Wild West Evangelion
第2話「シルバラード」



 
 ドタバタと床を走る音に壁を無造作に叩く音に幼いアスカの眠りは妨げられた。
「…な、…なに、ママ…、パパ…」
 眠い目を擦りながら戸を開けて両親のそばへ行こうとドアノブに手を掛けたと同時にバタンっと勢いよく
ドアが開かれて母の腕がアスカを抱き締めた。
「さ、逃げるのよ、アスカちゃん」
 灯りの無い筈なのに母の顔は背中の禍々しく燃え上がるようなあかい色の影となってよく見えない。
「マ、ママ?!」
 熱風と轟音が周囲を包み込み、闇の包帯がアスカをぐるぐる巻きに埋もれさせていく。
「ママ!パパ!」埋もれる隙間から懸命に手を伸ばしながら叫んだ。

「ママ!パパ!」飛び起きたアスカ。
 汗だくの身体と湿ったシーツでそれが夢であったことを再び知る。
「また、あのときの夢が…」
 額の汗を拭い、起き上がりスリッパを履いて窓元に寄って夜空を見上げる。
「駄目ね、ベッドで眠るといつもあの夢ばかり」
 下弦の月が射し込む光にアスカの裸身が輝きと翳を作る。
 夢に魘されて寝汗をかくことを嫌ってベッドではいつからか一糸纏わずに眠ることにしていたのだ。
 濡らしたタオルで全身を拭くアスカ。
 幼かった日々から年月は流れたが復讐の思いは積み重ねられていった。
 熟れた甘い果実のように弾力のある肌の膨らみは主の思いに反して瑞々しさを放っていた。
「恋か…、そんなものしたいけれど…」
 夕方の出来事を思い出し、急に恥ずかしくなる。体つきが女らしくなるようになって以来、異性に裸を見ら
れたのが実は初めてなことに気付いて余計に恥ずかしさは増した。両手で乳房を鷲掴みにして愚痴を溢す。

「邪魔なだけなのに、どうしてこんなに大きくなるの」


「あ、おはよう、アスカさん」

 ヒカリが部屋の鍵を開けて朝が来たことを知らせる。
「もう朝なの」
「服は全部洗濯してしまったから、悪いけれど今日はこれを着ていて頂戴ね」
 テーブルの上に着替えを置くとウィンクしてヒカリは朝食の準備のために階下に降りていった。
「全部、洗濯したですって?」
 起き上がり、テーブルの上の着替えを手にとってみると、当然それらは女物の下着にワンピースである。
「なんなのよ、これ」
 ビスチェにガーターベルト、スリップを手に取り当惑する。見た事はあってもこれらを身に付けるのは実は
初めてであるからだ。

「あら、よく似合っているわ」
 ダイニングに降りてきたアスカを見てヒカリが微笑む。
「そんな、こんなヒラヒラしたもの、私の柄じゃないわ」
「そうかしら、今の姿が本当のアスカさんだと私は思えるけれど」
 ヒカリの言葉がアスカにはどうもこそばゆい。
 女であることを嫌い、自覚もせず、またそうやって復讐を遂げることを生きがいにして今まできたのだ。
『復讐に邪魔なら女なんて当然捨てて構わないわ』
―――14歳のときにそう誓って以来、男の格好しかしていない。今更女らしくなんて……。
聞き流すように朝食を食べ、珈琲をすすっていると
「おはよう、すまないが野暮用で寄らせて貰ったよ」
「あ、保安官、いらっしゃい」
 戸口から保安官の加持リョウジが帽子を上げて会釈する。
 アスカの前まで来ると
「君が昨日来たアスカ、さんかな。私はこの町の保安官の加持リョウジでね、今後とも宜しくな」
 胸元に手を当てて淑女に挨拶する紳士のように傅き、アスカの右手を手に取り、手の甲に軽く口付けをした。
「かわいいお嬢さん、私は帰ります。何かご相談があればいつでも伺います、では」
「きっざ?」と鼻息で抗議するトウジ。
 キスされた手の甲をじっと見つめながら、加持の言葉がアスカの心のなかで反射し続けていた。
『かわいいお嬢さん、かわいいお嬢さん、かわいいお嬢さん、かわいいお嬢さん、かわいいお嬢さん、
かわいいお嬢さん、かわいいお嬢さん、かわいいお嬢さん、かわいいお嬢さん、かわいいお嬢さん、かわいい……』


「歓迎会?」
「ううん、トウジの店も出来てから二十周年で、店を継いで8年になる祝いも兼ねての歓迎会だって」
「じゃあ、住むの、あそこに」
「どうやら居候を決め込んだみたいだよ、ちゃんと稼いで宿代は払うってトウジが話していたよ」
「そう…」
 仕事を切り上げたシンジが手伝って貰ったトウジから聞かされた話をレイに伝えていた。
 スープを皿に注ぎながらトウジ達が自分達二人の歓迎会を開いてくれたことを思い出すレイ。
「行くよね」
「……ええ」
 時間は過ぎ、ガス灯を燈す頃となる。
「背中のボタン、御願い」
 薄い桜色をしたドレスの背中のボタンをとめてくれるよう頼むレイ。
 実は背中に手を回してとめられるのだが、お気に入りのこのドレスのボタンはいつもシンジに留めて貰う
ことにしていた。この町に来てから初めてシンジがプレゼントしてくれたドレス。ほつれ等は縫い直す事で
大事にしてきたドレス。ささやかな幸せな日々がこのドレスにこめられていた。

「こんばんは」「今晩は」
「あ、碇さん、綾波さん、いらっしゃい」「お、来たな、お二人さん、いつもお似合いやな」
 出迎えたトウジ・ヒカリ夫妻が祝いの花束をレイから受け取る。
「もうちょいで始めるところや、保安官ももうすぐ来はるやろ」
 ダイニングには近所の店主や宿泊客達も降りてきて集っているようだ。
「マサさん、ファナさん、こんばんは」
「今晩は、綾波さん、泊まっているだけの私達もお招きに預かり嬉しいです」
「御綺麗ですね、ほんとに」
 羨望の眼差しでレイを見つめるマサとファナ。
「有難う、でもあなた達も素敵よ」
 はにかむように照れるマサとファナ。
 ヒカリさん、少し手伝うわ」
「あ、そんな、わざわざ悪いわ」
「いいの、いつも世話になっているから、私もシンジも鈴原君に」
「じゃあ、少し御願いするわ」
 厨房に連れ立ち入っていく二人。
「あ、あんた来たの」
 つっけんどにシンジに話すアスカ。
「昨日は、ゴメン」
「ま、いいわよ、事故は仕方がないもの」
 借り物のレモンイエローのドレスを着ているアスカ。
 楽しい事のは好きらしく周囲の店主や宿泊客ともすぐに打ち解けて談笑の輪を作っている。
「じゃあ、今後とも宜しくね」
 手を差し出し、握手を求めるシンジ。
「そうね、馴れ合いはするつもりは無いけれど仲良くしましょ」
 笑顔の下でシンジの手を力の限り握り締める。
「ああ、勿論さ」

「楽しくなりそうね」
 レイが皿に盛り付けながらヒカリに話し掛ける。
「そういえば何か事情があって人探しを続けているって昼間話していたわ、情報を集めるためにこの町で
暮らして手掛かりを掴むとも云っていたわ」
「手掛かり?」
 表情を見せないように顔を傾けて訊ねる。
「…家族を殺されたんですって、小さい頃に」
 ヒカリが小さく呟く。
 GP04の匂いと関係があるのかしら――思いを巡らしていると突然、
「そう――――うぅっ」
 急に吐き気がこみ上げて来て口元を抑える。
 眩暈が頭を包み、一瞬、身体がふらつく。吐き気を抑えきれない、悪寒が全身を引き剥がそうとする。
「だ、大丈夫、綾波さん」
「ご、ゴメンなさい」
 隠すように洗面所に走るレイ。
 手押しポンプを押して蛇口から水を汲んで顔と手を洗うが、そこには諦念の翳が挿し込まれていた。

「――ここまでなの、もう…」


「ねえ、あんた、さっきね」
 トウジの耳元で囁くヒカリ。
「ふむ、ふむ、そうか、遂に綾波にか、やったな、シンジ」
 ゲームに講じているシンジを見やるトウジ。まるで弟を見守り兄のように。
「こんばんは」「コンバンワー」
 玄関にどうやら保安官の加持リョウジが来たらしい。
「保安官、コンバンワ」
「おう、トウジ、来たぜ」
「鈴原くん、こんばんは」
 傍らには情婦の葛城ミサトが妖艶な色香を発するように腕を組んで佇んでいる。
「ゲッ、誰、こいつ」
 アスカが露骨に不満の表情を浮かべる。
「ああ?、あなたが行き倒れだったアスカね、私はミサトよ」
「こいつとは一緒に暮らしているんだ」
 腕に抱きつくミサトを紹介する加持。
「結婚しているの?」
「いや、まあ、一緒に暮らしているだけなんがな」
「じゃあ、私にもチャンスがある訳ね」
 その遣り取りを見ながらトウジが毒づく。
「なんで保安官ばかりがモテルんや、不公平やないか、なあ、シンジ」
「いや、でもカッコいいよ、保安官はさ」
「お、裏切りもん、そないな言い方ないやろが」
 不平を鳴らすようにビール瓶を取りイッキ呑みをするトウジ。
「シンちゃ?ん、私のベッドはいつも空いているからね」
 指で投げキッスをシンジに贈りながら胸元の大きく開いたドレスをズンズンとシンジの前に近づける
ミサト。
「そ、れ、と、マッチ、取ってくれないかしら」
 タバコを吸うために胸の谷間に埋めたマッチを取るように懇願する。
「い? からかわないで下さいよ、ミサトさん」
「3センチ、太っているわよ、あなた」
 ボソリ、とミサトの背後で睨むように喋るレイ。

「へいへ?い、ち、惜しかったか、もうちょっとだったのに」(なんで判るの?、私が太ったことを)
 入れ替わるようにシンジの前に立つレイ。
「あなた……、あの」
 思い出したようにトウジが立ち上がり「シンジ、おまえも祝い事や」と笑みを浮かべ、間髪おかずにして
「どうやら綾波さん、オメデタみたいなのよ」とヒカリが追随する。
「えっ!?」
 驚いたように立ち上がり、レイの顔を見つめる。その表情は周囲の表情とは違い、苦しく切ない。
「……」二人の表情は互いの影となって周囲からは見えない。
 レイを抱き締め、口付けをして、踊るようにして舞う二人。
 心を隠すように嬉しさを装いながら。

 その様子を醒めた目付きで加持は見つめながら小さく呟いた。
「オメデタ、か」


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