ベル・スターの史実


手にしているのは

コルト・ライトニングのようです。

 

この写真以外にも、

乗馬姿の写真と

愛人ブルー・ダックと写っている

のが残っています。

ベル・スターは1848年2月5日ミズーリで判事の娘として生まれました。本名マイラ・ベル・シャーリー。上流階級が通う女学校で教育を受けており、ラテン語とギリシャ語をマスターしていたと云われます。南北戦争が始まるとシャーリー家は南軍シンパとなり、兄のエドはスパイ活動をして殺されています。遠縁にヤンガー兄弟がおり、コール・ヤンガーはベルの初恋の相手だったとか。

1864年に家が焼かれて、一家はテキサスに移住します。18歳の時に強盗をしてミズーリから逃げてきたコールと再開し、二人は愛しあうようになり娘パールが生まれます。コールとはダラスで2年間暮らしました。ダラス時代のベルは信仰心の厚い善良な市民でしたが、ジェシー・ジェームズの呼び出しに応じたコールがミズーリへ戻ったため、ベルの生活は荒みはじめます。

馬泥棒のジム・リードと賭博場で知りあい、一緒に暮らしはじめたことからベルの両親は孫のパールが悪影響を受けるのを恐れ、パールを連れて故郷のミズーリへ戻ります。悪の道に踏み出したベルはジム・リードと強盗稼業。官憲に追われた時、潜伏していたのがチェロキー族の居留地で、そこでサム・スターと知りあいます。サム・スターはチェロキー・インディアンとの混血で、彼も強盗稼業を生業としていました。

ジム・リードが保安官に殺された後、ベルはリード・ギャング団を率いてオクラホマ一帯を荒らします。その時、サム・スターも仲間に加わっていたようで、意気投合した二人は結婚し、ベル・スターと名乗るようになります。チェロキー保留地南西のカナディアン川北側にヤンガーズ・ベントと名づけたアジトを設け、悪事を続けましたが、1883年2月15日、フォートスミスで二人は捕まります。ベル・スターは決してズボンを穿かず、サイドサドルに上質のドレスという貴婦人スタイルで馬に乗って暴れまわっていたことから、新聞はベルのことを、“クイーン・オブ・ザ・バンデッド”とか“ペティコート・テラー・オブ・ザ・プレーンズ”とか“レディー・デスペラード”と評してセンセーショナルに書き立てました。“首吊り判事”として有名なパーカー判事に裁かれますが、何故か1年の刑ですみます。

伊藤明弘の

『ベル☆スタア強盗団』より

出獄後も二人は無法を重ねますが、居留地の保安官と射ちあってサムは殺され、その3年後、ベルも何者か(仲間のエドガー・ワトソンと云われているが定かではない)に後ろから射たれて殺されます。1589年2月3日にカナディアン川上流で遺体が発見されたのです。

ベル・スターを映像化した作品は少なくて、彼女を主人公にした映画で、日本で公開されたものはありません。『ロングライダーズ』(1980年/監督:ウォルター・ヒル)にコール・ヤンガーの恋人として登場しますが、素性が娼婦というのは少し史実と違っていましたね。ただ、彼女を主人公にした『Belle Starr』(1941年/監督:アービング・カミングス)や『Belle Starr Story』(1968年/監督:ネイサン・ウィッチ)にしても、史実とはほど遠いものでしたけどね。他にもジェーン・ラッセルがベル・スターを演じた『Montana Belle』や、『奥さまは魔女』のエリザベス・モンゴメリーが主演したテレビムーヴィの『Belle Starr』があるようですが、未見なのでわかりませ〜ん。

 

Belle Starr

Belle Starr Story

 

 

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