ACT.4 露見する思惑、故に砕かれる哀しみ
「まったく、手の出し様がないわね」
少ないながらも観測の結果から上空から撒き散らされたW字型の物体内に
入っていたのは間違いなく、上海市内の市民であるとされた。
但し、生死は不明だがあの状態では生存はほぼ絶望であり、状況からして
使徒に取り込まれた後で廃棄されたとも考えられた。
「使徒を倒しても残されるのは死屍累々、か」
報告書を投げ出しながら溜息を吐くミサト。
「構わずに攻撃しろ、なんてシンジ君には過酷ね」
――― ◇◇◇ ―――
どたどたどたん、と仮設テント下の椅子を倒しながらトイレに駆け込んで
嘔吐するシンジ。
なんとか食事をテーブルで綾波と向かい合い摂っていたのだが、武器輸送
用の大型特殊重機がディーゼルエンジンを唸らせながら地鳴りを上げて脇を
通過した際の独特の噎せ返る重油の匂いに中てられて吐き気を催したのだ。
再度の攻撃に備えて整備の喧騒と重機の轟音が使徒により停滞し、澱んだ
上海独特の空気に混ぜあい、決して快適とはいえない状態だった。
肩で大きく息をしながら顔を洗うシンジ。
蛇口に頭をつけて、冷静になろうと髪を濡らし続けた。
そのシンジの様子を心もとなく見続けている綾波。
周りは出撃準備で忙しいのか、二人に注意を払う者は居ない。
虚しく流れ落ちる水の音だけが綾波の耳に聞こえる。
どう声を掛けたらいいのだろうか、どう言えばいいのだろうか。
どうすればいいのか分からずに右手の中指を震わす綾波。
「……」
訳が分からないまま、胸の奥底から湧上ってきた何かの衝動を抑えきれず
に立ち上がり、タオルを手に取るとシンジの横にゆっくりと歩み寄る。
「碇君――、顔を拭いたら……」
「ごめん、綾波、ありがとう」
タオルを受け取ると苦笑しながら顔を拭いて、髪を拭くシンジ。
それがシンジのカラ元気であることは分かったのだが、何か胸にキュっと
くる痛みに戸惑う綾波。
『私は碇君の苦しみが分からないの――!?』
――― ◇◇◇ ―――
「ミサト、聞こえる?」
ノイズ雑じりのレシーバーにミサトが片耳を当てるとグランディスの声が
聞こえてきた。
「市内の様子で何か新しい事が判った?」
「良い報せ、といより悪い報せね」
「どういうこと?」
「分断された上海支部の回線を調べてみたところ、生存者がいるらしいの、
でも悪い事に想定される避難箇所は使徒の直下後方1キロあたりね」
「救出はほぼ絶望なの?」
「無理だわ、使徒を倒した後の爆発に巻き込まれる公算大よ」
「待って、算出された爆発規模を照合してみるわ――」
作戦室の中央モニターに市内地図と爆発被害予想を重ね合わせていくと
「――ちょっと、今迄の中で2番目の被災範囲だなんて、これじゃあ、一歩
誤れば初号機も零号機も大破を免れないわ」
――― ◇◇◇ ―――
「碇くん、聞こえている……」
前を行く初号機の首筋、エントリープラグ周辺を見つめながら話し掛ける
綾波。
「大丈夫だよ、聞こえている…」
落ち着いた口調で返事を返すシンジ。
モニターにはすまなそうに微笑んでいる。
「心配してくれてありがとう、落ち着いたよ」
「碇君が心配してくれたように私も、碇君の――」
「綾波――」
互いの顔をモニター越しに見つめ、再び口に思いを乗せようとした時に
「いい、二人とも、被害を最小限に抑える為にコア全てを一撃で破壊、AT
フィールド全開で防御するのよ、判って?」
ミサトの割り込みに思わず冷ややかな眼差しで「了解しました、葛城中佐」
と低く答えたレイ。
「な、なにレイ!?」
背筋にゾクっと寒気を感じて鳥肌を立ててしまうミサト。
――― ◇◇◇ ―――
「綾波――」
上空の使徒が放つエネルギーにより、帯電した磁気雲内を動く度に放電の
アークが零号機と初号機を光らせる。
市内を突き進んだ先にシンジと綾波が見たものは、まるで産卵を終えた貝
殻で埋め尽くされた海辺のようにW字型の断片に閉じ込められた人々の屍が
広がっていた事だった。
「こんなの、こんなの、あっちゃいけない事なんだ、こんな酷い事なんか、
起こしちゃいけないんだ、こんな打ち捨てられちゃいけないんだ――」
それが自分に向けられたものなのか、それともシンジ自身に言い聞かせて
いるのか綾波には判断がつかなかった。
「私も…こういうのは嫌――」
シンジの苦しみ、哀しみがまるで薄いシート越しにしか感じられない、
このもどかしさに唇を噛む綾波。
ただ一つ、そんな中で判った事がある。
『苦しむ碇くんを見るのは私も苦しい、力になれないのが…苦しい…』
“それを切ない、というのよ”
違う自分が耳元で囁いた様に感じて目を見張るがエントリープラグの中は
他には誰にも居ない。
「行くよ、綾波」
「ATフィールド全開!!」
――― ◇◇◇ ―――
「どうしたの?
攻撃は失敗したの!?」
鉛色の雲を突き抜けるように一條の光りが上空に伸びた際にはコアを破壊
したとガッツポーズを上げたミサト。
しかし、雨雲が晴れるように消え去った後に見えたものはX字型の使徒か
ら伸ばされた無数の槍に串刺し状態にされた初号機と零号機だった。
幸い、直撃を避けていたのだがアンビリカブルケーブルは断線し、補助バ
ッテリーパックも大破していた。
武装も初号機も左肩のグレイブソード以外は破壊されていた。
初号機のモニターには気絶し吐血している綾波の様子が映されている。
だがコンディショングラフは低下を続け、イエローラインを下回ろうとし
ている。
「綾波、綾波、綾波、返事をしてよ、綾波、返事をしてよぉっ!」
ギシ、ギシ、と串刺しにしている槍が太さを増して押し潰してくる軋みが
エントリープラグを歪ませる。
「一緒に帰るんだよ、綾波、帰ろう!」
白濁した意識の闇を漂う綾波レイ。
『ここは、どこ…、
私は、
また、一人…、
まだ…一人、
私は帰るの…、
私は還るの…、
誰、呼ぶのは…、
私の中にあるのは誰…』
ふっ、と心に浮かんだシンジの笑顔。
「碇くん!」
初号機が顎部拘束具を引き千切り雄叫びを唸らせた。
同時に零号機の顎部拘束具も外れた。
初号機の背部拘束具、エントリープラグ部分の左右それぞれ斜め下のパー
ツが吹き飛んだ。
その途端、光の奔流が溢れ串刺し状態の使徒の槍全てを圧し折り切断して
逆に使徒を下から撃ち抜くように突き抜けていった。
時の砂粒が溶けて飴のように崩れた。
掛けて突き放った。
その上海市の半分以上を吹き飛ばす爆発の烈震は日本を越えて地球の反対
側でも観測される程の規模だった。
――― ◇◇◇ ―――
「誰も、救えなかったね」
暁の中を第三東京市に向けて飛行するAMH-3-BHTの機内、パイロッ
ト待機室で肩を落しているシンジ。
後続する僚機には零号機が搭載されていた。
「それは違うわ、あそこに居た葛城中佐達、そして、私を碇君は救ってくれ
たわ」
シンジの隣に座る綾波。
「それは自己満足かもしれないよ」
「そうかもしれない、でも、私は嬉しい気持ちなの…」
ぎごちないが優しくシンジに微笑む綾波。
その笑顔はシンジだけにしか見せない笑顔だった。
シンジのプラグスーツの肩のラッチを外す綾波。
こうする事で肩廻りが楽になり、落ち着くからだ。
「お願い、碇君」
自分一人でも外せるのに身を少し屈め、まだLCRに濡れた項を見せる。
黙って綾波のプラグスーツの肩のラッチを外すシンジ。
この時以降、二人で使徒邀撃を行なった後は必ず互いのラッチを外すよう
になっていった。
「そっか、レイもあんな優しい顔をするのか、って当然よね」
そっと様子を伺っていたミサトが音を立てないように後ろに下がると一人
合点しながらコクピットへと戻っていった。
「なにニヤついているの、皺が増えるわよ」
グランディスの皮肉に「ジャマしちゃ悪いなぁって思っていたのよ」と含
んだ笑みを返す。
「ジャマって、ああ、そうね。
二人が心から笑い合える時が本当に世界が平和になった時ね」
「そのためにも、二人には出来るだけ人を死なせたくないわ、
それが、身勝手なエゴだとしても哀しみを増やすよりはマシよ」
それから宇宙使徒との闘いが終るまでの事を簡単に話した綾波。
話し方自体は簡潔すぎる部分が多くてルリは苦笑しながら聞いたが、かえっ
てそれが母の不器用な想いを感じて温かな気持ちになった。