第12章:螺旋階段


(Aパート)
「じ、地震か?」
 ハンソン、サムソンの居る火星赤道基地を低周波振動が襲う。
 火星全土で地震は続き、巨大な峡谷嶺が形成され出していく。
 まるで地下を這い回る蛇のように大地が波打ち、地殻が揮え出す。
 静止軌道のオービタルリングと接続された4本のオービタルシャフトがゆっくりと機動を始め出す。
「ついに始まるのね」
 月面基地ルナ3で全周囲モニターに映し出される状況を見て碇ユイが呟いた。
 地球でも、月でも同様にリングとシャフトが機動を開始した。
地表上からは昇り出したシャフトからのプラズマ放電が闇夜を淡く照らし出す。
「残存するEVAシリーズ10体が相転移、火星とのラグランジュ点10箇所で
基幹開放状態に遷移しました」
「間に合わないのか、もう」
 唇を噛み締めることしか出来ない状況に苛立つノリコ参謀とミサト。
「ステージ:8thフェーズに移項しました」

「ぐわおおおおお!!」
 展開した12枚の翼からホーミングフェザーを全方位に撃出し10体のEVAへと
数万数億の光の鏃を飛ばしていく。
「もう嫌なんだ。今度こそ,今度こそ守りたいんだ」
 残敵を薙ぎ払いながらアステロイドへと向かうシンジ。
 減速制動をかけてEVA-参号機を抱え、周回基地へと再加速する。

 叛乱部隊の抵抗も潰え、チェックメイト寸前、そんな具合かなと考えているとバシャン、と
バケツごと魚を床に撒いたような音がして後ろを見やるジャン。
「!?」
 濡れそぼった綾波レイがうつ伏せの状態で居るではないか。
「綾波さん、綾波さん、大丈夫ですか?」
 何故ここに?! 火星ではなかったのか?
 死角に身を伏せ、取敢えず介抱に専念する。
 ようやく気付くレイ。
「ここは?」
「フォヴォスの機関部の2ブロック前です。一体、どうしたんですか」
 片膝をつきながら立ち上がるが、少し眩暈がする。
「だ、大丈夫ですか?」
「コアが潰れる前に零号機が相転移してくれたのかも」
 目元を押さえ、混濁する意識をハッキリさせようとする。
「こちらジャンです、綾波さんは無事です、うわあっと」
 影に潜んでいた叛乱兵が不意に銃撃を加えてくる。
 虚を衝かれたジャンは咄嗟に反撃できない。
「くぅ、危ない」
 ジャンを庇いながら身を反転、廻し蹴りを2回見舞い即死させる。
「ゴメンナサイ、殺してしまって」
「だ、大丈夫ですか」
 数発、銃弾が掠めて兆弾も背中に突き刺さらんとしている。
「多少の防弾効果はあるの、ただ、痛みは少し、ね」
 スーツの実装を一旦解除し、傷口の消毒をする。
 右太腿を撃ち抜かれたのか、ジャンは立てない。
「この先が最後ね」
 壁を蹴り、奥へと降りていくレイ。
「一人じゃ危険です、グランディスさんを待って」
 再度、苛烈な銃撃が頭上すぐ傍の壁を這っていく。
 足止めされてしまうジャン。
「グランディスさん、早く来てください」
 振り返ると、もうレイは見えなくなっていた。

(Bパート開始)
「最後まで演出過剰ね」
 フォヴォス周回基地機関部の扉を開けながら言い放つレイ。
「やはり君は来たね」
 振り向きながら不適な笑みを浮かべる渚カヲル。
 周囲の空間から"潜るように"発現してくる元12人の適格者達。
 そこにシンジとレイも居るが空ろな映像に過ぎない。
「もう終わったのよ」
 仕掛けた爆弾が爆発を始めた。上下前後左右に揺さぶられる。
 手を翻し、リフレクターチップを投げつけると交錯する閃光。
 崩れる適格者の残像と入れ替わる最後の12使徒の虚像。
 レイの身体をリボン状の光が走査しプラグスーツに変質していく。
 傷を負っているが成熟した五股の艶やかな線を浮かび出させる。
「渚カヲル、いえ、ナディア。止めなさい」
 一瞬、カヲルの全身が霞むと次にはナディアに変わっていた。
二人の白兵戦が開始され、チップによりリフレクションを網の目に
張って追い詰めていくレイ。
「君は何を望むんだい?」
 カヲルの残像を重ねながら幾重ものレーザーが織成す綾波を回避していく。
 だが、数回身体を通過していく波で腕はちぎれて脚は根こそぎ粉砕されていく。
 そして再生を繰り返す。
 レイによって破壊された機関部が誘爆を続け、轟音と塵芥が部屋中を満たしていく。
 二人は会話をしているが聞き取れない。
「…、で、と。流石は元ファーストチルドレンね。それで」
「…じゃないわ。今こそ、…」
      :
 再生が追付かなくなったのか、左足は切断されたままだ。
 生体ナノマシンも分子レベルでの活動が止まれば揮発していく。
 12回目の誘爆で部屋の証明が瞬いた。すっと消えるナディア。
「!?」
 背中に警戒を移した刹那、獲付く様に現れたナディアに捕縛される。
 ビクン,と痙攣し快感と苦痛とが入り混じった衝撃に堪えようとするが、
もがいても抜け出せない。
「私は二万五千年も待ったのよ。この時を」
 108体の宇宙使徒も12人の適格者も用意したものだと。
 鞭のようにレイに幾重にも巻きつかせた腕で強く締め付け、右手先で豊満な
左胸を鷲掴みにし揉みし抱くよう指先を差込み肉体へと食い込ませていく。
左手は下腹部へと下ろしていきながらずぷりと同化させていく。
「ひゅわ?!」
 焼きつくような激痛に戦慄き、全身から噴出す汗。
 意識さえ空白に彩られていく。涎とも泡とも口から毀れ、涙も零れる。
膀胱も緩み流れ出す。量子分解が始まりスーツが維持できなくなり包帯のように
変質していく。
 ぼろぼろと千切れていくスーツ。
「女の匂いね、そう、そうなの、でも終わりだわ」
 左手の先が何かを見つけ嘲笑するナディア。
「ずっと私は見ていたわ。幼いころからのあなたを」
 フラッシュバックするレイの成長。
 シンジと始めて出会いぎこちなく挨拶するレイ。
 泣きながらシンジの頬を平手打ちするレイ。
 残暑の中、梢の影でシンジの肩にもたれ眠るレイ。
 雪の冷たさに目を丸くするレイ。
 大破した零号機からレイを救いだすシンジ。
 シンジと共にミサトの夕食を作るレイ。
 レイのヘアカットをするシンジ。
 シンジと共に宿題を片付けるレイ。
 シンジとの初めてのキス。
 アスカの墓参りをするレイ。
 病室のベッドでシンジの背中に手を回すレイ。
 ウエディングドレスを試着するレイ。
      :
 いつもそこにはシンジが居た。
 合えないときも忘れることの無かったシンジ。
 浮かぶシンジの笑顔、プロポーズの言葉、シンジ、シンジ。
「シ、ィ、ィ、ゥ、ン」
 微かに動く右手から一条のレーザーが伸び、数枚のチップを介し、
左手薬指で屈折してナディアの左目を抉り焼き貫く。
 全身が発光し、機能維持以上のエネルギー負荷状態になっていく。
「ぐわああ、ぐうう、ふっ、遅い」
 左腕が紐状に変化しガツッと太刀へと形を変え、背中側へと肉を切りぬいた。
 何かを耳元で囁いて霧となって消えたナディア。
 残ったのは太刀で壁に打ち付けられたレイ。
 死んではいない。敢えて急所は外している。
 スーツの切れ端があるがほぼ全裸のレイ。血塗れだ。
 思い出されるプロポーズの言葉。
「あ、綾波、い、いや、その、レイ」
「…はい」
 いつになく躊躇とろれつが回らなく、支離滅裂な話をするが言葉尻に
盛んにレイを付けながら話すシンジ。深呼吸をして、
「結婚して欲しいんだ、一人にはしない」
「紅茶だってちゃんと飲むときは葉っぱは沢山入れないと…」
 などと更に延々と支離滅裂な話をしだすレイ。
 困惑し返事を待っているシンジに気付き更に動転するが、
「ずっと、ずっと前から好き。
 はい。はい。なんて言えばいいの。わからないけれど、
 OKです、シンジ」
 レイは初めて、はっきりとシンジの名を呼んだ。
 部屋中に漂う血潮。
 非常照明のみの中で煌く光点が一つ。
 レイの左薬指の婚約指輪。
 その頃、ようやくEVAシリーズを殲滅した初号機が基地にたどり
着いた。半身サイボーグのトウジも続いて取りつく。
「ジャン、綾波は?」
「爆破は成功した。でも未だ戻って来ないんだ」
 悲壮な表情を浮かべ、中へと走り出すシンジ。
「レイ,レイ,レイ,どこにいるんだあ!!!!!!!!!」
 脱出通路から進入しインカムで叫び続ける。
 レイの涙は既に血に変わり、凝結していた。
 レイは、シンジと別行動をとって良かったと思っている。
 巻き添えにしなくて済んだ、と。
 以前にもあった、血が抜けていくのに身体が重い。変だと。
 ほんの十数メートルしか離れていないのに機器と隔壁が二人の間を無限とも感じる位に隔てていた。
 この10年、シンジと出会って様様な出来事、戦乱。
 死と別離、楽しいこと悲しいこと、心の術を曝け出す事の難しさ。
 好きだと言えるのに10年が必要だったこと。
 10年経っても相変わらずシンジの煎れる紅茶は下手なことも。
 支えられる人が居ること、支えてくれる人が居ること。
 甘える意味、甘えられる意味。
 そこに私を待つ人が居るということ。
 待ってくれる人が居るということ。
 抱き締めた時の肌の温もり、重さ、その大きさ。
 とても心地良く、ほっとする想い。
「本当にあなたに会えて良かった、ありが――」
 それはもう言葉にならなかった。
 唇も動かなかった。
 誰も聞く者も居なかった。
 瞼は開いていた。
 だが、瞳は静寂色に沈んでいる。
 時に西暦2039年、3月30日、午後3時25分。
 綾波レイの時間が止まった。
 25回目の誕生日であり、本来は結婚式の日であった。

 部屋の気圧が下がり、明滅する非常灯。
 非常口が空けられシンジが飛び込んできた。
「レイッー!!」

 つづく


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