「らぶエヴァ・リターン」


Kap.U「遡航」

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 帝国圏歴 AE465年
 グレゴリオ歴 AD3037年
 イェオバ歴 EH26563年
 自由連合歴 UC887年
 LLaPisLs歴 36282年頃

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 ウルヴァシーに着て四日目の夜、十一時過ぎ。

 堆く積まれた疎開船団搭乗に必要なオービタルシャフト港湾部や各疎開住民の
分布ブロックを出力した資料に取り囲まれるようにしてシンジは眠り込んでいた。
「――こんな所で寝たりしたら風邪を引くわ」
 その言葉に目が覚めて起き上がるシンジ。
「良かったら、どう……!?」
 ホロスクリーンがスリープ状態から再表示されてくる中を通り抜けて白百合の
ような手で淹れたばかりの紅茶を紙コップで差し出すレイ。
「あ、ありがとう、その、あや、綾波さんも残業?」
「レイ、でいいわ」
「いや、悪いよ、それじゃあ。
綾波も居残りなの?」
「半分がようやく済んだところ、碇くんは大丈夫?」
 紅茶の甘い匂いだけがシンジの鼻腔をくすぐった訳ではいようで少し浅く息を
吸い込むシンジ。
 奇妙な感覚にとらわれながらも紅茶で三口ほど喉を潤せてから返事をする。
「スタッフの皆が優秀だからね、ただ今日中に確認しておきたいことがあって、
 それに手間取っていただけさ」
「そう……、
 それじゃぁもうティキちゃんが眠っている時間だから
 碇くんも早めに切り上げてね」
「ええ、そうしますよ」
 あと三十分ばかりで済ませていこう――と端末に向かい合い紅茶の紙コップを
口許に運んだ手が止まった。
「ティキちゃん?何?聞いた憶えがあるけれど、何だろう?」

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≪メンタル領域の脳波分布が高揚状態です≫
 医療メイカーのナノボットからの測定結果が自室卓上端末のホロスクリーンに
表示される。
 瑠璃色のブレスレットを左手首に着けて軽く指先を動かすレイ。
『支障は無い、筈でしょう?』
 体内ノードに返事をするレイ。
 視神経に交絡された情報がサイコンとして順次表示されていく。
 ホロスクリーン上には体系化された結果のみが表示され、レイの視覚野上には
ホロスクリーンと重なるように映っている。
『ティキちゃん、の意味は判る?』
≪私の名前ですか?≫
 体内ノードが視神経経由ではなく、ホロスクリーン上にアイコンを表示させて
考え込む動作をする。
『いいえ、そうではなく、言葉そのものの意味よ』
≪私はあなたの体内ノードとして機能する以前の情報へのアクセスは出来ません≫
 深層域の記憶を体内ノード経由でも見ることは出来ない。
 記憶、ではなく想いの領域は量子化を維持していないと体内ノードといえども
再現は困難なのを思い出す。
『バックアップを受ける前のメモリーはない、ということ?』
≪はい、あなた自身が名付けたのですから≫



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 ウルヴァシーに着て八日目。

 航路確保を疎開船団と同行したラグニッツァがシャフト頂上部の港湾ベイに
着接した。
「シンジったら何処に居るのかしらん」
 入管手続きを終えたアスカが子栗鼠のように機敏な動作でリフトグリップを
掴み横へと降りていく。
 疎開船団関係者が詰めているフロアを覗くがシンジの姿は見当たらない。
「実務じゃないから下に居るのかしら」
 散々探し回った挙句、一足早く仕事を終えていたことを知らされる。
「っまったく、そうならそうと携帯に入れておいてくればいいのに」
 知らされた宿舎に連絡をしてみたが不在で、携帯も連絡がつかない事に
溜め息をつくアスカ。
「次のシフトまで時間があるわね、市街に降りてみようかしら」
 現在のウルヴァシー植民人口は300万人程だった。
 街路を散策しながら見回してみても開発途上の小規模な街のように感じる。
 疎開が決定してから慌しい様子だが人々の営みに未だ落ち着きが見受けられ、
疎開の準備は整然と執り行われているようだった。
 名残を惜しむように繁華街に繰り出している人々の様子を眺めながら、伏せ目
がちになるアスカ。
 びゅっ、と吹いた風に髪が乱され、顔に纏わりつく。
 解くように髪を手で梳くいながら視界の中にシンジらしき姿が飛び込んできた。
「シンジ!?」
 思わず足を踏み出そうとしたのだが、シンジが楽しそうに談笑しながら食事を
知らない女性と摂っているのを目の当たりにして立ち竦んでしまう。
「あんな顔、もう何ヶ月も見せてくれていないじゃない……」
 下唇を噛みながら嫉妬と自責と逃避と文句の言葉がジンバルを鳴らすように
高まっていく。
 胸ポケットに入れた携帯に着信が入り、そのレストランに背を向けるように
して取った。
「――はい、判りました、今、市街に居ます、はい、すぐ戻ります――」
 携帯を切って暫く瞼を閉じていたが、思い直したようにキリッと表情を直して
小走りで戻っていくアスカ。
 その姿を見送るようにレストラン“きたきつね”のホロ看板にキタキツネが
踊っていた。

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「彼女凄いわね、両手で別々の端末操作をしながらホロスクリーンへの視線入
 力もマルチで行うなんて、どおりでシンジの御相手に指名される訳ね」
語尾に皮肉の棘をちくちくと含ませながら言い放つアスカ。
 アスカの不機嫌さに心当たりのないシンジは
「そうかな?」としか返事をしない。
「碇君、作業進捗についてだけど、船団Fブロックへの貨物搬入の手配が遅れ
 ているみたいなの、この間に先回し出来そうな工程を選出してみたのだけど、
 警備隊として問題あるかしら」
「この件は僕も気になっていたんだ、
 あ、この案だと上手く捗りそうだ、凄いな、綾波は」
 さり気無く敬称を付けずに相手の名前を呼んでいる事にアスカの耳がピクピ
クッと動いた。
 よくもいけえしゃあしゃあと恋人の前にそんな態度がとれるわね、と片眉を
引き攣らせながら作り笑顔で
「ごめんなさい、私、これから打ち合わせがあるの、じゃあ」
とそそくさと離れていった。



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 ラグニッツア内自室でメーラーを立ち上げているアスカ。
『――あ、僕だけど、ゴメン、
 搭乗ルーチンの調整で夕食は一緒に摂れそうにないんだ、ゴメン明日に――』
『――明後日のシフトは深夜帯だったよね、出向前に時間、取れないかな?
 取れたら連絡を――』
『――ゴメン、少し遅れそうなんだ、
 今から打ち合わせなんで後からメール入れておくよ』
「はい、綾波です、碇くんなら頂上ブロックに調整に出掛け――」
 ホロスクリーンを切るアスカ。
「シンジの馬鹿……」

「またメールだけだ…
 出掛けているといったってライブにする時間ぐらい許可されている筈なのに」
 パームトップのホロ画像を再生するシンジ。
 航路計算と宙域警備で多忙を極めるアスカとすれ違いの日々の中で次第に
綾波レイに惹かれていくシンジ。
 接する時間が任務の都合上多いとしても時折、レイの仕草に見とれてしまって
いる事に気付く。
「どうしてかな、どうして綾波と居ると落ち着くのだろう、
 アスカとは違う何かの安らぎを感じる、
 昔から知っていたような、そんな気がする…」
 アスカから直接でなく、それとなく糾弾されて冷や汗ながら弁明するシンジも
心に感じる奇妙な揺れと震えを解明したいと思い出す。
「やばいなぁ、アスカとの時間を作らないと」



◆◆◆◆◆◆◆

 混乱し錯綜し衝突と渋滞とを繰り返す記憶の断片。

 擬装された記憶。
 亜光速状態で光の鳥となる巨大な単座戦闘艦の基底ブリッジに浮かぶ全天球殻
内プラグに座る14歳のレイ。
 双頭の鷲の如く艦隊を食い破る猛禽となるサイコミュ・ビット艦を撒き散らす。
『私は一方的な虐殺をするだけの人形でしかなかった…』
 まるで箒で落ち葉を掃くように薙ぎ払い、蹂躙し、残骸へと化していく。
 モザイクを掛けられて部分的に削ぎ落とされた幼少期の記憶。
『私には何があるというのだろうか』
 波打ち際に作られた砂の城のように時間の波と共に崩れ去り、
 かき消されていくのだろう。
 ロストテクノロジーのナノボットにより生体改造と遺伝子操作を受けた身体は
 戦闘兵器の核として純化した代償に感情の発露を著しく阻害した。
 超感接続の彼方に飛ばされた本当の自分。
 痛み、苦しみ、悲しみ、憤り、そして喜びと慈しみと愛しみ。
 それらをどうすればいいのかが分からない。
 この姿でさえ本当の自分と同じなのかすら判別出来ない。
『でも、碇くんと居ると何か眠っていたもの
 隠されていたもの、亡くしてしまったものが、
 呼び覚まされるような、甦って来るような気がする』

 室内時計に偽装していたホロ映像が体内ノードからのディスプレイへと切り
替わる。
≪記憶ロック、深層域へのサイコパス障害があります≫

          続劇         -PasterKeaton©2001-


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