私的マカロニ興亡史


『夕陽のガンマン』でブーム爆発

 マカロニウエスタンは、『夕陽のガンマン』でブームが爆発します。

 『夕陽のガンマン』だけは、マカロニはおろか、西部劇すらあまり見たことのない人でも面白いと言っていますからね。今や、マカロニ史だけでなく、ジャンルを超えた不朽の名作になっています。映像ソフト(VD、LD、DVD)でまっさきに商品化されたという事実がそれを物語っています。

 『夕陽のガンマン』は、多くの人たちに熱狂的な支持を受けたのですが、それはマカロニの残酷性とか、ガンプレイのカッコよさとかいった単純な理由によるものだけではなかったような気がします。ハリウッド西部劇にはない何かを、誰もが感じたのだと思うのです。

 その何かのひとつに、クリント・イーストウッドとリー・ヴァン・クリーフの友情のあり方があると、私は考えています。

 ハリウッド西部劇における友情は、『リオ・ブラボー』に代表されるように、殆ど全てがメンタルな結びつきによるものなのです。こいつのために何かしてやろうという奉仕の精神、それが友情の軸になっていました。

 ところが、『夕陽のガンマン』におけるイーストウッドとクリーフの友情は、極めてドライな結びつきなんです。共通の目的のために行動をともにし、助け合うだけの営利中心の友情でした。互いが、その実力を認め合い、余計な干渉はしない。時として、隙きあれば、相手を出し抜くことさえいとわない。敵対関係になることだってありうるのです。

 画面が緊張感で漲っており、目を離すことができませんでしたよ。

 この緊張感は、レオーネの演出もさることながら、情や親切心とは無縁のキャラクターであるクリーフの存在が大きかったですね。ハリウッド西部劇で悪役専門だったクリーフを起用したことが、この作品にインパクトを与え、作品の価値を高めたと私は考えています。

リー・ヴァン・クリーフ

 ハリウッド西部劇には、二大スター“対決”パターンというのがあります。これは、西部劇に造詣の深い映画評論家の増淵健さんが提唱したものですが、二大スターが対決する場合、“どちらか勝ち、カタがつかないかぎり映画として成功しない”というものです。

 彼は、その成功例として『ヴェラ・クルス』をあげています。

 『ヴェラ・クルス』は、ゲーリー・クーパーとバート・ランカスターが、やったりやられたりしながら奇妙な友情で結ばれていき、共通の目的のために一緒に戦い、最後は二人の決闘で終わるのですが、私は『夕陽のガンマン』を見ていて、これは『ヴェラ・クルス』じゃないかと、最初は思ったんですよ。イーストウッドは前作『荒野の用心棒』のイメージそのもので、クーパーと同じようなヒーロー。クリーフは、これまでの経歴からして、情や倫理感のないランカスターのようなアンチヒーローとね。

 クリーフとイーストウッド、それぞれの腕前を観客に見せるシーンが最初にあり、二人の共通の敵インディオが登場、そして帽子をトバシッこする“射撃コンクール”みたいなシーンまでの息もつかせぬ面白さは、『ヴェラ・クルス』と同じ快感でした。

 ところが、それから先が『ヴェラ・クルス』と違っていました。『ヴェラ・クルス』が後半になるほど、ボルテージが下がってくるのに対し、『夕陽のガンマン』は後半になるほど、ボルテージが上がってくるんですね。

 クリーフの目的が賞金でなく妹の復讐と、うすうす解かってきた時から、盛り上りをみせはじめます。このへんの、レオーネの演出は冴えています。クリーフの目的を最初にバーンと出すのでなく、ジワジワ観客にわからせていく。それも、これまでヒーローを演じたことのないクリーフだから、余計効果的でしたよ。

 

 それから、悪役がいいんだなァ。クリーフがヒーローになるのだから、並の悪役じゃつとまりません。ヒーローと匹敵するくらいの個性派でないと、バランスがとれないんですよ。
 『ヴェラ・クルス』にも、アーネスト・ボーグナインやチャールズ・ブロンソンといった個性的な悪役が出演していましたが、ジャン・マリア・ボロンテとクラウス・キンスキーの毒気には、遠くおよびません。ボロンテは『荒野の用心棒』のラモンもよかったですが、この映画のインディオでは、さらにパワーアップしてましたね。
 ボロンテより、もっと印象が強かったのがキンスキー。私はこの映画でキンスキーに初見参したのですが、いっぺんに好きになりました。どこか可笑しくて怖いというキャラクターは、もうバツグン。この二人がいたから、イーストウッドとクリーフの決闘の可能性がなくなっても、ボルテージが下がらなかったんですね。

 二人の間で“カタ”がつかなくても、大成功作品でした。

 この映画のおかげで、“マカロニ=面白い”という公式が私の頭にインプットされ、完全に洗脳されたんですよ。

ジャン・マリア・ボロンテ

 だけど、洗脳されたのは、私だけじゃありませんよ。イタリア西部劇がマカロニウエスタンとして一般的に定着したのは、この映画からだと思うんです。映画ファンは以前から使っていましたが、一度もマカロニを見ていないオジサン・オバサン・オネエチャンまでが、マカロニ、マカロニと言いはじめましたからね。

 マカロニウエスタンの名づけ親は淀川長冶さん。淀川さんのエッセイによると、欧米ではスパゲティと言ってましたが、これでは細くて弱々しいので“マカロニ”と書いて原稿を雑誌社に送ったそうです。あとでマカロニがイタリアの名産か、心配になって辞書を引いて確かめたとのことですよ。

 それから、現在では一般的になっているガンマンという用語も『夕陽のガンマン』からみたいですね。それ以前にガンマンが題名についた西部劇は『荒野のガンマン』(サム・ペキンパー監督)があるだけ。

 60年代初頭のTV西部劇全盛時のスクラップブックを広げてみたんですが、ガンマンという言葉は全く出てきません。

 それでは、ガンマンのかわりに何が用いられていたかというと、ガンファイターなんですよ。

 言葉の面からでも革命的な作品でした。

 

 

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