EPISODE:6 混沌に至る諍い、そして
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1989年12月
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JP4とタイヤの焼けこげた臭い。
漣はいつもと同じようにエメラルドグリーンの沖合から打ち寄せている。
スラストリバーサーを解除し、アイドルに絞られたタービン音が残滓の余韻を機体に
響かせて客室内の静寂を強めている。
どれ程の時間だったのであろうか。
どれ程の時間でしかなかっただろうか。
ゆっくりと顔を上げ見回す乗客たち。
海まで残り4m弱。
命拾いしたというのに、やれやれーと不満げな表情を浮かべ自問自答するキートン。
「人は死ぬ瞬間、人生が走馬燈のように駆け抜ける、と言われているけれど何もない、
あ~あ、明日の朝刊に日本人客犠牲者1名と出るのか、やだなあ、と思っただけだ」
――と。
「見てきた人が言っているんじゃ無い訳だし、作家の産物だな、これは」
窓も、外壁もない、到着カウンター&ゲート(実は出発カウンター&ゲートでもある)
出迎えの人々と、乗客たちの一時の感涙の幕が開いて喜びの喧噪が爆発した。
眼前のカリブ海はいつものように潮騒を寄せては返し、柔らかな匂いと強烈な日差し、
椰子の木陰も年々歳々繰り返している。
売店でペプシを飲み干しロビーから外へ出て、ふと振り返る。
「…」
まあ、いいさ、と肩で話したキートンはタクシーを呼びつけ、市内のホテルへ向かった。
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時間軸は遡る…
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アメリカによる、パナマ陸軍ノリエガ将軍逮捕を目的としたパナマ軍事侵攻は
明後日、ビザの更新の為の一時出国&再入国と年始休みのためにパナマを訪れ
る事になっていたからであり、午前中は局舎で仕事を、午後からボゴタに移動して
明日出発する予定だからだ。
「世の中、簡単にはいかないって訳か」
早速ボゴタの現地法人に連絡し、エアチケットの解約、行き先の変更手続きを
開始することを確認し、午後は予定通り移動することになった。
コロンビア国内はアメリカを積極的に指示することはなかった。
「世界の警察、そういうもんか、侵攻することが」
パナマの現実が判るのは帰国後である。
12月上旬の月例報告で上京(サンタフェ・デ・ボゴタへ)したキートンは駐在
スタッフと年末の予定を話し合い、ビザ更新のスケジュールを組み込んだのだ。
行き先をパナマにしたのはそこが自由貿易:関税のない;地域だからだ。
つまり、駐在員からの依頼物品の購入も含まれていた訳である。
関税がなく、なおかつ店主との交渉で安く値切ることも可能だからだ。
早速、ボゴタ現地法人に到着するなり階段を4階まで上り社長室へと入っていく。
そこで、行き先がパナマからエクアドルの首都キト(Qito)に変更になった旨を聞く。
2階に降り、そこで駐在員と経緯を話し合い、チケットと工事関係者も2名、ビザ更新で
同行することを聞かされた。
「いや、別に構いません。多い方が楽しいですし、
エクアドルに詳しい方がいる方が迷いませんから」
「3階にいるから会ってくればいいよ」
「はい」
「それと納会もやっているから後で顔見せろよ」
年末年始のスケジュールを調整してコロンビアに再入国後、社長宅での新年会に
出向くことを打ち合わせ、9時を廻った夕食をしめて近くのホテルへとキートンは
徒歩で帰った。
「観光ぐらい、出来ればいいな」
月に一度の日本食を思い出しながらベッドに寝入った。