| 社会人と学生
その1 |
カキーンという金属音とともに、ボールは弧を描いて、青い空を飛んでいった。 「シルフィス! 行ったぞ」 「えっ?」 仲間の呼びかけもむなしく、シルフィスが気づいたときには、ボールは彼女の横をすり抜けていった。 「わわっ!」 シルフィスはあわててボールを追った。 野球部の紅一点。 表向きはマネージャだが、非公式の試合ではレギュラーの座を確保し、仲間からも信頼されている彼女は、この日、らしくもなく、ミスを連発していた。エラーは3度目だ。 しかし。 シルフィスはボールを捕らえると、得意のアンダースローでホームベースに投げた。 バシン、と見事な音が鳴ったときには、ボールはミットに収まっていた。 「アウト!!」 「ほっ」 シルフィスは試合に集中できないでいたが、日頃の練習で鍛えた俊足と強い肩でなんとかカバーしていた。 【小牧】
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| 社会人と学生
その2 |
「シルフィス、おまえの携帯鳴ってるぞ」 「えっ? あ、ありがと」 守備を終えてベンチに戻ったシルフィスは、チームメイトのガゼルから携帯電話を受け取った。 「もしもし? セ、セイル!?」 あまりにも大きな声を出したため、周囲にいた男子生徒がいっせいに振り返った。 フェンスの向こうで、試合を観戦していた一般の生徒たちも同様である。 跡が残りそうなほど、フェンスに顔を押しつけて、電話の会話を聞き取ろうとしている。 「シルフィスに電話? 誰からだ?」 さっきまで、ぼーっとしていたシルフィスも、この騒ぎにはさすがに気づかないわけはなかった。 「セイル……あの……」 セイリオスだけには、話ができない、とは言いたくない。 かといって、話を続けると、野球部全員にセイリオスのことを知られてしまう。 恋人ならまだしも、交際しているわけでもないのに、変な目で見られたら、セイリオスに迷惑がかかる。 どうしよう、焦っていると、背後から助け船が出された。 「どうせ買い物の話だろ? またディアーナとかメイがバーゲン情報持ってきたんだろう。 女ってバーゲンになると目の色が変わるからなー。行くんなら、試合が終わってからにしておけよ」 「う、うん。わかってるよ、ガゼル」 心の中でありがとう、と言い、シルフィスは電話に戻った。 「こんにちわ」 「やぁ、シルフィス。仕事が早めに終わりそうなんだが……会えるかな? よければ、学校まで迎えに行くよ」 「え? 今からですか?」 やっぱりバーゲンセールか、と周囲の騒ぎは一気に引いていったが、シルフィスはもはやそれどころではなかった。 セイリオスの誘いに、頭がガンガンするほど胸の鼓動が高鳴っていた。 「いま、練習試合で相手校にいるんです。待ち合わせをするなら……」 シルフィスはあらためて周囲を見回し、ここには呼べない、と判断した。 「1時間後くらいに、駅ではどうでしょう? 着いたら、携帯に電話しますよ」 「それでいいよ」 電話を切った後、シルフィスはさっきまでとは別人のように闘志を燃やしていた。 「コーチ。ピッチャーを交替してください! 試合を30分で終わらせてみせます」 それを後ろで聞いていたガゼルは、感心して言った。 「バーゲン効果ってすげえな」 |
| 社会人と学生
その3 |
「1時間後か……。まいったな」 セイリオスは、シルフィスに聞こえないよう、電話を切ってからぼやいた。 彼はすでに待ち合わせ場所にいた。 駅前の喫茶店で商談を終えて、すぐに電話をかけたのだ。 練習試合があることは聞いていたので、早めに仕事を切りあげて、彼女が野球をする姿を見に行くつもりだった。 だが、電話越しに聞こえてきた騒ぎから察するに、どうやらあきらめるしかなさそうだ。 「仕方ない、仕事でもするか」 ため息をついて、セイリオスはノートパソコンの電源を入れた。 |
| 番外編 |
「レオニス、コーヒーのおかわりを頼む」 「はっ!」 カウンターの中でグラスを磨いていた長身の男はポットを取ると、きびきびと歩いてきて、セイリオスのカップにコーヒーを注いだ。 「父が、君に会社に戻ってきてもらいたい、と言っていた。 だが、店がこんなに繁盛していては、無理な相談だろうね。 成功おめでとう、レオニス」 「ありがとうございます」 レオニスは軽く頭を下げると、また、きびきびとカウンターに戻っていった。 【小牧】
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