白山道の地名碑 (庄南町4丁目) ▲MENU

  

瑞鳳橋と四軒家の交差点の途中,焼肉屋の角から南東方向の山手へ,斜めに上がる道があります。昔から長久手町へ通じる,道重要な道でした。この辺り,つまり本地の台地の北側は,以前は木々に包まれた小高い山になっていて,「白山林」と呼ばれていました。徳川家康vs豊臣秀吉の「小牧長久手の戦い」の舞台の一つとなったあの「白山林」です。「白山道」の名は,ここからつけられたのでしょう。

第2次世界大戦以前,本地ヶ原に陸軍の演習場があった頃には,守山の第三師団がこの道を利用したため,「軍道」と呼ばれていました。また,長久手方面から庄中町にある直会神社(なおらいじんじゃ)へ来る道であることから,「直会道」と呼ばれることもありました。

さて,知人が「あの道沿いに旭町と書いた石碑がある。草むらに半ば埋もれているけれど」と教えてくれました。この道に関しては上記のような予備知識(というより先入観)があったものですから,次のようなストーリーを思い描きました。

尾張旭市が「旭町」であった昭和23年から昭和45年までの足掛け26年間の間に,市の境界を示す物として作られた。こうした地名碑が残っていることは,碑が作られた当時,この道がまだ重要な交通路であったことを示している。今は草むらに埋もれているのは,四軒家へ抜ける切通しができて道の地位が低下し,また「町」が「市」に変わったことによって,その使命を終えたからだ。

しかし,上の写真を見れば一目瞭然。柱の頂部の十文字からわかるように,なんと土地の境目を示す境界石だったのです。確かに尾張旭市の旧称「旭町」と刻まれていますから,歴史を語っているといえなくもありませんが…。せっかく教えてくれた知人に敬意を表して掲載しました(^_^;