Wild West Evangelion
第四話「スノーウォルフ」
一夜が明けるとカロラドに降った初雪は粉砂糖をまぶした菓子のように積もっていた。
雲の切れ目から時折射し込む日差しにより地表付近の凍った水蒸気がキラキラと煌き、流れていく
輝きの面を町一杯に広げていた。山々の梢と梢の間には重みに耐え切れなくなった雪がずり落ちた反
動で弾き飛ばされた雪が盛んに交わされ、日差しに暖められた雪がリズムを打つように幹を震わせド
スリと雪を落とす。そして森の樹木の根元付近まで日差しが無数のカーテンとなって波打つように光
を揺らめかせていく。
朝早い小動物達が冬篭りの餌を確保しようと起き出して新雪の絨毯に小さな足跡を残していく。
それらの小動物達が立止まり聞き耳をたてて周囲を覗う。聞き慣れぬ動物らしき音に身の危険を感
じていそいそと奥へ奥へと隠れていった。その後には小鳥のような嬌声が深い吐息と共に山間の獣道
近くまで響いてきた。
「はー、はー、はっぁはー、雪が降った直後は歩きにくいわね」
「で、でも、はっあっっと、気持ちいいわぁ」
マサミとファナが恐る恐る足元を確かめるようにしながら森の中を進み入って来ていたのだ。
更に細い緩やかな上り坂の林道を歩いて森を抜けた先の小さな湖畔に到着した。
「ひゃぁああ、綺麗だわ」
「朝陽が湖面に反射して輝いているわ」
冷たい空気の爽快さを確かめるように大きく深呼吸する二人。
深く吸い込んだために鼻を刺激して咳き込んだことで互いに鈴を鳴らしたような笑い声を上げた。
「こんなのってそうそう見られるものじゃないわよね」
「都会じゃ無理だものね」
パチパチと暖炉にくべられた薪が急いで部屋を暖めようと合唱を急ピッチにしてはいたのだが奥
まで冷え込んだぬくぱら亭の床はじっとしていられないほど冷たかった。浮かすようにブーツの爪
先を椅子の両脚に絡ませ、ホイップクリームとシナモンをたっぷりと利かせた珈琲を大き目のマグ
カップで飲み込むアスカ。
「ぶぅぅぅううふっ、ちっとも暖かくならないわね、まったく」
遅く起きてきた割に悪態を吐くのだけは早いようだ。
「どうせ根性わるのおまんのこっちゃ、あまりの寝相の悪さにケツでも出して寝とったんちゃうか」
返すように毒舌で応酬するトウジ。焼きたてのトーストとスープの入った皿をテーブルの上に置
くと厭味ったらしく左手の拳に力を込めて“バカタレ”のジェスチャーをする。
受けて立つように一気にトーストを食い千切りスープを口にかき込むと同じポーズを返すアスカ。
毎朝の挨拶代わりの遣り取りに諦めたヒカリがそ知らぬ顔でテーブルの上を片付けていく。
「スケッチは終わった?」
「ええ、良いのが描けたわ」
ファナの問いにマサミがスケッチブックを掲げながら答える。
「ねえ、こっちの道を下っていかない? 近道になるわ」
来た道より湖の奥側の更に細く折れ曲がった林道を歩き下っていくことにした二人。
日差しはびっしりと覆い被さるように林立した針葉樹の高い並木で薄暗い。
二人の歩くときの雪を踏み絞める音と吐息だけが木々に吸い込まれていく。
どれくらい歩いただろうか、来た道よりは短いのだが着込んだ服の下に汗をかくほどに身体が火
照ってしまう。一休みしようとファナが少し後ろのマサミに振り返ろうとした時、近くから自分達
以外ののし歩いていく音が聞こえた。
そして、荒いクゥークゥーという鼻息も徐々に大きくなってきている。
「何かしら、ねえ、マサミ」
「左斜め前、何か居るわ、ファナ!」
指差した先を凝視すると、不意に下草の茂みが盛大に踊り、その中から二人の2倍の丈はあるよ
うな熊がのすりと林道に歩み出てきた。
「熊がこんな近くに?」
「どうしよう」
熊への対処法など二人は知らない。突然の出来事に動転してしまい身動きできないのに膝が震え
だしてへたり込んでしまいそうだ。熊の側も様子を伺うように身体を揺らしていたが威嚇の手間を
かけずに追い払うことにしたらしく巨体をゆっくりと二人に近づけてきた。
「じっとしていては駄目!」
叱責の声が森から響くと身が竦んだマサミとファナの身体が横に引っ張られ振り回されるように
飛んだ。
「わぁぁあ、何?」「きゃっぁ」
空が一回転したと思えた視界の先には揃いのコートを着込んだシンジとレイが立っていた。
「大丈夫だよ、母熊が子熊を守ろうとしただけだよ」言い終わらない間に二人は背を向けマサミと
ファナと母熊の間に立つ格好となった。母熊の近くを見回せば確かに子熊らしき影が動いている。
「心配はない、僕達は危害を加えるつもりはない、けど――」
日陰の寒さではなく、もっと異質の刃物の冷たさ、痛さに晒されているような畏れがマサミとフ
ァナの心臓を締め付ける感覚に囚われた。息すらも憚られるほどの緊迫感がシンジとレイの背中か
ら波涛のように二人を押し流してしまいそうだ。元来臆病なので進退のボーダーラインが本能で判
ったのか母熊は子熊のほうに向き直ると雪化粧をした茂みの中に戻っていた。
腰が抜けるとはこういう事なのだろうか、と声を掛けられても立ち上がれないことに気付く二人。
「今の時期、新雪が降った翌朝でも森の中は気をつけたほうがいいですよ」
数秒前の断崖に立たされたような恐怖感はシンジからは感じられない。
「よく私達が…」
「通り掛かったら馬車を見掛けたわ、ここは近道で通る人が多いからもしかしたら、と思ったの」
スケッチブックを手渡しながらマサミの問いにレイが答えた。
「何か御用があって碇さんたちも山のほうにいらしたのですか?」
山越えの峠へと続く坂道を登る馬車の後ろで手綱を握るレイと並んで進む馬上のシンジに尋ねた。
「…もうすぐ見えてくるわ」
「ほら、あそこに小さな小屋があるでしょう、そこに用があるからですよ」
レイの言葉を引き継ぐようにシンジが訪問先を告げる。
峠といってもまだまだ麓に近い場所であるここにその山荘とも思われる小屋は建っていた。
「ここを過ぎると峠を越えるまでに二日は人家に行き着けないから、天候が崩れた時などに旅人は
みんなここにやっかいになるのさ」
マサミとファナの手をとり丁寧に馬車から降りるのを手伝うシンジ。
「おう、もうそろそろ来る頃だと思っていた所だが客を連れてきたな」
顎鬚をたっぷりと蓄えた見るからにガッシリとした体格の山男がシンジ達を出迎えた。
町より標高も高く冷える筈なのに太い幹が組み合わされた山荘の中は暑いと感じるほどである。
襟巻きとコートを脱いだレイがシンジのコートと一緒にハンガーに掛ける。
「まあ、飲めや、芯から温まるぞ」と山男はマサミとファナに大きめの陶器のグラスに入れられた
コーヒーを勧める。口を漬けてみると立ち上がる芳香にたっぷりとウィスキーが混ぜられているの
が分かる。
「むせぶとは、まだちょっとお子様だったかな、はっはっはは、ウォーレン・ヴェイリングだ」
自己紹介をしながらグローブのような大きな手でマサミとファナの手を包むように握手をする。
「出来上がりましたか?」
シンジの問いに「おお、そうだった」と暖炉脇の陶芸の棚から仕舞われていた箱を取りにいくと
大事そうに抱えながら戻ってきた。
「ちょうど一昨日焼き上がったばかりだったんだ」
箱の蓋の紐を解いて開けて慎重に中身を取り出し被せていた臙脂色のコーデュロイ生地をそっと
外すとそこからは脚を崩して座りながら読書をしている姿の綾波レイの陶器人形が現われた。
「……カワイイ」
思わず声を洩らしてしまうマサミ。
陶器独特の輝きで硬質な感じがしているがそのレイの表情には温かみが感じられた。
繊細な焼き上がりではなく、素朴だが見るものを惹き付けて止まない優しさが溢れていた。
「…とても…あ、ありがとう…」
自分を模して作られたのが信じられないように感じながらも嬉しさに戸惑うレイ。
「本物ほど美人には出来なかったのは勘弁してくれ」
照れ笑いをしながらもウォーレンはレイが気に入ってくれて満足しているようだ。
「ウォーレンには世話になりっ放しだな」
礼の品を手渡すシンジに対して
「いやいや、極上のウィスキーにふくよかな香りの葉巻、これをしっている人間に貸し借りなんてなしさ」
早速、葉巻の端をナイフで切り火を点け、一服を深く吸い込む。
「嬢ちゃん達、これを持って帰んな、肌がすべすべになるぞ」
ウィンクしながらポプリとハーブから抽出したアロマオイルの入った小瓶を手渡した。
「あいつね」
後をつけるようにある男から少し離れながら出来るだけ気付かれないように歩くアスカ。
忍び足でそおっと男の入ったバーの前で中の様子を伺う。
保安官事務所に足繁く通った御蔭で当座の暮らしを稼ぐだけの賞金首の情報には不自由しなか
った。今日も二週間分の宿代(といっても実は未だに払っておらず居候同然である)に相当する
賞金を手に居れられる筈なのである。いつものように半分色仕掛けと半分ハッタリを噛ませて押
さえようとスカートの中に拳銃を隠してそ知らぬ顔で中に入っていった。
バーテンダーはアスカがスカートを穿いて中に入ってきたのを見て暗黙の内に賞金首が居るこ
とを察した。これから起こるであろう被害に備えてグラスを少しずつ片付けだして客の何人かは
椅子をずらし始めた。
アスカ自身、力任せでなくてちょっと色目使いをすれば小悪党程度には充分なのをスカートを
穿く事で学んで以来、大抵は効率的だともっぱらこの手を使い続けていた。
「あらぁワイルドなお兄さん、横に座っていいかしら」しなを作りながら媚びるような目つきと
欲しがるような表情で男の腕を掴むと露骨に胸の谷間に押し付けた。
「おうおう、何のようだい、優しくなんて俺は出来ねえぞ」
「いやぁ?ん、私は乱暴なのが好きよん」
甘く吐息を耳元に吹きかけ、隙を伺うアスカ。
もうちょい、そう思った背後でマンドリンをぽろろんと弾く音と詩を囀る声が響いた。
「?おお、甘い体よ、甘い息よ、私を全て溶かし込んでおくれ?♪♪」
テンガロンハットにマントをしているのに小さなマンドリンを抱えて入り口で下手そうに演奏
している。なんだこいつは?とずるりと場違いな状況に肘をついてしまい、ずれたスカートの影
から拳銃がのぞいて男にばれてしまう。
「手前、さては」
「ちっ」拳銃を急いで抜いて突き付けようとしたが一瞬遅く、男に椅子を蹴倒されて尻餅を着い
てしまう。
「あっ、逃げるんじゃないっ」
失敗した際にはスカートでは動き辛いことに舌打ちする。
「どけっ、へっぽこ詩人」
拳銃をちらつかせながら吟遊詩人を突き飛ばそうと賞金首が腕を伸ばした先に信じられない光
景が広がった。
先に拳銃を抜いたのにへっぽこ詩人がもう拳銃に持ち替えて構えているではないか。
銃声が響くと賞金首の拳銃は弾き飛ばされ、強行突破しようと体格に任せて体当たりを食らわ
せようとした刹那、ゴミを放り投げるように賞金首の男は放物線を描いて往来の真中まで飛ばさ
れてしまった。投げ飛ばした男の賞金首のことなど気にしていないように店内に向き直るとテン
ガロンハットを脱いでマンドリンとの間に挟むとぽろろんと再びマンドリンを弾いて自己紹介を
した。
「ワタクシ、渚カヲルと申します、以後お見知りおきを」
大陸東部港湾都市、貨物ヤード。
蒸気帆船が未だ多くの現役を務める中でマストの少ない大型貨物船がひっそりと荷を積み下ろ
すと明け方前に出向していった。クレーンを動かす蒸気と貨物船の煙突から排出される煤煙で港
一帯は水蒸気と石炭独特の匂いの靄が充満していた。
入れ替えようの小型機関車の汽笛がピーピーと甲高い声を張り上げ、連結器がぶつかり閉まる
音が響き合う。大型の貨物専用蒸気機関車が野太いドラフトを轟かせ、バリトンとテナーの合唱
が港のあちらこちらから出発の歌声をあげている。雄々しく猛々しいティンパニーとチューバの
リズムのように。
貨物船が積み下ろした大型の貨物は幾つもの車軸で荷重を分散する貨車に載せられ隠すように
厳重に覆いが被されていく。その様子を見守る男の許に近付いてきた女が作業状況を報告した。
「偽装は終了しましたが、本体の部品の積み込み時間がありません。
艤装は到着後になるかと予測されます。出発は予定時刻通りに行いますが宜しいでしょうか」
「問題はない」
女の顔を見ないままメガネを列車に向けたまま、少し見上げるようにして答える。
「…それに、途中の鉄骨トラス橋の荷重倍数強度が不明なだけに本体を重くする必要はない」
「解りました」
夜明け前、一段と冷え込むのに合わせたかのように煙った空からは粉雪が舞い降りて来だした。
二人に報告するように数人の男が来ては規律正しい動きで持ち場に戻っていく。
「出発だ、赤木リツコ君」
一行を乗せた列車を牽引する巨大な機関車が大地を揺るがす位の雄叫びを唸らせ、雷竜が暴れ
るが如く動輪を空転させながら発車して地響きを残しながら走りだしていった。
「どうしたの、アスカさん、何か機嫌が悪いようだけど」
「ああ、あれかいな、なんや賞金首を無い色気で捕まえようとして失敗した上に、あっさりと優
男に獲物を浚われてしまいよったみたいや」
無口なまま菓子を頬張り続けるしかめっ面のアスカを厨房から見ているトウジが答える。
「ま、ええ薬や、食うもん食うたら腹の虫も収まるやろ、今は放っとくのが一番や」土曜日のため昼で閉められた銀行から出てきたミサトが二軒隣りの駄菓子屋に入っていった。
店内には客の姿はミサトの他にはなく色々な菓子の詰められた瓶を覗き込みながら幾つかを注
文していく。紙袋に入れられたのを秤で金額を計算している店主に話しかける。
「その後は?」
「大陸横断の短絡ルートとしてこの町を通り山越えする鉄道の敷設はほぼ確定しているようです。
そして、その資本の裏にゲンドウファミリーが動いているようです。州都の議員達もほぼ押さ
え込んでいるらしく対抗勢力を根こそぎ葬りだしているようです」
財布から代金を支払い、バスケットにしまい込みながら
「ここもきな臭くなるわね。国境紛争もいよいよ武力衝突が濃厚だから武器が売れるって訳ね」
背後のドアが開き飴を買いに来た子供達が入ってきた。
「毎度あり?」
「じゃあねえ」
愛想良く笑うミサトに子供達が「おばさん、太るよ?」と囃し立てると
「おばさんじゃない、お姉さんだって」
と買った菓子を少し分け与えながら手を振り戻っていった。
シチューを煮込む匂いが煙突から漂い、納屋にいるシンジの鼻を動かす程だった。
冬支度の薪割りを終えて、オイルランプの補充ボトルに詰め替えを行っている最中で大瓶には
後少しばかり残るだけになってしまった。「買いに行かなきゃダメか」
鎌や熊手、鋤を片付けると馬小屋に干草を継ぎ足しに三往復し、戸板の立て掛けを動かして冷
気が入り込みにくくした。出入り口も土嚢を積み足して底冷えを防ぐよう心配りをする。屋内で
戸締り出来ればいいのだがそこまでの資金はシンジにはない。部屋に戻ると手を拭き終えると天
井のランプを外してオイルをつぎ足す。
「お昼にしましょうか」
レイが口元を緩めて鍋を掲げてみせる。
「よくもさっきは私の顔に泥塗ってくれたわね」
教会の前の大きな橡の老木の下でマンドリンを弾いていたカヲルを目ざとく見つけたアスカが
因縁をつけて詰問口調で捲し立てても聞く耳持たないかのように引き続けている。
「無視するとはいい度胸じゃない」
襟元を掴み引き上げようと腕を掛けた瞬間、飛び上がるようにカヲルが立ち上がり、アスカの
右手を掴むと右足をアスカの左足に掛けて、左手でアスカの左手首を腰に廻して自由を奪うと身
体を捻られたアスカの背中を幹に押し当てると抗議を上げようとする唇を強引に塞いだ。
「…!…?…!…?」
短くも長い時間が過ぎていき、頭の中が白くなっていくのと全身の力が抜けていく感覚に囚わ
れていく。
弾力のいいアスカの唇をゆっくりと放したカヲルが流し目をしながらグラスの中の氷を廻すよ
うな笑い声で「手玉に取られるようじゃまだまだだよ」と言い残すと再びマンドリンを弾きなが
らどこかへ歩いていった。
我に返り、恥ずかしさと悔しさで真っ赤になり、歯軋りしながら
「男なんて、だから嫌なのよっ」続く
PasterKeaton project@