ブームの終焉
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マカロニ・ウエスタンの日本での上映本数は、1965年2本、66年5本、67年31本、68年21本、69年9本、70年5本となっています。マカロニブームは、69年で終わったといっていいでしょうね。マカロニブームの終焉を代表するのが、マカロニを代表する二人の監督、セルジオ・コルブッチとセルジオ・レオーネの作品とは皮肉なもんです。それは、コルブッチの『殺しが静かにやって来る』と、レオーネの『ウエスタン』なんですよ。 『殺しが静かにやって来る』は、“悪が勝って、主人公が犬死する”という、とんでもない西部劇で、本来西部劇が持っている正義の思想が、ひとかけらもありません。マカロニが、アメリカ西部劇とは違う独特の発想で製作された西部劇とするなら、これは究極のマカロニ・ウエスタンといえるでしょう。 『続・荒野の用心棒』で、独自の西部劇の世界を築いたコルブッチが、最終的に到達した作品といえるかもしれません。 この映画の舞台が、マカロニでおなじみのメキシコ国境付近の荒野でなく、雪深いユタ州というのに、まず驚かされます。暗く陰惨なムードには、このドンヨリした雪景色を欠かすことができません。 主人公が声帯を切られて声が出ないというのも、雪景色にピッタリです。雪景色というのは、静寂な世界ですからね。バックに流れるエンニオ・モリコーネの音楽。これも雪景色とマッチするいい曲なんですよ。コルブッチの演出は、最高といっていいでしょう。 |
主人公のサイレンス(ジャン・ルイ・トランテニアン)は、金で殺しを請け負う殺し屋ですが、法から逃れるには正統防衛で敵を倒す必要があります。一方、悪党の方は、残忍無頼の殺し屋ですが、法の後ろ盾がある賞金稼ぎなんです。つまり、主人公はハンデを背負っているわけですね。 このハンデを克服して、ズル賢く、凶悪なロコ(クラウス・キンスキーが抜群)を倒すのが見せ場になると私は思ったんですよ。 それと、サイレンスの使っている拳銃が、これまでの西部劇(マカロニも含めて)ではお目にかかったことのないモーゼル自動拳銃だったので、これが何かの伏線になるのじゃないかと考えたりして…… コルブッチは、ラストで私の予測を見事に裏切ってくれました。 コルブッチの演出は計算づくなのでしょうが、娯楽映画として楽しむマカロニ・ファンに対しては、失敗作といえると思うんです。これで、マカロニの新しい展開への期待は、完全に崩れ去りましたね。マカロニ映画史上、特筆される作品であることは間違いないのですが…… |
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コルブッチのマカロニが、アメリカ西部劇との差別化を目指したのに対し、レオーネはアメリカ西部劇と同じ土俵にあがろうとしていますね。 それは、『荒野の用心棒』でクリント・イーストウッド、『夕陽のガンマン』でリー・ヴァン・クリーフ、『続・夕陽のガンマン』でイーライ・ウォーラックという、アメリカ西部劇で既に名前が知られているハリウッドスターを使っていることでわかります。 そして『ウエスタン』では、彼らよりさらに有名なヘンリー・フォンダ、ジェースン・ロバーツ、チャールズ・ブロンソンが出演しました。さらに、ジャック・イーラム、ウッディ・ストロードという西部劇でおなじみのバイプレイヤーが、ヒロインとして『プロフェッショナル』等でハリウッドに進出していたクラウディア・カルディナーレが顔を揃えています。ここまでくると、マカロニとはいえませんね。どうしても、本場西部劇との比較で見てしまうんですよ。 『ウエスタン』が公開された同じ年に、本場西部劇においては、西部劇史上だけでなく、映画史上に一石を投じた、サム・ペキンパーの『ワイルド・バンチ』が公開されています。 ペキンパーのバイオレンス描写はマカロニに影響を受けていますが、従来の西部劇にはなかったもので、そのスローモーション映像は耽美的ですらありました。登場するキャラクターも、正義には縁のないアンチヒーローで、新しい西部劇の誕生を予感させるものでしたね。事実、70年代に入りアメリカ西部劇は変質していくのですから…… |
『ワイルド・バンチ』と『ウエスタン』を比較したとき、『ウエスタン』に新しさを感じなかったんですよ。それまでのマカロニの特質であった、斬新性が完全になくなっていましたね。 本場大作西部劇と変わらない、金のかかったセットと豪華なキャストで、内容的には西部劇(マカロニを含む)の中では平均以上の出来映えとは思いますが、レオーネ作品では最低なものと私は考えています。 『ウエスタン』を観た時、レオーネは『続・夕陽のガンマン』と同じ間違いを繰り返したと、私は思いましたね。それでも最初の20分は、ジャック・イーラムやウッディ・ストロードのキャラクターもあって期待ワクワクでした。だけどその後は、レオーネはアクション映画の基本を忘れたのじゃないかと思いましたよ。 |
『ウエスタン』のロケ・スナップ |
よく出来たアクション映画はクライマックスにむけて加速度的にエキサイトしていくものですが、最初から最後まで同じ調子なんですよ。しまいには退屈してきましたよ。 物語の基本構造は『夕陽のガンマン』と同じ復讐テーマで、オルゴール時計がハーモニカに変わっただけ。ヘンリー・フォンダの悪役ぶりだけではねえ…… 期待が大きかった分だけ、ガッカリ度も大きかったわけです。 西部劇は、世界中で亜流が作られています。だけどマカロニ以外は、単純にアメリカ西部劇のマネにすぎないですね。ところが、マカロニだけはハリウッド西部劇と異なる独自のスタイルをうちだしてるんですよ。だからマカロニというジャンルが存在していると思うのです。 この独自スタイルというのが、残酷性・大量殺人・新兵器・アクロバチックなガンプレイ・アンチヒーロー・音楽によって形成されているんです。つまり、アメリカ西部劇にはない“いかがわしさ”が魅力なんですよ。 『荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』で、“いかがわしさ”をタップリみせてくれたレオーネが、この『ウエスタン』では、その片鱗すら残っていませんでした。 娯楽映画から逸脱したコルブッチの『殺しが静かにやって来る』、“いかがわしさ”が消えうせたレオーネの『ウエスタン』、この二つはマカロニ終焉を象徴する作品でしたね。 |