TOEICプロジェクト改め

英語なんか嫌いだ日記 別館

    

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●英語なんか嫌いだ日記

     

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 英語が喋れるってこと 5/5

 突然だが俺は今日から英語が喋れることにした。きっかけはダカーポの記事である。

 大概の人はよほど英語が喋れても「いやまだまだです」とか、「勉強中です」などという。最近英語サイトなんかを良く見て回るのだが、TOEIC900点くらい取ってる人でも勉強を続けているという。
ノンネイティヴはいったいいつから英語が「喋れる」ようになるのか。

 で、ダカーポの記事は大して喋れもしないアメリカに住んでるおねえちゃんが「喋れる」と言ってはばからないというのは何故か、という記事だったのだ。

 そのおねえちゃんが「英語を喋れる」という理由は、
「えー、ひとりで買い物できるようになったしー、外人の彼氏といると楽しいしー」だそうである。

 問題は次だ。「テレビのニュース番組なんか解るの?」という問いかけに対して、
「えー、そんなの日本にいるときもわかんなかったしー」である。
にもかかわらず彼女は彼女の中で「英語が喋れる」のである。

 で、めんどくさいので俺ももう英語を喋れることにした。
今の日本語と同レベルの英語を喋ったり読み書きするためには30数年間寝ても起きても英語を喋りつづけ、なおかつ勉強もしなきゃいけないのだ。受験勉強も、漢文も古文もやらなきゃいけない。できるわけがない。
 俺はこう見えても実は自分の日本語に絶大な自信を持っている。なにしろ文学部だし。どこへ出しても恥ずかしくない文学学士様である。

 文学的表現だろうが、ジャーナリスティックな表現だろうが敬語だろうがそんじょそこらの物書きには負けん。仕事の専門用語だってちゃんと喋れる。ここで大事なのは実力じゃなくて、この「思ってる」ところである。自分の日本語能力に自信があればあるほど、英語は遠のく。今の日本語能力と同じ英語力がなければ「英語が喋れる」って言えないのならそれはもう不可能だ。

「今こそわかれめいざさらば」こんなもの一生英語にできんといえばできん。
「ここ喫煙場所かどうか解らないのですけれども、もし差し支えなければタバコを吸わせていただけると私としてはとてもうれしいのですが」。
may I smoke here.でいいじゃねえかと。池野めだか方式である。

 「俺は日本からアメリカにやってきて、親戚もいない、友人もいない。一人ぼっちだ。そんな俺が財布の入った鞄を盗まれちまった。もうどうしようもない。アメリカ人はそんな困っている人を見捨てるほど冷たくはないだろう。お願いだから助けてくれ保安官」って英語で言ってやったよ。

「なんて言ったの」

「『Help』って」

   

 俺は挨拶もできるし、自己紹介もできるし、なんの仕事してるかも言えるし、初対面の人と合うのになんの不自由もないもの。だから俺は今日から英語を喋れる人になることになった。

 そしてもちろん英語も聞けることにした。もちろん、CNNが何言ってるかなんてわかりゃしない。でも、為替のニュースだって世界情勢だって日本語は解るけど内容はあんまり良く解んないし、シスアドの問題集や六法全書なんて日本語なのにわかんないじゃん。

 で、英語のスクリプトがあれば聞き取れるんだもん。これは聞けるということに他ならない。
 例えばフランス語や、いやフランス語はアルファベットなのでできるかもしれないが、ハングルやスワヒリ語がスクリプトがあるからといって文字を目で追って聞き取れるだろうか。無理だろう。
 であればスクリプトがあって、それを目で追うことができて理解できるということになれば、俺は英語を聞き取れるということになる。まあまだ子供アニメの英語すら聞き取れやしないが、それはちょっと「苦手」なことにした。
 ブルース・スプリングスティーンなら完璧に聞き取れるし、ビートルズだって半分くらいは聞き取れる。それは歌詞を覚えてるからだが、聞き取れるという事実には何の代わりもない。

 大体英会話学校でもクラブでも外人と1時間いたって会話が成り立ってるんだから、それはもう英語が喋れるってことに決まってる。だって外人のおねえちゃんだって「英語が上手い」ってほめてくれたもの。よいしょだけど。でもこれだけ喋れて英語が喋れないなんて言うほうが間違っている。

 英語って、パソコンができるっていうのに似てるかもな。俺は自分でパソコンを使うのには何の不自由もない。無論自作もネットワークの構築もできないが、完全に素人のなかでは「出来る」方だ。パソコンができるっていうのも言ったもん勝ちみたいなとこがある。ワードエクセルがある程度使えれば、就職する時には「できる」っていうだろう。たとえネットワークの構築やソフトのインストールができなくたって。
 少なくとも俺はパソコンができる程度には英語ができるので、今日から勉強するのはやめた。

 これを読んでいる外人はもし道で迷ったら明日から俺に聞きにこい。何でも教えてやる。
但し俺は大阪の地理には詳しくないので知らない場合もあります。

    

英語が聞けるってこと 5/13

 ある日突然、英語は聞けるようになる。
俺が一番最初に感動したのは、新幹線の車内アナウンスがちゃんと聞けたのにびっくりした。
あんな簡単なもの、誰だって聞けるだろという人はどっかへ行って下さい。私はもっと低いレベルの話をしています。いばってどうする。

 新幹線にもずいぶん長いこと乗ってるが、あのアナウンス良く解らなかった。we are soonまでは解るのだが、「メイブリーストップ」 がわからなかった。
 多分止まるんだろうなとは思っていたが、よく考えたら「多分止まります may stop」なんてアナウンスねえよな。
それは単語を知らないから聞き取れなかったのである。
「make a blief stop 」だったのである。ブリーフは俺のなかでパンツか書類のことだったので、電車のアナウンスで言われてもよく解らなかったのだ。

 こないだ大阪駅でも英語のアナウンスが大体解った。何のことはない、駅で使う単語なんて20個くらいしかないのだ。パッセンジャーとかな。

   

ネイティヴスピーカーってこと 5/20

 俺は実は大阪生まれじゃないんだが、いまは関西弁が喋れる。ネイティヴじゃないので濃いフレーズ、例えば「〜しもって」とか「〜したはる」とかは無理だが、それっぽい関西弁は喋れる。しかしそれには5年近くかかった。

 どんな感じかというと、しばらくは「〜ちゃうん」とか「〜やろ」みたいな語尾だけ真似したりしていたのだが、ある時期を境に文自体を大阪弁で喋れるようになってきた。それは多分コップの中の水があふれてくるような感じである。関西弁の知識と発音が一杯になってきたので、自然と口からあふれてきたという感じ。足りない時は探さなきゃいけないのだが、あふれてくるものはどんどん出てくる。こうならなければ難しい、というかこうなると簡単だ。

 もちろん、関西弁を勉強していたわけではないが、関西弁には46時中触れている訳だし、関西弁の違いもわかってきたし、ちょっとづつ使ってみたりはしていた。おれは「ごっつ」という言葉は好きなのだが、「ごっつ」をマスターするのにはごっつ時間がかかった。

 よく「大阪弁」というが実は大阪弁といっても一律ではないのだ。関西には大阪弁もあるし、京都弁もあるし、神戸、奈良はまた確実に違う。東日本の人にはわかりにくいと思うが、イントネーションは似ているが使用言語は結構違ったりする。

 で、実は大阪弁にもネイティヴスピーカーは少ない事も判明した。その子の喋る言語というのは親が喋る言語に支配されているのだ。つまり、大阪生まれの大阪育ちでも親御さんが例えば大阪弁じゃないとすると、意外と甘い大阪弁になる。親が名古屋なら名古屋訛りの大阪弁に、九州なら九州訛りの大阪弁になる。大体三代続いた生粋の浪花っ子ってのもそれほど多くない。大体芸人さんを見てみよう。大阪漫才の神様といわれてる西川きよしだって出身は高知である。関西弁の典型であるはずの芸人言葉でもそれが正しい大阪弁かどうかというと、それはそうでもない。

 すると、完全な大阪弁というものは実は存在しない事に気付く。大阪弁らしきものを喋れれば、あるいは独特の言葉を使えてある程度の関西イントネーションが身に付けばそれはもう大阪弁なのである。無論生粋の大阪弁、京都弁というものは存在するだろうが、逆にいうとそれをマスターするのはノンネイティヴには無理。だからいい加減なこと喋ってもいいや、大丈夫。完全な大阪弁なんてないんだし、生粋の浪花っ子だって少ないじゃん、とどこかで開き直ったのが俺が関西弁を喋れるようになったきっかけだと思う。 

 であれば「完全な英語」なんてものもないことに気付く。あんな記号的な言語の上に、「世界の標準語」みたいなものである。どんな訛りがついてたってかまやしないし、こんな狭い日本だって方言があるんだ、USレベルでも世界レベルでも訛ってて当然だろう。というか生粋の英語、ネイティヴスピーカーなんてものは実はたいした意味がないことが解る。

 日本語に置き換えてみると解りやすいか。東京に住んでいる人は一般的に標準語を喋る。しかし、生粋の江戸っ子は標準語じゃなくて東京弁を喋るのである。だから標準語って言うのは関東弁をベースにした「標準語」でしかない。いう人にいわせると「田舎もん集めて喋らせるとああいう言葉になんだよ」だそうである。あらゆる地方にはあらゆる方言が存在するし、それを介在するのが「標準語」という程度の意味でしかない。

 よけいわかりにくいな。つまり「完全な英語」ってのはない。ネイティヴが偉けりゃイギリス英語が一番偉いんだろうが、今は主流ではない。オーストラリアンは俺達が聞いても訛ってるし、米語なんてのはイギリス英語から見ると完全に訛ってるだろうし、イギリスだってクイーンズとキングスで違うだろうし、スコットランドの人は訛ってるっていわれてるかもしれないし。じゃあ完全な米語ってなんだ。ネイティヴアメリカンが喋るのが米語なのか、ニューヨーカーが喋るのが一番正しい米語なのか。

 このへんになると出身とかぶってくるのでややこしいな。「ほんとのアメリカ人って、誰?」みたいな話になってしまう。

 つまり、ありもしない「完全な英語」や「ネイティヴ」などという幻想にとらわれず、ある程度喋れてしまえば「喋れる」って言ったもん勝ちだなということである。

 しかしネイティヴといえば、びっくりしたのは友人の子供にあった時。俺の友人は大阪弁だと思っていたのだが、実は大阪生まれじゃないのでネイティヴではない。だからその子供は生まれも育ちも大阪弁なのだが、そんなに濃くなかった。しかしもうひとりの大阪生まれの大阪育ちの友人の子供にあった時に驚いた。もう「おはよう」のイントネーションからして完全に違うのだ。俺には真似できない見事な大阪弁なのである。例えていえば生れながらにして「third」や「 girl」の発音が完全にできてる感じ。あれはちょっとまいったな。このへんがネイティヴスピーカーの恐ろしさではある。

 どうでもいいが、大阪弁のイントネーションは英語に似ている。「ゴジラ」「ハワイ」「トマト」は完全に英語と一緒だ。


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