北脇と水野川沿い(瀬戸市水北町) 瀬戸MENU

@ 舟形高63p 一面ニ臂 立像
A 舟形高39p 三面八臂 坐像 
持物(独鈷杵・鉞斧・輪宝・水瓶)

   
@女性的な馬頭観音        椋の木の下に,社・お堂と並んで     

   @ 大ムクの下の馬頭観音
水北町の北脇の集落の中に「北脇の大ムク」と呼ばれる,高さ20m,幹周り4mにもなる大きな椋の木があります。樹齢600年になるというこの大木は,「愛知の名木」にも名を連ねているということですが,その根元に一体の馬頭観音が立っています。すぐ隣には太い注連縄(しめなわ)をつけた小さな社が,さらにその隣には阿弥陀らしい如来像をまつった集会所風の小ぶりなお堂があり,いかにも日本的な宗教の場の風景です。

さて,馬頭観音は一面ニ臂の立像で,舟形の高さは63pもあり,この辺りの石仏としてはかなり大ぶりな方です。尊像の左右の舟形には寛政三年」「六月十八日との銘があります。寛政三年は1791年,松平定信が「寛政の改革」を行っていたころですね。年代のわりに風化が少なく,彫り方はやや深めです。優しげなお顔には,切れ長の目,三日月形の眉や小さめの唇がくっきりとあらわされ,女性的な雰囲気をかもし出しています。仏像には珍しい顎が細い小顔で,今風の美形といえるでしょう。下半身がふくよかで,ちょっぴり妊婦風の感じなのも,女性っぽく見せている理由かもしれません。天衣の様子も写実的にあらわされています。馬頭は折れ曲がった被り物にちょこんと乗っています。

馬頭観音も観音様ですから男性のはずですが,一面ニ臂立像の場合は中性的ないし女性的に表されることが少なくないようです。三面八臂(または六臂)の坐像の多くが男性的なのと較べ,対象的ですね。なお,昭和57年に刊行された「瀬戸の石像物」(瀬戸市教育委員会)には「合掌観音」の名で掲載されています。馬頭観音一面ニ臂立像の多くは確かに合掌していますが…,やはりこれは宝冠の馬頭に着眼すべきかと考えます。あるいは通称が「合掌観音」ということでしょうか。

  
A坂の上の馬頭観音         坂道を右へ下ると民家の庭先に!  

   A 水野川沿いの馬頭観音
水北町と穴田町の堺を北から流れてきた水野川が,ぐっと西に向きを変えるあたり。その水野川の堤防道路から民家の庭先に降りる坂道の一番上に,セメントで石の上に固定されて,やや小さめの馬頭観音が座っています。橋でもない,単なる川沿いの馬頭観音,というのは意外な場所です。舟形光背のついた三面八臂の坐像ですが,彫りが非常に深く,馬口印(馬頭印)を結んだ手や立てた膝が立体的にあらわされており,丸彫りの像としてもおかしくないほどです。馬頭もはっきりと立体的に彫り出されています。

お顔の磨耗も少なく,顔立ちがよく分かります。表情は三面とも一見穏やかそうですが,よく見ると正面の顔(なんとなく布袋さんのよう!)は菩薩面で優しげですが,両側は厳しい憤怒面を示しています。光背には火炎が筋彫りで表されていますが,この辺りの馬頭観音では少数派かもしれません。馬口印を結んだ正面のニ臂以外の六臂は,これも筋彫りで表されています。向かって左上の手には独鈷,その下は鉞斧,右上は輪法か宝珠,その下は水瓶を持っています。左右とも一番下は何も手にしていない施無畏印のようです。

記銘がなく年代は分かりませんが,舟形への筋彫りという点は,長久手町の教圓寺にある小さい方の馬頭観音と似ていなくもありません(表情などはずいぶん違いますが)。とすると,江戸時代末期頃の作ということになるのでしょうか。品野の観音堂にある彩色された馬頭観音も,顔料を取り除いたら,もしかして…と興味は尽きません。

※ 瀬戸の山上様から情報を頂きました。