第8章:夢の終わり
西暦2033年9月半ば。
第3東京仮設ケージ外、発射台架頂部。
「…碇君」
「――、ううん」
最後の出撃を控えたシンジとレイ。
夕刻を回り、薄暮の空には満月が何事もなかったように輝いていた。
対宇宙使徒との最大の地上戦闘となり、苛烈な状況へと追込まれ、
アスカを殺さざろうえなかったことを悔やみ、一人反駁しているのだ。
「2時間後に出撃よ。食事と仮眠が必要だわ」
「ああ、そうか」
責めもせず、同情もしないレイ。
使徒と融合してしまった人間を隔離できる技術などない。
何も云わず、何も求めないシンジ。
夕食のタッパーを開け、2つの皿に盛り出すレイ。
黙々と食べ始めるシンジとレイ。
夕闇は更に深まっていく。
食べ終わるとティーポットからマグカップに温かいアールグレイを注ぐ。
湯気が立上り、冷え込んできているのが分かる。
レイがシンジの為だけに茶葉から淹れたもの。
「人の心配とは、綾波には珍しいですな」
「シンジ君だからよ」
遠くから二人を双眼鏡で見るミサトとハンソン。
サムソンは望遠マイクで集音している。
「でも、見てていいんですか」
「こんなチャンス、滅多にないんもの、外せないわ」
「またバレてもしりませんよ」
:
寒冷化が進んでいるので日が暮れると肌寒さが増してくる。
吐息が白む。
10月半ばにはここ第三新東京市にも雪が降るだろう。
凛とした山間の向こうの大空に広がる星々の世界。
今までの惨状とこれからの惨状を知らないのか月は銀色に鈍く輝いている。
まるでそこには何も無い様に。
そこで全てが始まり、全てが今、終わろうとしている。
食器を片付け、帰ろうと立ち上がるレイ。
「仮眠、摂らないと」
「うん、いや、ここで、いい」
「そう、じゃあ」
「綾波…、綾波…、一緒に居てくれない?」
振り返らず、前を向いたまま背に話す。
「…」
一度だけ瞬きをし、目を細め、何かを呟き、自身に返答する綾波。
数秒だったのだろうか、数分だったのだろうか。
頷いた後、
返事はせず、再びシンジの傍らへ座り、身を触れる程に寄せる。
毛布を廻し1枚の中に二人を包み込む。
綾波の確信犯的行動に軽く驚くが、恐る恐るに肩へ手をかけ、レイを引き寄せる。
レイは瞼を閉じたままだ。
地上の作戦準備作業の音も僅かしか届かない。
風音も止んでいる。
ただ、紅茶の残り香と胸を梳かせたプラグスーツからレイの体臭がフレグランスを
伴い漂うだけだ。
普段はもとより戦闘中でもフレグランス類をレイは着けたりはしない。
特別なとき、シンジの前だけ。
その事に、シンジは今、本当に気付いた。
更に強く抱き寄せる。
無防備な寝顔で寝入っているレイをまじまじと見つめ、肩の小ささ、腰の細さに
胸が痛くなる。
この5年近い戦いで適格者は二人とカヲルを残して死んでしまったし、トウジは
行方不明のままだ。
初めて出会った日々から今までが思い出されていく。
綾波レイ。
今なら言えることがある。
涙がこぼれそうになり、天を見上げる。
レイが眠たげに薄めを開け、シンジをみやる。
「??」
「綾波、一緒に来てくれないか。
一緒に戦って、終わらせて、
そして一緒に生きていこう。
一緒に居たいんだ」
「…ええ」
同日、午後23時30分過ぎ。
熱核コンデンサ利用のポジトロンライフル2門で最後の宇宙使徒を特異点の彼方、
虚数空間へと追いやり、全ての戦いは終結した。
渚カヲルが使徒を捕縛したままで。
「君達には未来が必要だ」
(Bパート開始)
EVA初号機落下より2時間後。
ドゥヅゥン、と誘爆が続く中で崩落していく天井都市。
地上へと繋がる非常通路を登ってくる人影が2つ。
半ば背中に凭れ掛るように綾波の足許は覚束無い。
崩れ行く階下は波打ち、進路を次々と塞いでいく。
懸命に痛みをこらえるように肩を貸すシンジ。
だが、右腕はだらりと垂れ下がったままだ。
あと、もう少し、という寸前、無残にも通路は残骸に埋め尽くされ,隙間は人一人
通れるかどうかだ。
落胆しそうに膝を折るシンジ。
勢い余って綾波はそのまま倒れ込んでしまう。
「綾波!!」
「碇君、お願い」
そっとシンジの胸を押す綾波。一人で行け、というのだ。
今のシンジには綾波を背負い、上るだけの余力は無い。
「何を,何を言うんだよ。
やっと終わったんだよ。これから始まるんだよ。
一緒に生きていこうと言ったじゃないか」
重症を負った為か出血が激しく意識が空ろになっていく。
シンジが翳んで見え出す。
「変ね。
血が抜けていくなら軽くなるのに、身体が重いわ」
「もういい、僕に任せ、って」
言い終わらない内に爆風が地下から二人を薙ぎ払おうと突き上げてくる。
轟音が周囲を揺るがし、視界が戻った時、隙間は完全に塞がれてしまった。
「く、…」
「綾波!!」
抱き上げ、何度も問いかけるシンジ。
「シン、ジ、くぅ、」
右手でシンジの左頬を触ろうと伸ばすが、届かない。
腕を上げる力さえもうない。左手を添え、白く小さな右手を左頬に当てる。
冷たい! 体温が下がっている。
「も、とぅ、い、ぃ、た、ぃ」
「す、ぅ、づぅ、ぁ、す、い、だ、、い、す…」
震える身体で唇をシンジに近づけようとする。
―が、カクン、と崩れて、息さえ止まってしまう。
「綾波、綾波、綾波、アヤナミッ、答えてよ,レイ!!」
微かに動いていた胸の鼓動も弱まるのが手を通して伝わる。
「まだ、言っていないことがあったのに、
好きだって、
スキだってまだ、
まだ言っていないのに……」
意識が遠のきだし、音も振動も匂いも薄まりだしていく。
ガクンっと突き落とされるような衝撃がした。
漆黒の巨大な手が降りてきたことを消え行く視界の中に捉えながらシンジの世界は閉じた。
数日後、第二東京病院内病室。
左手に温もりを感じ、瞼を少しづつ明けながら左を見やる。
ベッドに寝ているのは綾波である。
起きたことに気付いたのか、眠り込んでいたシンジが顔をあげると込上げてくる喜びと
愛おしさを堪えるように口を開いた。
「お帰り」
「…ばか」
体を起こし、両腕で抱きつくシンジ。
戸惑いながらも、背中に手を回し、今、生きていることを再確認するレイ。
包帯だらけの身体が痛々しいが、はにかむような笑みを浮かべ、耳元で囁く。
「紅茶が飲みたいわ」
「ああ、そうだね」
「さあて、お邪魔虫は退散しますか」
「もうちょっと、て粘ったのは誰かしらん」
「いいっこなしって」
扉の隙間から覗き込んでいたミサトとノリコ参謀が廊下を戻っていく。
「結婚式はいつかしらん」
「当分なさそうね、酒の勢い借りても押し倒せないから」
つづく