Paster Keaton Essay「Airs」

EPISODE:11 引き潮の時

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 食事も食べた。映画も見た。
 エクアドルのキト(Quito)−リマ(Lima)間の行程は
航空路に従い、約1400kmを高度3万6千フィート
から4万フィートの回廊の中を飛行する。
 5千m級、6千m級の活火山が点在する雲海を越え
て土漠の中に薄靄に淀んだリマ港(日本の遠洋漁業で
南米沿岸で操業する際はリマ港をメインに活動する)
に無数の船舶を確認した後、リマ国際空港へと機体は
進入した。

「昼ですね」
「ああ、昼だね」
「まだ昼なんですね」
 コロンビアへのトランジットの為、キートン達3人は空港内
トランジットルームへ進み入る。
 新年の為か、空港内はひっそりとしている。
 店終いしている土産物売場やバーカウンターなどみるとこの
国の景気の悪さを見るようでもある。
(註:あの元フジモリ大統領が当選するのは翌年の事である)
 軍政が長かったためか、空港は郡民両用でありながらもエプ
ロンに並ぶ機は軍用機が多い。
「ここで2時間近く居なきゃならないんですね」
「2時間しか、だろ」
「すぐですね」
「時間、何処にも表示されていませんよ」
「アナウンスがあれば乗ればいい」
「そうですけれど、退屈だなあ」
 と言い終わらない間にキートンは待合い席にドサッと腰を
下ろした。

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 今、南半球でより南極よりの場所に来て入るんだ―――、
とキートンは感慨に耽る。後にニュージーランドにて更に高
緯度に南下(北半球の感覚では赤道に近づく)することになる。
ここで様々な旅の経験をするのだが本章では割愛する。

 コロンビア行きのチェックイン手続が行われ出したのか、
待合い席に人が増えだした。
「それにしても少ないなあ」
 コロンビア−エクアドル間の首都間は直線距離でも2千kmに
達する。空路上は直線で飛行する訳ではないので2300kmを
凌駕する。これは東京−グアム間相当の距離である。

「長いなあ」

 一人増え、また一人増えて暫く増えない。

 一人増え、また一人増えて暫く増えない。

 出発30分も前になるとようやく待合い席が埋まりだした。
 だが、それでも少ない。
 時間感覚は日本から南米感覚にシフトしていたのでキートンは
”ああ、やっとか”としか思わなかった。
 それでもくだんの日本人観光客からすれば”長すぎる”となる
のだろうか。

 リマの空は晴れていた。

 タラップを上り機内に入り込む寸前、振り向き外をキートンは
見回した。惜別であろうか。

 新年の午後の日差し、曇り空の多いリマにあってはまれにみる
晴天であった。
 海が近いにもかかわらず、土のイメージを強く感じるキートン
だった。

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 エプロンを通りタキシーウェイに着くまでの間、額を窓に押し
つけるようにし、格納庫の軍用機を網膜に網羅しようとする。
 古い米軍機や旧ソ連機の戦闘機、軽爆撃機(B.68キャンベラ、
30年以上昔の機体だ)を見つけ喜ぶキートン。その当時の政治
状態が如実に現れる軍用機に冷戦時代のドクトリンとパックスア
メリカーナを感じ取っているのか。
(註:95年にペルー−エクアドル国境紛争が空陸で発生。紛争
地域エクアドル領内を爆撃したのは、そのキャンベラである。数
日でケリは着いたが制空権はペルー側が敗北。俗にセネパ渓谷の
空戦と呼ばれる。フジモリ政権への軍部の発言強化となるが逆の
意味で軍部への発言力強化ともなる。エクアドル側のイスラエル
IAI製クフィル戦闘機の購入問題もあり、国際政治問題化。
詳細は航空情報96年12月号を参照。

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 3時過ぎにようやく離陸したキートン達の乗機。
 雲海の遥か向こうには沈みゆく西日が見える。
 茜色に波打つ波間に漂う火山の頂き。
「これを美しいと云わずになんと云おうか」
 原始の地球では海はなく、猛り狂う火山と吹き荒ぶ嵐の雲上は
このような情景だったのだろうか

 結局、キートン達が帰国し、新年会に出向いたのは夜になって
からであった。

to be continued !!

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