森孝新田(名古屋市守山区森孝3丁目) ▲MENU

尾張旭市立西中学校の西隣りにある「直会神社」は,かつては広く信仰を集め,各地からこの「直会神社」を目指す道が「直会道」と呼ばれていました。名古屋市守山区を通る県道208号線(名古屋上半田川線)沿いに,一体の道標仏があります。森孝西小学校の東400mほどのところです。現在,県道208号線と県道59号線(名古屋第2環状線)の分岐点になっている交差点の南東角に,石の観音菩薩像を30体ほど納めた新しい建物があります。その左端に,別格扱いで1体だけ立派な祠に納まっているのが,目的の道標仏です。

以前はここからまっすぐ東へ向かう「名古屋道(尾張旭での呼称)」と,北北東へと向かう「直会道」との境め,つまり現在の交差点の北東角にあったようです(ガイドマップのの位置)。最近彩色しなおされたばかりの観音像の光背には,「右せと 左のふらい 天保十一年」と刻まれています。天保11年は西暦1840年,江戸時代末期になります。

   
【左】道標の観音像           【右】全景 左端が道標仏を納めた祠 

   【名古屋からの「直会道」】
名古屋市昭和区御器所通3丁目に,平成12年のはじめ頃まで「左なごや道 右のふらい かちかわ道」と刻まれた石の地蔵がありました。平成5年ごろまでは,本来の2つの道(塩付街道と石仏街道)の分岐点にあたる三叉路にあったのですが,ビルの建設にともなって少し北の御器所通(広路通)に面した場所に移されました。そして平成11年の秋,その場所にマンションが建設されることになり,再び住みかを追われることになってしまいました。現在は日進市にある,マンションの土地のオーナーの自宅に置かれているということです。(右の写真は平成3年の撮影 右側が道標仏の「のうらい地蔵」)

この道標仏は地元の人から「のうらい地蔵」と呼ばれていました。呼び名どおりの地蔵菩薩像です。江戸時代の古文書には「村北地蔵」の名が見られます。「御器所村石仏」の北の端に置かれた地蔵の意味のようです。この場所はかつての「塩付街道」(鳴海や星崎で作った塩を内陸部に運ぶ道)の道沿いにあたります。そして古出来町(名古屋市東区)で「塩付街道」と分岐して東進し,上の道標仏のある森孝新田に至ったのです。「直会道」はここから北北東へと進んで矢田川にぶつかり,川を渡って尾張旭市の「直会神社」を目指したのだということです。(2000/08/11訂正 この件は昭和区役所で取材しました)