「ファニワ外伝」
Page 2
#2「ルカの記憶」
 真っ黒いカーテンに宝石の斑点がばら撒かれている。白や黄色やオレンジの色をした宝石は、瞬きもせずにカーテンに貼りついていて、スプレーで描いたかのように密集して いるところや、へたくそなダーツの的のようにまばらになったりしている場所もあったが、全体として見れば何か不思議な規則によって並べられているかのように見えた。その 斑点がゆっくりと移動していくと、目の前に明るく輝く円形の物体と、その手前に浮かぶごつごつとしたオブジェが現れた。円形の物体の表面には渦を巻いたもやがかかってい て、そのもやの下には青や茶色の模様が描かれているのが分かった。手前に浮かんでいるオブジェは、子供がブロックをでたらめに組み合わせたかのように乱雑な形をしており 、所々針金が伸びていたり、チューブ状の物体がゆらゆらと漂ったりしていた。そのチューブの先には明滅するランプが設置されていて、これから彼女の乗っている外船、外宇 宙航行艦アルデバランが接続される予定であった。
 「管制塔よりアルデバランへ。コントロールをこちらにまわしてくれ。」耳障りな金属音が聞こえる。太陽風の影響で、ハスキーボイスと化したステーション管制官の声だ。 宇宙の規則的なパターンに見とれていたパイロットは、ブルーの色ガラスがはめられたヘルメットの下で舌打ちすると、目の前の奇妙なブロック物体を睨んだ。美しくない。「 管制塔よりアルデバランへ。メインコンピューターへのアクセス、急げ。」彼女は、てきぱきと画面上のタッチパネルを操作すると、アルデバランのマザーコンピューターを呼 び出した。「イメルダ、ドッキングの時間よ。少しの間辛抱して、不細工なオブジェとリンクしてちょうだい。」画面上には、イメージ化されたステーションとイメルダ、外宇 宙航行艦アルデバランが映し出され、その間が直線でつながれていた。直線上にウニウニとした縞模様が現れると、右に左に移動してアクセスを試みている様子が表示されてい た。
 彼女は、何か急ぎの用件があるような、重大な問題を抱えているような気がして、そわそわとしていた。何がそんなに心配なのかね?誰かが心の中から問いかけてきた。そう 、何かしら。何かを伝えなくてはならないの。とても、大事なことで・・・。彼女の目の前には、白昼夢のように断続的に何かのイメージが現れては消えていった。その殆どは 記憶に残らなかったが、幾つかの映像を見た瞬間、どきりとしたり、ひどく懐かしいような感覚にとらわれることもあった。
 突然、ノイズィなスピーカーから甲高い声が聞こえてきた。「タイコンデロガ、待て!割り込むな!お前の番じゃない!」何?彼女は、不細工なブロックに近づく鯨のような 物体を見た。輸送船だ。船体後部から煙を吐いている。事故の船?お互いにこのままのコースを進めば、確実に接触することは明らかだ。「冗談じゃない!あんなでかいのとぶ つかったら、たまったものじゃないわ!」アルデバランは、外宇宙を航行できるハイパードライブを搭載していたが、全長はせいぜい10m程度。対する輸送船タイコンデロガ は、少なく見積もっても全長1km以上はある。
 彼女は即座に回避プログラムを作動させた。しかし、マザーコンピューターイメルダは、コントロールをステーションに奪われていてコントロール不能であった。「こん畜生 !」彼女は船をマニュアル操作に切り替えると、ブースターを最大出力にして操縦桿を引き寄せた。しかし、小さいとはいえ戦闘機ではないアルデバランである。そう簡単に方 向転換が効くわけでもなかった。「お願い。間に合って!」アルデバランは、ドッキングの体勢からのろのろと機首を引き上げ加速を始めた。しかし、タイコンデロガも同じ方 向に回避運動をし始めていた。「だ、だめ!」強化ガラスの正面に、星間輸送企業のアステロイドマークがどんどん近づいてくる。次の瞬間、激しい衝撃と、金属のこすれあい 折れ曲がる音がコックピット内に響いた。コンソールに叩きつけられた彼女は胸を強打すると、口の中にしょっぱいような鉄の味が広がってきた。息ができない。間をおかずに シートの背面からも何かが衝突してきて、背中に熱いものが押し付けられ、ごきぼきと何かが砕ける音がした。ブルーの色ガラスは、赤のスプレーで何も見えなくなり、そのう ち赤いスプレーさえも見えなくなった。
 シートの上で汗をかいて座っていた女性が、びくりと体を振るわせた。「どうだね、何か思い出せそうかね。ルカ・アロマシュトラーセ。」グレーのスーツを着た男が、薄暗 い室内で腕組みをしながら彼女に尋ねた。「いえ、・・・何も。」息の荒い女性は、それだけ言うとシートの背もたれに体を預けた。「次は、事故の起こる1時間前から始めて みよう。」男は、きわめて事務的にそう言うと、ガラス窓の向こうにいる数人の技師たちに指示をした。すると、隣室の技師のうちの一人が首を横に振った。体力の消耗が激し いらしい。「ルカ少尉、今日のセッションはここまでにしておこう。君の体力の回復を待って再度治療を施すものとする。」女性は男に敬礼すると、殺風景な部屋を後にした。
 「ルカー!」金髪の小柄な女性、いや少女が、廊下をふらふらとした足取りで歩いてきた女性にしがみついた。金髪の少女は、暗い表情の女性の胸に飛び込むと、目を閉じた 。抱きつかれた女性、ルカは、金髪少女の頭をゆっくりとなぜてやり、みつあみにくくりつけられたコミックキャラをもてあそぶと、やさしくたずねた。「どうしたの、アルテ ミス?」ルカは、アルテミスを抱きしめ返してやると、彼女のきめ細かい髪にあごを乗せて、ほお擦りしてやった。「どこに行っていたの?」アルテミスは、ルカの胸の中で目 を閉じたまま聞いた。「記憶を取り戻すセッションを受けていたのよ。」「記憶?あぁ、かわいそうなルカ。」アルテミスは、ルカの胸の中で頭をぐるりと動かすと、彼女の顔 を見上げた。ルカは、にこりと微笑んでアルテミスを強く抱きしめると、彼女の額にキスをしてやった。「早く思い出せるといいね。」「うん、そうだね。」そう答えたルカで あったが、ひょっとしたら思い出さないほうが良いのかもしれないとも思っていた。
 二人が通路にもたれかかって抱き合っていると、そこへ数人の女性が近づいてきた。「ルカ、見せ付けてくれるわね。」そのうちの一人がそういった。白い戦闘用スーツを着 たその女性、ティーゲルは、両手を腰に当てると少しふんぞり返った。彼女の両脇を固めていた女性も、彼女の取り巻きだが、やはりさげすんだ目でルカたちを見た。彼女たち は、ルカと同じラグナクロスという戦闘チームの一員であった。ラグナクロスとは、女性だけで編成されたチームで、軽空母ミストの戦闘機乗りである。ルカとティーゲルはラ グナクロスの同期で、いつもスコア、撃墜数を競い合うライバルであった。ルカは彼女を意識したことは無い。自分は、艦隊のトップパイロットを目指して入隊したはずだが、 最近は部隊を辞めたくて仕方が無かった。何度も除隊届けを出したが、艦隊トップクラスのスコアをたたき出すルカを、軍が手離そうとはしなかった。
 「記憶喪失のルカ。かわいそうなルカ。自分の任務さえ思い出せないようでは、艦隊トップの名が泣きますわよ。そもそも、鈍重な輸送艦に激突するなんて、戦闘機乗りとし ての自覚が足りないと思いませんこと?ラグナクロスの次期隊長は、あなたなんかには務まりませんわ。少なくとも、私は認めませんわ。」確かに、とルカは思った。自分は戦 闘機乗りなのに、なぜあの時緊急回避できなかったのか?アルデバランは新型の小型偵察艇だ。戦闘機並みとはいかなくても運動性はいいはず。偵察機?そう、私は何かを調べ る特別の任務を帯びていたはず。どうしても思い出せないのだけれど。任務を与えた上層部ならその事実を知っているはずなのに、その件については何も教えてはくれない。本 当に、ティーゲルの言うとおり、自分にはラグナクロスの隊長は務まらないだろう。いっそ、この部隊を辞められたらどれだけ嬉しいことか。
 「ティーゲル」ややあって、ルカは口を開いた。「ご忠告感謝します。ラグナクロスの人事権は私には無いので、残念ながら隊長を退くことはできないけれど、あなたのよう な優秀な部下が補佐してくだされば、トップが私でも問題はないでしょう。」ルカの素直すぎる発言に、一瞬面食らったティーゲルであった。こんな返答は予想だにしていなか ったのだ。全身の80%以上を入れ替えるという大手術のせいで、以前と顔つきが変わったのは仕方が無いとして、性格まで変わってしまっている。想像以上に記憶喪失の精神 的ダメージは大きいと見える。「期待していますわ。」ティーゲルはそう言うと、取り巻きの二人を従えて去っていった。ルカの胸の中では、恋人のアルテミスが心配そうに彼 女をみつめていた。
Top Page  , List  , Page 1