「砂嵐学園物語」
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第1話「日曜日の午後は映画館へ」
 乳白色の校舎がオレンジ色に染まる頃、新館裏側にあるグラウンドでは、あわただしく動き回る制服や体操服姿の生徒達によって、後夜祭の準備が進められていた。グラウン ド中央には材木が格子状に積み重ねられていて、キャンプファイヤーが行われるようであった。その光景を、校舎からグラウンドに降りていく階段の途中に腰掛けて眺めている 男子生徒がひとりいた。彼の名は榊竜、私立砂嵐高校2年4組、帰宅部所属だ。寝癖のついた頭髪は、額のところで適当に分けられ、後ろに流されていた。紺の詰襟はホックと 第一ボタンを外し、向かい合わせの三日月が二つ重なったような校章と、榊竜という名前の書かれたネームプレートは、壊れて外れかけていた。彼は、時折ずり落ちる眼鏡を片 手で鼻の上に持ち上げると、日が翳ってきた校舎裏の斜面を見回したりしていた。
 「来ないって、言ってなかったっけ?」彼の背後からひとりの女子生徒が声をかけた。彼は一瞬不意をつかれて、どきりとして振り向いた。彼の2,3段上には、制服の上に エプロンをつけた、背の高い女子生徒が立っていた。運動靴に白いソックス、風に揺られた丈の長いスカートに、白地にオレンジのラインが入ったエプロンをつけ、黒髪が肩に かかる彼女は、同じクラスの香坂美州だ。その名のとおり、ミス砂嵐とか、弾丸サーブのミスと呼ばれていて、同級生のみならず、下級生からも慕われる一方、スナップの利い たびんたを食らって散っていった男子生徒も数多いと言う。彼女は、彼のところまで降りてくると、もともと細い目をもっと細めて彼に言った。「今、見たでしょう?」「何を さ?」彼はきょとんとした顔をしている。「パンチだよ!」彼女は、猫がじゃれるような、ボクシングのファイティングポーズをとった。「え?」やっと意味を理解した彼は、 むきになって否定した。「ちが、違うよ。何言ってんだよ!」彼女はニコリと微笑むと、「私、実行委員だから行くね。話があるんだったら教室にいるから。委員会室は、新館 2階の突き当たりの教室だけど、分かるわよね。」と言った。彼女はその後、いつもどおり榊に噛んで含めるように説明すると、校舎の中へ消えていった。
 榊は、最近誰かに尾行されているような気がしていた。校章とネームプレートが無くなったのも1度や2度ではないし、ローカル電車のホームでは怪しげな女が階段の影から こちらを覗いていたし、通学路にいる緑のおばちゃんさえ怪しかった。彼は、これはきっと巨大組織の陰謀に違いないと思った。そう考えると、水曜特番の流鏑馬(やぶさめ) 純一のマジェスティック13とか、マジョリティ13あたりのエージェントが、ひたひたと迫ってきているような気もするのであった。「僕は何か凄い秘密を知ってしまったの かもしれない。月刊メーの懸賞に応募したからか?読者の投稿コーナーの感想を送ったから?」彼は、友人達と一緒に登校しながら、そんなことを考えていた。少し、いやかな り思い込みの激しいところのある人物なのであった。
 「サカキ君、最近どうしたのかな?」香坂は、榊が最近そわそわしているという情報をキャッチしていた。学園内の情報ルートの殆どを抑えている彼女は、榊に彼女ができた とか、いじめにあっているとか、そんな事で無いことははじめから知っていた。確か、無口で目立たない存在だったと思ったけど、何が噂になっているんだろう?折しも砂嵐学 園は文化祭の時期。学園内はいつも以上に活気に満ちている。部やクラスごとに出し物の準備をしたり、委員会を作ってそれらを取りまとめたり、片思いの生徒、男も女もこれ を機会にもっと親しくなろうとして、準備に余念が無いようなので、そわそわするのも無理は無いのかもしれない。かくいう香坂も、ラブレターらしきものを毎日のように下駄 箱で発見、即処分していたし。言い寄る男どもを撃破、12回連続防衛記録を樹立、そして記録はまだまだ伸びそうなのであった。私にだって好きな人くらいいるんですからね 。
 榊は、中学時代には陸上をやっていたのだが、事故で足を故障してからは特にスポーツはしていなかった。長距離ランナーとして有望視されていたため、入学当初は陸上部に 籍を置いていたのだが、もともとやる気を失っていた彼は、だんだんと受験勉強が忙しくなって、自然消滅的に部活動から遠ざかっていった。彼が自分の背後に尾行者の影を見 るようになったのはその頃からで、最初は彼のファンが追っかけをしているのかとも思って、例によって思い込みであるが、どきどきしていたのだが、だんだんと彼の近辺にス トーカーの影が現れるようになってからは、楽しい気分ではいられなくなってきた。学園のヒロイン香坂とは1年の時に同じクラスで、隣の席だったのがきっかけで親しくなっ た。もっとも彼女とあまり話をすることは無かった。学園のプリンスと言われる眠壮士郎といい仲であるといううわさ、というか事実だと思うのだが、があってなんとなく話か けにくかったからだ。彼の尾行者が何者であるかは分からないが、ストーカーの被害が自分の友人にまで及ぶのは避けたいと思っていた。
 香坂は誰かの視線を感じてそちらの方向を見た。あ、榊君だ。なんだろう?彼女は、文化祭の準備であわただしい校舎の3階の窓から外を眺めている彼の姿を発見した。彼は 、彼女と視線が合うと、はっとして目をそらした。気持ちの悪いやつ。以前から無口で何考えているんだか分からないところがあったけど、やっぱり最近は何かあったのかしら 。彼女は、2つ重ねられた机を軽々と持ち上げると、渡り廊下を急いだ。今度会ったら何か聞いてみようかな?
 榊達のホームルームには生徒たちが集まってだべっていた。明日からは文化祭だが、彼のクラスは出し物を予定していなかったし、部活動に関係ない連中は見にさえ来ない者 もいたりするので、教室内が騒がしいのは必ずしも文化祭のせいとは言えなかった。「サカキ君、明日は文化祭来るんでしょう?」香坂が榊の机によしかかって聞いた。榊はこ このところ夜もろくに眠れないし、学園内はわさわさとあわただしかったので、誰とも口をききたくなくなっていた。自分をかまわないでくれとは思っていなかったが、この状 況を理解してくれるはずもないし、ましてや解決されるとも思えなかったので、何をするのも億劫になっていた。「後夜祭にも来るよね。」「行かない。」ぶっきらぼうな返事 。「あ、そっ。」つまんないヤツ。香坂は軽蔑したようなまなざしを榊に向けると、もう彼のことは眼中に無し、といった様子で離れていった。榊は、彼女の顔色が変わったの で、びんたもしくはパンチが飛んでくるかと思ってびびったが、離れていってしまったのでほっとしたのと、自分が言ってしまった事に対する嫌悪感、そして彼女にも見捨てら れてしまったのだという事が重なって、ますます億劫な気持ちになってしまった。
 「来ないって、言ってなかったっけ?」榊は、香坂の表情の中に勝ち誇ったような様子があるのを見て取った。「私、実行委員だから行くね。話があるんだったら教室にいる から。委員会室は、新館2階の突き当たりの教室だけど、分かるわよね。」校舎の中に消えていく彼女を眺め、これだけは伝えなければならない、と彼は思っていた。
 実行委員会の教室は、彼女が教えてくれたとおり新館の2階にあった。教室の中からは、ラジカセの音楽に混じって聞き覚えのある声が聞こえてくる。榊はドアの前まで来て 、開けるかどうか逡巡していた。開けようかな、やめようかな、どうしようかな。いつの間にか誰の声もしなくなっている???彼は委員会室の扉をそろそろとスライドした。 「こら!」「うわ!」扉の前で香坂が仁王立ちしていた。「教室に入る前には必ずノックしましょう。」教室の中から笑い声が上がる。「こんな所に立ってたらすぐ気付かれち ゃうんだぞ。窓がすりガラスになってるんだから。」なるほどと彼は思った。
 「ところで話って何?」委員会室の隅っこの机に向かい合わせに座っているのは、榊と香坂である。教室の反対側では、数人の女の子たちがおしゃべりをしながら、こちらを 見てみぬふりをしていた。「実は、どうしても伝えておきたいことがあって。」榊は、おずおずと話し出した。香坂は、彼の話し振りと今までの自分の経験から、これは、ひょ っとして、ひょっとすると、恋愛相談か?と思った。しかも、その恋愛対象は自分に違いない。あぁ、哀れ、榊君も砕け散って夜空の星に生まれ変わるのね。いいよ、心の準備 はできたよ。さぁ、言ってごらん。
 「実は、俺、組織に狙われてるんだ。」「ごめんね、私付き合ってるひと、ん?」香坂は一瞬自分が何をしゃべっているのか分からなかった。というより、彼が何を言ってい るのか分からなかった。「尾行されているんだよ。」「誰に?」彼女は、ぞくぞくと寒気がするような気持ち悪さを感じた。この人、かなりヤバイんじゃ。「誰に尾行されてい るのかは分からないけど、駅で見かけたのは若い女性だったよ。あと、校章はなくなるし、消しゴムは消えるし、・・・確かに机の下に落ちたと思ったのに。別次元に落ち込ん だのかな?」香坂は背後を振り返ると、教室の反対側に集まって榊が振られるところを見るのを楽しみにしている女の子たちを見た。あの様子では話の内容までは聞こえていな いようね。そして彼女は、真顔で榊を見つめると言った。「榊君、この話、まだ私以外に誰にもしゃべっていないわね。」「あぁ、勿論だ。」すると、香坂はニコリと微笑み、 左手を榊の頭の後ろに回して固定し、右手で彼の前髪を掻き分けると額に手を当てた。「疲れているのね」「そうじゃないよ。現に今日も学校の中で見たんだから!」「それは 、外からのお客さんでしょう。」榊はきょとんとした顔をして彼女を見つめていた。この様子だと彼は、ウチの文化祭が外からお客さんを招いたりしていることも知らないのね 。
 「とにかく、後夜祭には一緒に出ること。」「えー!!」という声が香坂の背後で聞こえた。しまった、今の私の声はちょっと大きすぎたかと彼女は反省した。「香坂さん彼 氏いるのに、こんなのと後夜祭出るんですか?」1年生のちんちくりんが、榊の顔をまじまじと眺めている。こいつはサルだなと榊は思った。顔はかわいいが、動作がサルだな と。「サカキ、ごめん。私、後夜祭でヤボ用あるの思い出しちゃった。この子つけるから勘弁して!」香坂は、ぺろっと舌を出すと1年生の女の子にウインクした。「「えー! !」」二人同時に異議申し立て。「なんでこんなサルみたいのと一緒に後夜祭に出なきゃならないんだよ。」「さ、サルぅ!?なんで私がサルなのよ。きー!!」「ほら、そお ゆうとこ・・・」ばちこーん!!香坂のびんたが榊の頬に炸裂した。そして遅れて声が耳に届いた。「サカキぃ!!」これはドップラー効果か?いや、ただ単にヤツの手が早い だけだ。
 ひょんな事から、テニス部の1年生と後夜祭を見物しに行くことになった榊であった。彼女の名前は猿渡かえで。なんだ、やっぱりサルじゃん。名は体を表す、いい言葉です ね。サルがこっちを睨んでいる。こいつエスパーかも知れない。あなどれん!「センパァイ、香坂さんに聞いたんですけどぉ、なんかテンパッてるって本当ですか?」う、鋭い 。というか、何で話すか!?「秘密警察みたいのに追われてるっていう妄想がひどいって言ってました。」ジャストミート!!あぁ、なんかもうどうでも良くなってきたよ。サ ルだけど、そこそこかわいい娘ときわどい会話までできて、確かに鬱屈した気分は晴れた。話し相手はサルだったけど。ありがとう香坂。「ひょっとしてぇ、尾行してる女って ぇ、あの人のことじゃないんですかぁ?」サルが指差した方向には、榊を見つめて立っている女性がいた。スぁルぅー!!お前はやっぱりエスパーだ!校舎裏の階段の上に立っ ているのは、駅の階段で見かけた女性その人であった。
 香坂は、眠と後夜祭のキャンプファイヤーを眺めて寄り添っていた。眠は、その名の表すとおり居眠りしていたけど。榊たち、うまくやってるかな。彼女が榊達を探して周囲 を見回すと、彼らが階段の下で校舎の方を見て固まっているのが見えた。なにやってるのかしら、あの子たち?サカキィ、かえで泣かしたら承知しないよ!いい娘なんだからね 。よく見ると、彼らは階段の上にいる人を見て何か言いあっているようであった。ひょっとして榊が言ってたこと本当だったの?でも、あの娘は確か。
 「どうすんですか?センパァイ!近づいてきますよ。」榊もどうしてよいのかわからなかったが、少なくとも自分の想像していた事がビンゴで、香坂は彼の前にひれ伏して謝 らなければならないだろうと思った。階段上のショートカットの女は、ゆっくりとした歩調で近づいてくる。日没後、野球の練習用照明とグラウンドのキャンプファイヤーで照 らされた彼女の顔は薄暗くてよく分からなかったが、何者をも寄せ付けぬオーラをまとっているように榊には見えた。魔よけの護法陣はどうやって発生させるんだっけ?月間メ ーの先月号の総力特集・・・忘れた!キリキリソワカだっけ?畜生!呪文集を持ってくればよかった。せめて、このサルだけでも守らないと、香坂のパンチを食らっちまう!
 榊がわけの分からない事を考えている間にその女は、というか自分と同世代の女の子だったが、彼の前にやってきた。サルは彼の後ろにしがみついて隠れていた。「あの、こ れ・・・。」秘密警察が差し出した手の中にあったのは、校章つきネームプレートだった。
 忍者のごとく榊の背後に接近していた香坂は、榊にネームプレートを渡した相手が誰であるか確認、そしてその場の状況からその娘、新村詠美が榊に気があるという事を推測 、即座に次の作戦を実行すべく行動を開始した。香坂は、榊が自分に気があることはずいぶん前から知っていた。ラブラブアタック玉砕第1号は彼のはずだった。しかし、待て ど暮らせど接近の気配は無し。その間にフッた男の数は12人になっていた。彼は行動が遅いのだと思った。頭の中で考えるよりも先に行動すべきである、と彼女は思っていた 。彼女の場合はそれが行き過ぎなのであるが。彼女はすばやくメモ帳に何事か書き付けると榊に手渡した。
 榊はいつの間にか香坂が自分の背後にいる事に驚いた。呆けた頭で今何をなすべきか考えたが良く分からなかったので、やはり呆けているしかないであろうと思っていたのだ った。そして、香坂の言うとおり秘密警察では無かったのではないか、と思い始めていた。彼は、香坂からメモを受け取ると、いつに無く真剣な表情の彼女の話を聞いた。
 「いい、サカキ。この作戦は重要よ。」「うむ」香坂は細い目をさらに細くして榊を睨むと言った。「一番大事なのは、詠美さんの気持ちを踏みにじったりしちゃだめって事 なのよ。」「うむ」「そして、もうひとつ大事なことは、彼女の予定にうまく合うかどうかなのよ。」「うむ」「あとは、サカキがいつもどおりの実力を発揮すれば大丈夫よ。 さ、これを詠美に向かって言ってみて。大丈夫、きっとうまくいくから。」「うむ」榊は、彼女が何を言っているのかよく分からなかったが、こういう修羅場を幾つもくぐりぬ けてきた女の言う言葉である。信用してよかろう。ところでエイミってこの娘のこと?
 榊は、気を取り直して秘密警察改めエイミの方を向くと、呪文書を取り出すソーサラーか、判決文を読み上げる裁判官のようにメモを読み上げ始めた。「新村さん、お気持ち ありがたくお受けします。つきましては、今度の日曜日は映画館へ行きませんか、・・・」最後のほうはだんだんと声が小さくなってしまった。っていうか、これデートのお誘 い、ラブレターじゃーん!「あはははははは!」彼の後ろで香坂が腹を抱えて笑っている。「さ、サカキィ、あんたやっぱり面白いわ。あはははははは!」彼女は体をくの字に 曲げて背中を痙攣させていた。声も出ないくらい笑っているらしい。「センパァイ、結構やるじゃーん。後夜祭で、お互いの校章を交換すると、結ばれるって伝説があるんだっ て。センパイもあげちゃいなよ。」榊は、先ほど詠美から渡された校章つきネームプレートを見た。そこには新村詠美という名前が刻印されていた。
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