品野町の五丁目観音堂(瀬戸市品野町) 瀬戸MENU

@舟形の高さ50cm 三面八臂 坐像 持物(輪宝・水瓶・数珠・独鈷杵・鉞斧)
A舟形の高さ45cm 三面八臂 坐像 持物(輪宝・水瓶・宝剣・鉞斧)
B舟形の高さ47cm 三面ニ臂 坐像 持物(なし)
C舟形の高さ60cm 一面ニ臂 立像 持物(なし)

   
   【左】五丁目観音堂          【右】彩色された11体の石仏

   平成6年再建の観音堂
国道248号線の「品野火の見下」バス停近く,洋菓子店の脇から北東に入る道が信州中間街道の旧道です。この道を100mほどたどると,左側にまだ新しいお堂が見えてきます。ゆったりした造りの堂内に掲げられた説明板には,次のように記されています。

  平成六年三月吉日
徳川時代後期頃村の路傍に祀られて居た観音像を中馬街道の要衝此処に東屋玉屋の茶店のあった傍に明治十五年堂を構え合祀し村中と荷駄馬の安全を祈願し篤き信仰に推移し星霜百有余年を経て今地域の厚き志と浄財を得て堂宇を改め永く後世に伝え度いと存じます     委員

明治になって中馬街道が整備されるのに伴い、旧道の道沿いに点在していた石仏を宿駅であるここに集めて祭ったということのようです。

    
  馬頭観音C        馬頭観音B     馬頭観音A   馬頭観音@

   彩色された石仏たち
堂内に並んだ11体の石仏を見て驚きました。全てが全面にわたって彩色されているのです。光背や顔は白,衣は茶色や黄土色それに緑色,合掌した手はピンクがかった肌色etc。目や口元も黒や赤で隈取られています。極彩色とはゆかないまでも,素朴な石仏の概念を覆すような彩色です。厚い顔料のせいで,多臂像については持物の確認がしにくいほどでした。色そのものは,チョークのような顔料を水で溶いて塗りつけたようで,うっかり触れると色が手に付着しました。きっと,いつでも洗い流せるようにという配慮なのでしょう。

しかし本来,石仏とはこのように彩色されたものなのかもしれませんね。ちょうど,再建された薬師寺の伽藍が,白と朱,緑や金で彩られているように…。花崗岩や砂岩の地肌が石仏のスタンダードで,せいぜい一部分に色を入れるだけと思っていた自分にとって,目から鱗の思いでした。

   さまざまな姿の馬頭観音
11体のうち,4体が馬頭観音で,さまざまなタイプが見られます。上の写真で@とAが三面八臂の坐像,Bはやはり三面の坐像ですが,腕は胸前で合掌している2本だけです(左右にも腕が出ているように彩色されていますが,火焔光あるいは宝珠光の一部を見誤ったものと思われます)。それに対しCは一面ニ臂の立像です。

@の基壇には「村中安全 下中品野 馬車組合」と刻まれています。「組合」とあるのは,寶泉寺の馬頭観音の「瀬戸馬車組合」と同じ時期に成立したのものでしょうか。側面には「大正九年旧正月」とありますから,像の建立は10年ほど遅いことになります。Cの立像は道標仏によく見られる姿ですが,残念なことに記銘は確認できませんでした。もともと無銘なのか,厚いお化粧に(^0^)埋もれているのか…顔料を剥がしてみたいですね。

馬頭観音以外にも聖観音や十一面観音,「木之本地蔵」と刻まれた地蔵菩薩などいろいろな石仏が並んでいます。隈取のおかげで,どの顔もコミカルになってしまっています。素顔を拝見してみたい気がします。そてにしても,こんな立派なお堂に祭ってもらえて,ほんとうに幸せな石仏たちですね。