「ファニワ外伝」
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#1「ルカの休暇」
 軌道要塞ソクラテス2のシャトルが、惑星Qの大気圏に突入してから数十秒が経過していた。機内には赤熱化した機体装甲と大気との摩擦音、AN−606のエンジン音、そ して時折聞こえる通信機からのマシンボイスだけが響いていた。全身を固定するタイプのシートベルトで座席に押さえつけられた女性は、少々むっとした顔をして窓から外を見 ようと思ったが、防御シールドが下ろされた窓からは、外の様子はまったく見ることができなかった。「ひとの運転に命預けるのは、あたしの趣味じゃないんだどなぁ。」
 メビウス銀河連邦の従星、惑星Qは7つの惑星を持つオクターン太陽系の第2惑星である。主星から約2万5千光年ほど離れているこの星系は銀河中心に近く、新しい恒星が 次々に誕生するほどの高エネルギーの粒子の流れに常にさらされていた。殖民惑星としての歴史もまだ浅く、大規模なテラフォーミングによって入植可能になってから、まだ1 世紀を過ぎてはいなかった。
 ルカ・アロマシュトラーセが、惑星Qの宇宙港滑走路に降り立ったのは、彼女がソクラテス2を出てから2時間後のことだった。彼女は、タラップの最後の一段をジャンプし て滑走路に飛び降りると、両手を空に向かってうーんと伸ばした。雲ひとつない真っ青な空が目の前に広がっている。少し湿り気を帯びた空気がそよそよと首の横をすり抜けて いく。肩の高さで切りそろえられた茶色の髪が、その風を受けてさらさらと流れた。宇宙服を兼ねた白っぽいノーマルスーツの胸は空のほうを向いて自己主張していたし、肌に 密着するスーツのせいで鍛えられたスリムな体形が強調されていた。彼女は、わけあって半年ぶりの休暇を故郷の惑星Qで過ごすことにしたのだった。
 ルカは、自分の故郷がオクターン太陽系の惑星Qであることを、書類の上で知っていた。しかし、記憶喪失の彼女が実感を持って故郷と呼べるのは、恋人のアルテミスが待つ 辺境惑星の定軌道艦隊だけだった。彼女は、宇宙空間の戦闘機乗りで、愛機ヴァイオレットファングが吸い取った敵の血は、いったいどれだけになるのか分からなかったが、コ ックピット側面に描かれたかわいいピンクのウサギの撃墜マークは、すでに幼稚園が開けそうなくらいにたまっていた。彼女は、オービットフリートの戦闘機乗りに志願して、 一度だけ大事故を起こしたことがあった。事故の原因はいまだに良く分かっていない。その事故がもとで記憶を失ったのだが、もともと身寄りがなかった彼女が事故のショック と記憶を失った寂しさのあまり、同性のアルテミスとアブノーマルな仲になったのも仕方のないことかもしれなかった。彼女はその事故のことで何か大事なことを忘れているよ うな気がして、またそれは故郷の惑星Qに関係するような、そして故郷に帰ればそのもやもやが晴れるような気がして、半年振りの休暇をアルテミス抜きで取得することにした のだった。
 ルカは宙港でレンタカーを借りると、Mハイウェイを時速300kmで西に車を飛ばした。そして、1時間弱で目的地である山間の村にたどり着いた。彼女の「記録」による と、彼女はここでハイスクールまでの生活を送っていたことになっていた。「辛気くさいところだな。」ルカはまず、ハイスクールの「あった」場所に行ってみることにした。 「記録」によると、彼女はそのハイスクールを主席で卒業したことになっていた。確かに数学や天文学についての知識は豊富だったし、メカニックについてもなぜか詳しかった 。しかし、局からもらった写真に写ってニコニコ笑顔を振りまいている少女は、ルカとは似ても似つかない顔をしていた。それは事故のせいだといわれていたし、自分でもそう 思っていた。あの事故のせいで、彼女は自分の細胞組織の80%以上を失っているのだ。顔も体も作り物なのだから、昔の面影が残っていないのは仕方がないのだろう。
 「問題は、性格が昔からそのまんま、かどうかなのよ。」ルカは、真剣な眼差しで彼女の顔を見上げてくるアルテミスの面影を思い出していた。ブロンドでストレートのロン グヘアに天道虫の髪飾りをつけた、まるっこい童顔の女の子の顔が額の前辺りに浮かんでくる。「ルカは軍規違反が多すぎるの!」口を尖らせ、頬を膨らませた、かわいいアル テミスが腕組みして30センチ以上も背が高いルカを睨みつけている。「お部屋の中はいつも散らかっているし、お洗濯はたまっているし、ご飯はぽろぽろこぼすし、ホントに 私がいないと何にもできないんだから。」「きっと、この性格は昔っからだよ。」ルカは車の中でポツリとつぶやいた。帰ったらいの一番に抱きしめてやろう。私を連れて行か なかったって怒るかな?
 両側を緑の山に挟まれたグラウンドの前に、薄紫の車ミルキーキャッツが止まっている。車の横には、ほっそりとした体形の女性が、車に背中を預けながらグラウンドの方を 眺めていた。ここに昔彼女が通っていたというハイスクールがあったらしい。らしい、というのは、もうすでに廃校になってしまっていて校舎がないから、推定するしかないの だが、多分そうなのだろう。よく見ると建物の土台らしきものが残っている。100年足らずの歴史しかない殖民惑星で、校舎を移転する必要があるくらいの問題が生じたのだ から、何か大事故がおきたのかも知れなかった。大事故?自分自身も大事故によって体の大部分を失っていた。その奇妙な一致が、記憶をブロックしている何かをこじ開けよう と必死にもがいて、しばらく彼女はその場所に呆然と立っていた。
 車のエンジン音を聞いた彼女は、はっとして反射的に右の腰をまさぐった。「ちっ!丸腰だった!」クリーム色の車は、彼女の車から少し離れたところに止まった。非戦闘地 域でことさら警戒をする必要はないが、こんな山奥の何もない場所にやってくる人間が、自分以外にいるということだけで十分怪しかった。ドアが開いた。中から出てきたのは 20歳代後半か、30歳前半くらいの男性であった。彼は、ルカに軽く会釈するとゆっくりと近づいてきた。彼女は士官学校で格闘術の訓練を積んでいたし、ケンカっ早い性格 だったから、たいていの相手には負ける気がしなかった。しかし、戦闘機乗りという職業のせいか、ケンカの実践が多いせいか、相手の力量を見抜く力も身につけていた。あ、 やば、こいつできるわ。この男の身のこなし、軍関係か?男は無言でルカに近づいてきた。
 「あなたも、こちらの卒業生なんですか?」男はルカの近くまでやってくると、おかしなアクセントでそう言った。「え!?卒業生?」ここ、女子高じゃなかったっけ?「私 もここの学校を卒業したんですよ。偶然近くまで来たものですから、立ち寄ってみたのです。」男はルカを無視して続けた。「過疎化で生徒数が少なくなって廃校になってしま って、残念でしたよね。」過疎化で廃校?何のこと?ルカは頭の中がくらくらして、考えがまとまらなくなってしまった。そういえば、この周辺には民家がない。そう、バスを 使って町から登校していたはずだ。過疎化?ここは昔から山の中だったはず。それに、過疎化するほどこの星はまだ発展していない。人口の移動がほとんど無いからだ。「どう したんですか?」男がルカの肩をゆすった。彼女はびくりとして手を払いのけた。こいつはうそをついている。それとも私の「記録」がうそなのか?「そうですね、残念、です 。」彼女は、一刻も早くこの場所を立ち去りたくてそう答えた。またいつものアルテミスとの日常に戻りたかった。自分の「記録」が、うそであっても。
 空港近くのホテルに戻ったルカは、シャワーを浴びると缶ビールのプルトップを開け、あっという間に1本を空けてしまった。そして、ハイパーウェーブのTV画面を見なが ら、先ほどの男のことを思い出していた。「ラグナー」その男はそう名乗っていた。私はあの男を知っている。彼女は漠然とそう感じていた。あの男の目的は何だ?なぜ私に近 づいた?偶然にあんなところへ立ち寄るはずがない。そもそも、あそこには学校など無かったに違いない。作り物の体に作り物の記憶。私は、いったい何なんだ?
 移植用の臓器がクローン技術によって作られ出したのは、人類の歴史が始まった創世記のころのことである。まだ人類がひとつの星で暮らしていた頃の話だ。宇宙時代の夜明 けの頃。宇宙は人類の想像以上に広く、人の寿命ははかないほど短かった。それでも宇宙を制覇したかった人類は考えた。自分たちの寿命を延ばして宇宙旅行をすればよいと。 しかし、それでもたかだか200年程度の寿命である。深宇宙に進出するには、その10倍程度の寿命が必要と考えられていた。また、宇宙には未知の事故が多かった。惑星の 大気圏という保護膜を失った旅行者は、貧弱なシールドを身にまとったが、それでも隕石や未知の宇宙線を浴びて命を失っていくものが多かった。そして、彼らは究極の方法を 思いついた。肉体を工場で量産しよう。そうして必要なときに必要なだけの体が提供できるようにしよう。人間の記憶は電子記録としてたくわえ、古いからだが寿命を迎えたり 壊れたりしたときにデータを移し変えてやればよいのだ。人間の材料ならばいくらでも手に入るし、材料の状態ならどんな形状にしても搬送可能だ。何しろ材料の彼らには人権 が無いから、コンテナでも水槽でも何に入れておけるではないか。また、人間が必要となるのは宇宙旅行者だけではない。もっとたくさん必要とされる場所がある。人類がはる かな昔から、未来永劫続けていくだろう呪われた場所だ。もちろん、それを快く思わない者たちもいるのだが。
 宇宙を真っ二つに分けて戦っている二つの種族。ルカが戦っている相手は、クローンを大量に生産して物量でもって圧倒する作戦を取っている。ルカたちの種族はクローン原 則禁止であり、クローン人間など存在しないはずだ。「私は、惑星Qのハイスクールを卒業して士官学校を経て宇宙軍に入った。」それは確かな「記録」として残されている。 しかし、・・・。「ラグナー、あれは、わたし。」クローン、魂の無い人形。オリジナル以外は消去されるか移植用パーツとして保存される。もしくは、・・・兵隊として使用 される。ルカは、嫌な事を想像して背筋がぞくぞくと寒くなった。缶ビールを持つ手も小刻みに震えていた。「あたしたちも、あいつらと同じことをしている。」彼女の休暇は まだ1週間くらい残っていたけれど、これ以上この星には滞在したくなかったし、自分の片割れラグナー君が敵軍の兵士であることも忘れてしまいたかった。
 そのとき、突如ホテルの窓が振動し始めた。ルカはすぐにそれが何の振動なのか分かった。あれは宇宙船の、それも機動戦闘機のエンジン音だ。窓の外を見ると、薄緑の流線 型の機体がアフターバーナーをかけて、惑星Qの重力を振りきっていくところだった。光学迷彩のインビジブルもかけないで、しかも化学エンジンを使用して上昇するその機体 は、地上レーダーにしっかりと捉えられているはずだ。ラグナー。願わくば、戦争が終わるまで彼とは出会いませんように。自分自身に引き金を引かなくて済みますように。飛 行機雲の航跡を残して飛び去る単座式戦闘機が完全に見えなくなるまで、彼女はずっと窓の外を眺めていた。
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