12月31日 99グランプリ、神山賛美
映像の世紀アンコール、加古隆のピアノが悲しく……ジョージ・ハリソンが刺され
いいドラマ見させてもらいました、神山雄一郎。
ほんと、いい競輪だった。
失格にはなっちゃったけど、小倉の競りを堂々と外で受け、相手にせず、吉岡のカマシを止めて、選手交代? かのように次ぎは金古の捲り。「来てるよ!」とおもわず声を出したら、それもブロックしてくれた。
なんか久しぶりにドキドキした。
これだけスピードアップした現代競輪で競りなんて無意味だし無理なんだよ、と吐きすてた関係者や某選手、見てくれましたか。意固地になるけど、オレはこれが競輪だと信じています。
最終ホームで小倉を落車させた時、失格かもしれないという思いが浮かんだかもしれない。それなのに吉岡と金古を止めヘトヘトにもかかわらず、定石のイン突き児玉と二着をもがき合った神山は美しくもあった。
アシュラの如きレース。
あの激しい神山を見てくれれば、競輪ってすげえだろうと、新しいファンを説得できる可能性は多分にある。
ともかく逃げる、しかも逃げ切った太田も素晴らしい。一番注目の集まるレースで、誰にでも納得で、どんな人にも説明できる決め手、しかもえらく可能性が低くむずかしい、先行してそのままという「出し物」で幕を降ろさせたのだから、褒めるしかない。
神山の「仕事」のおかげだろうという解釈をする人もいるだろうけど、それはまったく違う。むろん、神山のブロックがなければ成立せぬ優勝かもしれないが、神山のあの「番手の仕事」は太田の半端じゃない一流の逃げがあってこそのものなのだから。
太田の「逃げ舞台」、神山の「番手アシュラの舞台」。表裏一体となった「競輪舞台」はいま思い出してもとりはだが立つ。
勇気のいるホームカマシを打って行った吉岡も「吉岡の競輪」だったし、吉岡がダメと見るや思いっきり内をキメに行った小橋も「小橋の競輪」だった。
吉岡を見てからかどうだったかはわからないけど、やっぱり最後の捲りだった金古も「金古の競輪」で、捲っちまうのか! と全国のファンに思わせたことだろう。
その金古マークの東出は4着。いつもギリギリのところまで自分を追込んでいる「何か」はやっぱり伝わってきた。
コメントも地乗りもまったく「見せず」だった小倉は皆? の期待予想どおり番手をやった。
グランプリにたいしてのエロス的現実は百人百様であったろうが、ほとんどの夢想予想のなかの要素には、小倉の番手勝負というのが前提としてあったはずで、それをちゃんと実践してくれた小倉に正直オレは胸を撫で下ろした。
ここまで書いて、あとは山口と児玉。
あそこでインを空けてしまった山口は……。
ともかく二人とも最初っから内狙いの感じで、それがこのレースにおいての彼らの生きる道=優勝の可能性だったのかもしれんけど、七人があれだけの闘いをしているのに、はなっからイン狙い(もちろん、これは極私的偏見かもしれないけど)の選手がいるのはなんかね。
でもまあいいや、七選手の創り出したドラマがあまりにもすごかったから。
繰り返す。
ブラボー! 神山。
深夜、録画してあったNHKの「映像の世紀」観る。いや「観る」じゃなく「見る」だな。
ヒマラヤを越えるユダヤ難民に涙が出て、それだけはしてはならなかったアメリカの核使用に暗澹とした。
もの悲しい加古隆のメロディが流れ、アウシュビッツ、ヒトラー、スターリン……。
映像に収まっている歴史的人物も歴史的悪も市井の無名人もすでに大半が死んでいるのだという虚無感が、この番組を見た時にいつも湧く。オレは弱っているのだろうか。
大晦日。
暦の上で年が終わって、またはじまるだけだといきまいてきた自分だけど、ほんとにそうなのだろうか。
「明日なんていらねえさ、吐き捨てるくせに、明日は、明日こそはと、すがってた」とシオンが歌っている。
新年なんてとは吐き捨てられない気もするし、2000年こそはという気もふつふつと溶岩のように沸いてくる。
子供のとき、学生時代、2000年とか21世紀とかって、遥か彼方の、懲役30年の出所後のように無関心なものだったけど、現実にやって来た。しかも自分はそこにいる。
年が明けてすぐに、オレは42歳になる。
12月25日 クリスマスだというのに、有馬記念と競輪グランプリ
30日のグランプリ、小倉が番手、しかも太田の番手らしいというなら、神山本命としても対抗は悩むところ。
競輪祭のダイヤモンドレースでは太田マークを小倉に競り負けていた神山だけど、こういうレースでは一発で叩き込んでくれるでしょう。本気でやったらなどと書くと語弊があるかもしれんけど、まだまだ小倉には負けないはず。
ただ、この競りがあると仮定するなら、神山のライン車券というのも少し買いにくくなる。
神山本命、金古対抗、吉岡、山口、太田の順
かな、現時点では。ああ、やっぱり吉岡はもっと上げないといかんか。ともかくグランプリは全員がこれ以上ないという仕上げ方をしてくるから、直前の成績など無視したほうがいい。
明日は有馬記念。
考えに考えて、今年の年度代表馬確定であろうスペシャルを切った。大好きなのにね。
理由は、この一戦で引退、無理はさせたくないという実に姑息な邪推のみ。
スペシャルを消せたからといって結論は得ず、結局知人の「マエコウファームの馬はいつも気になる」の発言に飛び乗り、ファレノプシスからグラスワンダーに決定。
FKのワイド買います。
12月22日 低能芸能レポーター、小倉は番手勝負かァ
強大なジャニーズ事務所の影響力を恐れてか、ジャニー喜多川(字がわからない)の記事にはいっさい触れないテレビにしゃしゃり出ている芸能レポーターたち。ほとんどが出演局の番組宣伝がらみの構成を平気でニュースのようにしゃべる輩ばかり。
ま、食うためだからと言ってしまえばそれまでだけど、かなりの低レベル。
スマップはそれなりに素敵なのだろうけど、こうやれば売れるというノウハウを機械のように実践するジャニーズ事務所は好きじゃない。
ジャニーズJrの写真集は買ってもいいけど、もし自分の娘が彼らのCDまで買ってたら、「やつらに音楽の印税まであげるのはよしなさい、聴くならこっちだ」などと自分の趣味ごり押して嫌われるだろうな。
小倉は「番手勝負」か。
おもしろくなってきた。
12月17日「歳をとるのを怖れないでください」
Viewsicでモッズのライブ中継。アンコール曲「Two Punks」の合間に森山氏が「皆、歳を取るのを怖れないでください。こんな大人もいます、歳を取るのを怖れずにロックし続けてください」
たったこれだけで少し勇気づくオレは単純極まりないのだろうか。
それにしても、吉岡の前で駆けてもいいと発言している小倉は競輪的なのだろうか、それとも……。
12月5日 K1グランプリと小川−橋本戦
「紀香も一茂も超有名人も大興奮のドーム決戦」とテレビ番組欄には銘打たれていた。
「紀香さんどうですか?」「一茂さん、このホーストの凄さ」空回りするアナウンサーの駄言葉、執拗にアリーナに陣取る「有名人」のアップが画面に流される。
一日3試合、当然のごとく疲労の極地で闘うメインイベントが一番スピードのないものになるのは自明の理。西武の松坂や巨人の高橋の野球をしていない時の呆けたツラなど映したってどうにもなりゃせんのだよ。
噛み合っているホーストとフィリポビッチがなんだかかわいそうになった。
直後、消化不良の感も手伝って、きちんと見てなかった「小川−橋本戦」をビデオで。
大仰なアナウンサー、よく聞き取れぬマサ斉藤の解説、そして猪木の登場と芝居がかったもの(字面どおりだと誤解されるかもしれんけど、あえてそう記します)がそこにあったとしても、年に何回かだけしか見ない芸能人がアリーナ席を独占するK1とは会場の「総意、合意」に天と地ほどの差がある、というのがオレの偏頗な考え。
小川、少しは「受け」てやれとか、肥満体質の橋本と全身筋肉の小川なのだから当然とか、もろもろの批評を飲み込み噛み砕いてしまう試合がそこにはあった。
芝居じみたストーリーや興行という「経済」があったとしても、「小川−橋本」にはそれら全てを一人歩きさせない、客と関係者の偉大なる「合意」があり、K1などというヒヨッコとは格が違うのだ。
「ケンファー」新年号の武藤敬司のインタビューを読んだほうがいいぜ、K1の人たち。
12月1日PUUK PUNK PUNK Get Up & Go
半年前の一千万はいったい幾らになってしまっているのだろう。
午前10時、競輪電話投票センターに購入限度額の照会をするのが男の日課だった。「三千枚まで購入できます」のアナウンスを聞くとほっとする。
約半年前、三十年勤めた会社が希望退職を募り、それに応じた。五十五歳だった。150%支給の退職金や功労金やらを合わせると一千万と少しあった。その一千万を競輪の電話投票の銀行口座に入れた。男のは三十万円担保式というやつで、一日の最初の購入限度額が三十万。つまりその日10時に照会したなら、口座に何百万あったとしても「三千枚まで購入できます」ということになる。
ゼロが七つ並んだ銀行通帳を破いて捨てた、車券の収支をわからなくするためだ。むろん通帳未記入分の明細が銀行から送られてくるのだろうが、そんな物は封を切らずに捨ててしまえばいい。
携帯電話に記憶させてあった電話番号を全部消した。会社関係、友人、兄弟、飲み屋、ノミ屋、全て消去して、換わりに車券を買う「投票センター」とレース結果を訊ける「案内センター」の番号を短縮登録した。
昼間は競輪をする。車券は「電投」で買う。その日の負け、その日の勝ち、どっちにしても次の日になれば「三千枚まで購入できます」のアナウンスだ。一千万円が減ったり増えたり、ても実態はわからないし、わかろうとはしない。そしていつか、「二千九十枚まで購入できます」などと無機質なアナウンスを聞く時がくるのだろう。一千万円が三十万円を割ってしまう日が。
その考えは男を昂奮させた。
阿佐田哲也の小説じゃないけど、「人生は五十五から」だ。
夜何かしようと“ガードマン募集”の面接、西新宿のビルの一室だった。仕事は週三日、高田馬場の雑居ビルの夜警で、夜の8時から翌朝の8時までで日給6500円。一応研修を受けて下さいと“何とか警備保障”と紋章が入った制服を着て、そのビルの屋上で敬礼とか右向け右とかやらされた。
退屈だけど眠気さえ耐えれば楽な仕事だった。明日の競輪の番組が載っている夕刊デイリーを読んでれば時間はすぐ経った。よく一緒に組む「赤旗」愛読の中年はこれが階級闘争だとでも言わんばかりに手抜き仕事で、給料の安さを罵っては競馬の予想に熱心だった。
三十年間の必需品だった背広とネクタイも礼服以外は捨てた。替わりにジーパンを買って履いた。ミッキー・カーティスみたいに髪の毛を頭の後ろで束ねてみようと長髪にしたりもした。
レースとレースの間は文庫本を読む。ちくま文庫の「坂口安吾全集」を一巻から再読し始めた。地乗りを見る、オッズを睨み「携帯」で車券を買う。スタンドに腰を降ろして本を読む。レースを見る、レースが終わったら次のレースの地乗りが始まる。
安吾が好んで書いた色紙の文句は「あちらこちら命がけ」だったという。
胃がやられて胃薬は離せなくなったけど、半年が過ぎた。
電投口座の残高は幾らぐらいになっているのだろう。国際競輪で少しまとめて取り返してはいるが、マイナスは確かだ。
♪さまようように できてるんだぜ そんなにBaby あわてることもねえさ いつかどこかに 辿り着けるさ 時が来れば 感じるぜ 寝ぼけまなこ バッチリあけろよ Get
Up & Go Get Up & Go だからそれまで しっかりやってなよ ――倦怠を滲ませたシワガレ声がFMから流れていた。
午前10時になると胃が収縮する。「こちらは競輪電話投票センターです。加入者番号と暗証番号をどうぞ」。指が覚わってしまった十桁の数字と#を押す。「競輪場番号をどうぞ」。ゼロ二つと#。心臓が早鐘を打つ。「只今の購入限度額の照会ですね――」。女性のアナウンスが三千枚までと告げてくれれば一千万円が残っているのと同じだ。
昨晩寝ながら読んだ業田良家「自虐の詩」の黒ゴチックのタイトルが眼を射したけど、 Get
Up & Go だ。
引用、ストリート・スライダーズ
「Get
Up & Go 」
11月28日 ジャパンカップ、府中本町駅
日曜日、ジャパンカップ、東京競馬場の最寄駅である府中本町。武蔵野線から降りたら人人人。ホームから階段、遅々とした流れのなかの顔は若い人ばかり。この若人競馬ファンがあと30年40年、馬券を買ってくれるのなら中央競馬の一人勝ちでしょう、ギャンブル界は。
11月23日 つまらない大人にはなりたくない、競輪祭は小倉の優勝
小倉の渾身のハンドルが投げられた。吉岡の番手捲りを特別の決勝で差したのだから、もちろん立派。だけど、少し前の伊東ふるさと最終日、引き出しがいてそのラインの海田−小倉で売れてたんだけど、小倉はあまりにも早い切り替え。結果再度そのラインが飛び出して海田の1着で、小倉はそこにいないから抜け目で万穴。あのレースがなあ……。
クサしてばかりじゃダメなのかな。「つまらない大人にはなりたくない」と佐野元春。
武蔵野線車中、いきなり鳴った女子大生風の携帯電話のけたたましさに心臓が一瞬不調に。彼女の横の手すり棒にオレの鞄二度ほどぶつけて、「ね、びっくりするでしょう。あなたの着信音もびっくりするんですよ、非常識」とがまんできずに言ってしまったオレは「つまらない大人」なのか。
11月22日 小倉競輪祭、準決三つ
10レース、2着に届いた金古の脚はすごい、だけど競走は拙いの一言。肝心なとこでレースを見てしまうクセは変わらない。
11レース、山口富生のブロックにアッサリ飛んだ王者神山。前日も競り抜かなければならない位置を簡単に明け渡している。どの新聞も、ほとんどの評論家が、全員権利のレースだし、あれは問題外、心配なしと神山が競り負けたという事実にまるで無関心のコメントばかり。
話にならん。
競輪で競り負けるということは完全なる敗北なのですよ。
神山が全力で競ったのかどうかなんて関係ない。その無様な二日目、12レースにおける負けは全国のファンが、選手が、そして競輪の神様が目撃なさっている。
あの簡単な競り負けが山口のブロックを呼んだ、という解釈はぼくの確信だ、まわりくどい説明はしないけれど。
12レース。吉岡の大楽の逃げ切り。地元番組?言いたいやつは言ってなさい。
このレースでずるっと車を下げた稲村、特別の準決勝だぜ!
稲村が吉岡を尊敬し慕っているのは有名なことで、あれが吉岡を出して、番手で粘ると別戦の捲りが怖いから中団まで引くという、ただの吉岡アシストだったとしたら幻滅。
11月17日 風邪とボブ・ディラン
頭痛、吐き気。薬を服んでも寝つけない。
なにか聴こうとかけたのはディランのベスト。それも書店のワゴンで売っていた音の悪い廉価なやつ。「風に吹かれて」「時代は変わる」〜「女の如く」〜「I SHALL BE RELEASED」。
中学生の時、「バングラディシュ救済コンサート」の映画を友人と観た。ハーモニカとギターの弾き語りで♪Just Like Woman と歌うディランはカッコよかった。それにハーモニーをつけるジョージ・ハリスンもよかったな。
ディランの声は安楽を与えてくれる。
風邪にはディランの歌、という公式が……。
今日から立川は全国区のいないS級シリーズ。頭すっきりするようなレース見せておくれ。
11月13日 君が代
天皇即位10年記念式典。なぜか朝日新聞の記事では参加者による「君が代」斉唱がなされたことが報じられていなかった。朝日のこの扱いの小ささはなんなんだろう。批判的だが批判できかねるから触れない、という意図的なものがもし介在したとしたら悲しい。
天皇の前で、まさに天皇=君の前で「君が代」を唄ったミュージシャンよ。歌はあなたたちにとってイノチガケの何かではなかったのですか。
何でもできると思ったのは 何にもしてない時だった 猿みたいな顔で生まれ 猿みたいな顔で死んでゆく 何でもできると思ったのは 何にもしてない時だった 肩を怒らせ睨みを利かせて 何か怖いものでもあるのかよ と唄ったシオンは当然記念式典には招かれてはいない。
11月4日 「君の瞳に恋してる」
ローリンのカバーはほんといい。何回聴いてもいい。ずっと以前書いたんだけど、この曲を流しながら女の子を紹介するフィリピンパブが川口にあってよく行ってた。――その文章にリンク
あれから何年、その店もとうになくなっちまった。
確実に歳をとって、身体がすこしずつ衰えて、もともと強くもないケンカもやれば負け。だけどバカなガキを微笑んで見送るほど枯れることもなく。
ナイフか樫の棒か、武器が欲しくなった。
11月1日 ふるさと伊東、鈴木誠の優勝、本場に一万人、だけど川口オートは二万六千人
斉藤登−高木隆−鈴木誠と回ってきて鈴木の斉藤。ABCでCAの車券っていうのは取れないなあ。おんなじ並びで準決は単純なBCのズブズブだったし。むろん、斉藤と高木は競輪学校での練習仲間だし親交もあるみたいだから、
高木が斉藤をかばうというのは誰でも考えるんだけど、でもねえ。あの展開でハコ3着の高木は「安く」見られてしまうんじゃないかな、今後。
今日は入っているなと関係者が言う伊東の入場は一万人ちよっと。川口オート初日は二万六千人で中央競馬天皇賞は十五万人。さびれた温泉街と市街の差はあるけれど、ナマを見たいと思わせるエネルギーは他競技の勝ち。
二言めには売上げ売上げの関係者。気にしなければいけないのは、「見にきてくれない」競輪競技の魅力の失われかたなのでは。
10月20日 そんなに偉いのかい
体臭を理由に職場制限されたタクシー運転手。会社も会社だけど、わざわざ、あの運転手の臭いなんとかしてくれと電話してきた客も客。そんなに偉いのかよ、自分だけいつでも何処でも快適でいられる権利でも持ち合わせてるとでも思ってるのかしら。
京都地裁での「雲助」発言。「かけごとで借財を抱えた者が多い」には笑えないけど、偏見というより、ある階層以上で育ち大人になった人間特有の物言いだよな。きっとタクシー運転手とケンカもしたことないのでしょう。「仕事終わりによく乗るのだが二人に一人はとんでもなく気分の悪い奴ばかりだ」ぐらい言ってくれれば、また違うんだろうけど。
だけど一日の終わりに気分の悪い運転手だと一日全部が嫌だったように思えたりして、ほんとヤだねえ。そこまで嫌そうに仕事しなくてもいいんじゃないと注進したく、否、このタコ! ってなっちまうよな、やっぱり。
嫌そうな仕事といえば岩渕書店のバカ女。茨木のり子「倚りかからず」がやっとあって、幸せな心持でレジ持ってたら、扱いは乱暴だしカバーはどうしようもない。本が嫌いなら本屋でバイトすんなよ! どこでもあるでしょう、おなじ時給で。ここしか働き場がなくて、家に幼い弟妹多くてあたしの収入が頼りというなら別だけど。でもそうなら、もうちょっとちゃんと働くわな。
ローリン・ヒルのCD買ったときのレジの女の子は素敵だった。いかにも音楽愛してるっていう感じが伝わってきて、岩渕書店のバカブスとは雲泥の差。
生きる権利は誰にだってある。弱者を庇護する義務もなくてはならぬ。だけど、自分だけぬくぬくと生かされると疑わず寝たり起きたりしている人間に、何ゆえやさしくすることがあろう。
10月14日 図々しいガキ
老人押しのけ我先に座ろうとする電車内のガキ。平気でごみポイ捨てのガキ。なんでも誰にでもタメ口の顔だけ黒いブス。
ま、大人も似たり寄ったりかもしれんけど、図々しい人間の巣窟になりつつあるな、日本は。
親でも先生でもいいけど、いや、親だな。ゴミはゴミ箱に捨てるぐらいは教えろよ。図々しいガキの親はきっと図々しい大人なんだろう。
9月29日 オールスター閉幕、ファン投票1位の気概
神山がいなければS級シリーズの決勝? と間違えられてもしょうがないような9人で、しかも捲ってくださいという展開。ファン投票トッフ゜の神山が優勝してめでたしめでたしという終幕なのかな。
だけど二次予選で三番手のインで粘った神山のレースはトップ選出の選手がする競争じゃないよな。むろん、レースは生き物だし「引けない」という判断もわからなくはないけど、あのレース、神山に高橋光で一本カブリでしょ。一番人気達成のために走るべきだなんて言う気はさらさらないけど、ファンの支持した圧倒的一番人気にほとんど期待感を持たせないレースを、ファン投票1位の神山がしてしまったことはオレは悲しいな。
9月20日 多国籍軍、東ティモール入り
どこの局回しても流れているのが、武装した多国籍軍兵士の一人が自転車だかバイクの二人乗りを咎めている映像。
多国籍側が選んだベストショットが全世界に流されるという湾岸戦争(ベトナムの時もあったか)以来のお決まりのパターンが繰り返される。
教育問題は日教組のせいで、共産党はダメだと声高にふるまう団塊の世代のオヤジが煙草吸いながら見るテレビのブラウン管に、そのバカを満足させる「包みかくした暴力」の絵が意図的に送り込まれる。
9月19日 ストリート・スライダーズ、野音
日比谷野音のステージの裏側には三つの高さの違うビルが並んで見える。その上空を半月が右へ流れ、一番背高のビルにかくれた時に「シーズ・ソー・ヘビィ」のイントロが鳴った。
83年のデビューから16年、彼らはずっとロックバンドで、オレはスライダーズという野球チームは作ったけれどただのサラマンで、オレはロックンローラーにはなれなかったのだなと少し悲しくなった。
全然合ってないけど踊り続ける赤シャツ、まるっきり体が動かないメガネの女の子、はじまって2曲目ぐらいから倒れちまってるヤツ。
やっぱりスライダーズだ。
9月16日 中日―巨人最終戦
吠える星野監督は確かに闘いの「気」を吐くけれど、満塁のピンチで岡島のカーブが続けて決まったときに微笑む長嶋監督の「崇高」さには及ばない。あの場面での微笑みは、なんというのだろう、野球の神様がいるとして、その神に一歩近づいてしまった人しか見せられぬ「顔」なのだ。
巨人負けちゃったけど、あの顔見られたからよしとしよう。
「松井は山本には相性抜群なんです」のアナウンサーと解説の谷沢、鈴木孝の三人の相性は抜群に悪い。聴いてる方は不愉快極まりなし。すこしは野球勉強したほうがいいんじゃないの、谷沢さん。
ついでに映画「スネイクアイズ」最悪。ほんとにデ・パルマ作品かよと首をかしげたくなるほどの愚作。
9月9日 神奈川県警
連日の不祥事、隠蔽の報道。ま、警察官だってあれだけいりゃ痴漢も万引きもなかには出るでしょう。昔、人殺しだっていたしね。
ただ、それを隠してしまう、否、隠せちゃうというのは怖い。
痴漢だ淫行だと毎日名前が挙がる先生、テレビマン。逮捕者の名前、素性をマスコミにリークできる警察にある意図的なものを感ずるのはオレだけだろうか。
役人の、公務員の、先生の、会社役員の不祥事キャンペーンはよくあるけど、警察官のというのはまずない。
19の時だったかな、スピード違反で捕まってちょっと逆らう言葉吐いたら、警察バスのなかで小突き回されて、婦人警官が平気な顔で笑っていた。
免許不携帯の時、指印は押したくないから家までハンコ取りにいかせてくれと説明したら、いきなり笛がなり「指印拒否」とオマワリが叫んで大勢集まってきて威嚇された。
日本全国民の指紋を集めたがっているのだろう、警察よ。
神奈川県警のなんとか本部長のあの記者会見の態度。あれが何十年も警察という機構にいると覚わってしまう「自然」なものだと記したら言い過ぎだろうか。
9月6日 嗚呼、ジャイアンツ
連夜の信じられぬような逆転負け、巨人軍。
学生時代、校舎が御茶ノ水にあったこともあり、隣駅の後楽園にはほんとよく行った。
長嶋監督初Vの年は30試合以上行ってるんじゃないかな。三連敗、三連勝、結局阪急にやられた日本シリーズも見てる。
あのころはキチガイで、グランドに降りてしまい(現在のドーム球場とは違います)警備員とケンカになって警官の詰所まで「連行」されたこともあった。その途中、「ゴールデングラブ室」という札のかかった部屋があったの憶えている。
もういまじゃ、巨人が負けて胃が痛くなるなんてファンじゃなくなったけど、テレビ中継が切れたらラジオで追っ駆けるなんて熱狂信者ではないけれど、この3日間はなァ。
9月4日 「五千回の生死」
「俺、一日に五千回ぐらい、死にとうなったり、生きとうなったりするんや」の男が疾走させる自転車。その荷台で、「おい、お前、今は死にたいのか? 生きたいのか?」と訊く語り手。「どっちでもないんやなァ」「そんなときもあるんか?」「いや、三年ぶりや。三年前までは、どっちでもよかったからなァ」
宮本輝の「五千回の生死」、すげえ小説です。
もう二十年も昔、学校の先輩に紹介された読売新聞社でのバイトをフケてしまい謝罪に行くことになったんだけど、家を出る前に聴いたボブ・マーレィの「Lively Up Yourself」が、ちゃんと謝ろうって、俺のふさがった気持を昂じさせるのに役だったことをなぜか思い出した。
8月30日 オートのテレビ中継
U局で船橋の地区対抗戦の中継。ゲストの三井ゆりが5、6点予想したうちの三番目あたり一番人気が入って司会は「大当たりですね」と連呼する。他に挙げてたフォーカスを指して、「こっちなら千何倍もついて、もっと盛り上がったんですがね」だって。
タコ!
こんなことばっかり書きたくないけど勘弁してくれだよ。
見なきゃいいのか、そうだよな。
8月27日 「砂の器」
12チャンネルで「砂の器」観る。
もう何回目だろう。十回以上観てるんじゃないか。いつ観ても、捜査会議とクラシックの旋律と親子がさ迷う日本の美しき四季が絡み合ってのクライマックスは泣いてしまう。
この映画を観たのは15年前、高1か高2の時だ。
映画は何一つ褪せていないのに、オレは…。
8月22日 「死んでもいい マニラ行きの男たち」
“空港を出るといきなり高温多湿の世界だろ。思考が止まっちゃうから……どーでもよくなっちゃうんだよ” “空港の外に出て、外気に触れた。突然「むわっ」と生ぬるい風に全身をなめられ、頭がくらくらした”
フィリピーナにはまり、ついにはフィリピンに移り住んでしまった、かつて新宿の売れっ子ホスト。そのホストがフィリピンで見聞きした「はまり日本人」と取り巻くフィリピン人の話は面白かった。
競輪学校が国籍条項を外した。
ま、日本在住に限るのだから色んな国の選手がバンクで、というふうにはならないだろうけど、日本出稼ぎのフィレピーナが自国の選手を応援に競輪場で騒ぐ図を想像したら一人笑いが出た。
8月20日 「不況日本、ああ中高年」
田中誠氏のギャンブルレーサー24巻のなかの第256話「不況日本、ああ中高年」は傑作。
「競輪ファンのほとんどは中高年のオヤジで、若者なんかは少ねえし、あとはゴキブリとクズだろ」と言い放つ競走番組製作者が、強力先行の番手が脚のないベテランマーカー、三番手がキレの鋭い捲り追い込みタイプという番組ばっかり作る話。
「年寄り選手が、強力な先行の番手という会社にしがみつく、そしてその後ろからは不況というえらく差し脚が切れるタイプか、捲り脚を持ったヤツがピッタリ張り付いて来るんだ…」「おそらく客達もついつい我が身に置きかえて涙ぐみながら見るんじゃねえか」「まさに社会の縮図と言われる競輪の醍醐味が存分に味わえるって訳だ」
沸く場内、燃える客。
「やっぱり競輪はもっともっと中高年を大事にすべきだったんだよ」「いままでは……ぞんざいに扱っとったからなあ…」「だいたい移り気で、人生の機微さえもわからん若者を呼び込もうなんて方が無謀ですわな」
いつもオレが言っている、中央競馬と同じこと、女子供にきてもらおうなんてことやってもムダ、いま競輪を支えているオヤジ、年寄りたちを気持よく遊ばせてくれというグチを見事にマンガにしてくれている。
痛快かつ感動。
8月18日 大人だろ!
小田原記念の決勝。大外捲り上げて二着の1番車高木隆弘が一瞬5番車に見えたのは俺だけじゃないだろう。やっぱりグランプリレーサーのユニフォームはわかりにくい。色で判別するのが大前提の競輪なのに、その色が違うのだから、そりゃ間違うよ。
元選手でいま場内警備をしている某さんも、「お客さんからの苦情で一番多いのはなんたってあのユニフォームのこと」と話していた。
誰の提案かは知らぬけれど、お金を賭けて、あれだけの速い動きのレースのなか、自分の勝った選手を目で追い一喜一憂するお客さんで成り立っている競輪、という「現場」からは遠く乖離したアイデアとしかオレには思えない。
もう、いいでしょう。
反対派も賛成派も、言いだしっぺの意地がある人も、お客さんの声をちゃんと聞こうとしないと。
「大人だろ、勇気を出せよ、大人だろ、知ってることが、言えないことばかりじゃ、また空が暗くなる」と歌っていたキヨシローの「君が代」が発売禁止になった。
8月11日 ニュース・スティションのスポーツ
今日の巨人戦。後藤のホームランの時の長嶋監督のはいれー行けーというオーバーアクションは最高でした。
ところでニュース・ステーションのプロ野球速報の時のあの雰囲気は最低。誰それはどこどこのファンで誰は横浜ヒイキでと、なんでもいいけど、なんか品のない掛け合いがハナにつく。
司会者がどのチームのファンだろうと、それが放送に出ようと構わないんだけど、徳光さんが巨人だ長嶋だというのとは違うと言うか、徳光氏に較べると全然格下で陳腐、とか思っているのはオレだけか。
8月11日 馳浩は現役
昨日馳浩のことを元プロレスラーと書いたけど、まだちゃんと現役らしいので訂正しておきます。ツマンナイ間違いで「通信傍受」の対象にされないようにね。(冗談)
8月10日 通信傍受法案と元プロレスラー
参院法務委員会での通信傍受法案強行採決の朝日新聞一面の写真に議長席に覆い被さるような元プロレスラー馳浩の髭面。
警察がまたひとつ強大になる通信傍受法と暴力的な強行採決と元プロレスラー。
なんだかなァ。
8月9日 真夏の甲子園 スライターズ勝利!
炎天下の高校野球、さすがに本選ではあまりないけど、地方の一回戦なんかだと実力差があり過ぎて、なかなかワンアウトが取れない「長い守り」を見たりすると、カワイソウというのとは少し違うんだけどドキドキして、チェンジになるのかなァなどと自分が守っている気持になってしまう。
この真夏の甲子園、いったい全国でどのくらいの人が金を賭けて見ているのだろう。
なんでも金賭ければいいってもんし゛ゃないだろうに。
話飛ぶけど、松戸記念の中継見てたら、まだ電話投票何分前のアナウンスを「機内放送もどき」の英語で流していました。
ま、なんだこれ、位で客が無視してくれればそれでいいけど、オレみたいにイライラしてしまうお客さんもいるんじゃないかな。むろん、相当数の日本語がわからない外国人競輪電投票ファンが存在するなら仕方ないですけれどね。
我が野球チーム「スライダーズ」が久々の快勝劇。なぜか監督不在の時に勝っちゃうんだよな。
だけどやっぱり勝つのはほんとうれしい。
8月9日 海水浴
何年も海水浴に行っていない。
海には時々行くけど海水浴はない。
体にオイルを塗ったり、砂だらけで鼻の頭が赤くなってしまうような海水浴は昔のことだ。午前3時、東小金井の駅で待ち合わせて、オンボロのセドリックに6人乗って白浜に遠征したのは二十年以上も前だろうか。
こんなに暑いのに海水浴に行こうとしない。
日本は滅びると言った司馬遼太郎、海水浴に行きたくならない竹林一彦。
だから何だ。
8月8日 踊るマハラジャ
インド映画「踊るマハラジャ」観る。
なんでこんなに長尺なのっていうぐらい2時間は裕に越える大作?
「ご主人様は一人だけ、あとは皆従者」というインド歌謡? の旋律が耳にこびりついただけの映画でした。
平安隆&ボブ・ブロッズマンの「童歌(わらびうた)」聴くと沖縄行きたくなって、ドラゴンアッシュの新作「Viva La Revolution」で渋谷を想う毎日だ。
8月7日 ハイビスカス開花
三百幾らで買ったハイビスカスの鉢植えの蕾が開いた。ハイビスカスなんて南国の花が咲いてしまうのか。もっとも、この暑さ、この太陽なら咲くか。
恩師板橋先生から頂いた暑中見舞いに、「……毎日畑の作物に水やりに出かけています。キュウリ、ナス、人参、里芋等々、正直なもので肥料や水をやらないと育ちません。夕方出かけています。おかげ様で今のところ元気です。私と比べ貴君は三十三才も若いから、まだまだ元気で活躍してください……」とあった。
先生、クラス会を先生が帰られる時、ちゃんとお送りできなくてごめんなさい。
先生、病気なんかに負けないで、次ぎのクラス会
も笑顔で煙草をくゆらせてください。
8月4日 背筋伸ばして姿勢正しく
ビートルズ二枚組ホワイトアルバムの「バースディ」が聴きたくてCDラック探したけど見つかんない。なぜかザ・バンドの「ラスト・ワルツ」、ディランが「いつまでも若く」とライブの終盤で歌っていた。
猫背を直しなさい、年寄りに見えるから。
グランプリ・メンバーのオリジナルユニフォームに賛否両論、って言っても否がほとんど。
お客さんが自分の勝った選手を瞬時に見分けるための色分けができるかどうかがユニフォームの役割のほとんどすべて。
客だって選手だって最初はユニフォームの判別から入るっていうのに、いきなりその色の序列を崩してしまうんだから。
あと、正直あの9人の「服」のデザインはちっともよくないなァ。
8月3日 祝、吉岡優勝
昼過ぎ「全日本」のテレビ中継見てたら、ゲストがテニスの女子選手で、その人の競輪入門みたいないつものノリで番組が進行してた。
車券を買ってくれという番組じゃないよ、ありゃ。
ホリューム切って見てたけど、いい加減、ファンがイライラするもの垂れ流すのはやめにすれば。
「自転車体操」のバカ歌もそうだし、金を使う客の神経を苛立たせるような茶番はよせよ、だ。
それに較べて吉岡の「ファンにずっと迷惑ばかりかけてて…」という優勝談話の清々しきこと。
吉岡が一番人気になる競輪じゃなきゃ、吉岡シンパもアンチ吉岡も気合が入らぬ、というのがオレの持論だから、まずはメデタシ。
8月2日 昨日の続きとGrateful Days
昨日書いた真心ブラザーズが歌っていたディランのカバーのこと、少し思い出したから記し加える。やっぱり正確ではないけれどだ。
♪白と黒しかこの世にはないと思っていたよ
誰よりもいい席でいい景色を見たかったんだ
ぼくを好きだと言ってくれた女たちも いまは想い出の中 ああ、あのころのぼくより いまのほうがずっと若いさ
自尊心のため無駄な議論を繰り返してきたよ
ぼくのことをいいと言ってくれた男たちも 次ぎの獲物に飛び付いた あーあ、あのころのぼくより いまのほうがずっと若いさ
ドラゴンアッシュが「Grateful Days」で「東京生まれヒップホップ育ち」と歌っていたけど、俺は、東京生まれ、ロックンロール競輪育ちだ!
8月1日 サティスファクション
スポーツジム行ってバッティングセンターで打って、ビール飲んでまたバット持って出かけて、仕上げはジムで。
巷? じゃ全日本選抜競輪もやってるってのにね。
真心ブラザーズの新曲「サティスファクション」聴きながらバット振って、汗だくになって、文庫本の2、3ページもめくれば眠くなる。
「真心」の「キング・オフ゛・ロック」のなかにあったボブ・ディランのカバー曲で、題名忘れたけど、♪ほくを好きだと言ってくれた女たちも皆どかへ去った…ぼくをいいと言ってくれた男たちもすぐに別の男に乗り換えた…だけどあのころのぼくより、いまのぼくの方がずっと若いさ(手元にCDがないので正確ではない)というのがあった。
やっと少しだけ、歌の意味がわかってきたような気がする。
7月25日 猛暑
なんだかんだいって夏になる。
寒くて力んだ肩が張ってしまう冬がついこのあいだのようなのに夏がくる。
入道雲を見上げながら歩くと、ああ、また夏がきた。
テレビの映画劇場が終わったあとにかかる定番の悲しい旋律。25年前と変わらず、理由もなく弱気になる。
映画『鉄道員(ぽっぽや)』のテレビ宣伝は、ただ観客が泣いているフィルムを流すだけ。これだけで見る気失せた。そんなに内容に自信ないのかい。
何を言いたいんだか支離滅裂。
7月20日 I’M FLASH
立川競輪場最終日の負け戦。
ほとんど追込みの自在型、地元の某。◎の逃げイチっぽいレースなんだけど、地乗りはその後ろで某とは同期の選手とつかの間併走。地元だしやる(競る)のかなと見たファンも多かったんじゃないかな。
ところが本番はというと、もう一人地元の無印選手を連れてなんと先行、しかもバックからその無印の番手捲り。ま、結果は本線が捲り返して一番人気なんだけど、下品なレースこの上なし! 地元無印の点数の関係か「引き出し」のレースをした地元某。そういうのも競輪だし全面否定はしないけど、あの地乗りはないでしょ。相手選手を騙すつもりだったのか、ただその姑息な地乗りがファンをも騙しているのがわからないのかよ。
また何人かがこの下品な競走にあきれて、競輪への不信をつのらせ、もうやめたとなる。
気にするなよほんの冗談 何もかもうそっぱち
俺はホラ吹きイナズマ パッと光って消えちまう…… (I’M FLASH)
7月16日 「競輪場のおとうさん」
新聞の切抜きを整理していたら、こんな投稿が。
朝日新聞の「ひととき」という欄の川越市笹川米子さんの文章。
“電車がつくと一気に階段をかけあがって来る。ジャンパーに、折り目の入っていないズボンと、同じようなスタイルの競輪場帰りのおとうさんたち。その立ち寄り先が東村山の駅売店だ。酒だ、ビールだ、ウイスキーだ、数十人が押し寄せて、口々に叫ぶ。
来た、私たちも心得ていて、冷蔵庫から冷えたビールをボンボン出す。それでも、遅い、早くしろなにやってんだ、ば声が飛ぶ。コップ酒を水のようにイッキにグイとあおって「またくれ」。赤銅色に日焼けした顔、私と同じ世代のおとうさん、たぶん今日は負けたのだろう、競輪新聞をクチャクチャに丸めてイライラしている。勝った時はにこにこだけど、負けた時はババアと来る、目を合わせないように下をむこう。
一波すぎるとまた次の電車から、次のおとうさんたちがドッと売店を取り囲む。しゃがんだり立ったり、飲みながらケンカも始まる。「三十万持って来たのに二万しか残らねえ」。そうぼやくおとうさんには、家で待っているであろう奥さんの顔がちらつく。
競輪新聞の字が小さいと老眼鏡を買いに来たおとうさんは、これから競輪場に行って一発当てるのだと言うのに、不機嫌で「早くしろよまったくチェッ」と舌打ちをして、度数を自分で選んで買ったのに、ホームまで行ってから飛んで帰って来るなり「こんなもの目がおかしくなっちゃうじゃねえか」とまた威張る。勝ってきてね、心の中では応援しているのに……。
でもそんなおとうさんたちが私は大好きだ。”
そんなおとうさんたちが払う競輪新聞代500円でオレの仕事は成り立っている。
そんなおとうさんたちによって競輪というものが成立っているのに、いったい何人の関係者がそのことにほんとうに感謝しているのだろう。
そんなおとうさんたちを無視したコマーシャル、ルール、ステータス。それらがただのタコだってことはほとんどが気づいているぜ!
7月13日 新しい競輪のCF
自転車体操? なんなんだ。
名のある? 人が集まって造ったのがあれか。
だけどなんで競輪のCMって、ちゃんと競輪を映さないのだろう。レースを、客を、ナマでリアルに見せればいいじゃない。
競輪そのものを隠すがごときコマーシャル。
ただただ情けなく、茶番だ。
7月7日、七夕 三番手捲りかあ
親王牌は中村−小橋の三番手から児玉が捲って優勝。
いまさら記すことでもないんだけど、児玉にとってラインは関係ないってことを、児玉自信が特別の決勝戦で宣言? したレースということになるのかな。
7月3日 雨を見たかい
外はどしゃ降りの雨、前橋ドームは晴れというか曇天。
今日から寛仁親王牌だ。
窓外をぼんやり眺めながら、CCRの「雨を見たかい」を聴く。
この曲、ギターをやりはじめた中学のときに大勢の前ではじめて歌ったオレのデビュー曲でもある。
ふとそんなことを思い出したら、すこしセンチメンタルな気分になった。そしてなぜか、こりゃ今回は(競輪)勝てそうだな、などとと想ってしまうオレの頭の回路はどうなってるんでありましょう。
6月26日 競輪の神様
昨日の立川競輪、敗者選抜。来期S級で100点近く持っている先行選手が準決勝はぐりぐりの本命ながら9着で最終日このレースに。後ろは同県の先輩だけど点数にして20点近く違う選手で、客側の考え、車券の人気はその同県がやっと流れ込むか他へ抜けるかという思惑が濃い。
だけどレースは。
赤板過ぎからともかく突っ張るという練習みたいな競走でズブズブの3着をへいちゃらで食らってしまう。立川バンクを二周近く逃げたら、そりゃ保たないよな。
2日間先行してないし、後ろは先輩だしブンブン行って6番車のアタマと読んだ人もいただろうし、周りの選手からいい逃げっぷりだと褒められたかもしれないし、頭のあがらない先輩だったのかもしれぬけど、競輪の神様はあなたの競走を嘲笑していると思うよ、多分。来期からS級ね、どうか競輪の神様が微笑む競走をして下さい。
6月18日 らしさ?
プロ・スポーツ、6月23日号、取手記念優勝の児玉広志の談話。「らしさを出せたレースやった。切り替えて四番手に入ったところで、『後ろに差されても、前だけは飲み込んでやれ』と思ったんやけど、その勇気が良かったね」。
らしさね。
このレースは西日本は二人だけで、一丸安貴−児玉と並ぶのが自然なんだけど、佐々木龍也が一丸ジカを宣言すると児玉は西日本を無視して本線、金古将人−東出剛の三番手からというコメント。前受けに出た金古が下げると児玉は中団に切り替えて、それを一丸が追走する形になって金古は八番手に。児玉がバックから捲りを打って前記の談話につながるわけだけど、これがオレのレース、児玉らしさだと言われてもねえ。
誰かが来ると回るべき位置を主張しない、むろん、勝つためには競られる位置は必要なしという考え方も出来るんだろうけど、でもなあ。
ともかく、児玉の車券はやはり本線、金古や東出との絡みが売れていて、結果はほんとうなら並びそうな、それでいいて並ばないと言っている一丸とゴールして8520円。
児玉はすぐ切り替えちゃうんだからスジ違いさ、と公言している友人もいるけれど、大多数のファンは買いにくいんじゃないのかな、児玉の車券は。
児玉の単勝でも買えればいいけど(単勝はあるにはあるけどギャンブルとして成立しているとは言い難い)、競輪は2着を探さねばならないゲームだし。
ま、人気通りとか買いやすいように走れなどと言う気もないし、そんな必要もないんだけど、「オレが覚えてしまった競輪」からはどうしても児玉ははみ出しており…。
そんな児玉を、「らしい、会心のレース」などと褒めるばかりの論評には賛同し兼ねる。
6月10日 新人のイン粘り
京王格競輪、A級一般戦。正攻法の81期の先行屋が本命の逃げの番手でイン粘りをかけて地元選手と併走。ま、勝負なんだから何をやってもいいんだろうけどジャンからのイン粘だぜ。ずっと併走で外をドカしにいくでもなく、さいごは内を踏んで二着だったけど、オレから言わせればみっともないの一言。将来を暗澹とさせるイン粘りと記したら書き過ぎか。
6月7日 薄暮競輪考
川崎でサマータイム競輪。
ナイターならいざ知らず、半端に時間をずらしてどんな効果があるのだろう。ま、4時過ぎ以降の電話投票を独占できるとか、ないことはないんだろうけど、仕事帰りにちょっとといっても、やっぱり何個レースかはできないと寄りにくいし。
それと、11時にはもう競輪をはじめたいというファンもたくさんいるんだということも忘れちゃならん。11時前に競輪場に潜り込んでホッとする人たちに、2時まで時間潰せ? というのは酷でしょう。川崎の固定ファンで他の競輪場へ行ってしまった人もいると思うよ。
6月6日 あきれて物も言えない
地元らしいレースならイン切って番手勝負しかないという状況で、ただ車下げて着拾いの某。お客も、多分同じレースの選手たちもそうとしか考えられないところで一人の無気力者。競走のコクも何もあったもんじゃない。なにも毎レース死ぬ気でやれなんて言わないけど「限度」っていうものがある。
違うレースで人気の本線三番手の某が肝心なところで味方であるはずの本線をフタして着拾いみたいなレース。ま、捲りに回ったから捨てたという理由は立つけど、本線買ってるお客はやってられない。むろん選手は自分のために走るんだけど…客に対するヤサシサみたいなもんがカケラもないこの二人。あきれるというか腹立たしい。
大盛況の東京競馬場、66回ダービー。人が集まるもの、売れるものがいいとは断じられないけど、競輪が何かツマラナクなっているから客が来ないというのは断言できるような気がする。
監督の抗議で中断しているなか、外野席のグローブ持参の子供とキャッチボールをしたイチロー。イチローが野球を愛する気持の100分の1も競輪を愛してない選手がたくさんいる。
オールスターの人気投票もいいけど、不信任投票もしたほうがいいぜ!
6月2日 高松宮記念杯、太田真一初載冠
太田が逃げ切って特別ホルダーに。
二次予選、伏見が先行し、それを中団スンナリの井上貴照−後閑ラインが先捲りした上を捲った太田を見た時、強えーと思ったんだけど決勝は買えなかった。
500、特別の決勝、逃げ切りとくれば褒めるしかない。
だだ宮杯47レース全体の感想はといえば不快の方が上回るというのが正直なところ。
500だしスローダウンはわかる、権利着重視もわかる。負け戦だし無理なことは…というのもわかるし事故点もそりゃ気になるでしょう。
でもさ!
先行屋はスローに落として「残れる」ところから仕掛けてマーク屋は競るよりは切り替え先手ラインじゃ競輪の昂奮はないよ。賞金よりも選手としての意地、なんていうのを見せてくれたレースはほとんどなかったというのがオレの総括。ま、いつまでもそんなことばっか言ってんじゃねえよオヤジと言われればそれまでだけど、オレをたぎらせてくれる競輪はあまりなかった。
それともう一つ補充選手のこと。大レースの補充というと犠牲役、引出役というイメージが強いんだけど、今回の補充は得点がちゃんと加算されるということもあってほとんど普通? の走り方。だけど全国のファンはやっぱり補充だからという買い方になっていて…オッズ見てもそうで、伊藤保文のアタマなんか結構嫌われてたもんなあ。マミコミの端くれとして、今回の補充の性格がいつもとは違うというのをファンにちゃんと伝えられているのかなという反省は強く残る。
5月25日、朝 悲しみはぶっとばせ / ガイドライン法成立
青空、青空。
ビートルズの「赤盤」を起き抜けに聴く。
「A HardDay's Night」「Help!」「悲しみはぶっとばせ」「In
My Life」のジョンの声を聴いてたら涙が出てきた。
ガイドライン法成立。どこかで規模の大きい反対デモがあったなどとは全然聞かず、アッサリ成立。学生にデモを期待する俺も、何もしない学生も皆ほんとにダメになった。
5月24日 悲しきかな500バンク
滅多に先行争いにならない500バンクの競輪。いまの競輪自体がブロック等が望めぬこともあって「保つところからの仕掛け」全盛なのだから、500じゃその傾向は顕著。選手側から言わせれば自分の着を考えての最善策なのだろうけれど、なんだかカッタルイ競走ばかり。意地の先行争いってものが存在してこそ「推理」も利くってものでしょう。むろん意地の競り合いも必要なんだけど。
格好だけロッケンロールの軟弱なバンドの歌と一緒で、いくら着飾ったってツマランものには客は来ないよ。
5月24日 サッチーVSミッチー?
経緯も原因もよくわからないで言うけど、ま、どうでもいいんだけど、野村夫人以外の芸能人やマスコミ(これは当然だけど)は皆便乗商法みたいなもので、自分の利を考えての参戦っていう感じ。
あんたらどいてよ、このバカっていう物言いで地を出すサッチーはある意味で、さらけ出しの聖戦というか清々しいなオレにとっては。
ま、どうでもいいか。やっぱりこんなこと書くんじゃなかった。
反省。
5月23日 阪神−巨人
巨人の1点差負け。
プロ野球の選手には羨望しかないというか、ただただすげえ。
空地(いまはもうあまりないか)のガキの野球で一番飛ばして一番速い球投げるやつが集まるリトルリーグ、そのリトルリーグのエースで4番のやつらが中学高校へ。そいつらの中でもまたすげえのが甲子園とか行ったりして、その甲子園組のエースで4番みたいのばっかしがプロに入って、そのまた選ばれたエリート(言葉が適切でないかもしれんが)の中の何人かがプロの一軍のグランドでプレーするわけだから、まあ、なんと壮大で難関な「予選」を勝ちぬいた人達なんだろうと思う。
どんなスポーツでもそうだと言われそうだけど、オレはあえてプロ野球は違うと言わせてもらいます。
ほんと、プロ野球選手はすげえ。
5月16日 テレビ朝日、21世紀への伝言「井上陽水の世界」
仕事しながら「井上陽水の世界」とやらを観てたら、冒頭から「最後のニュース」なんかかかったりして、おっ、いいな、なんて少し集中したらとんでもない。だいたい陽水の曲かけながらイメージフィルムのつもりなのか街中の素人に口パクさせた映像ばかり流して不快もいいとこ。「人生が二度あれば」の曲がかかって、どこかのガキが「父は今年――」という口パクしたところでチャンネル替えました。
誰が構成したかしらないけど、進行役の野田秀樹がアホに見えてしょうがなかった。
どうしようもないの作るなよ10チャンネル、井上陽水が泣くぜ。
5月13日 国際競輪終幕
昨日はマニェに続いたバンジルがナゼか外の方にふくれてフィードラーが中を割って350円の低配当。マニェとバンジルの一番人気を買ってたファンは頭にもきただろうし、フィドラーが突っ込んで、たった350円しか付かないというのにも、釈然としない気持がある筈。
今日の決勝。二段駆けのバンジルを早めに番手から落して行ってマニェの優勝、フィドラー二着、三番手―四番手の車券がなんと210円。ま、レースだし、国際競輪特有の思惑でそういう売れ方と説明されればそれまでだし、俺も車券取ったけど、ここまで安いとは、正直、なんか解せない。
それと、なんで国際競輪と銘打ってやっているのに神山や吉岡や小嶋は出ないのだろう。日本のトップクラスが全然当たらないで、全部外人にもってかれて、いったい何の意味があるのだろう。瞭かにファンが望んでいるであろう対決図式を無視して、毎年開催される国際競輪にいったいどんなメリットがあるのだろうか。
5月12日
最近読んだのが花村萬月の短編集「守宮薄緑」と弘兼憲史の「黄昏流星群」8巻。
花村の「崩漏」を読んでラストで泣いて北海道に行きたくなって、表題作の「守宮薄緑」では沖縄を思った。
「黄昏ーー」の8巻には「七夕七年会」「我が星の果てるまで」の二つが収録されている。41歳になってやっと、こういうのが分かる、いや分かっちゃいないか、ともかく何かグっとくるようになった。
弘兼の他のも読まないといけないかなあ。
5月11日 亜無亜危異/アナーキー
出そうで出ないなんとか、勝てそうで勝てないのが我が早朝野球チーム、東京スライダーズ。まだ眠っている明治通り、「女神インキ」の看板に、ヒット打てますようになどと柄にもなく願掛けながら車を運転する。
負けたけど、久々に緊張する試合展開で一日中いい気分だった。
繁華街のアクセサリー屋で懐かしいロックンロールが流れていてこれがけっこういい。これ誰だったけ。店員にこの曲は? などと訊ける人間じゃ絶対ないんだけど、ハイだったのかなあ。訊いてしまいました。野球のコウフンの余波か。
初期のアナーキーとのこと。さっそく買って聴いてます。「カシム」と「ジョニー・B・グッド」のカバーが気に入ってる。
5月10日 自虐の詩
業田良家の「自虐の詩」上下巻読む。
いさおと幸江。幸江と熊本さん。幸江と……。
上巻末に内田春菊が“「自虐の詩」は想像力のない人には泣けない。「自虐の詩」でその人の想像力を知ろう!”などと言っていて、じゃ泣かねえよと最後までよんだけどウルウルきてしまった。
「自虐の詩」ねえ。
週刊ベースボールの落合博満の連載を読んでカイロプラクティック行ったら、なぜか野球談義。カイロの先生曰く、「テニスでもヒンギスに代表されるように構えないで自然に立って、脇もルーズで壁も作らないで背中中心に大きい弧で回転させる打法が主流なんです。野球だって理屈で言えばそうなんじゃないかなあ」の言葉を天啓とばかりにそのイメージでバッティングセンター行ったらこれがかなりいい感じ。なんだけど手首が痛い。
情けねえ。
5月9日 捨てがたき人々
ジョージ秋山の「捨てがたき人々」5巻読む。掲載月刊誌廃刊によって中絶してしまったのは、ほんと残念だ。勇介の最後が見たかったけど、見れずにほっとしている気持も少しはあって。
NATO軍の誤爆、「軍人になって悪いアメリカをやっつけたい」とテレビに向って言う北朝鮮の子供、釈放された米兵の喜びの言葉とは正反対の恐怖が抜けてないブルーアイ、キューバとアメリカ大リーグの野球の試合。
いつかアメリカは何処かの国に、どこかの誰かに、噛まれるのだろうか刺されるのだろうか、やられてしまうのだろう。
君よ憤怒の河を渡れ、だ。
「答えは風に吹かれている」「でも時代は変わる」とボブ・ディランが歌って、だけど「転がる石の気分はどんなもんだい」とやっぱりディランが歌っていた。
食べて、飲んで、寝て、適当に稼いで、寝て、飲んで、愛想笑いを浮かべて迎合して、食べて、眠くなって、いったいどうしたい? オレよ、アメリカよ。
4月26日 ロッテのボーリック
プロ野球ニュースでロッテのボーリック特集見る。開幕ファームの屈辱。一軍に帰ってきての活躍。西武戦の決勝ホームランのあとの喜びようはなんか伝わってきたなあ。プライドもステータスもなんもかんも、一本のヒットやホームランには敵わない。
バッティング・センター行きたくなった。
4月25日 ラルク?
ラルク・アン・シェルがビジュアル系という選別に怒ってNHKとケンカしたそうな。ま、なんでもいいけど、もし大手のレコード屋、とはいま言わないか、全国展開のCD屋のビジュアル系の棚に自分たちのCDが置かれていたら撤去するのかしら。ロック・ビジネスにとってNHKとケンカするのなんて、一番被害なしだもんな。そんなに「ビジュアル系」という言葉に神経質になってるなら徹底的にやれよ。雑誌もCD屋もファンも選別しろよ。
フォークだろうがメタルだろうが演歌だろうが別にいいじゃない、ただの区分ワケだと思えば。ま、ビジュアル系というのに何か後ろめたさがあるのならまた違う話だけど。
ミッシェル・ガン・エレファントなら、こんなくっだらねえケンカは絶対にしないでしょう。
奴らの「ギヤー・ブルース」最高。
4月17日 無題
Nさんが死んだ。
入院先で死んだと電話で唐突に知らされた。
たいした手術じゃないんだ、それよりこの宮崎学の本面白いよう、貸すから読みなよ。その本になかなか手がつかず、退院してくる前に読んどかなきゃなと読み始めた矢先の訃報だった。
なんだか信じられない。
死というものには何度か出くわしているけれでも、Nさんのはあまりにも唐突だ。死とはこんなにもあっ気ないのだろうか。
リクオの「ケサラ」
平和で豊かな国 信じ合える人ばかり
だけど明日はどうなることやら
誰もわかりはしないさ
ケサラ ケサラ ケサラ
隠してた本当の夢は
涙と歌、道づれにして
レールを外れることさ
4月11日 都知事は石原慎太郎に
石原慎太郎当選。
色んな人が色んなことを言ってたけど、東京という日本における、否日本における石原裕次郎、その兄という浸透度の深さというか「棲みつき」はすごいのだ、というのがオレの考え。
ま、なんでもいいけど、慎太郎の息子伸晃はオレはダメ。何年か前の土井議長演説のときのサルみたいな野次将軍ぶりが頭に残ってて、ほんとあいつは嫌い。
4月8日 川崎記念、桜花賞
11レースの特選。捲った山田裕に狭いところから飛びついて金田健をハジき、鋭く1着の佐々木龍也はスゴイし、それにちゃんと付いていって差しにいく出口真もすげえ。ほんとこの二人は地元戦を大事にする。誰とは言わないが地元でもへいちゃらで「準決勝負」みたいな選手はゴマンといるけど、この兄弟弟子コンビは立派。
いいもん見させてもらいました、久々に。
4月4日 BLUES MARKET
偶然「ブルース・マーケット」という雑誌を手にする。そのなかの店紹介の記事で、日本中にこんなにも俗に言うブルースバーというものがあるのかと驚かされた。浦和にも 「MOJO」というお店。行ってみてえー。
通巻15号を読んだんだけど、巻頭の「下田逸郎インタビュー」は面白かった。
競輪のこと書きたいんだけど、なんも書くことがない。オレがちゃんと見てないからなのか、競輪がちゃんとしてないのか。
松戸2日間行ってて、よかったのは初日の梶友孝のまさに肉弾競りと、準決で内の小長谷友則を外からキツーク一発でキメた穴田裕哉だけ。相変らず「競り」でしかコウフンできないオレは、どうすればいいんでしょうか。
3月29日、午前11時35分、井上茂徳ラストラン
鬼脚の終幕。
酒飲んで競輪の話をするとき、もし井上が乗ってたら絶対こうするぜ、という仮想をオレはよくする。
逃げ一なのに番手が競りにならないレース、くだらない折り合いのくだらない三分戦、井上だったら「許さない」さ、などと。
もうこんな選手は出てこないでしょう。
競輪が格闘技であり得た時代に現れたヒーロー井上茂徳。一つの時代が確実に終わった。
3月27日 事故点
昨日素晴らしいと書いた鰐淵はそのレースだけで重注3つ、今日のレースでも重注1つもらってあっという間にマイナス10点超えちゃった。9点越えたら配分1ケ月止まるんだっけ。いいレース演じて配分が止まる。いったい事故点てなんだ!
3月26日 やっぱりダービー
2日間行ってきました。
初日、井上茂徳の引退シリーズ、金山が引き出して、と思いきや本線四番手でガマンなのかなと軽視していた酒井耕介がまくって行って井上は一予脱落。さすがダービーの勝ち上がり。
インから地元の渡辺晴智を飛ばした坂本正和、すげえ、すげえ、やっぱりダービー。
二日目の敗者戦。井上シゲを引き出せず、自分だけ届くまくりで2着の古川圭、これまたダービーだから?
5レースの鰐淵はよかったー。外で番手競り勝って別線のまくり止めて、ともかくカッコいいの一言。
あと4日間、もっともっとすげえの見せてくんろ。
3月24日 明日からダービー
花村萬月の「ブルース」読んでたらチャーリー・パットンのレコードかけるシーンがあって、なんだか聴きたくてしょうがなくなって南越谷まで。どこで間違えたかジェームス・コットン買ってきちゃいました。でも結構いいな。ついでに買ったのが下田逸郎と内田勘太郎の「いきのね」。「月のあかり」が下田作詞だってはじめて知った。
明日から静岡ダービー。ダービーで一番記憶に濃いのは十何年か前の立川ダービー。清嶋が逃げ切って番手山健だったんだけど三番手の尾崎がオカマ掘ったやつ。俺は身分不相応な金を伊藤豊明に入れて見てました。
腰が痛いけどやっぱり現場に出向かなくちゃなあ、ダービーだもん。
来月号(4月10日発売)のレースウォーカーの連載のタイトルは「My R&R 生きてるうちが花なのよ党宣言」。仲井戸麗市の「My R&R」と森崎東監督の『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』の合体です。いいでしょう。
3月17日 スリー・ディグリーズのカバー
スリー・ディグリーズの名曲「WHEN WILL I SEE
YOU AGAIN」の日本語のカバーがラジオなんかで結構流れてて、ずっと探してたんだけど、ついに発見。なんか小室テツヤのユニットらしいんだけどLP名は「TRHE Kiss DESTINATION」。あんまりいい訳詞とは思わないけどメロディ最高。ヒットすんじゃないかな、ま、どうでもいいけど。
他には最近では、リクオのソロ、斎藤和義のベストがよかった。
話変るけど、車運転してて入れてもらったり、道譲ってもらった時にハザード出すじゃない。入れてやった前の車が点滅させて、よしよしいいやつだなんて思ってたら、いきなり車駐車しちゃってパーキングの合図でした、つったらオモシレエ、なんて車中で一人笑いしてる俺はバカじゃ。
3月13日 スライダーズ、サヨナラ!
つったって、あのストリート・スライダーズが解散するわけではありませぬ。我が野球チーム「東京スライダーズ」が今朝の試合でサヨナラ勝ちしたという報告なのです。
最終回、一点のビハインド。バッターはトップに帰ってこの俺から。ヒットこそないものの、前の前の回に二盗、三盗も決めてるし、ま、非凡な選手でないことを察知してしまったのか、ピッチャーは俺に全神経集中。いい球きてたけどね。10球ぐらい粘ったのかな、結果四球。見た目にもピッチャーの落胆ぶりは瞭か。これで俺のあとバッターは楽でしょう。
最後はオオタ・ハゲムの畑尾和人(昔は凄かったんだ)の強引な競りみたいなタッチアップでサヨナラ勝ち。サヨナラだよ。気分いいー。プロの選手だって、もしかしたら未経験の人がいるかもしれないのに、いやあー、すげえ。ほんと。
ウォークマンをガンガンでステップ踏みながら新幹線で宇都宮だ。そしたらなんと勝利投手のイシバシ君と偶会。今日はなんか不思議、知らないけどサヨナラ男が揃い踏み。車券思いっきり買えということだろう、神の啓示が頭の中にハウリング・ウルフ? 買ったよ俺は。なんたってサヨナラだからね。
結果? いいんだよ、そんなの。口惜しかったらサヨナラ勝ちやってみろよ! なんのことやら、脳内ハイ。失礼。
3月10日 月はどっちに出ている
テレビ神奈川で『月はどっちに出ている』。何度目だろう、この映画観るのは。
岸谷五郎扮すタクシードライバーがルビー・モレノに「どちらまで?」「フィリピンのマニラまでや」と大阪弁。憂歌団の「Woo Child」が流れ始めて、走る車だか車窓の景色だかが続いてクレジット。
いい。なんだか元気になるんだなあ、これ観ると。あったけえー、ていう風が画面から。
もうなくなっちゃったけど、新宿西口にあった古いのばっかりかけるロック・バーでは、延々と「首都高」を走る車から撮った景色のビデオをながしてたっけ。
仲井戸麗市の「My R&R」が気に入っている。
何処でもない何処からか やって来たのなら
何処でもない何処かへ 帰って行けばいいサ
身体に流れる血には どの国の色もない
とりたてて何処かアジアの色なども流れてない
覚えた事は自分を知ろうとすること
事のはじまりは例えばそれは俺なら
THE BEATLES…… oh yeh My Rock’n Roll
3月8日 吉岡を映さない?
テレビ神奈川の伊東記念実況中継。金古優勝のあと当然吉岡の敗け戦流してくれるものと思って待ってたら、振り返ったのはA級決勝戦と10レースの順位決定だけ。ま、それがいつものパターンだというのは分かっているけど、吉岡だよ。共同通信杯で落ちて、佐世保ふるさと欠場、そして今回は準決9着でも最終日乗って行った吉岡を見たいというのは全国競輪ファンの総意でしょう。吉岡シンパもアンチもそれは絶対同じ。吉岡の存在をどう思ってるの。凡退だからってイチローの打席振り返らない野球中継はないでしょう。
まったく、まあ。
最後にアナウンサーの蘇武さんと解説工藤さんが吉岡に触れてくれたのが救いでした。
3月1日、夜 脳死者からの臓器摘出
きのうの昼、テレビの巨人戦見てたら「脳死者から臓器摘出」の臨時ニュースのテロップ。画面では躍動する肉体。なんだかなあ。
3月1日 「笑う山崎」
朝刊に「競輪電話投票加入者募集」の掲載広告、締切いついつ、募集人員何名。ま、システム上色々あるのだろうけど、競艇の「随時募集」に較べると随分カッコ悪いよなあ。
遅ればせながら花村萬月の「笑う山崎」読む。やっぱり花村萬月は凄いです。
あと5日で開幕(俺らの早朝野球のことです)だというのに腰は痛いし、バッティングセンターの「中速」は打てないし、なんだか忙しいし、不調。
2月22日 競輪は体に悪い
佐世保ふるさと準決勝、吉岡がドタキャン欠場。
吉岡の真意は誰にもわからないし、ま、批判の風は強いんだろう。でも俺、こういう吉岡好きだなあ。良い悪いは別にして、ああいう状況下で自分の「我」を出せるホネのある選手は吉岡以外いない。わがままであっても、興行ということを軽んじていたとしても、俺は許しちゃうな。
最近気分悪いのは、番手勝負、番手勝負という割にはインでしかやらないやつ、しかも地乗りで見せないでね。千葉の某とか群馬の某とか、すかんねえ。やっぱり昭彦とかちゃんとしてるもん、アシが落ちても、ほんとマーカーだもん。
だけど内林は強い。
発売中のレースウォーカーの「スクラップはごめんだ」も気に入ってるんだけど、次号、3月10日発売かな、の俺のコラムのタイトルは「競輪は体に悪い」。このタイトルいいでしょう。
2月16日 ゴメン。その日は競輪があるの。
私はいまだかつて「ゴメン、その日は競輪があるの」と女に言われたことはない。
そういうふうに言われてみたいという気があるか? ない。そういう会話が男女間でポピュラーに交わされる日がくることを少しは望んでいるのか? 望まない。
♪旅に出るなら 夜の飛行機 つぶやくあなた セクシー と下田逸郎。
2月10日 NIGHT AND DAY
奈良記念は高木隆弘の優勝。成績しかいま見れないから内容はわからないけれど、人の良い関根幸夫が引っ張ったのかな。
初日の関根はよかったあ。三番手取って、神山雄一郎のホーム・カマシに合わせて出て行き1着というのは凄い。高木差せずでただの神奈川車券が8千幾ら。電投に金入ってればなあ。
でも、ほんと関根はいい。なにがいいって、姑息なところが微塵もないところがいい。けっこう上位陣の若い機動型でも対神山とかなると神山の2着でいいや的な組み立てをする選手が多いんだけど、この人はそれがない。いい意味ですごく単細胞。それゆえ単純な負け方もするけど、それもまたいいんだな。
グルーヴァーズのベスト盤ばかり聴いてる。
「荷物も 上着も 肩書きも名前さえも 説明も 証拠も 約束もモラルさえも いらない場所に魅かれるが 何処へ行っても風は吹き荒れる」はNIGHT AND DAY という曲。
新聞も読まない、テレビも見ない、本も読まないという生活をしてみたい! けど俺には出来ないだろうな。
2月2日 ジャイアント馬場逝く
馬場さんが死んだ。
面識はないけど、馬場“さん”だよな、誰でも。
俺にとってのプロレス、ベスト・バウトは猪木がエプロンサイドでラリアット食ってリングアウトになった猪木−ハンセン戦なんだけど、脳内に巣食っている一番の試合は親父と行った馬場−エリック戦なんだ。
馬場がアイアンクローで気絶? 寸前となるや、4、5人の黒背広のいかにもヤクザ風の男たちが立ち上がり「馬場が死んじまうやないか」と叫び出し、場内なんだかヒートアップ。とにかく、すげえ雰囲気になっちまって、ガキの俺も妙な興奮。あの黒装束はサクラだったんだろうけど、なんか凄かった。いまから考えると、昔の競輪場ぽいな、なんとなく。
結果は確かエリックの爪が刺さったとかの理由で馬場の反則勝ち防衛。笑っちまうけど、みんな、満足して家路についた筈です。
ともかく合掌。
スポニチの現在競輪記者である松明さんが書いた馬場ちゃん追悼文はよかったなあ。
1月27日 広島回顧、My R&R
記念より“軽い”メンバー? 神山も正直獲れると思っていたと思う。去年一つも獲れていない、というのも絶対あった筈だし、取り合えず年初の「通信杯」を獲って、という気持はかなり強かったと思う。Sも頑なに取らなかったし、ホーム過ぎに捲り上げて中団入り直して、自分の後ろにいる児玉も確認、その児玉がシビレを切らして踏むのに合わせて3半から。優勝だと思っただろうな恐らく。
ところがだ。
内林はもう前踏むところだからブロックはないと思ったでしょう、事実ブロックなどなかったんだけど、なぜか内林が横に飛んできた。周知のとおり新藤が内林をしゃくったからなんだけど、あそこまでは考えられなかったと思う。むろん、内林が神山を張れば新藤はイン突くというのは読み筋なんだが、神山は「張られる可能性」がある仕掛けを避けたんだから。だからあの「予期せぬ」膨れはかなり効いたと思うなあ。
でも内林は強かった。準決は内林の「鋭さ」に助けてもらいました。そういえば立川の準決も強かったもんなあ。
仲井戸麗市の新譜「My R&R」。いいタイトルです。
松田美由紀主演ということで敬遠していた『エレファント・ソング』観る。彼女を見直しました。共演の寺島進、そして子役との三人のロード・ムービーっぽい進行なんだけど、ところどころで、どうしようもないような感情の襞を突つくように、うーん、うまく言えないんだけど、うまく言えません。
広島のファイナル選手入場のシーン。
ま、ジャズはいいっす。いいけど、あの英語の紹介はなんなんだ。全世界の人でも見てるのかいな。あの入場を固唾を飲んで見ているのはほとんど日本人だぜ、それも年配の。
ま、いまどきなんでしょう。ラジオもそうだもんな。いい曲だな、なんて曲だろとおもっても、すげえ発音で曲目言うからわかりゃしない。
競輪がオリンピック種目に決まったからだかなんだか知らないけど、英語で選手紹介すると「国際的」になる、なんて言い出したんでしょうか、どこかの誰かが。あ、そうそう、テレビの競輪中継で「電投」締めきり何分前を英語で流してる局もあるよな、たしか。
はっきり言うよ、茶番だよお前ら!
1月21日 犬、走る
映画「犬、走る」観る。よく分からなかったけど、ラストの、コンビニの御握りたべるとこ、いいよなあ。
明日から広島。
広島は9年前の「ふるさと」以来。その時は、もう亡くなられた水谷さんと一緒に飲んでたのをふと思い出した。
広島、走る。となるかどうか。
1月20日 ぞうのミミカキ
欲しかったまど・みちおの「ぞうのミミカキ」を浦和・須原屋で見つける。聡明そうな中年の女店員さんが即座に案内してくれたのだ。本屋の店員さんはこうじゃなくっちゃ。川口に新しくできた本屋、書泉なんとかの男なんて、コンピューター索引まで引きながら「そんな本は出ていない」だって。ほんとバカ。
「ぞうのミミカキ」の冒頭詩、「ものたちと」。
いつだってひとは ものたちといる あたりまえのかおで
おなじあたりまえのかおで ものたちも そうしているのだと しんじて
はだかでひとり ふろにいるときでさえ タオル クシ カガミ セッケンといる
どころか そのふろばそのものが もので そのふろばをもつ すまいもむろん もの
ものたちから みはなされることだけは ありえないのだ このよでひとは
たとえすべてのひとから みはなされた ひとがいても そのひとに
こころやさしい ぬのきれが一まい よりそっていないとは しんじにくい
1月19日 カヴァティーナ
昨日、西新井大師で厄除けの帰り道すがら、「ディア・ハンター」のサントラ盤を買った。もう何回目の購入だろう。メインテーマの「カヴァティーナ」、「ゴッド・ブレス・アメリカ」、いいよなあ。
テレビのCFかな、ジョン・レノンの「パワー・トゥ・ザ・ピィープル」を使ってたけど歌の意味知ってんのかよ。“愛に雪、恋を白”のJR冬のコピー。
いったい、いつから、日本人はこんなにもバカになってしまったのか。
1月18日 8フィートの週末
沖縄ショック醒めやらず、「南の島」が舞台の片岡義男「8フィートの週末」を再読。
3年ぶりに突然、、沖縄にいるという博昭を探し訪ねる夏子。たった4日間の再会が静々と描かれてのラスト近く。3年前、波乗り修行のために突然国外へいなくなった博昭の子供を産み育ててることを告げる夏子。このシーンはいいなあ。
今日18日で俺は41歳になった。
1月16日 黙っているファンがいる
アオケイに、競輪テレビ中継「応援FAX」について書いた。反感もかうだろう。ああいうものは「世の流れ」だろうし、嫌なら見なきゃいいと言われればそれまでだ。ただ、これだけは言いたい。「こんなにたくさんのFAX頂戴しました」からって、“たくさん”が認めてるわけではないということ。言い換えよう。何人かは気分悪い思いで見てるんだ。それは自分の感性にかけて自信ある。なんだかうまく記せないけど、俺はああいうの不快だ。そして俺みたいな人が、同意見の人がいると信じているから俺は辛辣に書きます。何人かがよくぞ代弁してくれた、と褒めてくれると思ってるから、関係者に嫌な顔されても書きます。
ガンバレで塗り固められた「応援FAX」は不快です。笑顔とガンバレだけじゃファンは納得しやしない。批判精神の不在はファンの不信感に必ずや結び付くことでしょう。
男尊女卑と批判されそうだけど、俺の友人は、女性が競輪の解説、説明めいたことをするのも許さない、ただ設楽さんだけは認めると言っている。なんとなく分かるなあ。
1月14日 シーサー、石敢當
「石敢當」の意味を教えてくれたのは「松山御殿」を案内してくれた女の人だった。
飛ばさない車、電車のない「国」。
那覇の与儀公園にある山之口獏の詩碑。放浪詩人の碑の傍なのだからではないだろうが、ホームレスがたむろしていた。
刻まれた「座蒲団」。
土の上には床がある 床の上には畳がある 畳の上にあるのが座蒲団で その上にあるのが楽といふ 楽の上には なんにもないのであらうか どうぞおしきなさい とすすめられて 楽に座ったさびしさよ 土の世界をはるかに みおろしてゐるやうに 住み馴れぬ世界が さびしいよ
沖縄ショックは重そうだ。
1月10日 立川記念後節決勝
イン切って中村美の番手をやろうとした児玉はアンコになったこともあるのか後退、三番手でも踏み遅れて中村美−出口−金川−児玉となって神山と山田で中団もみ合い。結果は大名同然の出口優勝で、四番手からまくり気味に児玉2着。
競り合うだろう2人の車券は二万円近くの穴。ま、競輪だから、何でもありだし、道中の「弾み」みたいなものは分からないけれどだ。たまには最後まで競り貫いてくれよ! 児玉広志。
1月7日 まど・みちお すずしい背中
なんだか怒ってばかりいる。
まど・みちおの「すずしい背中」の全文を記す。
電車が とまった 出口にいたぼくは 降りようとして あぶなくホームに転がるところだった 後にいた 大人に いやというほど 突きとばされて… 突きとばした大人は 前をいく 広い すずしい背中で ゆうゆうと…
―なんて ひどい奴! と にらみつけた ぼくの視線は たちまちぼくに はね返ってきた すずしい背中があんまり すずしすぎて…
だが それで考えることができたのだ すずしい背中も やはり 被害者だったのかも知れないと その後のだれかに突きとばされた… その後の だれかにしても そのまた後のだれかに突きとばされた… そして ぼくは なんて ケチな奴だったろうと…
気がつくと もう 広いすずしい背中は 見えなかった まるでおおもとの ほんとの突きとばしの原因のように かげも かたちも!
1月6日 「退位すると言ったことはない」
朝日新聞朝刊一面、「昭和天皇、敗戦23年後の述懐、側近の記事見つかる」の記事。
三十一面に関連記事。田中伸尚氏は“「神勅天皇感」が揺らいでいない昭和天皇”と発言していた。
映画芸術誌の「プライド」関連の座談会で、天皇は人間宣言をして人間ではなくなってしまった旨の発言があったのを思い出した。かつて、故内田栄一は「天皇の作り方」という芝居を打ち、確か、「誰の心の中にも棲んでいる天皇」という言い方もしていた。
1月4日 大仁田VS佐々木健介
火炎噴射で大仁田の反則負け。
いいシナリオです、などと書くとマジな新日党に怒られるのかな。
あの大舞台で、TV中継のもとで、「火炎」を敢行した大仁田、また暗黙の了解(と云ってしまっていいでしょう)でやらせた新日側。そして「反則負け」の裁定。これがプロレスの「保守本流」じゃないですか。ま、詳しいやつからすれば「総批判」かもしれないけれど、だ。
大仁田、よかったー。
1月2日 和歌山記念
全国の記念は、この和歌山から始まります、とニヤついた男のアナウンサー。名づけて「和歌山グランプリ」と趣味の悪い服着た女性レポーター。ついこの前が競輪グランプリなんだぜ。せめて、もうちょっと、なんか考えろよ。グランプリという言葉は競輪界にとってある種の「威厳」なんだから、大事に使えよ。などとヘソ曲げる俺がおかしいのか。
なんだかな。
話変るけど、四国地区の競輪のCFで、伊藤豊明やらのオチャラケたやつをいろんな人がホメていたけど、俺は認めないよ。あんなのをユーモアだなんて言う輩はただの低俗。あのCFに怒るファンはいないだろうけど面白いというファンもたいしていやしないのでは。相手にしてないよ。喜んでるのは関係者と出演選手の身内だけでしょう。ただの楽屋落ちのようなもの、それでいて失礼とまではいかなくても、なんというか、そう、やっぱり「下品」だな、俺から言わすと。 |