私的マカロニ興亡史


ブーム下降期の傑作

マカロニブームは、『続・夕陽のガンマン』から下降していきます。 

『続・夕陽のガンマン』の興行成績はバツグンでした。だけど逆に、この作品がマカロニ離れを作ったことも事実なんですよ。何とはなしにマカロニを見ていた観客層には、金のかかっていないマカロニは面白くないと思わせました。マカロニを好きで見ていた層には、マカロニの限界を感じさせました。

『続・夕陽のガンマン』以後、私の心には何がなんでもマカロニという気持ちはなくなりました。だけど、大学生活はヒマだったし、西部劇は好きだったしで、“アクビを呼ぶプロファイター(双葉十三郎氏命名)”と馬鹿にしていたステファン作品とはおサラバしましたが、新顔が出演するマカロニは、マンネリを感じながらも性懲りもなく見続けてました。

 そんな中で、これはと思ったのが、ダミアーノ・ダミアーニ監督、ジャン・マリア・ボロンテ主演のメキシコ革命劇『群盗荒野を裂く』でした。マカロニには珍しく登場人物の性格がきっちりと描かれており、ダミアーニのリアリズム演出が最後まで破綻せず、見事な出来映えとなっています。

 この映画の主人公は、政府軍の武器弾薬を奪って革命軍に売りつける盗賊なんですね。農民出身ということで、革命軍に味方してますが、高邁な革命の思想を持って戦っているのでなく、商売として戦っているんです。極めて人間臭い主人公なんですよ。マカロニにだけでなく、アメリカ西部劇にもないタイプでした。

 最初にボロンテ一味が政府軍の列車を襲撃します。その列車に革命軍の将軍暗殺を請け負った殺し屋が乗っています。殺し屋は、一芝居うってボロンテの仲間に加わります。この冒頭の場面は、主要登場人物のキャラクター描写に腐心した見事なシーンといえます。特に、ボロンテの異父弟になっているクラウス・キンスキーの狂信的な演技は印象に残ります。

その後、ボロンテと殺し屋は、いろいろな出来事を通じてビジネスライク以上の友情を高めていきます。この過程も不自然ではありません。

将軍暗殺に成功した殺し屋は、報酬をボロンテと山分けして、一緒にアメリカへ行くことを勧めます。革命軍を裏切った(将軍暗殺も、異父弟殺害も友情ゆえに許している)ボロンテは、一度はその気になりますが、殺し屋を殺して、ひとり走り去ります。受け取った金を子どもに渡し、「パンを買うより銃を買え」と言い残して……

 この映画の解説を読みますと、“無知な盗賊が革命の嵐に巻き込まれて愛国心に目覚める”とありますが、そんな単純なものではないと私は考えています。

 むしろ、“自分の生きざまに目覚めた男のこだわり”といったハードボイルドの世界ですね。金を手に入れてアメリカに行っても自分の生きる世界はない。かといって革命家として生きる資格もない。結局ボロンテが選んだのは、政府軍から武器弾薬を奪って革命軍に売りつける、盗賊に戻ることだったんですよ。イチからやり直すには、たとえ友人であっても、仲間(冒頭の列車襲撃で殺し屋に殺された)を殺した相手を許すわけにいかないからです。なぜなら、その時点で殺した相手がわかっていれば、当然処刑していたはずだったからです。男のケジメをつけたんですよ。

 ラストのセリフが意味するのは、「パンを買うより銃を買え(銃はオレが売ってやる)」だと思うんです。

 愛国心に目覚めるような単純なキャラクターでないところに、ボロンテの演技が光るわけであり、リアリズムあふれる作品になったと考えるわけです。

 ただ、この映画で惜しいのは、殺し屋が貧弱だったことですね。ルー・カステルでは、ボロンテの相手としては軽すぎました。フランコ・ネロあたりを配したら、一般の観る目もちがい、もっと評価が上がっていたでしょうね。

 

 『群盗荒野を裂く』に続く作品となると、『怒りの荒野』と『新・夕陽のガンマン』になりますかね。

 『続・夕陽のガンマン』でイメージダウン(アメリカ西部劇でクリーフの悪役ぶりを知っており、なんで今更マカロニでといった意味合い)したリー・ヴァン・クリーフのカッコよさが復活しましたからね。

 共演する若いのヒーローに対して、協力者か、敵か、という影のある百戦錬磨のガンマン役がクリーフのキャラクターにピッタリでした。

 『怒りの荒野』では、町の連中からバカにされている若者(ジュリアーノ・ジェンマ)の銃の天分を、見出し、一流のガンマンに育てあげます。“ガンマン十ケ条”なる指導要綱が、本場西部劇にもない斬新さで、映画館で繰り返し見て、メモをとりましたよ。

(ガンマン10ヶ条)

1条:相手に頭を下げるな 

2条:相手を信用するな

3条:銃と銃の間にはいるな

4条:最初の一発が大切

5条:必ずとどめをさせ

6条:危険な時ほどよく狙え

7条:縄をとく時は、銃をとりあげろ

8条:必要以上に弾丸を与えるな

9条:挑戦には応じなければならない

10条:ガンマンは足を洗えない

 

この映画では、クリーフのガンプレイが素晴らしかったですね。ジェンマの股の間から、拳銃を射って敵のとどめをさすショットは、ガンプレイ名場面のひとつとして、私の記憶に永遠に残るものです。

 

 『新・夕陽のガンマン』では、家族を殺されて復讐の旅を続ける若者(ジョン・フィリップ・ロー)に協力して、ガンマンの心得を授けます。作品内容では『怒りの荒野』の方が少し上かも知れませんが、私としては、ラストが爽やかな『新・夕陽のガンマン』の方が好きですね。

 少年の頃、家族が惨殺され、仇を捜し出して一人ずつ復讐していく。味方してくれる初老ガンマンも殺人に関係していたことがわかる。このプロットは、日本のチャンバラ映画『新書 忍びの者』からアイデアをいただいています。

 だけど、映画は面白ければいいわけで、『新・夕陽のガンマン』は、アイデアをうまく活かした作品といえます。

 横道に少しそれますが、マカロニは、本場西部劇よりチャンバラ映画の影響を受けているのかもしれませんね。例えば『星空の用心棒』に出てくる保安官バッチは、忍者の手裏剣をイメージしていましたし、『盲目ガンマン』は“座頭市”の世界でした。

 『怒りの荒野』と『新・夕陽のガンマン』は、ブーム全盛時のマカロニとは異なり、クリーフというキャラクターをえて、本格的な西部劇の面白さがありました。それは、マカロニの新しい発展を感じさせましたが、これだけでしたね。

 

 

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