いつもの菓子店の中で瓶詰めの飴やココアの菓子を選ぶように見入って
いくように見えるミサト。
「それで――」
ちらり、と目配せをしながら左手をガラスケースに乗せて二度、三度と指先で突付く。
「やはり電信は中継所より先は音信不通です。
オルムシュターで破壊されていると思われます。昨夜の逃亡劇も絡んでの事でしょう」
外の様子を伺うようにしながら怪訝な表情を露にするミサト。
「それは、多分、違うわ。夕べの残った男に訊いたのだけれど、州都から真っ直ぐに来た
らしいから送り狼にで
もされたようね。いいダシに使われたのよ」
「やはり目的は国境方面でしょうか?」
背中で聞きながらも表通りの人気が不穏であることに不安を隠せないのかしきりに人気が
集まる方角を確かめようと背伸びを繰り返す。
「兎に角、もう一度シンジ君たちと話し合わないといけないわね。
あの優男のカヲルとの関わりも確認したいしね」
それから30分ほど経過した頃の教会の中。
「しかし、まさかこないな事になるとは思わなんだわ」
トウジがカーテン越しに教会の周囲を見やる。
「…ゴメンね、シンジ君、トウジ君、加持の余計な一言でこんな事態になってしまって」
しゅんとして、済まなさそうに頭を下げて詫びるミサト。
事態を有利に働かせるつもりが逆に不利になってしまったのが歯痒く、片手で顔を押える
ように当てる。
「まあ、そんなに気にせんでよろしゅうがな、ワイもシンジも気おりまへんがな」
難儀な事もシンジとでなら大した事ではないと屈託の無い表情のトウジ。
その奥の戸口から傷の手当てをしたシンジが出てきた。
「怪我は大丈夫なの? シンジ君?」
「大したことはありません、掠り傷ですから」
左眉上に貼られた絆創膏と左手の包帯が痛々しいが、まるで仕事の怪我のように笑って返事を
するシンジ。投げられた灰皿が当たったのと金具で殴り掛られた綾波を庇って負った傷である。
「しかし、いくら焚き付けられたといってもあそこまで怒り狂うか」
その時の押し寄せる群集の表情を思い出し、顔を顰めるトウジとヒカリ。
「そうよね、まるで憑り付かれているようだわ」
一緒に追われるようにして逃げ込んで来たヒカリが見知った人々のあまりの豹変ぶりに怯えの
影を顔に射す。
「それはきっとカヲルが仕組んだ事であろうな」
最後に戸口から出てきた冬月牧師が朗々とした口調で断定する。
「でも、どないな風にしてでっか?」
『さてさて、シンジ君、レイ、君達はどう動くのかな』
教会周囲の様子をまるで傍観する劇作者のように離れた保安官事務所前から眺めている加持。
きっかけはある短い言葉を加持が呟いた事だった。
そして、
「もう隠す必要は無くなったのじゃないのかい、碇シンジ君。
君がゲンドウの息子として、この町で何をすべきなのか、
町のみんなに示すべきなのではないのかい?」
昨夜の騒動を口伝えに聞いた者やその場に居た者達の何人かが繰り返すように
「ゲンドウ、シンジ、ゲンドウ、シンジ」と呟きだしていく。
次第にみるみる表情に翳が差すように頬が扱けて眼圧の高まりで血走った眼は、今にも飛び出し
そうな勢いでギラギラと陰鬱な光を漲らせてシンジ達を取り囲み出していった。
問い詰められたシンジは只一言、「そうですよ」と答えただけだった。
まるでそれが予想された出来事のように動じないシンジとレイを暴徒と化す寸前にミサトとトウジ、
ヒカリが二人を連れて教会に逃げ込んだのである。
『さあ、もう君達の力を隠す必要はなくなった筈だ。だが、これからどうするかは君達次第だ』
愛馬に跨り、軽く敬礼を教会に一瞥すると脇腹を蹴って馬を駆け出させていった。
その数十時間前、州都のある酒場にて。
酒とタバコと喧騒の匂いを咽ぶほどにうすく澱んだバーの人込みの中を恰幅の良い男と肩幅の
広い長身の男の二人がカウンターまで縫うようにしながら近寄ってウィスキーのグラスを2つ注
文しながら男臭い人いきれの様子を見回した。
「おい、ジャック、あそこ見ろよ」
長身の男が傍らの相棒に顎をしゃくるようにして目線の先を示した。
「また女か、ほう――、珍しい奴が居たもんだな」
互いに掘り出し物の骨董品を見つけた古物商のような含んだ笑みを洩らしながら旧友を見つけ
た知人の仕草のフリをしながらそのテーブルに近付いていった。
「こんな所で会うとは珍しいが、久しぶりだな」
ジャックが先に座りながらグラスを傾けている加持に挨拶をした。
「おや、お二人さん、久しぶりですな、ここへは仕事で?」
ポーカーの札を切るような口調で加持が訊ねると長身の男が
「俺とジャックは仕事の帰りでね、一杯呑んでいこうとしたところさ」
と言い終わらない内に口に煙草を咥えてマッチをテーブルで擦って火を点した。
「そっちこそ危ない橋をまだ渡り続けている顔をしているが違うのか?」
「さあて、ね…。ただ知りたいだけさ。
ジャック・ウァルドマンとスパイクス・ジーレンベルグという二人の男と知り合った直後に赴
いた町に訪れた少年と少女の真実をね」
グラス半分の琥珀色の液体を中に入った氷に絡めながら交互にジャックとスパイクスを見返し
ながら話す。
「その分では知っている匂いがするが、止めておこう、きっと今日のポケットでは払えきれない
位の運が必要かもしれないからね」
悪びれた様子でもなく、ウィンクをして締めくくった加持。
「相変わらずの饒舌ぶりだな、女にはベッドの前の寝物語を男には拳のためのリングアナウンスを、か」
スパイクスの皮肉に目線だけを周囲に回していたジャックが嬉しそうな口調で
「ギャラリーはどうやら俺達のではなくて、お前さんのらしいな、ちょいとばかし、残念だ」
三人を背中で覗うようにしている男達と行われるであろう活劇の未来を口に乗せるジャック。
「じゃあ、軽く腹ごなしの運動でもしますか」
軽口のスパイクに切り返すように「食前の迎え酒じゃなかったのか」と愉快そうににやつくジャック。その十数分後。
服についた埃をはたきながらスパイクスが半分睨むように、半分呆れるようにして加持に対し
「興味半分だと怪我をするだけじゃ済まなくなるぞ、その時の手助けは、今度は出来ないからな」
それでも止めないのだろう――、と口の端が緩む。
「女とはスリルを、人生とはバカンスを紡ぐものさ、じゃあな、機会があればまた逢おう」
半身で答えながら不敵に笑いながら雑踏の中へ消えていった加持。
「いつまで見物を決め込んでいるんだ、早く出て来い、猫じゃあるまいし」
ジャックが闇に溶け込んだ両隣の建物の屋根を見やって吐き捨てるようにうんざんりして言い放つ。
まるで猫が降り立つように身をくるりと翻しながら二人の前に音もなく降り立つヴァレンティーナ。
「あいつがカロラドの保安官?、にしては目立ち過ぎるキャスティングね。知り合い!?」
「以前、少しな、だが、お前、どこほっつき歩いていたんだ今まで」
「あたしはちゃんと仕事をしていただけよ、ジャックやスパイクスと違って仕事とプライベートは
切り分けているわ」
右手でその結果の報酬の一覧を示すヴァレンティーナ。
「じゃ、あたしは今から休暇に入るからね、船には気が向いたら戻るわ」
言葉を残しながら再び壁に蹴り上がるように飛び上がり、屋根の上へ登っていく。
「おい、ローザ、あの二人にどれ位恩義があるかは知らんが俺達は手伝わんぞ!」
スパイクスが夜空に向けて叫ぶ。
「仕事を片付けにいくぞ、スパイクス」
「ほな、あいつがこっちが知らん内にそのウィルスとやら、まあ、病原菌やな、それを蔓延
させていったという訳でっか」
判り易く例え話を用いながら群集の豹変ぶりを説明した冬月牧師であったが実際のところ、
ウィルスによるものではない事をシンジとレイは黙っていた。
「狂犬病みたいなもんかのう、で、どないに直しはるんですか」
トウジの問いを受けて顔を少しシンジに向けて眼で合図する冬月。
「それは二人の役目だな――」
「少し、荒療治だけど手早く終わらせる方法が一つだけあるんだ」
コートの中のホルスターからからシンジが、内股のガーターベルトに結わえられたホルスター
からレイが角張った形状の拳銃を取り出して先の色が緑色の弾頭を被せた装薬の弾倉を装填した。
「これで直接、抗体を射ち込む――」
「そんな、大丈夫なんか?」
「直接体内に投与するにはこれが最も効果的で、そして、私達が撃った事実が残るわ」
思わず立ち上がり、机を打ち付けるトウジ。
「そないな事したら、この町に住めへんようになっていまうがな、ええんか、シンジ!?」
トウジの叫び声だけが教会の高い天井に反響して何度も語尾が帰ってくる。
数秒の沈黙を置いてシンジが口を開いた。
「出来ることをして、その結果を受けるだけさ。
それに、――話したほうがいいかな、解毒作用である程度は忘れさせられるんだ。
だから、白昼夢ぐらいで済むかもしれない。そして早くココから脱出しないとマサミとファナが
危ない」
スライドを引いて初弾を薬室に押し込みながら静かにトウジを見やったシンジ。
優しく、そして、凛々しい眼差しで。
コートの内ポケットから取り出したケースの中味を確認すると僅かだが困惑した表情で黙ったまま
目線で会話するシンジとレイ。
「足りないね」と片方の眉をやれやれとでもいった動きをさせたシンジ。
受け答えるように「気絶させるしかないわね」とレイ。
「なんか、マズイんか?」
トウジの心配に「撃てる弾が少し足りないんだ」と肩を浮かすシンジ。
「アンプルは充分にあるのだけれど、充填が間に合わなかったの、今朝までだと」
大したことでもない、と悠長な口調で二人は言葉を切るとゆっくり教会の正面扉のノブに手を掛けて、
そっと息を殺した。「いくよ」「ええ」
ゆっくりと閂を退ききって開けようとする直前、祭壇に向かって右手側の窓の一つが鉈で叩き壊された。
トウジ、ミサト、ヒカリがその窓を注視する。
男が覗き込むと同時にドンッ、と銃声が響き、窓枠から弾き飛ばされる男。
壊された窓を向かずにシンジが撃っていたのだ。
三人がシンジ達に再び目を向けると勢いよく扉を開け放って外に飛び出していった。
躍り出ると同時にペアのダンスを踊るように優雅にタンゴを刻むように烈しく、ワルツのように群衆の
隙間を流れて、ボレロのように繰り返しフラメンコのように互いの腕と腕、身体と身体でリズムを奏でる
ように絡ませ、交叉し、寄り添い、背を合わせ、抱きかかえ、ステップを打ち付けて、撃つ、撃つ、撃つ。
撃つ、撃つ、撃つ、身体を廻し。撃つ、撃つ、撃つ、手を取りあい。
撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ。
撃ちながら同時に襲い来る群衆の凶器から触れる程の間合いで掠めさせ避け、拳銃を持つ手ごとを蹴り上
げて阻止して、ブレスを切るように弾倉を入れ替えて次第にビートを高めていくようじ撃ち続ける。
銃声が無ければその躍動する光景に誰もが見とれていただろう。
いや、ミサト達は見とれていた。
不意に動きが止まり、銃声が止んだ。
「どうしたの、二人とも」ミサトが扉の影から覗くように表を伺う。「弾切れっちゅう訳やな」
レイを庇うように背中側に隠すシンジ。小声で「まだ見せる訳にはいけないからね」
胸の前でファイティングポーズを採ったが反して表情は済まなさそうである。
二人を取り囲む男達は残り八人。いずれもライフルを腰だめで銃口を向けている。
しかし、二人を除いてシンジのリーチが届く所にはおらず、二人は三メートルばかり離れて、残りの
四人は教会前の建物の屋上と二階に立っていた。
その男達の澱んだ眼光をした男達の口から零れるように取り憑かれた笑いが洩れる。
「くそっ、わいらではどうしようもないやんけ」歯ぎしりしながらトウジが飛び出さんとした時。
プァープパパァパ〜、パプァプァパー、パーパパーと喇叭の音が降ってきた。
「だっ、誰だ」「誰だっ」「何処にいる、出てこいっ」周囲を見回すが見当たらない。
「あそこだ」男の一人が指さしたその先、教会の鐘楼に腰掛けたままテンガロンハットを目深に被って
ラッパを吹いていた男が居た。口元からラッパを離し、不敵に笑う。
「先に畳んじまえっ」
男達が銃口を向けたと同時に飛び降り、教会の屋根を一気に走り抜けながら両手を交叉させた。
屋上の男が転げ落ち、二階の男は部屋の中に崩れていく。
銃声が飛び交い、屋根から飛び降りながら、腕を交叉させて引き金を絞る。
テラスから落ち、屋根に転がり、地上の男達も突っ伏してしまった。
「巧くやったね」
シンジが演技過剰とばかりに呆れて顔を崩す。
その状況をさも当然と着地の屈んだ体制から膝を伸ばして、ゆっくりと帽子を男が脱いだ。
「殺しちゃいないわよ」人差し指を振って気障を決めている。
「…耳元を銃弾で掠めて気絶させたのね」レイの言葉に頭を振りながら踵を鳴らして向き直った。
こぼれる豪奢な長髪。勝ち誇るような笑み、挑戦的な目付き。
そう、アスカの復活である。
「ふぅ〜ん、あたしがあなた達に伸された後にそんな出来事があった訳なの」
椅子に斜めに腰掛けたアスカが昨晩から今朝までの経緯をヒカリから訊いて片頬に手を付きながら
残念そうに言葉を漏らした。軽く瞼を閉じて、挑発するような目つきでさも当然と言いたげな口調で
口を開いた。
「じゃあ、復活がてらにあたしの手助けが是非必要な訳ね、任せてよ、恐れるに足らずよ」
勝手に仕切る気かよ、と嫌な顔をトウジが浮かべてもアスカは相手にしない。
「あなた達が普通でないとしても、私の答えを見つけるまでは夕べのことは戒めと受け取っておくわ」
底無しの暴虐の孔に落ち行く感触が昨夜以降では消えた気がアスカにはした。
匂いが似ているのに先程は怒りに身を任せる事無く切り抜けられた。
冴えた感覚は変わらないのに火照った心に涼やかな風を晒すように気分が軽い。
「どうゆうことや?」
トウジの問いに「アスカも似た症状が進行していたのさ、それを麻酔弾に混ぜて打ち込んだのさ」
「でも、よく分かったな、そないなこと」
「最初からさ」表情を変えずに答えるシンジ。
怪訝な表情で「きっかけは?」と訊くアスカ。
「あなたを男と間違えた事よ、症状として一時的なホルモン異常が起きるわ」
レイがシンジの横顔を見ながら代わりに答えた。
「確証が掴めなんかった、ゆう訳か、夕べまで」
トウジが大きく息を吐きながら自分に確認するように喋る。
「でも、あの大男にもその弾が必要なんとちゃうか、弾はもう無いんやろ?」
「いや、アンプルとしてはまだまだあるよ。でも、あの男には効かない」
アスカが気絶させた男達にもアンプルを投与していたのだ。その残りが家にあるという。
「じゃあ、どないするねん」
「その心配は不要だよ」
冬月牧師が優しげな口調でシンジが望むものがもうすぐ届くことを告げた。
「封印を頼まれていたのだがね、君達が必要とするまでは隠しておく事にしたのだよ」
馬の嘶く声が複数響いてきた。
「鳩は無事報せられたようだ」
教会前に停められた馬車から降りてきたのはウォーレン・ヴェイリングだった。
大きなシャンパンゴールドに鈍く輝くトランクを2つ両手で抱えて大股の歩調でのしのっしと扉を
くぐった。
「また随分、派手な立ち回りをしたものだな」
豪快に笑いながらトランクを二人に差し出した。
PasterKeaton project©