Wild West Evangelion
第五話「ファイアストリーク」


 大陸東部のアルシャイナムス山嶺へと向かうハールマン回廊駅に電信が通達され、本来停車しない筈の急行列車のオーバー・ザ・トン“レッドサンダー”号が退避線に入ってきた。
「なんでこんな田舎の貨物駅に停車させるんだ」
 車掌が駅長に怒鳴り込みに行くが、州政府ならびに本社からの通達と聞かされてホームに出て「どこのバカ野郎に優先権が与えられたんだ」と通過線にやって来る列車に唾の一つでも吐き掛けてやろうと待つことにした。
 地平線の彼方に前照灯の煌きが見え、地鳴りのようなゴルゴンの唸り声のような怒号が次第に近付いて来る。
「でかい!」
 驚くと同時にそのバカ野郎な列車が一気に通過線を地響きを立てながら巨体を縫わせるように通過していく。
 五ハート三イクト(1600mm)の線路軌道幅に対して動輪直径80イクト(2032ミリ)、ボイラー気圧が35気圧、4-8-2+2-8-4の軸配置を持つガーラット形式の巨躯の蒸気機関車がV字型に分かれた煙突から艦砲砲撃のような激烈なブラストを巻き上げて数十輛も連結された客車と無蓋貨車を牽引していく。
 暴風と巨人がのし歩いたような震動がアルシャイナムス山嶺へと向かっていった後も車掌はすぐには立ち上がることは出来なかった。放心状態といってもよかった。
「あんな化け物、何所に向かっていやがるんだ」


 五年前
「もうすぐだ、綾波、もうすぐ峠が終わる」
 背中に後ろ向きで腰掛けるように背負ったレイにシンジが絶え絶えの息で話しかける。自分に言い聞かせるように。両手で抱えた鈍いガンメタの光を放つ綾織りされた外装の鞄を今にも落としそうにしながら。
 星明りのみの山道は目が慣れても闇に近い。
 憔悴しきったレイは息をしているだけで精一杯のようである。
「もう…す…ぐ…」
 どさりと倒れこんでしまうシンジ。
 何か灯りと近付いて来る足音が聞こえてきた気がしたが、遠のいていく意識でそれ以上は鎖された。
 気が付いてみるとベッドにレイと一緒に寝かされており髭面の男はウォーレン・ヴェイリングと名乗った。
 シンジが冬月牧師の名を出すと町まで送ると言い出し、教会についてからは冬月の話を聞いて昔住んでいた家をシンジ達に住まわせると言い出した。
 峠を降りて丘を二つほど越えた時点で眼下に金色の海のように地平線まで広がる穀物畑を見た時、シンジとレイは僅かでも平穏な日々が続くことが出来るかもしれないと願った。
 そして、現在。
 レイが陶器人形を暖炉傍の蜀台の横に置きテーブルの上にローザが残していった資料を載せると再び二人で読み始めた。

「さてさて、山の頂きがあんなに白うなってきたから客も少のうなっていくなあ」
 トウジが冬用の鱒の燻製を準備しながら独り言を喋る。
 市場で出回る生鮮野菜の種類も次第に減っていってしまう。駅馬車しか他の町との運輸手段がないのだから少しの漬物しか準備できない。州都では鉄道で野菜の輸送を120ヤール離れた南の州から調達しているとも聞いていた。
「鉄道かぁ、便利になるんは別に旅のもんだけとはちゃう訳か」
「でも、あんた、便利になるだけでなく不便も来るのじゃなくて」
 包丁で鱒のはらわたを取除きながらヒカリが心配げに賞金首が今以上にこの町を通過していくことで犯罪も増えていくのではないかと懸念を表す。
「そうやの、ここみたいにワイらの共同自治って訳にもいかんようになるなあ。
 州都みたいに議員ちゅうもんを選んで保安官も入れ替わり来るようになって税金をたんまり取られる訳や」
 価値を得る為の代償の程度に暗澹たる気持ちになるトウジ。
「あんた、仕込みは終わったわよ」
「おう、ほな煙をまぶくか」
 戸を閉めて、排煙口を明けるとマッチを擦って藁を燃やしだした。
「こんにちは?」
 どうやら夜番の綾波とシンジが来たらしい。
「おう、上がってくれといてや」



「今日でアスカさん、部屋に篭もり放しになって三日目よ」
 ヒカリが心配そうに階段から二階を覗くようにして喋る。
「朝、昼、晩と飯は食いに降りてくるし、新聞はちゃんと買ってきて読んどるんや、病気とちゃう訳やしな大丈夫や、思案を廻らす時もあるやろ」
 勿論、アスカが部屋に篭もるようになったのは町に来ていた目ぼしい賞金首が渚カヲルに全て掴まってしまい、ここ八日ばかりは情報が入らないので州都の情勢を調べているのが実際の処である。それに保安官と情婦のミサトが連れ立ってまた州都に仕事にいっているのも外に出ない理由にもなっていた。
「あ〜あ、どうしてこの町っていい男が居ないのかしら」
 目をつぶり、思索に耽ろうとすれば誇らしげに見下すような笑いの渚カヲルの笑い声が浮かんでしまう。
「あのナルシス野郎、いつか屈服させてやる」
 ベッドに寝転び、天井を眺める。
 癪に障るので昼寝でもしようかと思えばキスされた感触が甦り、余計に腹が立つ。
「なんでこんなに男のこと、意識するようになったのだろう…」
 思い出してもこの町に来るまでは女であることなど捨てていた訳だから男のことなど考えもしなかったのにスカートを穿いたり、あまつさえダンスを踊ってしまったこともある。気恥ずかしさが体中を包む。


 

 カランカラン、と町役場の鐘楼の鐘が打ち鳴らされ町民代表有志による会議が始まることを告げている。
 町役場会議場、といっても僅か50席ばかりの椅子と簡素な議場で町選出の州代議士が議長を務めている。
 議場の後ろの出入り口付近には傍聴者が数十人ごった返している。
「冬の話かな」
「鉄道の話があるかもよ」
 マサミとファナが2度目の傍聴で周囲から漏れ聞こえる内容で議題を誰何する。
「議事を始めるに当たって――」

「あんたはここの人間でしょう、行かないの?」
 アスカがぬくぱら亭のレストラン側で椅子にもたれかかっているシンジに片肘を壁に当てながら大仰に訊ねる。
「留守番だしね、それにトウジが行くのが一番だよ、商売している訳だし」
 ちらり、とコーヒーを飲みながら眼だけをアスカに向けるシンジ。
「ふ?ん、もしかしたらアンタ達、余所者なの?」
 挑発するようにシンジの顔を覗き込みながらカマをかけてくる。
「旅人の行き来する町に羽根を休めたまま居着いてしまう人は多いと思うよ」
 のらりくらりとはぐらかそうとするシンジ。
 我関せずとレイの作ったパイに切れ目を入れて
「よかったらどう?」
とアスカに勧めてくる。レストランの中を舞台役者のように大きく廻りながら
「ハッハッハッハ?」
と笑い声を上げて、
「この町の人間達は騙せても、この私には効かないわよ」
 素早く抜いた腰の拳銃をシンジのこめかみに突き付ける。
「うわぁっち、あ、あぶないじゃないか、冗談はよしてくれないか」
 怯えた表情をシンジがしているのにアスカは不信の目を隠さない。
「眼が震えていないわよ、フリ、は無駄よ」
「そんなことないって、遊ぶ代物じゃないだろう、早く仕舞ってくれよ」
 声が上ずり、指先が小刻みに動いている、でも、そんな仕草で騙してきた人間を私は何人も知っている、そう、だから――、とグリップを握る手に力を込め、人差し指を引き金にかけ、親指で撃鉄をゆっくりと起こす。
 シリンダーがシンジの横でゆっくりと回り、ハンマーがロックされた音が鈍く聞こえる。
「私は冗談が嫌いなのよ、特に男の冗談がね」
 今までなら大抵のハッタリ野郎は膝間付いてしまうのにシンジは椅子に座ったままだ。
 焦りで奥歯を噛み締めていくアスカ。
「……何やっているの」
 背後でボソリ、と喋られたので咄嗟に翻し、銃口を向けた。
 だが、機制を制するようにレイの右手に防がれて拳銃を顔の手前で抑えられてしまう。
「驚かさないでよっ!!」
 心臓が胸を突き破らんばかりに鼓動を高め、震えで膝を閉じてしまう。
 いつから来たのか? 拳銃を抜くまでここには居なかった筈なのに。見えなかった、感じなかった。
「あんた達、やっぱり只の夫婦じゃなさそうね、きっと本性暴いてやるからね」
 立っているのに全身が恐怖の井戸に落ちえちく錯覚に囚われていくアスカ。
 思わず2階の部屋に駆け上がっていく。部屋の戸を閉めてベッドにもぐりこみシーツを頭から被って外界との遮断を試みるアスカ。
「真後ろで居た筈なのに、真後ろよ、すぐ後ろよ、肘打ちのように振り向いたのに、まるでそこに居たように離れているなんて、そんなの変よ、もしかして(弾倉の)空の位置に回るようにしたのも分かっていたのかも」
 もしも先程、引き金を引いてもその時には薬莢がないので弾が出ないようにしていたのだ。
 しかもシンジは中央よりに座っていたのだ。アスカの視界に入らずに足音も立てずに入ってきたのか?
 怖い、怖い、相手がどんなのか予想できない、子供のときのように、子供のときのように。
「もしかして?」
 半分そんなことはありえないという思いとそうである筈だという考えがアスカに生まれた。
 その疑念を生じたアスカが逃げ去った中でシンジの向かい側にレイが座った。
「気付かれたかしら」
 パイを頬張りながらレイに小声で答えるシンジ。
「あの程度は気付かれる範疇に入らないよ、手の内にはならないよ」
 ちらりと建物の外の方向を見やる。
「…そうね」
 背中を向けた格好で頭を動かさずにシンジの視線をなぞるレイ。
 外では壁に隠れるようにしている男が一人いた。
 中からは見えない場所にである。
『なかなかお芝居がお上手で』
 鼻で自嘲するように笑い、帽子のつばを手で上げたその男は渚カヲルだった。
 馬車がぬくぱら亭の前を通過した途端、渚カヲルは消えてしまっていた。



 厨房で大きなフライパンで野菜を炒めているレイ。
 赤や緑や黄色の様々な形や大きさの菜っ葉類や豆類、房の野菜がくるくると油に弾けながら威勢のいい音を上げている。その横ではシンジが蒸かした甘芋を包丁でぶつ切りにして鮮やかなオレンジ色の実が覗かれる。
手際よく包丁を動かして2つ3つ4つと切っては鍋の中に入れていく。炒めて終わった惣菜を笊に移し湯通しして芋を入れた鍋の中に続けて入れるレイ。蓋を閉め、テーブルに並べた皿に炊上がった穀類を次々と盛っていく。薄い灰色の穀類からは湯気が上がり、少し甘い穀類独特の香りが広がっていく。
「もう、いいわね」とレイが火を止めると「じゃあ、移すよ」と鍋の把手を掴みテーブル上に置くシンジ。
 御玉杓子で掬った赤茶色のとろっとした汁が滴り、香ばしく辛そうな香料がふんだんに使われている匂いを撒き散らす。皿に盛り付けを終えるとダイニングに運び出していく。
「はい、皆さん、食事の時間です」



 漂う匂いに身体の生理機能が誘惑されたのかアスカはゆっくりと閉じられていた瞼を開いた。
 既に部屋は外の夜の帳に巻き込まれたように暗い、澱んだ黴臭い色に塗り付かされているのか、と思ったがそれがアスカの下がった血糖値によるものだと気付いた。
「嫌でも…降りていくしかないわね」
 一抹の不安が脳裏をよぎる。その不安が求めている事への手掛かりかもしれないという期待と相半ばして思考を錯綜させ、正常な判断を惑わせ、苛立たせ、支離滅裂な思いが乱れた髪のように纏わりついてきそうな錯覚を起こさせる。
「ええい、これじゃ埒が開かないわ、止めよ、止め」とシャツを無造作に脱ぎ、ブーツを脱いで下着も全て剥いでシャワーの蛇口を捻った。夜なのでもう暖められている湯が勢いよく降ってきて身体を包込むように濡らしていく。頭の中を空っぽにしてしまいたいほどに熱い湯が心地よい。その高揚感が湯気と共に全身から放出されていくの実感できた。血行がよくなり、熱ってきた身体がピンク色に染まっていく。撫でるよう隈なく滑らせていく手と石鹸の心地よさに夢見心地の境地が間欠泉のように噴出していくようだ。
 だが、頭の中で冷静に自分自身に言い聞かせる声が響く。
「柔和な女に溶かされていきたいわけか」と。
 愕然としながらも気分は陶酔したように視線が定まらない、まるで酒宴でアルコールに筋肉と神経系統を任せたかのように。自らをまさぐる手からの快感で強烈な“女としての”葛藤が灼熱のように怒りと快感の奔流を形作っていく。その奥から子供の頃に覚えていたものを思い出した時のように笑みを浮かべて陽気な気分がアスカを支配していく。それは、興奮の坩堝が迫り来る中でそこへ飛び込むことを望んでいることとその坩堝が確実に近付きつつあることの確信であった。
「やはり、そうよ――」



 協議が穏便に行われていたのは最初の10分ほどであった。
 具体的内容に言及されるとカロラドの代表者達は一方的な内容に食い下がり、頑固に反対の意志を示した。
 物別れになる原因は単純であった。
 まず、鉄道敷設にあたり町を両断する程の計画でありながら山越えの通過駅でしかないこ事、土地買収の補償額の少なさであった。これでは町は寂れてしまう。更に暫定的な物資補給の駐屯を行われるなど観光の目玉も軍靴の下に埋もれかねないからだ。
「あかん、向こうはここをただの停車場ぐらいにしかするつもりはないようや」
 交渉経過の説明会から戻ってきたトウジが煩わしそうに椅子に座りながら悪態をつく。
「駅を作るといってもここら辺りの殆どは立ち退くことになってしまう」
 ウィスキーのボトルを開けるとグラスに注ぎ込み、一気にあおった。
「町全体を売り渡せ、といっとるようなもんや」
 シンジもグラスにウィスキーを注ぎ、トウジの腹の虫を収めるようにしながら
「州政府が許可しないよ、そこまで一方的なことは」
「州政府の役人共は向こうのいいなりや、やっかい事は全部ここに押しつけたいらしい」
 シンジの話を手で遮り、愚痴を吐く。
「こいつが向こうの親玉のゲンドウや、悪辣っちゅう評判らしいで」
 宿屋連中の取りまとめでトウジに渡された資料を机に載せてシンジに写真を見せた。
 銀塩写真の不鮮明な板付された画像の中で不満げな表情の男が写っていた。
「そうかい」
 気のない返事だったが胸の中では暗雲たる感情が沸き上がるのを抑えるのに必死だった。



 マヒカーナ共和国との国境線地帯、カロラドから約530ヤール程西南西の方向。
 夕暮れが青紫のビロードに押し込められるよう夜に包まれていく中、歩哨に就いて膠着した戦線の中で偵察斥候に出ていた兵士数人が周囲一帯を見下ろすことが出来る小高い丘に目を凝らしてみるとなにやら蠢く影を確認した。
「おい、あそこを見てみろよ」
「なにか動く者がいるらしいな」
 物音を出来るだけ立てないよう、慎重に脚を運び攻略すべきその丘に向けて歩き出していくと、不意に野獣の唸り声かと感じる音が深まりゆく夜陰に染み渡らせていった。
「ここにでかい獣はいない筈なのに」
 驚いた兵士の一人が竦みあがり、四つん這いになり這い戻っていこうとした。
「こらっ、逃げんじゃない」
「し、しかしっ」
 不意に背後の閃光に照らし出され、一條の炎が走った。
 一気に前線一帯が劫火に覆い尽くされ、動揺した砲兵が砲撃の準備を行おうと狼狽している中を銃弾の雨が降り注いでいく。次々と砲弾が誘爆を起こし、火に包まれた兵士が地面に転がりのたうち回っていく。
「準備運動ぐらいにはなったか」
 碇ゲンドウがその状況を見つめながらぼつりと呟く。
「調整が未だ済んでおりませんので70%ほどでしか機能を発揮できません」
 報告をするリツコの視線は燃え滾る前線の叫喚を冷ややかに映し出していた。


 

「あなたっ―――」レイの声に怯えが僅かに乗る。
「遂に動き出したか」射すように圧迫感を受けながらシンジは不機嫌に応えた。

続く


第六話に続く。 [BACK] [MENU] [TOP]

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