なぜ私は必殺技を覚えさせないのか? 装備にこだわるのか? ・・・そういうことを愚かにも思索していくと、おぼろげながらあるところへとたどり着きます。 それはゲームにおけるイメージの世界です。イメージは絶対的に無限で無条件なのですが、 だらこそ互いに矛盾し合うんですよね。純化された世界ではわずかな歪みさえ許されない、 ここでの歪みは主として「作品に定着した世界観としてのイメージ」と「自分なりの可能性としてのイメージ」との間のものです。 これは以前、冬人さんもおっしゃっておられました。私もほぼ同感です。 私の場合、とくに生来のロマンチストということもあって両方のイメージが際限なく増殖し、やがては互いの領域を侵し始めるようになります。 そこでイメージの自己崩壊を起こさないためにも、どこかでこの折り合いを着けなければならないわけですが、 これが非常に難しい、折り合いと言うからにはどこかで折れないといけない、弱い部分が自然と折れるんですが、 でも私はクリエイターが送り出した、最初からある世界観としてのイメージを壊したくないので、自分なりの可能性、 早い言葉で言えばゲームシステムの汎用性、自由度に妥協してしまうのです。 そうすることでイメージは守られるのですが、ゲームシステムの選択肢が狭まると、 世界観自体が狭いものになってしまいますよね。私はゲームプレイヤーとしては下手なのでしょう・・・。 これは私にとって永遠のテーマです。ファーストインプレッションは大切ですし、 フリートークの方ではさんざん言っておきながら、誰よりも受け身なのは私なのかもしれない・・・。 ゲームと世界観が同時に存在すること自体が矛盾している? ・・・これはRPGの本質のはずなのですが。
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