私的マカロニ興亡史


『荒野の1ドル銀貨』にみるジュリアーノ・ジェンマの魅力

 『夕陽のガンマン』までのマカロニとして、もう一つ外すことができないのが、『荒野の1ドル銀貨』です。マカロニ・ブームの誘因となった作品が『荒野の用心棒』なら、俳優はクリント・イーストウッドでなく、ジュリアーノ・ジェンマでしょうね。

 “詩情がない、残酷だ、荒唐無稽、主人公がうす汚く、金の亡者”というマカロニ批判の中で、ジェンマの作品だけが違うんですよ。『続・荒野の用心棒』を私は斬新な西部劇と評価しましたが、多くの西部劇ファンは、面白さは認めるものの批判的でした。こんな作品ばかりが続いていたら、一部カルトファンには受け入れられても、ブームは長続きしなかったと思うんですよ。

 ジェンマの作品は、本場アメリカ西部劇のマネをしたようなものばかりでした。だけど、本場西部劇が忘れたB級西部劇の楽しさを味わせてくれました。それはジェンマの魅力に負うところが大きいと考えます。

 B級西部劇の魅力は、主人公のガンプレーを含むアクションのカッコよさが全てといってもいいんですよ。ランドルフ・スコット、オーディ・マーフィといったB級専門の西部劇スターが齢をくったことと、このジャンルがTV西部劇にとってかわられたことで、当時アメリカのB級西部劇は衰退していました。そこに、身のこなし、銃の扱いがキビキビとしたジェンマの登場は新鮮で、マカロニであっても、新しいタイプのB級西部劇スターの誕生という感じがしましたね。

(マカロニ雑記「ジェンマの人気度」へ⇒)

 

 『荒野の1ドル銀貨』は、南北戦争が終わって、北軍の捕虜になっていた主人公と弟が釈放される場面から始まります。北軍が返してくれた拳銃は銃身が短く切られて、弾丸が真直ぐに飛ばないんですね。これがラストの伏線になっており、アメリカのB級西部劇にはないマカロニの面白さになっています。

 故郷に戻ってみると、土地は戦火で荒れ果てており、新天地を開拓するためにコロラドへ向かうことになります。先発として弟が旅立ち、続いて主人公夫婦があとを追います。コロラドの或る町で、町のボスに騙され、農民に味方している弟を、弟と知らずにとらえようとして射たれ、弟もボスの一味に殺されます。主人公は、旅立ちの時に弟からもらった1ドル銀貨で弾丸がとまり、九死に一生を得ます。真実を知った主人公は、弟の復讐と農民のために、町のボスと対決するのです。

 南北戦争、新天地の開拓、主人公が既婚者、町のボスは白人と、アメリカのB級西部劇の世界が展開され、アメリカ的マカロニというスタイルを確立したんですよ。

 『荒野の用心棒』の後、『夕陽のガンマン』までの作品は、生粋のマカロニである『続・荒野の用心棒』を除いて、アメリカ式といえるくらいアメリカ的臭いがしますね。 

 『ワイアット・アープ』は未見ですが、題名からしてアメリカのヒーローだし、作品紹介を読んでもアメリカ式でした。

 『殺し屋がやってきた』は、シチエーションからも、主人公のキャラクターからも完全なアメリカ式。

 コルブッチの『ミネソタ無頼』や『リンゴ・キッド』すらアメリカの臭いがしましたからね。

 『ミネソタ無頼』は、マカロニ座頭市なんてコピーがあったが、むしろ『誇り高き男』のイメージの方が強かったですね。それに主演のキャメロン・ミッチェルはアメリカ西部劇ではお馴染みの顔で、キャラクターもマカロニ的ではありません。  

 『リンゴ・キッド』もアパッチと結託した悪党一味と戦うのが、主人公と保安官夫妻、それに留置場好きの老人の四人という組み合わせで、アメリカ的でしたよ。

 配給会社が、取っつき易さを考慮して作品を選んだ感じがします。邦題のつけかたも、アメリカの地名であるミネソタを冠につけたり、アメリカ西部劇のヒーローであるリンゴの名前を持ってきたりして、それなりに考えていますからね。

 

アメリカB級西部劇の状況

一方、本場のB級西部劇の状況は……

 『荒野の対決』は、“ララミー牧場”のロバート・フラーが、『荒野の悪魔』は“保安官ワイアット・アープ”のヒュー・オブライエンが主演したB級西部劇でしたが、型通りの物語展開で、ガンプレーにも工夫がみえず、せっかくのTV西部劇スターを活用できていませんでした。

 特に『荒野の対決』は、ロバート・フラーが初めて主演した本格西部劇ということで期待したんですがね。

 フラーは、一般人に身を変えて、兄の部隊が全滅して奪われた金塊を探す、北軍の青年将校役でした。金を奪った犯人の一味と思われる南軍の無法者(ダン・デュリエ)を、金塊の隠し場所へ案内すれば釈放するという条件で、同行するのですが、その隠し場所が、アパッチの居住地区なんです。途中で自分の部下3人と医者、商人、町を追放された酒場女が加わり、『駅馬車』以来の定型パターンである道中物となるわけです。インディアンの襲撃や、交易所にたむろする無法者の攻撃で、同行者が次々死んでいき、最後はフラーとデュリエと酒場女になるという予想通りの展開になります。

 だけど、そこには趣向をこらしたものがなく、平平凡凡。ラストはフラーとデュリエの対決となり、銃のないフラーがいかにしてデュリエを倒すかが見せ場なのですが、フラーに惚れた酒場女が、デュリエの隙をついてフラーに銃を渡すだけ。

 これでは、水筒爆弾の『リンゴ・キッド』や、ライフル回転射ちの『殺し屋がやって来た』のガンプレーの面白さにはかないませんよ。

 ロバート・フラーは、スタントマンを一切使わずに自分で演じたそうですが、それと映画の面白さは別物ですね。フラーはそれなりにガンバっていましたが、カッコいいガンプレーを見せてもらいたかったなァ

 『ガンポイント』では、主演のオーディ・マーフィが強盗団を追跡中に列車から落ちた後遺症で眼が見えなくり、ラストで宿敵と射ち合うのが見せ場でしたが、相手の名前を呼び、応えた声をめがけて銃を射つだけ。

 同じ設定の『ミネソタ無頼』のラストと比較すると、全く食い足りません。『ミネソタ無頼』があったから、どうでもいいような『ガンポイント』も憶えているんでしょうけどね。

 当時の私の結論(というより、一般的結論かな)としては、アメリカのA級西部劇は別として、B級西部劇より、マカロニの方がはるかに面白いということになるのです。

 

 

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