真・世紀エヴァンゲリオンシリーズ:外伝
外伝第参部 とても大切な、大事な事 〜あなたに逢えてよかった〜
『僕は一体、何を知っているのだろうか』
宇宙使徒との降臨戦争が始まって既に3年が経っていた。
西暦2031年初冬の第三新東京市
シンジにとって未だ戦闘に対する意義も目的も見出せていなかった。
シャフトとリングへの接触、いやエヴァが動き出したことが使徒を引き寄せていることは判っていた。
『でも、なんの為に使徒達は宇宙から降臨してくるのか?』
これに対する回答をミサトは何も話さず、口を噤んだままだった。
「シンジにはシンジ自身が成すべき事があります。
それをエヴァに乗る中で見つけて行きなさい、そして未来を紡ぐ意味がいつか知り得るでしょう、
それまでは帰ってきてはなりません」
戦闘の過酷さに耐えきれなくなり、綾波を連れて家出を行い、保護された時の碇ユイの言葉だった。
以来、季節毎のビデオメール以外で母の声を聞くことは出来なくなっていた。『母さんはエヴァで何を目指したの、そして今、何をしているんだよ!?』
気付けば更衣室のカーテンから、レイが心配そうな表情で立っていた。
微かな表情だがシンジにはぎごちない感情の表し方をするレイの表情が何を思うのかが判るようになっていた。
「碇君、辛そう……」
抑揚のない、だが心の底から振り絞るような短い綾波レイの、心の顕れ。
「僕は一体、何をやっているのだろう…
父さんは何も話してくれない、話してくれることもなくなってしまった…
知りたいのに、判って欲しいのに、判りたいのに、どうにも出来ずにただエヴァに乗っている…
母さんは何も言ってくれない…」
苦悩の中で心の深淵に沈み込めたトラウマがフラッシュバックする。
絶望、恐怖、いのちの終焉、無への回帰…、全ての始まりと終わりへ…。
蒼白になったシンジの顔を優しく撫で、レイはシンジの頭を抱えるようにしてお腹にあてた。
「私には何もできないわ、でも、一つの終わりは全ての終わりではないわ」
滂沱に頬を汚しながら、心を噛み締めるようにレイの手を握り、立ち上がるシンジ。
「ごめん、でも、ありがとう…
聞いてくれて…綾波も話したいことがあったら、話してよ、僕らは一人じゃないんだから」
風が髪を揺らすようにすぅっと自然にレイを抱きしめて囁くシンジ。「雨の後は必ず、晴れるわ‥」
「そうだね、服、汚しちゃったね…」
「……洗えば…落ちるわ」
「くくっく、そうだね、帰ったら食事の用意をしなくちゃ、今晩、ミサトさん、夜勤ないからね」
その二人の光景をカーテンの隙間越しに鈴原トウジと渚カヲルが少し離れて覗き込んでいた。
「くそぉぅ、おいしいやっちゃなあ〜、シンジは、離さんかい、カヲル」
「ダメだよぉ、割り込んでボケをかます、なんて美しくないlことをするとは」
絶妙なボケと突っ込みを入れながら二人を見守るトウジとカヲルであった。
第参章:糸を巻くもの
各ラグランジュ点に散在していた3本のオービタルシャフトとリング構造材の静止軌道上空へ移動が完了したのは
西暦2032年の8月下旬の事であった。しかしシャフトとリングの結合が開始されるのは降臨戦争終結後事である。この秋、碇シンジは2ヶ月間の遺跡宇宙船近傍に戦闘区域の異動を行い、続いて3週間の月面基地へ出張勤務、
明けて翌年、第3新東京市に戻ることになる。鈴原トウジと参号機も碇シンジと同行、綾波レイ及び零号機の区域異
動は行われることはなかった。その理由を知る者は極僅かである。
5月上旬、第3新東京市の春は遅く、寒冷化のペースが早まってきていることもあり花冷えのする毎日であった。
芦ノ湖畔、高台の公園の桜は五歩咲きといった色合いで日差しのもっとも強い箇所が薄桜色に重ねられていた。
その下のベンチに座る碇シンジと綾波レイ。
ミサトが花見に連れ出してきたのだが、しこたま呑んだビールで酔い潰れており、トウジは隣のベンチで昼寝に
浸っていた。ささやかだが、うららかな午後の一時。束の間の平穏。西暦2039年3月上旬、関東地方は豪雪に見舞われて第一東京市では積雪が60cm近くに達していた。
粉雪が残る中、自宅周囲の雪かきをするシンジ。
3月一杯で綾波レイに宛われたこの家から引っ越さなければならないのだが、狭いながらもこの半年の生活から
愛着さえも湧いていた。
歩くに最低限の除雪を終えると、微熱でベッドに眠ったままのレイの具合を見るために家の中へ戻っていった。
「全てが仕組まれていたとしても、恣意が働かなければ波はオキナイものだ」
「だがな、碇、
地球が動いている限り大洋のうねりがしずまぬように、人が生きていく限りにはあがらうことは
出来ないのだぞ」
「そうだ、あがらう者よりも嵐を誘う者が思惑をも越えるのだ」
「絶望も希望も嵐の大きさ次第、か」
「今は待つ、それでいい」二人を陽炎のように見ている白い帽子を被った少女が居た。
それは誰?
「忘れられてしまうのは辛いのかい?」
兵装ビル横のリニアレール出口から零号機がケージに戻されていく間中、雲間に覗く満月を見ていた綾波レイに
渚カヲルが問い掛けるようにも、独り言のようにも、どちらともいえない、どちらともとれる表情で言葉を漂わせる。
レイは少しだけカヲルを目で追うが、無視するでもなく応えるでもなく、ゆっくりと瞬きをして再び月を見ている。
暫く無言で白銀の注す光に照らされていたレイが一呼吸おいて口を開く。「忘れる辛さも、忘れられない辛さもあるわ… 辛さが消えれば忘れることも、辛さが来たからこそ忘れることもあるわ」
軽く伏せた目で月の向こう、夜の向こうを眺めるようにして
「心に有ることと、忘れることは無くなることではないわ、 傍らに有る限り、忘れることは捨てることではないわ‥」
自嘲気味に鼻息を吐き、確認するような仕草で渚カヲルは自分に語りかける。
「シンジ君が羨ましいよ……」
「花の匂い…」
久しぶりに自宅であるミサトのマンションのドアが開くと、芳しい匂いがレイの鼻腔をついた。
「ああ、これね、勿論、本物の華よ」
レイの後ろのグランディスが問いに対する回答を云う。
「相変わらずあの屋内キャンパーの部屋じゃあ、潤いが無いからね、この間、仕入れたのよ」
リビングには棕櫚の三段重ねの棚に植木された生花が八鉢、色とりどりの花弁を開いていた。
「手間の掛かるのはあれだから百合にしておいたけれど、雰囲気が違うでしょう」
食材をテーブルに置くと、離しながらてきぱきと夕食の準備を始めていくグランディス。
「はい、レイちゃんも手伝って」
ミサトとシンジが遺跡宇宙船に出向いている間の一ヶ月程は居残ったグランディスがレイの保護者代わりを
する為に来ているのだ。
「まず、簡単なことから始めましょう」
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食事を終えてくつろぎながら、口元にティーカップを運んだグランディスから笑みが溢れる。
「やっぱりレイちゃんの煎れた紅茶は絶品ね…」
二口啜って、カップをテーブルに戻して
「レイちゃん、花は何故咲くのか判るかしらん?!」
母親が娘の問いに答えるような調子で問い掛ける。
「…生殖のため」
素っ気なく答えるレイ。
「そうね、確かにそうよ、でもね、花は咲きたいから咲くのよ…
人が歌いたいから謡うように、踊りたいから踊るように、花はね、さあ、今、私はここに咲くわ、
といって咲くのよ」
「……」
「春があって夏があって、秋も冬もあって、雨も風も、嵐も雪も、灼熱も、カラカラの大地もあるわ……
でもね、花は朝も、昼も、夜も、咲くために咲いていくのよ、どんな時も、どんな場所でも……ね」
考えるようにすこし俯き、瞬きをゆっくりとしてから顔を上げてレイが唇を開いた。
「…それは、必然も偶然も、目的も結果も、一つの事象に過ぎない、ということなの」
満面の笑みで諭すように話すグランディス。
「それはどうしてかしら、ね」
「それは、…生きているから」
「そうよ、生きているから、花は花を咲かせるのよ
レイちゃん、あなたもあなたの花の蕾を持っているわ、一つではなく、沢山の…ね
少しづつ、咲かせていきましょう、その花を、シンジ君もそのことを、ええ、もちろん、知っているわよ」
何も持たず、何も始めから無かった事で何も得ることも失うこともない、そう思っていたレイ。
心の奥底、世界の中心の、光と闇の向こうで熟成されている揺らぎに戸惑い始めたレイ。
それが花となるのなら、私は咲かせたい、どんな花であっても――
「……はい」
西暦2033年、8月下旬、第参新東京市郊外。
乾いた一発の銃声、そのまるで現実感を伴わないおもちゃのような炸裂音。
時間と虚構と自分と他人との乖離のように全ての事象がバラバラになっていく、そんな感じ。
「えっ?」
碇シンジにとって、その出来事は世界の空隙から出た歪みのように、映画のように、目の前の出来事を自覚
する時間が遅れてしまっている気がした。
荷崩れをしたバッグのように倒れ込んだ、人という名の物体、それが何であるかに気付いた時、全ての乖離
した世界の事象は光よりも早い衝撃を伴ってシンジの心を叩き付け、潰しかねない程であった。
「?おい、ちょっと?!」
人形のように横たわる身体を抱き抱えても、名を呼んでも、かつてその名を呼ばれた個人は黙ったままだ。
流れる血潮はみるみるシンジのシャツを濡らし、わなわなと震えるだけしかできない。
「ミ、ミサトさん…、血が、血が止まらないよ…ぅ…」「しまった!」
ミサトは己の不覚を呪った。
第三新東京市内においてエヴァパイロットへのテロリズムが、こうも至近で行われる直前まで阻止出来な
かったこと、ましてや巻き添えの被害者が出てしまい、それがシンジの友人であったことなど。
「…撃つ前に阻止出来なければ警護の意味が無いじゃない、SPは何をしていたのよ」
虚を衝かれたとはいえ、初弾のみで肩を撃抜き、被害を最小限に止めたのは事実としてもシンジに与える
ショックの甚大さの前では為す術も無かったに等しい。
「シンジ君、ゴメン…」
無念さと怒りにまかせてテロリストの胸ぐらを掴み、引き寄せた反動で地面に打ち付ける。
「目的はなんなのっ?」
必死で心臓マッサージを試みるシンジを見ている目は狂喜を迸らせている。
「死なないで、死なないでくれよ、もう誰も死なせたくないんだよ」
我を失ったかのように一途に処置を試みても、流れた血が、開いた瞳孔が、張りを失った手足が、笑いを
失った声が、元に戻ることは無かった。
一見冷静に救急手配を行い、手当を介助していたレイだが、シンジが絶命した友人の蘇生を壊れた時計の
ように繰り返しているに及んで、その手でシンジの両手を掴み、白い手を鮮血に染め上げた。
「もう、ダメ、ダメなの、碇君…」
強く握り締めたその手の、力もなく固まっていることに気付いた時、シンジは我に返り、只々レイの顔を見なが
ら泣くだけであった。「当然の報いだ、人殺しめ、贖う事の出来ぬ煉獄にもがき苦しめばいい」
喉元をミサトに締め上げられたテロリストが紅く染まった両眼から怨嗟を澱むように独白する。
「僕は…人殺しじゃ…な…ぃ…」
これ以上ないというくらいに大きく見開かれた目からは光りは失われ、零れるような声での反駁。「血に塗れた殺戮者はいつもそうだ、
正義を振り翳して、平和の名の下に力なき者達を踏み潰していく、
そして何も無かったかのように勝利を謳い上げ、栄光を鼓舞する、クズ共だ…、ぜ」直接戦闘による被害者が少なからず発生し、罹災してしまう人数が多い事も分かっている。
それらは全てミサトは掌握していた。
だがしかし、その全てを有りの侭にシンジに伝える事に躊躇したのは1度や2度ではない。
被害を少しでも抑えたい、それはミサトも気に掛けてはいた、だが、ゼロには出来ない。
その犠牲者を厭わない事で宇宙使徒を撃退しているとしても、それは強者の論理に過ぎない。
仮にMEATIAにおける人的被害が組織壊滅状態に陥ったとしても(翌日午後、月面基地、崩壊)故にこそ
殉職と言う美辞で済ませている事に違いはないのだ。
反MEATIA運動や降臨戦争終結後の碇シンジ/綾波レイ両人に対するテロリズムが未曾有の被害から
恩讐と恨みの報復が大部分を占めていたのは事実である。
勿論、これは人が負の感情を一方的に押し付けて己の不合理と不幸を転嫁したい生き物であるからなのか
もしれない。「黙りなさいっ! 何もしなければ、ただ死んでいくだけなのよ」
ミサトがテロリストの頬を叩き、黙らせようとするが、その言葉自体がミサト自身を抉られる思いであることにも
変わりが無かった。――殺し合いを指揮しているのは私なのだ、と。「それが苦しみだ、化け物と人形に判れば、だが、な…」
「黙りなさない……」
ミサトには声を絞り出すことしか出来なくなっていた。
「綾波は…人形じゃない…」
憎悪と忌避と畏怖を混めた人々から綾波レイへの侮蔑の代名詞、人形。
人形のように、能面のように、無慈悲なまでに澄んだ美貌、こころを持たぬ、何も持たない人形、だと。
自分への侮蔑と悪意の数々にはシンジは必死に堪えていた。
墜落事故で奇蹟的に救命されたが、暖かく迎えた人達の目に潜む、卑しむような、化け物を見るような、
取り繕われた偽善の影。そのこころから叫ばれる、理解を超えた、不整合な、自らの軌範と生活の周囲に
存在しえない、綾波レイの存在への深層心理での排除。
それらは如何にミサト達が努力しようとも耳を塞ぐ事は適わず、降臨戦争終結後は極限に達することになる。「お前等は、絶望、そのものなんだ、ゥグァッ」
腔内で含んでいた青酸カプセルを噛み砕き、テロリストは自決した。
翌日午後、シンジのこころを現わすかのように秋雨は強く降り注ぎ、晩秋のような冷たさを伴っていた。
月面基地の惨状を知っているかのように全ては沈黙のヴェールを外そうとはしていなかった。遺骸の親族へ引渡し、駅で見送ったシンジを人気の無い駅前のロータリーでレイが傘を差して待っていた。
最終決戦前の準備の為、第三新東京市のMEATIA関係者を含めての疎開は、ほぼ終わっていたので
列車が走り出した後には降頻る雨音だけが流れていた。「碇君…」
掛ける言葉が見つからない事のもどかしさ、その歯痒さ、それすらも表す事の出来ない辛さ。
「綾波、綾波も、泣いていいんだよ、僕は、綾波の、綾波の涙を、僕にだって泪を拭くことぐらいは、出来るよ……」
雨に濡れながら、泪を溜めながらも、シンジはレイの傘の中に入った。
雨に煙るモノクロのような情景の中、レイの紅い傘だけが一つだけ時間を止めていた。
第四章に続く・・・
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