WildWestEvangelion
第七話「マローダー」

 アスカは眼の錯覚だと思った。
『どうしてここにシンジが居るんだ?』――と。
 これは幻覚だ、虚像だ、興奮状態での見間違いに過ぎないだろう、だのに。
 撃った筈の弾は逸れて壁に当たり、もう一回引き金を引こうとしたら殴られた
ように身体が宙を飛んでいる。
『これは嘘だわ』
 まるで自分で考えられる以上の出来事が目の前で起きてしまう。いや、起れて
しまう。時間の感覚が皮膚から剥がされて焚き火の熱気に舞い上がる木の葉のよ
うに落ち着くことが無い。
『まだまだ詰めが甘いね』
 カヲルの台詞がこんな時に甦ってくる。そしてそれきり世界の全てがアスカの
前から沈黙した。


 そのほんの数十秒前。

 顔をぐちゃぐちゃに破壊されながらも機械油の切れた機織機のような音を立て
て松明のように肩口から燃えているダーブをトウジが懸命に外に押出していった、
その直後。
 床に転んだまま膝に顔を伏せて隠すようにしながら怯えている、ダーブ達に残
された男が震える両手で拳銃を構えて抵抗の姿勢を崩さないでいた。
「こ、来ないでくれ、お、俺は、違うんだ」
 見逃して欲しいと哀願する両目に険しさはなく、嘆くことでしかここに居る理
由を話せない色をしている。
「仲間は生かしちゃおかないのよ」
 抑揚のない声でアスカが銃口をその男に向ける。
「お、おれはつ、妻やむ、むす――」
「戯言をほざくな」
 三白眼で見下ろしているアスカが引き金を絞って男を撃ち殺したと思った瞬間、
アスカと男との間にはシンジが居て銃口を右手で掃う形の姿勢で邪魔をしていた。
「シンジ!、邪魔をするんじゃない、どけっ!」
「この人は人間だよ…」
 冷静になれと睨みつけるシンジ。
「何をいうの――」
 更にもう一発撃とうとするアスカの機制を制するように銃を掴んで短く一気に
引き寄せるシンジ。バランスを崩して斜めに体制が開いて右腕が上がった状態の
アスカの右胸に銃弾が射ち込まれた。
 初速の遅い、しかし、貫通することのない、ヘビー級ボクサーの重いパンチの
ような衝撃がアスカを宙に浮かせ飛ばしていく。右斜め後ろから撃ったのはレイ。
シンジはレイが撃ち易いようにアスカの体勢を崩したのだ。
 拳銃を左太腿の内側に隠したホルスターに仕舞うレイ。
 ヒカリもトウジもそこにレイが銃をいつも持っている事は知っていた。
 ゆっくりとシンジの許に歩み寄り、耳元で囁くレイ。
次いで、怯える男にそれぞれ「もう大丈夫です」と告げるシンジとレイ。
「おい、シンジ、綾波、何をしたんた」
 血相を変えたトウジが言い寄ってくるが 「麻酔弾を射ち込んだだけだ」 とそっけ
なく返事するシンジ。
「ヒカリ、アスカさんを御願い、大した怪我じゃないけれど」と御仕置きを告げ
たような口調のレイ。
 ヒカリが駆けよってアスカの具合をみてみれば、確かに息はしているし出血も
少しだけのようだ。
「脳震盪を起こしているかもしれないから、そのまま暫く寝かせておいて」

シンジ達の会話に傍耳だてるように渚カヲルが闇の曲がり角から中の様子を伺っていた。


 宿屋側のぬくぱら亭は料亭側、つまりレストラン側の右隣に位置する。
 宿泊部屋そのものは2階と3階である。レストラン側の2階からの階段で部屋
側から下りて来られる形だが宿側のラウンジとレストランとで直通することは
出来ない。
「どうしたのかしら」
「いつもの下の騒ぎではないようだわ」
 騒ぎに心配したマサミとファナが2階の階段の手摺りから階下を覗き込むよ
うにして問い掛ける。
「何かあったのですか?」
「ひどい銃声と外で変なのが燃えているようですが」
 不安な顔色を浮かべて早く静まって欲しい心情が両肩から漏れている。
「ああ、まあちょっとしたドンパチがな、でももう収まったわ、部屋に戻って
平気やで」トウジが愛想を浮かべて手を振りながら安心して大丈夫だと態度で
示している。
 一瞬、宙に持ち上げられたような感触がその場に居た全員に走った。
「かがり火は上がったのさ」
 入り口でにやりと笑いながら歌うような声で独り話すカヲル。
 冷水を浴びせられたようにシンジとレイの表情が変わり「いけない、戻って、
ここに!」と同時に叫ぶ。
 砂糖菓子か飴細工を壊すように道路側のぬくぱら亭の壁が1階から2階にか
けてバリバリと破られてしまい巨躯の奇怪な格好の男が壁の傍に居たマサミと
ファナの二人をまるで、景品を獲ったように掴み取っていく。
「では私は、君達二人が来ることを待っていますからね」
「いやぁ、ちょっと、何、助けて」「何なのですか、これはぁ」
 さっきまで入り口にいたカヲルが今は巨躯の男の左肩に乗っている。
 云われたくないことを云われた事に不快感を露にするレイ。
「あなた…、何者?」
 陶器の杯の中で氷が跳ねるような笑い声をたてながらカヲルが流し目をする。


 約1時間後。

 片付けを終えたヒカリがコーヒーをカップに注いで椅子に座ったシンジとレイに差し出す。

 そっと口を同時につけるシンジとレイ。
「ちょっと、いいか、な、シンジ」
 トウジが椅子の背を前にして凭れるようにして座るトウジ。
 ちらり、とレイの横顔を見て、話し出す。
 眼でレイを一瞥し、トウジに向き直るシンジ。
 大きく半壊した通り側の壁には幌が掛けられていたが隙間から初冬の冷気が
すーすーと入ってくる。首筋と足元に寒さを感じながら「何かな」とゆっくり
毅然とした口調でトウジの眼を見つめる。
「あの男、あれはホムンクルスかいな、シンジ」
 ずずずぅっ、とコーヒーを啜りながら上目遣いで返事を待つ。
「――それは」「ま、そんな感じのものさ、よく知っているね」
 話し掛けたレイの唇を右手の人差し指で押さえ、話すシンジ。
 眠り続けるアスカを一瞥し、
「アスカの親の敵も、さっきのアスカの離れ業もそれに絡んどるんか?」
 トウジが今度は真剣な目つきで低い口調で話す。
「多分、そうだろうね、きっと」
 半分伏せた眼でトウジを見ずに答えるシンジ。
「でも、不思議な出来事だとは思わないのかい、トウジは」
 両手で包むようにカップを持ち直しちらりと赤銅色のコーヒーの色を見る。
 シンジの横に寄り添うようにレイが椅子を並べ直して座る。
「…」
 鼻でふぅーと息を吐いてぽりぽりと頭を掻きながら済まなさそうに照れる
表情で
「まあ、わいも移民の子やから、お父んもお爺も旧大陸で育ったからさかい
絵空事みたいな話をな、ぎょうさん聞かされて育ったもんや」
 話し出したトウジの横にヒカリが椅子を持ってきて座りそれぞれトウジと
シンジ、ヒカリとレイとがテーブルを挟んで向かい合う形となる。
「昼なお薄暗く深い森の奥の城には魔術士が住み、異形のホムンクルスを夜
な夜な作り出している、ってぐあいにや、お爺は実際に見たことがあるとか
云うとったけど、半信半疑やった訳や」
「でも、信じるのかい、今は」
 シンジの問いに当然といった表情をして
「それはわいとヒカリがシンジ、おまんらの友達やからや、シンジは話さん
事はあっても嘘はつかんからなぁ、シンジがそういうんやったら、それはそ
ういうことや、それだけや」
「綾波さん、身体は大丈夫?」
ヒカリはレイが銃を扱うことへの心配を口にする。
 幾分、体付きがふっくらと柔らかさを増してきているレイに無茶をして欲
しくないからだ。
 トウジとヒカリには子供は未だ居ない。
 二人にとってシンジとレイは家族も同然だった。親の急死でぬくぱら亭を
継ぐ事になった若夫婦にとって同じ年頃のシンジとレイと仲良くなるのに時
間は懸からなかった。
 それに勿論、シンジとレイが訳ありらしいのも充分判っていた。
「有難う、この程度は平気よ」
「そう、でも、明日は大変ね、冬が本格化する前に直さないと」
「おいおい、連れ去られた二人の救出はどうすんねん」
 あっけらからん、と修繕を口にしたヒカリにトウジが抗議するが、それは
シンジとトウジ二人で奪回して来いという意味も汲んでの愚痴である。
「でも、一番の問題は起きた時だね」
 シンジが昏睡状態のアスカを指差しながら逆鱗に触れた愚者の振りをして
一番の問題とでも云わんばかりに大袈裟に肩をすくめる。
「ははっははははっ、怒るで、ほんまに、ぶち切れて何されるか分からんわ」
 陽気に笑い声を一緒に上げていくトウジとシンジに釣られてヒカリもレイも
クスっと笑い出す。


 シンジとレイはアスカに射ち込んだのは麻酔弾だと説明していた。
 だが実際には射ち込まれた銃弾は銃痕から消え失せていた。
 そればかりか銃創にならずに赤みを増してワインを吸い込んでいく布地の
ように全身に広がっていった。
 ベッドに寝かし付けられていたアスカは上昇した体温に魘され脂汗でぐっ
しょりとシーツを濡らしていた。心臓の鼓動は高まり、血流は激しさを増し、
小刻みに緊張と弛緩を筋肉は繰り返してた。
 そして、アスカの意識は全てを奪い取っていった炎の記憶の中に居た。

 走る、走る、走る、走っているアスカ。
 渦巻くように噴き出すように炎の柱が次々と壁のように立ち上がっていく。
「ママ、ママ、パパ、パパ、助けてよぉっ、こわいよぅぉ」
 両目からぼろぼろと涙を流しつまづき、転んでも逃げるために懸命に立ち
上がり走り続ける。
 背後からは無数の手がアスカを絡め獲ろうとぐんぐん迫ってくる。
「うぅうぅ、い、やぁだぁよぉ」
 バン、と何かにぶつかったので見上げてみると家族のように見える。
「パパ、ママ、みんな」
 だが、よくよく見てみると表情がない。
 力を込めるとガラガラと崩れていく人形の家族。
 両脇には館の使用人達が並んでいるが、蝋人形のように微動だにしない。
「パパの人形達、御願い、私を助けてよっ!」
 人形の一つが動かない手をぎりぎりと動かそうとしている。
 動かない唇と開かそうとしてギシギシと顔が鳴る。まるでホムンクルスの
ように。
「ツィアリーマ、
 リアメア、
 ウムクラ、
 ルエシュン、
 アディレーン、
 ハトナーシャン、
 ハトフィスエ、
みんな、みんな、アスカのお友達じゃない、御願い、たすけてよぉ」
 七人の絵のような人形の影に隠れるようにして炎に晒された身を防ごうと
するが、際立って大きくなった炎の一つが七人を包み込み、焼き上げていく。
「いやあぁぁぁぁ」背後から抱き上げる両手、母の匂い、燃え盛る炎に囲ま
れているのに顔は見えない。
「さぁ、早く逃げて、アスカちゃん」
「ママッア―――!!」
 井戸の底に落ちていくように母の姿が小さくなっていく。
 世界の暗転の後に気が付けば、幼いアスカは海辺に横たわっていた。
 独り波打ち際を宛も無く歩き出していく。
『全て終わったの…?…?』
 歩いているアスカをアスカ自身が見下ろしている。そう、これは夢の中だと。
『ここで終わる、全てが終わる、全てが…、
 でも、ここは旅の始まりの地でもあったわね…』
 歩くアスカの姿に重なるようにカロラドの情景が次々と重なり織られていく。
『…そうか、そうだったんだ、私は――』


「こんばんは、大丈夫、皆さ〜ん」
 四人で今までの出来事で談笑していたところにミサトが声を掛けて来た。
「おぅ、ミサトさんやないか〜、どないしたんですか、夜分遅くに」
「あらぁ、トウジ君、大変だったわね、ちょっと聞いたわよ」
 トウジにウィンクを返しながら、バスケットに干し肉や缶詰を詰め込んでき
たのを四人のテーブルの上に置き、自分も近くの椅子を引き寄せ艶っぽく座り
妖しく脚を組む。
「ゴメンね、こんな時にあのバカが不在で。
 でも、なるようにしかならないから、なんとか為るように今は英気を養いま
しょう。食べるものを食べておかないと肝心な時に奮い立たないわよ」
 と喋りながら独りで勝手にウィスキーのボトルの封をくいっ、と切ってなみ
なみとグラスに注ぎだしていく。
「シンちゃんは特に私の前で立派に立たせてね〜ぇん」
 色っぽい眼差しを贈りながら手で意味するところをジェスチャーする。
「いや、そんな、ご期待に添えられるかどうか分かりませんので」
 分かっていて敢えてボケた振りをするシンジ。
「分かっているわよ、レイが掴んで放さな〜いからね。
 それでも待っているわよん」
 遠まわしながらもミサトの言葉の恥ずかしさに赤面してしまうヒカリ。
「ちゃんと安全に離れた間合いで尾行させているから、行き先は分かるわよ」
 真顔でさらりと言い切り、心配は要らないと云いたげな笑みを浮かべる。
「私は聞かないからね、話したって聞きませんからね、聞きたいと思うまでは
胸に仕舞って置きなさい」
 事件の訳は話さなくていい、と手で遮る仕草を陽気にしながらもコーヒーの
残ったシンジ達のカップにぼとぼとウィスキーを注いでいく。
「仕舞いこんで重くなった時に話しなさい、それまでは胸の内で充分よ」
「……だからミサトの胸は大きいの?」
 皮肉とも冗談ともとれない台詞を言ったレイに 「さあ〜てね」 とだけ返事をする。


 念のためにとぬくぱら亭にはミサトが残り、シンジとレイは一旦家に戻り、
朝になってから再びぬくぱら亭に行くことにした。
「じゃ、私は隣のソファーででも寝ているわ」とホテル側のフロント奥の事務室、
戸口でレストラン側と繋がっている部屋で番をすると云ってミサトが銃を小脇に
挿して無造作にソファーに寝転がると毛布を被った。ホテルは暖炉が大きいので
屋内そのものの保温はレストラン側よりいい。
 ストーブに小さく石炭をくべてマッチを擦り、種火だけとした。

 事務卓の上に置いたテーブルランプを消し小さく消え入りそうな黄橙色の芯の
色を見つめるミサト。
「とうとう平穏な日々とお別れしなければならなくなったのね、また…」
 それが自分自身へなのか、シンジ達へなのか、判然としなかった。
 ぬくぱら亭、レストラン側厨房の上の二階、トウジ達の寝室。
 ベッドに入っていたが枕と頭との間に腕を組んで何か考え事をしているトウジ。
「どうしたの、あんた」
「あん、ああぁ、シンジ達がこの町に来てからもう何年も経つのになんやあっと
いう間やったな、と思うてな」
「…そうね、もう何年になるのかしらね」
「安穏と暮らしとる、というてもここみたいな宿場町やから騒動の一つや二つは
あるしな、それでも多分やかもしれへんが、ここでずっと暮らしてくんがシンジ
達にとってええんやろか」
「二人はもっと大きな所へ、いつか去っていくのじゃないかと私はいつも思って
いたわ、でも渡り鳥だって羽が傷つけば、羽根の傷が癒えるまで途中の何所かで
居着くわ、でも傷が癒えて、羽ばたくその時が着たなら空の彼方に行ってしまう
でしょうね、それと同じよ、私達には…」
「引き止めることは出来ん、か…」


昨夜の事件も何も無かったかのように薄雲の掛かった空が白み始め、昨日よりも
暖かい朝となった。カンカンカンカンと町役場の鐘楼の鐘が打ち鳴らされたのは
太陽が地平線上に姿を現して少し経った頃だった。

「おおい、みんな、集まってくれ!!」
 町の代表者の一人が役場前で声を張り上げている。
「俺達はとんでも奴に騙されていたんだぞ」



第八話に続く。[BACK][MENU][TOP]

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