全宝寺の道標仏 (瀬戸市品野町) 瀬戸MENU

舟形高48cm 一面ニ臂 立像

   

   信州からの道標馬頭観音
国道248号線から分かれて品野陶磁器センターや穴田の工業団地の方に向かう狭い道が,かつての信州飯田街道のなごりです。この道に沿って南西に300mほど進んだところに,大松山全宝寺があります。ここも雲興寺の末寺で曹洞宗の寺です。この寺の境内にも馬頭観音をかたどった道標仏がありました。となりに大きな弘法大師を刻んだ石碑があるため,非常にコンパクトに見えます。やや磨耗が進んでいて,表情ははっきりしません。

光背には「右なごや道 左せと道」と刻まれていますから,信州街道と印所(いんぞ)街道(瀬戸の市街と信州飯田街道を結んだ,いわば昔の地方道)の分岐点にでもあったのでしょうか。道標仏として行き先を書く必要からか,一面ニ臂の立像になっているところは,中品野や尾張旭南原山のものと同様です。馬頭観音に限らず,この地域の道標は,信州などの行き先を示すものが多いようなのですが,これは逆に信州からの西(南)行きを示しています。

また船形の下部には「村中安全」と刻まれています。中品野や尾張旭南原山の道標仏の基壇にも「安全」の文字が見られます。ここの石仏は基壇を持たないので,じかに船形に刻んだのかもしれません。南原山⇔全宝寺⇔中品野と同じ特徴のある道標仏,もしかしたら全部幕末の建立(南原山は1847年)かも知れませんね。

ところで,弘法大師像の光背には「文政七甲申年 村中」と刻まれています。文政7年は1824年になります。