第5章:目覚めのとき
(Aパート開始)
大気圏外まで突き上げた爆炎と衝撃波は山を削り、谷を鎔かし、川を
抉り、海を干からびさせていった。
上昇していく黒き月。
何者も寄せ付けず、ゆっくりとラグランジュ点へ移動していく。
「どうやら始まったようだな」
「冬月教授」
「御無事でしたか」
「ここにとばされたよ。私が判っている事を話しておいた方がいいだろう、
碇の息子達は」
「両名は現在、奪還作戦の後方支援に当たっています」
「冬月先生」
「ユイ君、まだ始まったばかりだ」
「そうですか、EVAシリーズ量産の真意はリングとシャフトを使って何かを
するためですか」
「ああ、機能を発動させるためにはS2機関は必要らしい。
だが、私にも使徒襲来の本来の意味が不明なままだ」
「解析できた遺跡の情報は5%を越えていますが、その意味するところを
掌握できてはいませんから」
モニターに映る夜の地球。
リング自体の地球自転面に向かっての幅は2km近いが、映像で見る限り
細い輪にしか見えない。
シャフトの最大直径も3kmに満たない。
月面へ帰投する初号機と零号機。
「レイ、大丈夫!?」
「ええ、もう大丈夫」
プラグから出てくるレイに手を貸しながらスーツの実装を解いていく。
「ミサトさん、トウジは?」
インカムからの応答は無い。
「あれ、回線、塞がっているのかな」
残るオービタルシャフト、スールヴァナーティとイーラヴァナーテ。
占拠状況が最も深刻であり、奪還の進捗も遅々としていた。
モニターを眺める指揮官の元に奪還部隊との戦況が逐次報告されていた。
「構わん、作業を継続しろ。
起動さえしておけば目的は達したことになる」
「奪還部隊への対応は?」
「作業用エレベータの個別電源以外は使用不能だ。
300キロを登ってくるまで発動準備出来ればいい。
タワー部の状況は」
「初期の予定通り、"制圧"行動を続けています」
「うむ。露払いには好都合だな」
ナレーション:(声:若本規夫)
地球各地域の伝承の中に幾つか散見される降臨伝説。
天空の彼方から下ろされた階段から、神々が大地を作ったというもの。
今となっては、それらの記述がシャフトを指し示すものなのか、故意に
改編されたものかは判別できない。
現実に今、我々の眼前にシャフトとリングは構築されているのだ。
かつての宗教裁判が、衆目の中で拭い切れ得ない懺悔と化して以降の
現代において、シャフトとリングの背景まで伺おうとするには考古学は
あまりにも無力であり、工学はその幼稚さを曝け出した。
ましてインド洋にて発見された巨大な宇宙船。
20世紀後半、月面で発見された遺跡、支援設備。
誰もが覗ける世界である月。
そしてEVAの発見。
遺伝子操作の資料、情報抗体の発見。
21世紀初頭、恒久月面基地建設と火星探査。
全てはここから始まったのか。
重力の井戸の底へ伸ばされた釣瓶を引き上げるものは誰なのか。
3月27日、午前二時過ぎ。
かつての月面遺跡跡に構築された格納庫に立つ冬月と碇ユイ。
「14年ぶりだな」(冬月)
「そうですね、初号機と零号機が月面に揃う姿は」(ユイ)
「二体ともここに眠っていた。
発掘されたときには動かし方すら分からなかった。
あの事故が起こらない限り、EVAに意志が在るなどとは誰も考えも
しなかっただろう」
「人がEVAと出合ったことは良かったのでしょうか」
「綾波レイ。
彼女は私にとって絶望の始まりだった。
こんな世界の幕開けを担わなければならなかった。
そして今、また新たな世界への幕引きを担おうとしている。
ユイ君、君の息子と共にな」
「私には、あの子は、希望なんです。
全てを失って、自分さえも失ったあの子が人として生きていく、
人の喜び、悲しみ、怒り、楽しみ、愛すること。
こころの容(かたち)をつくるのは人と人との繋がりだというのが
これほどとは思いもしませんでした。
たとえ、これら先人の遺産が何を目的としたものか、どんな結果が
齎されようと、二人は正しい選択をすると、私は信じています」
ケージ内で整備を受ける二体。
発掘された時の様子と同じように鎮座している。
整備作業を見守る二人。
視線の先には整備班と進捗状況を確認しているシンジとレイの姿があった。
「どうして起きなかったのかしら」
「何が、ミサト」
コーヒーを飲む手を休め、ミサトが呟く。
「初号機は月面事故でレイを助けるために起動した。
位相転移までして感応したのに、第三新東京市の廃墟に埋まったまま
二人の身を案じなかったわ。二体とも二人にしか動かせないのよ」
14年前、2025年、突如起きた謎の月面基地消滅事故。
発掘が進む中、拘束具を引き千切り、崩壊していく基地へと位相転移
した初号機。それが初めてEVAが起動したときであった。
廃墟の中、守られるように発見された綾波レイ。
未だまだ知り得ない秘密がEVAに隠されていることを確信するミサト。
零号機と初号機、それ以降の弐号機から拾三号機までのEVA。
何故、2体だけが月に格納されていたのか。
降臨戦争当時の状況を回想するミサトとノリコ。
「そうね、確かに変ね。
5年間、ぴたりとも動かなかった。
今回も事件が起こる前に起動した。
埋没状態から掘り出すのに二年もかかったのにね」
ノリコが独り言のように言葉を返す。
「眠っていたのかしら」
(ユイ指令は発掘には直接関わらなかった。
当時を知るのはゲンドウと冬月教授だけか)
EVAシリーズを建造した各国は何を企図しているのだろうか。
疑問は尽きなかった。
「二人は?」
「仮眠しているわ」
仮眠室内、薄暗い中で天井を凝視しているシンジ。
時刻の文字盤だけが明滅を繰り返している。
横で静かに寝息をたてている綾波レイを見やる。
そっと髪を撫でると
「眠れるときに眠っておかないと」
思い出すように笑い、
「この前も、そんな事、レイに云われたね」
「そう?」
「そうだよ」
半身を起し、レイを凝視する。
応えるようにレイも身を起す。
二度瞬きし、
「鈴原君、助かってたのね」
「会って、なんて云えばいいのかな」
「泣くの?」
「泣くかな」
「あなたは泣くと思うわ」
「どうして?」
「あなただから」
右拳でシンジの額を軽く小突く。
つづく