上品野の路傍 (瀬戸市上品野町) ▲瀬戸MENU
左:舟形高56cm 一面二臂 立像
右:舟形高55cm 一面二臂 立像
【左】明治三十年 【右】大正二年
信州飯田街道の路傍に
中品野の歩道橋下にある道標を兼ねた馬頭観音(「其の六」参照)より100mほど東に進んだあたりで,道路の北側に2体の馬頭観音を見つけました。土留めに並べられたコンクリートのテスト・ピース(円筒形のブロック)の真新しさから見ると,最近になってこの場所に置かれたのではないかと思われます(私がこれまで気づかなかっただけ?)。もともとはきっと,昔の信州飯田街道に沿って置かれていたのでしょう。今は空き地の隅に,ひっそりとたたずんでいました。左は明治30年
2体ともこのあたりによく見られる一面二臂の立像で,大きさも似通っています。左のものは明治の末,右のものは大正の初めの制作ですが,作風はかなり異なっています。左の明治の方が彫りが深く,顔立ちや衣の様子がくっきりと表わされています。どちらかといえば,馬頭観音としては穏やかな表情をしています。こちらは像の向かって右の舟形に「明治参十年六月廿六日」,左側には「明治三十年三月廿七日」と刻まれています。左の文字ははっきりしていますが,右の方は消えかかっていました。なぜ違う日付が刻まれているのでしょうか?基壇には「上品野 鈴木増太郎」と建立者と思われる名が刻まれていますが,この名は右の馬頭観音の舟形の文字と同じです。もしかしたら移設のときに,石仏と基壇が入れ替わってしまったのかもしれません。右は大正2年
左の方は彫りが浅い上に,材質の関係か磨耗も進んでいます。しかし馬頭観音らしい厳しい表情が見て取れます。衣のひだの表現も非常に簡素ですが,それだけに素朴な感じが伝わってきます。像の向かって右側には上記のように「鈴木増太郎」,左側には「大正二年六月□□」と刻まれています。基壇が入れ替わっていないとすると,2体とも同じ人物による建立ということになりますが,15年余りの間隔ですから,可能性は十分にありますね。空き地の隅に置かれた2体の馬頭観音。生けたばかりの榊が供えられ,今も信仰の対象になっていることを思わせます。撮影中も年配の女性に「いいお顔をなさってるでしょう」と話しかけられました。しかしすぐ東側には,土地改良を受けたらしい水田がせまっています。開発が進む中で,いつまでこの場にいることができるのでしょうか。
【空き地の隅の馬頭観音】