Travel Report
少ない休日をやりくりして出かけた旅行の記録です。

#01:浅虫温泉 椿館の露天風呂
椿館正面玄関
椿館玄関、明治天皇が御行幸された宿だそうです。
清香椿
宿泊した部屋「清香椿」静かで落ち着く部屋です。
夕飯
とにかく貝と海藻尽くしの夕飯。真中にお刺身がきました。
浅虫水族館のアシカ、眠たそう・・・
浅虫水族館のアシカ、隣に子供のアシカがいました。
 旅行当日、朝4:50に起床して家を出たのが5時過ぎ。青森までANAでひとっ飛びし、奥羽本線で弘前に立ち寄った後、今度は東北本線で浅虫温泉の椿館に到着したのが夕方の4:30過ぎであった。
 まずはお勧めの露天風呂に入る。脱衣所の籠が置いてある棚に、白ヘビの浮き出た石が鎮座しており、その上には神棚が奉られていた。ヘビだけあって男性機能にご利益があるのかと思ってしまう。 露天風呂にはいると、今度は観音様の見える石が置かれていた。白い模様がそのように見えなくもない。日中は暖かであったが、さすがは東北青森、夜になると急に寒くなってきた。 仲居さんによると、私たちの来る前日はもっと寒くて、雪が降るのではないかというくらいだったらしい。私たちは運良く暖かい日にやってきたようだ。
 夕飯が運び込まれてきた。夕飯は1階の広間で食べるか、宿泊する部屋で食べるかが選択できる。家族だけのほうがのんびり出来ていい。両親は、飲みたい酒を買うために、下駄を履いて散歩がてら買い物に行った。 私はアルコールは医者に止められているが、この日だけはビールをほんの少し飲んだ。2年ぶりくらいかもしれない。宿泊した部屋は、清香椿という名前で宴会場の近くの部屋なのに、驚くほど静かだった。 私は良く眠れたが、ひどいいびきをかいていたらしい・・・すまぬ、すまぬ。
 そうそう、書き忘れたが浅虫温泉駅のすぐ近くに水族館があった。この周辺では一番大きな水族館らしいので、せっかくだから立ち寄って見物した。イルカのショーは夕方4時が最終で、今回は見ることが出来なくて残念。 かわいいアシカやラッコ、かわうそ等を眺めては、家に残してきたインコたちのことを思ったり、かにや魚を見ては刺身にして食うことばかり考えていた。また、水族館の近くに遊園地があり、観覧車やジェットコースター等が見えた。 時間さえあれば立ち寄ってみたいところであった。
撮影2000年10月7,8日

#02:函館 谷地頭温泉
函館山より市内を望む
100万ドルの夜景が見たかった。(35.2KB)
摩周丸
青函連絡船摩周丸。昔は私もこれに乗って津軽海峡を渡ったのでした。
3年ほど前に新しくなった谷地頭温泉
新しくなった谷地頭温泉。
路面電車
今回は乗れなかった路面電車。
函館朝市
初めて朝市の観光客用定食屋に入りました。
函館丼1500円
ウニ、イクラ、かにの載った函館丼。
朝市丼1200円
イクラ、かに、ホタテの載った朝市丼。
 谷地の温泉に入ったのは久しぶりであった。私が小学生くらいの頃は、毎年のように夏になると千葉→函館→江差という旅行をしていたのであるが、だんだんとその機会がなくなっていったのだった。谷地頭温泉に到着してまず驚いたのは建物が綺麗になっていたこと。 建物の中の設備も新しくなっていて、市民の憩いの広間があることだった。大体72畳くらい(想像)の広さの部屋に、背の低い長方形のテーブルが何列も並べられている。お茶はセルフで無料。隣にはジュースの自動販売機もあって、 お風呂上りにゆったりすることができるのである。ざぶとんを敷いて横になっているおっちゃんや、はじけそうな胸をふるわすおねーさま、お茶をすするじいさま等が、衛星放送のスポーツを見ながらくつろいでいた。待ち合わせをするのにもちょうど良く、 夫婦で来て相方があがるまでここで時間を潰したりできるようである。私たちは1階で入浴券を買って、タオル、石鹸、シャンプーなどを購入すると、2回の温泉へ向かった。ここは、1階が上記の部屋で2階が温泉になっているのだった。 建物は新しくなっても、お湯は昔ながらの茶色であった。湯船は、ぬるいのと熱いのに分けられていた。私はぬるい方でも充分熱く感じた。洗い場のシャワーも、1回ボタンを押すとちょうどいい量のお湯が出てくる仕組みになっており、大分近代化しているようであった。 これで露天風呂があれば最高なのだが、サウナを有するのみで露天は無いのであった。
 さて、TVのグルメ番組や旅の番組などでよく紹介される、朝市の定食屋に行ってみることにした。それらは、観光客用の店だと思い、以前訪れた際には立ち寄らずに帰ってしまっていた。しかし、せっかく函館に来たのだから、だまされたと思って食べてみる事にした。 お昼時だったせいかどの店もほぼ満員の状態、ようやく見つけたお店で海の幸が載った函館丼と朝市丼を食することが出来た。(左写真参照)どんぶり飯もモチロンうまかったが、一緒に出てきた付けあわせというか、お通しのようなものがまたうまかった。 イカの塩辛や野菜の酢漬け?それからイカのにんにくで煮たもの(名前不明)等、5種類も出てきたのだった。今まで観光客用の店などと言ってごめんなさーい!と素直に思ったのである。また、朝市では毛がにが大ブレイク状態だったので、クール宅急便にて2匹お買い上げとなった。 自宅にて食することを楽しみにしていたが、帰宅時間が遅くて結局味見できなかった。くやしー!。でも、電話一本でいつでも発送してくれるようなので、わざわざ函館まで買いに行かなくても大丈夫。最近は、魚屋(カニ屋)さんも名刺を持っているのである。
 朝市の近くに、函館シーポートプラザ(まぁ昔の連絡船乗り場だとおもうのですが)がある。そして、そこには青函連絡船の摩周丸が停泊しており、船内には連絡船関連の資料が展示されていた。2等船室を覗いて見て、ざこ寝して津軽海峡を渡った事を思い出し懐かしくなった。 私の母方の祖父が書いたという、連絡船沈没事故の号外を発見。事故の教訓から青函トンネルが建設されたのではないかと思われる。
 函館山のロープウエイも新しくなっていた。一度に200人以上を山頂まで運ぶことのできる大きなロープウエイになっていたのだ。山頂はとても寒いというイメージしかなかったが、行ってみるとロープウエイ乗り場から建物が続いていて暖かだった。(外はやはり寒かった。) 山頂からぐるりと周囲を見渡した。100万ドルの夜景は見れなかったが、ロープウエイの綺麗なおねーさんが見れたからいいでしょう。
撮影2000年10月8,9日

#03:弘前、青森 ちょっとオカルトな出来事
この駅ビルの中でうどんを食べました。
弘前駅の様子
向こうに見える山は岩木山でしょうか?
うどん屋より撮影、弘前駅前
お寺付近
墓参りに来ました
青森駅前
大きな橋が町のシンボルのようです。
橋脚の向こうに青函連絡船八甲田丸らしき姿が・・・
斜張橋です。橋脚に展望台があるようです。
 弘前へは青森から奥羽本線で向かった。飛行場からのバスが遅れて、乗り換えの時間が数分しかなかったので慌てて電車に乗り込んだ。電車が発車してしばらくして気が付いたのだが、なんと単線の線路だった。本線といっても複線でない事に素直に驚いた。 弘前駅からはタクシーで目指すお寺へ向かった。そこはお寺が沢山ある寺町らしかった。お墓にお供えをすると、お寺さんがお経をあげてくださった。その後、お寺の本堂にある檀家の人達の仏壇を拝見した。母方の親戚の仏壇もすぐに見つかった。 ところで、さすが東北と言おうか、本堂の中は凄く寒かった。まだお昼頃なのに、しんしんと冷えるのだ。父は天井が高いからよく冷えるのだというが、寒いのが苦手な私としては早々に立ち去りたかった。ご先祖様にご挨拶した後、母屋のお寺さんにもう一度ご挨拶した。 扉が開いたとたん、部屋の中から冷たい風がぶわーっと吹いてきた。寒い。部屋の中から外へ向かって、どんどん風が流れ出てくる。冷房をかけているのだろうか。確かにその日は晴天で、日向にいると暖かかったが、暑いというほどでもなかった。それでも東北の方にとっては暑い日だったのだろうか。 余談になるが、昔母が自分の親の墓参りに訪れた際、墓地から帰ろうとすると、「もう帰るのかぁ」と髪を引っ張られたという。私が生まれて間もない頃の話であるので、真偽の程は定かでない。また、亡くなる際には、家のタンスが1段1段開けられては閉められ、 また開けられては閉められたという。そして最後に、「××ちゃーん」という声がして、はっと目覚めたらしい。この声は、父も聞いているそうである。我が家のオカルトな話である。以上の昔話から想像すると、あの寒さはやはり尋常ではなく、 父は全く寒さに気づかなかったという事から考えると、アレではないかと想像してしまうのは、私だけではあるまい。
 青森に戻ると、大きな橋の写真を撮った。一応技術者のはしくれの見習、構造物は見ておかねばと思う。しかし、時間がおしていて、近くまで行くことは出来なかった。大きな斜張橋であるが、スペックは不明。橋脚の向こうに青函連絡船の八甲田丸が停泊していたらしい。 写真を撮るまで気付かなかったのだが・・・
撮影2000年10月7日
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