私的マカロニ興亡史


『続・夕陽のガンマン』でブームはピーク

 『夕陽のガンマン』が公開された1967年は、30本ものマカロニが上映されました。そして私は、その全部を見ているんですよ。

 『夕陽のガンマン』でマカロニブームが大爆発して、あとはマカロニであれば絶対に面白いと思いこんでしまったんですから恐ろしいものです。

 だけど、これだけ大量に公開されると、レベルの低い作品も当然出てきます。

 『荒野のみな殺し』なんてひどかったですね。発射回数と殺人件数では記録ホルダー的殺しに徹したミステリー風マカロニと解説にありましたが、ドンパチはあっても銃が板についてないものだから不恰好で見てられなかったです。主演のジャック・スチュアートは、鈍重で二挺拳銃がまるでサマになってません。殺人件数だって、『続・荒野の用心棒』の方がはるかに多かったですね。細かいストーリーは忘れているのに、ザッとした感じで今でもこの映画を憶えているのは、初めてガッカリさせられたマカロニだったからです。

 それと、この作品について、マカロニ便乗の有識者が、雑誌にピンボケな解説を書いていたからです。『荒野のみな殺し』のテーマ曲に、アラモやリオ・ブラボ−の「皆殺しの歌」が使われている、という記事を見た時にゃ、目がテンになりましたよ。

 こりゃ、ダメだと思ったマカロニは、『荒野のプロファイター』、『荒野の棺桶』、『荒野の10万ドル』、『嵐を呼ぶプロファイター』、『無宿のプロガンマン』、『地獄から来たプロガンマン』、『必殺のプロガンマン』といったところかなァ。

 10分おきぐらいに射ち合いがあって、アンソニー・ステファンが無表情に突っ立っている。特徴ある音楽があるから区別がつくんで、それがなかったら皆同じといった感じでしたね。内容なんて、今では殆ど憶えていません。

 ドイツ製の『夕陽のモヒカン族』も含めると、たった1年間で、私はステファン主演の西部劇を6本も見たことになります。そのどれもが、トホホだったんですよ。

  ※『荒野の10万ドル』、『必殺のプロガンマン』はリチャード・ハリソン主演(この役者も演技になってなかった)

 

 趣向をこらしたガンプレイの『真昼の用心棒』、『さすらいの一匹狼』(スコープ付きライフルには驚いた)、『帰ってきたガンマン』、『南から来た用心棒』、『拳銃のバラード』

 より過激な残酷性を売り物にした『情無用のジャンゴ』、『さすらいのガンマン』

 アメリカ西部劇タッチを狙った『続・さすらいの一匹狼』、『禿鷹のえさ』

 「ロミオとジュリエット」の西部劇版である『荒野の墓標』など

 部分的には、それぞれ新手はあったのですが、私もそうだったのですが、それだけでは客は喜ばなくなってきていました。『夕陽のガンマン』と比較すると、どうしても見劣りがしますからね。

 

 もっと面白いマカロニはないのかと思いはじめた時に、登場したのが『続・夕陽のガンマン』でした。

 レオーネ作品で、映画雑誌などでも前評判が高かったので期待して観たのですが、これが思っていたほど、よくなかったんですよ。

 マカロニは面白いという神話は、これで完全に崩れました。

 私の持論として、マカロニはあくまでもB級西部劇なんですよ。西部劇というのは、アメリカの思想であり、文化であり、歴史だと考えています。イタリア人が、いくらマネしても本当の西部劇は作れッこないわけです。

 だけど、西部劇というのはそれだけでなく、重要な要素としてアクションがあります。力が支配する世界というのは現実にあったわけだし、話し合いだけで問題が解決したわけではないですからね。だから、アクションを売り物にするアメリカ西部劇もあったわけです。アメリカで西部劇(特にアクション中心のB級西部劇)が衰退し、西部劇のスタントマンが失業してごろごろしていることを知り、イタリアのプロダクションが安い給料で彼らを使い、アクションに特化して作った西部劇がマカロニと考えているわけです。

 B級西部劇の明確な定義はありませんが、私が基準としているのは、製作費が安いこと。製作期間が短いこと。物語の背景や、設定がシンプルなこと。上映時間が短いこと。

 B級映画として製作されても、監督の技量により結果として一流作品になることはありますよ。ジョン・フォードの『駅馬車』が超一流になったようにね。マカロニだって、『荒野の用心棒』、『続・荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『拳銃のバラード』は一流ですよ。

 ところが『続・夕陽のガンマン』は、マカロニでなく最初から西部劇の大作を狙っている節があるんですよ。大量のエキストラを動員したり、南北戦争を背景にしたりしてね。それに、上映時間がやたら長いし……

 だけど、長いわりに内容があるかというと、それほどでもないし、宝捜しの物語をまわりくどく見せている感じなんですね。

 大作は金がかかる。その金は回収しなくてはいけない。そうなると、年に1回ぐらいしか映画を見ないような人でも喜ぶ映画でないといけないわけで、まして海外でも稼がなきゃならないとなると、本場西部劇のような作り方になるんですね。 

 おたがいのチエくらべ、ウデくらべ、だしぬきっこくらべで、スキがあればブチ殺すという、アクション・シーンのたたみかけだけでいいのに、関係ないシーンがけっこう長いんですよ。つまり、アクションを生かすためのシーンでなく、大作風をふかすためのシーンという感じなのです。

 私が期待していたマカロニとは違うものを見せられたというのが当時の感想なんです。

 

※『続・夕陽のガンマン』の製作費は150万ドルで、当時としてはハリウッドのなみの巨費を投じたものでした。
 ちなみに、『荒野の用心棒』は25万ドル、『夕陽のガンマン』は75万ドルです。

 

 

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