感動し、刺激を受ける。野球の天才とは言い尽くされた言葉だが、その抜きん出た技術や運動能力以外にも、常にチーム全体のことを考えている人間性が素晴らしいと思う。そして、なにより品格がある。イチロー選手は王監督のことを、そう言っていたが。

大リーガー・イチロー選手は、華々しい活躍の陰で、米国では相当な差別を受けているとも聞いている。私は今回のWBCにはイラク戦争と似たような感触を抱いている。世界中で米国が一番優れているわけではないだろう。いい加減アメリカも目覚めるべきだ。

さて、これから苦闘の日々だ〜。一ヶ月を切ってしまった。コピーした譜面を持ち歩く日常になった。ものすごいプレッシャー。ほんとに弾けない私は誰?


3月29日(水)  ペダル

指が動かない。右手と左手が合わない。弾けない。憶えられない。

右手のトップの方ででメロディーを弾きながら、同じ右手の余った指たちが他の動きを要求される曲も、歌えない。

と、ないないづくしの練習の日々。飽和状態に近づいているか?

ドミソ、と三つの音を重ねて、ピアニッシモで弾こうとすると、自分のどこかが震えているのがわかる。怖い。ただそれだけのことでも、とっても難しい。

そして、問題はペダル。これがまた難しい。指の動きと、足の先の細かい動きと、自分の呼吸とが、ふっと自然になった時、ピアノの響きが一番美しく豊かになっている気がする。

仙台に行った時お会いした調律師の方が、ハンク・ジョーンズ(p)の演奏に立ち会ったという。あのピアノが「まるでベーゼンのような響きだった」そうだ。よく見ていると、左のソフト・ペダルを多用していたという。

ジャズ・ピアノを習っている頃、ハンク・ジョーンズの演奏をよく聞いた。他のピアニストと違って、私には音色やサウンドが大きく異なって聞こえてきて、何故あのような音楽になるのかとずっと思っていた。手が大きいと、ああいう風なサウンドになるのかなあと漠然と思っていたのだが、その話しを聞いて合点がいった。

ジャズ・ピアニストでソフト・ペダルを多用している人はそう多くないと思う。むしろその逆で、強い気持ちが有り余ってか、かかとを浮かして、ほとんど体重ごとペダルを踏みつける人はいるけれど。何のためにペダルを踏んでいるのだろう?私には理解しかねる奏法(というより表現の仕方)の一つ。


3月30日(木)  表現のはしとはし

夜、両国・シアターカイへ、ジャン=イヴ・ピック作『バベル・ワールド・カンパニー』を観に行く。これは国際演劇協会が主催する「ITI 世界の秀作短編研究シリーズ:フランス編」の一連のシリーズの中の一作品で、長年関わっているトランク・シアターの代表が演出を勤めたり、知り合いの役者さんたちが出演している。

トランク・シアターが”あちゃらかカバレット”と称して発表している作品とは対照的な仕上がりになっていて、普段はブレヒト作品などを中心にしたドイツものが多い中、今回はセリフ中心、身体表現が少し伴った、フランスものに挑戦したという感じ。

とはいえ、かつてドイツ表現主義の作品を採り上げた時も、けっこう抽象的な演出をしていたから、カリカチュアされた世界への憧憬と、現実的なカバレット形式への夢想は、もともと演出家の中に眠っているものなのかもしれない。

その後、新宿・ピットインへ、田中信正(p)さんのユニットの演奏を聞きに行く。トリオ(ベース、ドラムス)での演奏と、神田佳子(per)さんとのデュオでの演奏との間には、彼の表現したい音楽の両極が見え隠れしていたように感じる。

トリオの演奏は変拍子を多用した、アグレッシヴな、いわゆる”燃えるジャズ”を感じさせるものだったが、神田さんとのデュオでは音色やピアノの響きを楽しんでいるように思えた。実際、神田さんが奏でる楽器(音色)の選択とタイミングは抜群。

一人の人間の中には、様々な表現への憧れがあるように思う。それをどう他者へ伝えるか。それはその人がどれだけ自分自身を問うているかの分量に寄るように思える。




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