初代 KE20FNR 1975/6〜1983/6 ▲MENU
トヨタ カローラ 4ドアセダン1200ハイデラックス (4MT) 昭和48年型
TOYOTA COLLORA 4door sedan 1200 Hi-delux
Gross68ps 9.7kg-m 780kg ローザンヌシルバー・メタリック
初めは中古車から
初めてのマイカー。1年半落ち,走行距離1万2000km走行の中古で購入。諸経費込み45万と,程度も良かったかわりに,けっこういい値段でした。その後,8年間で10万kmあまり乗りました(もっとも,途中で何度かメーターを交換したので,正確な走行距離がわからなくなりました)。メカニズムの面でもドライビングの面でも,自動車というものについて学ぶにあたっての,恰好の教材でした。車いじり入門
点火系は永井電子のセミトランジスタ・イグナターを取り付け,コイルも同じく永井のGTコイルに変更,またハイテンション・コードも,当時流行っていたモノマグコードに変更しました(この3点は友人から中古を譲ってもらったので只です)。足回りはクーペ1200SR用の固めのスプリングとダンパーを装着(これだけは修理工場に依頼)。インテリアでは,ハイデラックスには付いていないタコメーターが欲しくて,スクラップ車から剥ぎ取ったTE27レビンのメーターと,クーペSL用のインパネを取り付けました。またリアシートにもシートベルトを追加しました(初代のカリーナから外したように記憶しています。48年式の車のリアシートには,まだベルトがなかったのです)。エクステリアでは,バンパーのステーに共締めで取り付けた,シビエのType40フォグとドライビングランプ(ともにイエロー,もちろん左がフォグで右がドライビング)。ヘッドライトもキャレロ(イタリア製,一時期はやりました)のハロゲンに交換。タイヤは標準のバイアス(6.00-12.4PR)から普及し始めたラジアル(155SR12)に替えました。純正のホイールキャップを取り去ってメッキのホイールリングをはめ,ホイールそのものを黒塗りにするなど,それなりにいじって楽しんでいました。外装といえば,フロントフェンダーの下部に腐食穴が開いたときは,台所用ステンレス・シートを貼り付けて塞ぎました。ボディの下部を黒く塗り,ステッカーをそれらしく貼ってドレスアップもしてみました。
メンテの点では,点火時期やキャブレターの調整も自分でやっていました。なにしろダウンドラフトのシングルキャブですから,同調の難しさ云々とは無縁なのです。グレードが低いせいで,かえっていじりやすいのが幸いでした。素人が気楽に手を入れられる面白さがあった時代です。
機械のあたりはずれ〜走りはレビンなみ?
このカローラ,点火系の強化はしたものの,基本的にはノーマルのままのエンジンです。また,足回りのチューンといっても,少々スポーティーなグレードの純正部品の流用ですから,たかの知れたものでした。しかし,あるときTE71のレビンに乗る先輩が,「この車,レビンと変わらない走りをする」と驚いていました。まだ,機械の品質にばらつきがあった時代だったのでしょうか。私のカローラは「あたり」というわけです。点火系の改良+ハイオクの燃料(トラブル&メンテ参照)と,クーペSRの足の組み合わせのバランスが,たまたま良かったのかもしれません。ちょっと誇らしい気持ちになったものです。「走り」の方は
パワードリフトらしきものを覚えたのは,この車に乗っている時でした。下水道工事の柵をシケインに見立てて,テールを滑らせてはカウンターステアで止めるという,暴走行為寸前の練習をしましたね。ヒール&トゥも,この頃に身につけたささやかなテクニックです。手に入れて間もなく,設楽を中心とした奥三河を走る機会があったのも,ワインディングが好きになったきっかけの一つでした(シートベルトを締める習慣も,このときに身につきました)。そんなことが嬉しくて仕方がなかった青春時代。最近の若い人が,最初の車からATを選ぶというのが信じられない,今日この頃のおじさんであります。スパイクタイヤ
さて,この時代はまだスパイクタイヤ全盛のころで,スキーに行くのに,初めは貰い物の細いバイアスのスパイクタイヤ(5.60-12?)を履いていました。雪道ではともかく,舗装道路でのスパイクというのは絶望的にグリップが無く,コーナーではズルズルとアウトにふくらみ,国道41号などでは本当に怖い思いをしました。(いやなに,少々速度を落とせばどうということもないのですが)その割にアイスバーンでのグリップも大したことはなく,白鳥高原スキー場(当時は白山スキー場といいました)へのアプローチではしっかりとスタックして,あわててチェーンを巻いた覚えがあります。最初のバイアス・スパイクが磨り減った後は,ラジアルのスパイク(155SR12)に替えましたが,あまり性能に変化があったとも思えません。事故…廃車
最後は一時停止をした際に,硅砂を満載した一時停止無視のダンプに追突され,トランクを潰されてあわれ廃車になりました。リアバンパーから上がまるで紙箱のようにぺしゃんこになり,3ボックスのカローラが2ボックス風になるという衝撃のすごさ。よく鞭打ち症にならなかったと,周囲から妙に感心されたものです。実は追突の直前に,リアウインドゥいっぱいに迫るヘッドライトに気づき,激しくスクウォートしながら(追突したトラックの運転手の目撃証言!)急発進した瞬間にぶつけられたのです。あのままボーっと止まっていたらと思うと…くわばらくわばら。