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■2005年4月28日(木)晴れ

この頃、よく晴れた天気が続いています。庭の雑草が、とてもひろがってしまって、 草取りをしています。

昨日、ハウスの作業にお隣のおじさんがお手伝いにきてくださりました。 水が入るようになったから、みに来いとお父さんがいうので、みにいきました。 私は、ハウスにいって、それでまた、先日、私がビニールの三角に裂けさせてしまったところをみて、思い出してしまいました。

電子レンジをあけたら、ちょっと深い小皿が入ったままになっていたので とりだしたら、底にぺたっとお餅がひろがってくっついていて、すっかり固まって皿の底のように くっついていました。お父さんが食べようと思って忘れたんだなと思いました。 お通夜から帰ってきたお父さんは、それをみて、あ、忘れていたといって、 皿の底からお餅をぱこっと外したので、私は外れないかと思っていたから ちょっとびっくりしました。すっかりお皿の底のようになっていたお餅を、 お父さんはまた食べようと思って水につけました。 私は昨日の夜なんだかよく眠れませんでした。胸が落ち着かないようなつまるような変な気持ちだ。。


■2005年4月25日(月)くもり

テレビで電車の事故の様子を、皆ショックなようにみていました。 夕方、またカラスが1羽田んぼにきていました。水の中をちょこちょこ歩きながら時々つっついて、 いつまでもいつまでもいました。


■2005年4月24日(日)晴れ



田んぼにも水がはいりました。点のようにみえるのはうちのお父さんです。 お父さんが代かきをしていると色々な虫などがでてくるのか、盛んに カラスや小さな鳥が水面をつっつきにやってきていました。夕方、外にでたら畔にカラスが1羽やってきて田んぼのほうをみてじいっとしていました。

家のまわりは今、一輪草がたくさん咲いています。柿の木の根元がいちばん咲いているようです。



庭にはボケの花が咲きました。お母さんは今日は玄関などに飾る花をいろいろとっていました。 2階で絵をかいていたら、外からお母さんの話声?がきこえてきたので誰かきたのかと思いましたが じつは坂道でれんぎょうの花をとろうとしたら蛇がでてきて、ぎゃー!と叫んでしまったようです。 下の田んぼにいたお父さんがそれをみてけらけら笑ったから、お母さんは悔しくてぶつぶつひとりごとをいったようです。私はそれをきいたようです。


■2005年4月21日(木)くもり

夕方、お父さんのハウスにビニールをかけるお手伝いをしました。お隣のおじさんも来てくださりました。 強い風が時々吹きはじめてとっても大変でした。。私などは、あまり役にもたたず、 ビニールの端を反対側から紐でひとりひっぱっていたら、強い風にビニールがすっかり大凧のようになって私も一緒にちょっととんで(?!)ハウスのところにぶつかってしまい恥ずかしかったです。。途中から、お向かいのおじさんも来てくださりました(一部始終をご覧になっていたのかもしれません…)やっとひとしきりビニールを全体にかけることができたところでまた大きな風が吹いて、まだ少ししかとめていなかったので掴んでいた私の手元でブチッと音がして、あっと思ったときにはビニールがとても大きく空に翻っていました。私が掴んでいたところがなんだか三角に裂けてしまって風にはためいているのがみえて、ぎゃーと思ってしまいました。もう一度皆でビニールをかけてなんとか全部とめて帰りました。私はこれから私が三角に破ってしまったところをみるたびに後ろめたく思ってしまいそうです。

チャングムの誓いは今日は27話で、前半の最後の、ハン尚宮が亡くなるお話になりました。先週からのチェ一族とオ・ギョモと医務官の陰謀でハン尚宮とチャングムは流罪になりました。チャングム達を王宮から追い出せたチェ尚宮とクミョンは、とても暗い顔で追放されるチャングム達を見送っていました。どちらかというと、女官長のほうがこれで邪魔者はいなくなったとせいせいしたという感じでおりました。流刑地までの道で、歩けなくなったハン尚宮を、チャングムがおんぶして歩いていたんですが、もう話す元気もなくなったハン尚宮の意識をしゃんとさせようと思ってチャングムが一生懸命、背中のハン尚宮に料理の仕方をきいて歩いていました。来週からは、チャングムは医女をめざすようです。。

■2005年4月17日(日)快晴

10日ぶりの更新です。。絵画教室からもう1週間がたってしまった・・・!ずらずらと長くなって、すみませんです。今日は勿体無いような良いお天気の日でした。外はじっとしているように静か。なんだか今日は、人と話をしたり音をたてたり音楽をきいたりするのも勿体ないような(?)気持ちがするほど、うっとりするように静かに晴れていました。今日は人の声もあまり聞えてこない、鳥も静かに鳴いていました。鯉も水面近くでじいっとしていました。風の音だけがしているような、うっとりするような1日でした。


■2005年4月16日(土)晴れ

あたたかくなり、鳥の囀りがとっても盛んになりました。家の屋根のてっぺんのところによくやってきて盛んに鳴いているあの鳥は、キセキレイだそうです。 尾をぴんとたててふりながら高い声でいつも鳴いていて、私が近寄るとすぐ田んぼのほうへとびたって、電線にとまってまたそこで鳴いています。離れの屋根のいちばんてっぺんにとまって鳴くので、なんだか目立ちたがり屋の性格(?)の鳥なんだなあと思いました。ときどき、裏側の部屋の中にいると、窓を黄色いお腹がさっと横切るのがみえたり、離れとは反対側の家と蔵の間を、すごい速さでさっと通り抜けていって、家のまわりをぐるぐるとびまわっているみたい。

そして納屋にツバメがやってくるようになりました。戸が開いているので、 ちょこちょこと出入りして、私が庭をうろうろと歩いていると傍の電線のところにとまって鳴いて、 私がいなくなるとさっと中へ入って行くようでした。

それから、あたたかくなったら、部屋の中にカメムシが入ってくるようになりました。 そして昼間窓際などで日にあたり ブンブンうなっていたカメムシは、夜になって気温が下がるとあまり動かなくなり 私の布団の上や、私のベッドの足下のところにお母さんが敷いたトラ模様(?)のマットのところで死んだようにじっとしているので、おそろしい。。夜は足下や布団などをよく注意をしながら入るようにしています…

昨日は、中学時代の同級生と久しぶりに会って3人でお昼御飯をたべました。 まだこの町の桜はぼちぼちとしか咲いておらず、寂しい感じです。 お母さんが先週買って帰った源氏巻きはいつのまにか1本になり、手焼き煎餅は、かぼちゃの種がついていたもののほうを1袋全部、お父さんが食べてしまっていました。


■2005年4月10日(日)晴れのち雨

雨がふるといっていたのですが、午前中はとても晴れていました。今日は美術館から車で少しいったところにある、海老谷桜のところへいって、かきました。風がとても強いので、今日は絵の具で色を塗ると、風でいろいろなものがとんでいってしまうかもしれないということで、今日はパステルなどを使うかたが多かったようです。本当に風が強くて、私は風下のほうに座っていたので、いろいろ袋や紙や色々なものがとんできました。

最初、学芸員のかたがこの海老谷桜についてお話をしてくださいました。この山桜は400年くらいだそうですが、 山桜というのは色々なものに利用されるのでなかなか長生きのものは少ないのだそうです。 それなのになぜこの山桜は長生きしているかというと、この木は墓守だったから、今まで切られることがなかったのだそうです。そしてその枝周りとおなじ広さの根を桜は地下にはるんだそうですが、この木の場合は、斜面にはえているので、その分、地下の根が、道路が通っているほうに広くひろがっていて、けれどもその上を車やトラックが行き来するため、とてもこの木は弱ってきているのだそうです。

お話をしてくださった学芸員の神さんは、今年あまり花が咲いていないけれども、 これでもこの木は必死に花を咲かせようとしている姿なんだということや、 あんまり頑張らなくていい、また来年頑張って花を咲かせりゃあいいんだといわれた樹医さんの言葉を、 私達の前で話してくだいました。私は聞いているときこの桜の木をみていたらつっと涙がでてきてしまいそうになったので、下にひろがる野原のほうをみていました。

三隅町には、彼岸桜と山桜の両方の性格をあわせもった大平桜という樹齢が660年の大きな桜の木があって、 私が石正美術館にいってみたいと思ったいちばん最初のきっかけは、学芸員のかたがHPにかいておられた、 水上勉さんが大平桜をみにこられたときに仰った言葉を読んだことでした。 美術館からも2、30分くらい車でいくようなところにあるようだったのですが、 昨日、お母さんも私も帰りにどっとくたびれてしまってすぐホテルに戻ったので、今回はみにいけないなあと思っていました。 そして今日、海老谷の桜のところへきて、思った事は、 石正美術館のHPで、学芸員のかたが日々かかれていたものを読んでいたとき、どんなかたがこの文をかかれているのだろうと思っておりましたが、きっとこの神さんがかいておられたのだと、お話をきいていてとても思いました。私はこのような絵画教室に参加したことがなくてなかなかわかりませんが、こんな風に、丁寧にその木のことを説明してくださる場というのは、なかなかないのではないだろうかと思ったのでした。神さんは、まるで誰か自分のよく知っている人のことを話すように、この桜の木のことを、私達に話してくださいました。 どうしてここにこの木があるのか、山桜や彼岸桜の違いや、だから、大平桜とは違った桜だから、どうか比較はしないでくださいといわれました。昨日の薮椿のときもそう思いましたが、神さんが私達に話してくださったことは、知識というよりも、その木のこと、その木の生き様を少しでも伝えられたらというような思いから話してくださったような気がしました。

もうひとつ、今日私が忘れられなかったことは、お昼御飯をたべたあと、神さんが、天然コケッコーのモデルになっている岡見を車で案内してくださったことでした。5分あれば全部みれますからと、昨夜仰ってましたが、本当に、車で、ここが大沢くんちです、ここが郵便局、ここが伊吹ちゃん家です、と次々教えてくださいました。 くらもちふさこさんのお母さんの御実家がここ岡見にあり、くらもちふさこさんは、幼い頃、よくここへこられていたのだそうでした。 そして、石本正先生が子ども時代を過ごされたお家もすぐ傍にあり、それは天然コケッコーにでてくる郵便局でした。家に帰ってからもう一度天然コケッコーをみてみたら、本当に外観が今日みたお家と同じでした。 それから、神さんは一軒の家の前に車をとめて、玄関の戸をあけながら、おおいと声をかけておられました。そこは神さんが住んでおられるお家だったようで、奥さんや息子さんが出てこられたので、私とお母さんはちょっと恥ずかしかったです。漫画の中で、そよちゃん家で飼われていた、にゃんこという名前の猫がおりましたが、つい2日前くらいに亡くなったのだそうです。でもその子どもと孫がいるからみせてあげるといわれて、神さんはお庭につつつとはいられて、あれがにゃんこの子であれが孫、と教えてくださいました。私はなんとなく、なぜ神さんがここに住んでおられるのかとか聞かないで帰ってきてしまったのでしたが、確かに猫が1匹、ごろんと気持ちよく立派な格好で庭で横になって眠っていて、その猫がにゃんこの子どもの猫で、さらに、離れたところに茶トラの猫とかが3匹ごろんごろんと並んで眠っていて、それは孫なんだそうでした。1匹は、昔うちで飼っていたハチ(弟が拾ってきた野良猫で、お母さんはトラ、お父さんはトラ次郎、私はハチと、皆好き勝手に呼んでおりました。。)によく似ているなあと思いました。うちのお母さんが傍に寄ろうとしたら茶トラの猫が1匹、とってもビクっとして逃げようとして、私は可笑しかったです。あとの2匹はちょっと私達のほうをみたあと、さして興味もありませんぜといったようにまた気持ちよさそうに眠りにはいっていきました。

午後はどんどんと雲行きが怪しくなってきて、2時頃に美術館に戻りました。3時に全部が終わって、もう雨が強く降り始めて、お母さんと急いで車に乗って帰りました。途中、道の駅で、私はゆず胡椒とゆずクッキーを買いました。お母さんはなぜか源氏巻を4本も買っていました。今日、お昼に海老谷桜のところへ、観光協会のかただったか(うろ覚えですみません。。)売っておられた手焼き煎餅をうちのお母さんは2袋買って、それから帰りに美術館にもお土産屋さんがこられていて、そこでもお母さんはお酒2本とお菓子を買っていて、どんどんお土産が増えていくようだなあと思っていたら、さらに途中で、トイレにいきたくなってスーパーのようなところに寄りましたが、そこでお母さんはなぜか服(?)を買っていました。そしてまた、よく叔母さんがうちに来られるときにお魚を買ってきてくださるのですが、たぶんそのお店だと思われたお店をみてまた車をとめて、魚の干物を買ってきたので、面白かったです。

帰りの車の中で、私は、今日、桜のところで神さんの話を聞いていた時ちょっと涙がでてきてしまったといったら、実はお母さんもそうだったといって、それから、美術館のスタッフの方々は、本当に、石見のこと、石見の良さを少しでも色々な人に伝えていこうというような、何かそんな熱心な思いでお仕事をされているような感じがして、その真面目な思いが、地元のかたのことも少しずつ動かしておられるような気が私はしました。それからまた、美術館の方々も、石見の人やその土地から感銘を受けておられるような感じもしました。だから、なんだか町の中が元気なような気がしました。だけれども、それは本当に、とても大変なことのように思いました。

楽しかったけれども、全部終わってみるとやっぱりくたびれもでて、夜はばたんと眠くなりました。


■2005年4月9日(土)晴れ

今日は絵画教室がありました。三隅町は浜田と益田の間くらいのところにあるようだったのですが、どのくらいかかるものなのか、母もよくわからず、7時少し前に家をでました。今日はとても晴れていて、車の中からあちこち家々の庭で桜やこぶしやれんぎょうの花が咲いているのがみえました。家のれんぎょうはまだほとんど咲いていないのですが、お隣の美郷町では満開でした。山にも山桜や椿の花がみえました。普段は、下から眺めていてもよくわからないけれど、春になって山々の緑の中に咲いているのが遠くからでもみえて、あ、あそこに生えているんだなあと、この時期だけ気がつくような感じがしますね。。

最初、母が一緒に参加するとは思っていなかったので、どうやって三隅町までいこうかと考えていたときには、 温泉津というところに叔母さんが住んでおられるので、そこに泊めていただいて温泉津駅から電車に乗って三隅町までいこうかと思っておりましたが、温泉津町を過ぎてからも、まだまだ先は長く、とても無理だったなあと思う程、島根の横長さ(?)が身にしみました。。。温泉津まででるまでの山の中のくねくねとした道を通っているときは、夜ここをひとりで通ったら怖いだろうなあと思うように、木に囲まれていて、静かな道でした。9号線にでると、海がみえて、小学校の頃、海水浴できていたところも過ぎて、それでもまだまだ先が長そうでした。 江津を過ぎて、浜田にはいっても、まだまだという感じがして、遅れてしまうんじゃないかと思いました。やっと三隅町の看板がみえたときには本当にほっといたしました。結局10分ほど遅れて到着しました。参加されたかたは50人おられましたが、ほとんどが女の人で、お母さんくらいの年齢のかたが多かったです。

今日みにいく椿の木は、益田の美都町にあり、美術館から最初30分くらい、小さなバスに乗って移動しました。山の入り口からは、小さな橋を渡って山のほうへはいり、1.5キロ程歩きました。

とても晴れていて暑かったのですが、少し前に雨も降ったせいか、道はぬかるんでいました。 お母さんも私も歩いているとすぐ息があがってふうふういいながら歩きました。 うぐいすの声が何度もしていました。お母さんは道端の花をときどき立ち止まって眺めたりしながら歩いていました。突然、すみれがたくさん咲き乱れているのがみえました。朝ごはんを早く食べたので、歩いていたらだんだんお腹がすいてきて、ああお腹がすいたなあと思った頃に、道が行き止まりになっていて、一段高いところに、突然大きな椿の木がみえました。

本当にとても大きな椿の木でした。歩いてくる途中も椿の木があちこちにあったのですが、幹の太さがとても違っていて、本当に大きな大きな幹で、人の両手が空にむかっているように、いくつもの太い枝がひろがっていました。子どもの頃読んだ、モチモチの木が、手のようにみえるところが怖かったのですが、この木は、肌が白くて柔らかい色だったせいか、大きくて両手のように広がっているけれどもなんとなく優しい感じもしました。美術館で出発する前に、幹周りは3.5メートルくらいあって、18メートルくらい枝がずっと広がっていますと説明をきいたときは、なかなかどんな大きさなのかよく想像ができませんでしたが、円形に枝が広がって、遠くからみると本当に大きな大きなきのこの傘みたいでした。上のほうは全然みえなかったのですが、木が大きくていっぱい咲いている赤い花がとても小さくみえました。でも、地面に落ちている花をみたら、やっぱり普段みる花の大きさと変わりませんでした。その木の下で皆で集まって、学芸員のかたや地元のかたのお話をききました。お話をされている間も、上から花がぼてっ、ぼてっと降ってくるように落ちてきました。

正確な樹齢というのはわからないそうですが、だいたい1000年から1200年くらいだろうといわれているそうです。ここにはかつて、集落があり、昭和30年代に豪雪で麓へ移られることになり、今は本当に自然だけが残されていました。花本さんというかたが、このかつての家の跡へこられ、この椿の木の世話をしておられたそうです。 そして、花本さんの先祖のかたが、本当にずっと昔から代々、この木の下に眠っておられるのだということを、あとで美術館のかたが話しておられました。

この大きな木は、地元の少しの方にしか存在が知られていなかったそうです。去年、県の天然記念物に指定されて、関心が集まり始めたそうです。 でも枝などをこっそりと持ち帰る人があらわれはじめ、この木を守っていくためには、色々なルールも必要だと思うというようなことを、美術館のかたがいっておられました。 母も私も、この大きな椿をみにきた今日のことは、もしかしたら一生に一度のことで、もうこの椿の木をみにくることはできないかもしれないと思いました。 この先、この木のもとへ、人が集まったりすることもあるのかも、よくわかりませんでした。でも この千年も生きている大きな木が、あまり人に知られることもなくひっそりと毎年この山の中でたくさんの花を咲かせていることに、なんだかとても圧倒される気持ちがしました。 ひとが過ごす時間は、木に比べたらとても短いものなのかもしれませんが、この木の傍で暮らしておられたひとの思いのようなものも本当に長い長い間、次の代へ次の代へとひっそり静かに受け継がれてこられてきて、集落はなくなり人の姿は消えても静かに守っておられるかたが今いらっしゃることにも、圧倒される気持ちがしました。

お昼のお弁当は、地元のかたが作ってくださった炊き込み御飯やお吸い物やお惣菜でした。ここには電気やガスなどがないので、下から全部運んでこられたようでした。すぐ傍に湧き水があって、その水でいれたお茶を、竹の筒に注いでくださいました。

3時半くらいまで絵をかきましたが、最初、かこうとしたところより、下側からのほうがなんだかいいなあとお母さんがいって、お昼から場所を買えて、木の下側のほうからかいていたのですが、ちょうど日が直接、あたるところだったので、私はなんだか、紙をみるたびに、目がとても眩んで、木の幹が白っぽい肌なのにまっ黒黒にみえておりまして、やっぱりさっきの場所に戻ろうかなあと思ったのですが、また移動するのもなあと思って、もうずっとそこでかくことにしました。目が眩んでまっ黒くみえても、少ししたら目が慣れて、木の幹の色がみえてきて、よしそれでかこうと思って紙をみると、またそこで目がクラッ!となるのを幾度となく繰り返しながら、実はお母さんもそうだったようです(笑)

私はお母さんにはアクリル絵の具を貸してあげようかと思っていたのですが、お母さんが、私と同じ絵の具でいいというので、透明水彩でお母さんも色を塗っていました。でも私はなんとなく、お母さんはすごく力強い感じの絵が好きだと思っていたから、透明水彩の絵の具で本当にいいのかなあと思っていたら、ふとみたらお母さんは緑色や紺色をとってもブチョ〜ブチョ〜とそれはものすごい勢いでひねり出していて、そして画面にたたきつけるように(?)緑色をぺたぺたぬっていたので、なんだかやっぱりお母さんは透明水彩の色の感じは欲求不満になってしまったんじゃないかと思いました。

私とお母さんは対照的な感じで、私は葉っぱは全然かかないで幹しかかいていないような感じだったけれども、お母さんは、幹よりもなんだか紙全体に葉っぱがひろがっている感じでした。いつもお父さんが服や書類を行く部屋行く部屋そのまま脱ぎ散らかしてそれをあとからあとから拾って片付けているお母さんをみて、お母さんは大変な旦那さんと結婚したなあと思っていたのですが、なんだか今日は、お母さんのかいているその力がみなぎっているというかさらに有り余ってはみでている椿の絵をみて、お父さんは大変な女の人と結婚したんだなあとちょっと思いました。

2時半頃、美術館のかたが、お饅頭をもってきてくださったのをいちはやく見つけたお母さんは、さっそくお饅頭をいただいて私や私のまわりの人にも渡していました。なんとなく美術館のかたが、利休饅頭のことをまぐそ饅頭というんだよ〜と話しておられるのが耳にはいってきて、まぐそ饅頭といえばくらもちふさこさんの天然コケッコーという漫画の中ででてきたお饅頭じゃないかと思いました。

ホテルに帰ったあと、夕ご飯を食べながら懇親会のようなものがあり、ひとりひとり自己紹介する時間がありました。私はこういうとき声も小さくくぐもりがちなので緊張をしてしまって、でもどのかたもすごく面白くて皆でハハハハと笑いながら聞いていました。私は何を話したらいいかよくわからなかったけれど、自己紹介したあとにちょっとだけ、昼間にまぐそ饅頭のことをきいたことを思い出して、天然コケッコーという漫画が好きで三隅町が舞台になっているようなことを高校時代の友人が教えてくれたことを思い出しながら、だから今日本当にまぐそ饅頭という名前をきいて、びっくりしたような嬉しかったようなことを少し話したら、昼間まぐそ饅頭のことを話しておられた学芸員のかたが、とても笑ってありがとうといってくださいました。明日お昼休憩のときに、天コケ村を案内してあげましょうともいってくださいました。5分で全部みれますと仰りました。

昼間、お母さんがもってきてくれたまぐそ饅頭を、私はあとで食べようと思って服のポケットの中へいれていたのを、あとで思い出して、夜食べてみました。私の生まれ育った町にも、利休饅頭はあって、利休饅頭は食べたことがありましたが、今日たべた利休饅頭は、色が本当に黒かったです。そしてとても甘かったです。

■2005年4月5日(火)晴れ

とてもあたたかくて、布団を干しました。鳥の囀りが盛んになって、よく午前中に離れの屋根の上にとまって盛んに鳴く鳥が1羽やってきます。1羽が鳴くと田んぼのほうの茂みや向こう側の山などからあちこち返ってくるようにきこえてきます。 庭は馬酔木と沈丁花の花が咲きはじめて、白やオレンジ色の蝶々がとんでくるようになりました。馬酔木の花は、ひとつひとつみるとすずらんのようで可愛いなあと思うのですが、全体でみるとなにかちょっと迫ってくるような激しい(?)感じがして私は少し怖い感じがします。

池の鯉も、あたたかくなってきて、上にでてくるようになって、お母さんが少しずつ餌をあげはじめました。 赤い中くらいの鯉くらいしかみえないような気がしていたけれど、黒い小さい鯉もたくさんでてきました。去年生まれたみたいで、まだとても小さいので、金魚用の小さい餌も少し一緒にあげています。体は黒で頭だけが赤いぶちの鯉がいて、一瞬、何か怪我をして肉がみえているのかと思います。小さい赤い鯉は、お腹のほうだけ少し黒い感じで、その鯉は他の鯉にくらべてとてものろのろとしております。

ウェルカムボードは、あとで家に飾れるように字が外せるといいなあといわれて、どうしたらいいかなあと思っていたのですが、透明なアクリルボードをもう1枚中にいれて、そこに字をかいて、終わったらそれを外してもらうようにしようかと思いました。アクリルボードはどこで買えばいいのだろうと思ったのですが、インターネットで買えたので、注文をしてみました。本当に今は、なんでもインターネットで買えるのですね〜。。

椿をみにいくとき山道を歩くようで、今日は靴を洗って干しました。


■2005年4月3日(日)曇りのち雨

今日は午後お母さんと三次へいきました。雷が鳴りだして、雨も強くなりました。まだ桜はほとんど咲いていなかったのですが、あちこち、梅や桃の花が咲いていました。帰りにお母さんが家の近くの道路で突然車をとめて、このあたりに薮椿がひろがっているみたいといって、上のほうを指差して、みると、高いところに椿の木がみえました。花も1つか2つ、みえました。今度の土日は絵画教室にいくのですが、大きな薮椿を、お母さんもみてみたいといって、お母さんも一緒に申し込んで、二人で参加をするのですが、私はこんな風に木をかいたりするのははじめてだったり、お母さんも40年降り(??)くらいに絵をかくのでなんだかどんなものをかくでしょう。。。 お母さんは仕事が忙しくて疲れているみたいなので、参加して疲れないかなあとちょっと心配です。気分転換になるとお母さんはいいますが、本当に気分転換になりますように。



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