| お忍び |
怪我をした恋人が気がかりで、セイリオスは定時に仕事を終えた。翌朝は1時間早く出社すると部下に約束し、仕事を切り上げたのだ。
会社を出るとき、花屋に注文して会社に配達させた花束を持っていたが、足を捻挫しているのなら食事にも行けないと思いたち、途中でテイクアウトの中華料理を買った。 そうして、急いでやってきたセイリオスだが、下宿屋の前まで来て、中に入れないことを知り、愕然とした。 シルフィスの下宿は男子禁制だったのだ。 妹の伝言で知らされてはいたが、あわてていたこともあって、なんとかなると軽く考えていた。 クライン市長の執務室や国会議事堂にも顔パスで入れるセイリオスだが、 女子寮だけは、どんなコネも通用しそうにない。 がっくりと肩を落として、周囲を見回すと、妹の車が停まっていることに気づいた。 ディアーナはシルフィスを送ってきて、まだ彼女の部屋にいるに違いない。 妹に花束と食事を預けることを思いつき、セイリオスは携帯電話を取り出した。 「ディアーナかい。私だ。 今、シルフィスの下宿屋の玄関先にいるのだが、出てこられるかい? 差し入れを、シルフィスに届けてもらいたいんだ。 彼女には後で電話する。彼女のことだから、 私が来ていることを知ったら、ここまで来そうだからね。 そんなことになれば、彼女の足に余計な負担をかけてしまう……」 用件を言い終えると、ディアーナはすぐに行くと答えた。 5分後、ガラス張りの扉から、ピンクの髪の少女が飛び出してきた。 「お兄さま。やっぱりいらっしゃっいましたのね」 「ああ、伝言は聞いたが、心配でね。 中華料理を持ってきたが、他に足りない物はないかい?」 「シルフィスに直接お訊きになればいいですわ。 管理人さんが眼鏡を外しているので、チャンスですの」 「眼鏡?」 セイリオスは何の事やら、さっぱりわからず、顔をしかめたが、 ディアーナは袖をつかんで、寮の中に兄を引っぱっていこうとする。 「ディアーナ。私は入れないんだよ?」 「しっ。黙ってくださいな。声を出すと、バレてしまいますわ」 こっそり通り抜ける方法でもあるのだろうか、とセイリオスが考えた矢先、 管理人室にいる女性と目があい、立ち止まった。 「ここは男の方ははいれませんよ」 ディアーナは動揺するどころか、にっこりと笑った。 「姉ですの。背が高いせいで間違われることが多いのですけれど、 女なんですのよ。ほら、髪も長いでしょう」 管理人はセイリオスの長髪を見て、愛想良く頷いた。 「あら、本当。ごめんなさいね。 眼鏡を洗っている最中で、よく見えないものだから」 「いいんですのよ。ささ、行きましょう、お姉さま」 ディアーナはセイリオスの腕を引っぱった。 行きはいいとして、帰りに管理人が眼鏡をしていたらどうするんだ、 とセイリオスは質問したかったが、 シルフィスの様子を見たいという思いが勝ち、 結局、女子寮に足を踏み入れた。 【小牧】 お忍びとは、高貴な人が身分を隠して、あるいは非公式に外出することです。 この物語のセイリオスは皇太子ではないので、お忍びができそうにありません。 仕方ないので、代わりに女子寮に忍びこんでもらうことにしました。 お忍びより、こっちの方がスリルがありますね(笑)。 |
| お忍び
その2 |
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「セ、セイル!?」 枕に背中を預けた姿勢で、メイとおしゃべりをしていたシルフィスは、 戻ってきたディアーナの後ろから、恋人が部屋に入ってくるのに気づいて、 驚いてベッドから出ようとした。 「そのままでいいよ」 セイリオスは慌てて、シルフィスを止めた。 お見舞いに来て、彼女の足を悪化させてはなんにもならない。 シルフィスは元通り、枕にもたれたが、 目を見開いて、まじまじとセイリオスを見ている。 「いったい、どうやって、ここまでいらっしゃったのですか?」 「ディアーナが管理人をごまかしてくれたんだ」 セイリオスはなんでもないというように肩をすくめてみせた。 本当のところは、管理人をやりすごした後も、冷や冷やし通しだった。 自慢ではないが、髪が長くても女と間違われたことは、一度としてない。 万一、住人に見られたら、何といって切り抜けようかと、 この部屋に来るまで、ずっと身構えていたのだ。 だが、シルフィスに会い、元気な姿を確認すると、そんな苦労も吹っ飛んでしまった。 「たいした怪我でなくて、よかった」 「ご心配をおかけして、すみません」 「いや、安心したよ。では、私はそろそろ…… 管理人が眼鏡の洗浄を終えるまでに出なければならないのでね」 差し入れを置いて帰ろうとしたセイリオスが、ふと、振り向くと、 頼みの妹は、なんと部屋から出て扉を閉めようとしていた。 「わたくしはメイの部屋にいますわ。 お兄さまは、シルフィスとゆっくりお話してくださいな」 「お、おい。ディアーナ」 セイリオスは呼び止めたが、無情にも扉は閉まってしまった。 続いて聞こえた素早い足音から察するに、 最初からセイリオスを部屋に残して、逃げるつもりだったようだ。 男子禁制の下宿屋で、妹を追いかけ回すわけにもいかず、 セイリオスはため息をついた。 妹と一緒でなければ、管理人に呼び止められたときに、返答のしようがない。 声を出せば、さすがに男だとバレてしまう。 「セイル……私が一緒に行きましょうか?」 シルフィスの心配そうな声に、セイリオスは我に返った。 「いや、ディアーナには何か考えがあるのだろう。 いたずら好きだが、人を陥れるような子ではないからね」 セイリオスは上着を脱いで、椅子の背にかけた。 帰りに関しては、はなはだ不安だが、 どうせなら、しばらくシルフィスといようと、腹をくくったのだ。 【小牧】 次回、シルフィスの部屋を描きます。お楽しみに。 それにしても……セイリオスを女子寮に侵入させたのは、面白かったけど、 部屋にベッドがあることを失念していました。 わざとでしょ? って訊かれたら、……正直には答えにくいな〜(汗) |
| お忍び
その3 |
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シルフィスはそわそわと、セイリオスの整った顔に目を走らせ、 また真っ白な綿の上掛けに視線を戻した。 「すみません。飲み物も出せなくて」 「いや、謝るのは私の方だよ。きみの都合も聞かずに、押しかける形になってしまって。 長居をするつもりはなかったのだがね。 迷惑ではないかい?」 シルフィスは首を横に振った。 「いいえ。来てくださって、嬉しいです」 嘘ではなかった。 ただ、恋人の意外な訪問のショックが和らいで、 自分の身なりや部屋が気になりはじめていた。 部屋着代わりのTシャツもカーディガンも何度も洗濯したため、よれよれで、 上掛けの下はブルマを履いているだけの素足だ。 部屋が古くて狭いのはどうしようもないが、 2年間も住んでいるわりには、引っ越してきた当時とほとんど変わらず、 下宿屋の他の部屋と比べても、かなり簡素だ。 シルフィスは、できることなら上掛けを頭から被って、顔を隠してしまいたかった。 セイリオスには、持って生まれた気品がある。 それは6畳のアパートにいたときですら、損なわれることはなく、 親しくなった今でも、シルフィスを圧倒している。 告白され、キスをしたことも、夢のようで、 彼の恋人になったという実感も未だにない。 「あの……」 シルフィスが再度、目をあげると、セイリオスは心配そうな顔をしていた。 「足が痛むのかい?」 「いえ。ちゃんと手当を受けましたし、 階段から落ちたといっても、ほんの数段でしたので、 もともとそんなにひどくはなかったんです」 「運動神経の良いきみが階段を踏み外すとは、何かあったのかい?」 「授業に遅れそうでしたので……」 「気をつけたまえ。授業よりも、きみの足の方が何倍も大事だ」 セイリオスなら遅刻をしても、堂々と教室に入っていきそうだ、 とシルフィスは思った。 「セイルに釣り合うようになりたいんです。 私はまだまだ未熟者ですが、授業に真面目に出て、勉強をがんばったら、 少しでも近づけるのではないかと、考えたんです」 「それでか……」 セイリオスの表情が急に明るくなった。 「私のために授業に遅刻しまいとして、あわてて電話を切ったのだね?」 「そういえば……あのときは急に電話を切って、すみませんでした。 次の授業が別の教室で行われることを、級友が呼びにくるまで、 すっかり忘れていて、慌ててたんです」 さらに、シルフィスは顔を赤らめながら、正直に打ち明けた。 「恥ずかしながら……昨日のことで浮ついていて、 集中力に欠けていたんです」 「私もだよ」 セイリオスはシルフィスを安心させるように、ほほえんだ。 「きみのことで、仕事が手に付かず、 部下たちに携帯電話を取り上げられて、会議室に缶詰にされたんだ」 「セイルがですか?」 「シルフィス、きみは今のままで、十分に私と釣り合っているよ」 その言葉で、シルフィスは緊張が解けていくのを感じた。 |